観世流能楽師・津村禮次郎の活動を、三宅流監督が5年間に渡って迫ったドキュメンタリー映画「躍る旅人ー能楽師・津村禮次郎の肖像」が、東京・新宿K’s cinemaで公開中だ(7月17日まで)。パンフレットには坂東玉三郎らが寄稿、上映後のトークイベントには野田秀樹、森山開次らが登場するなど注目されている。ふたりの出会いは、津村さんの「広いアンテナと好奇心」からはじまった。三宅監督に話を聞いた。
三宅監督は多摩美術大学在学中より身体性を追求した実験的な映画を撮り続けてきたが、津村さんとの出会いによってドキュメンタリー映画を撮るようになった。2003年に渋谷のUPLINKで開催された「sound+dance+visual」というイベントで、当時の劇場支配人が三宅監督の上映作品のチラシを津村さんに渡したことが出会いのきっかけ。 津村さんの広いアンテナと好奇心にひっかかったそのチラシに導かれ、ふたりのコラボレーションがはじまった。
UPLINKでの三宅監督の短編映画「白日」(2003年)上映後に、津村さんに「白日」のイメージで能を舞ってもらったのが、最初のコラボレーション。そこから次の作品「面打men-uchi」(2006年)へと繋がった。三宅監督は「白日」までフィルム撮影にこだわってきたが、ちょうどその頃、映像がデジタル化されてきてフィルムの質感に近づいてきた。これなら使ってもいいかなと思ったことと、津村さんとの出会いからドキュメンタリーに進むことになる。「面打men-uchi」は 22歳の面打師・新井達矢さんのドキュメンタリー。津村さんの楽屋を訪れたときに新井さんに出会った。木が能面に変化していく様を描き、台詞、ナレーション、音楽もなく、ただ木を彫る音だけが聞こえるという実験的な映画だ。
次の作品は「朱鷺島」(2006年撮影2010年公開)。津村さんが佐渡島で朱鷺をテーマに創作能を作るドキュメンタリー。佐渡島には能舞台が30カ所近くある。そのひとつの朽ちた能舞台を移築して新たに生まれ変わった舞台で、津村さんが朱鷺をテーマに創作能を作った。子供たちが朱鷺への思いを書いた詞を舞台に能を作り、現地の太鼓芸能集団・鼓童のメンバーも加わった。三宅監督は「その頃から津村さん自身をドキュメントとして撮りたい思いが芽生えていた」という。そして、2010年頃から津村さんを追い続け、「躍る旅人ー能楽師・津村禮次郎の肖像」が完成した。
「躍る旅人ー能楽師・津村禮次郎の肖像」は、3部構成で津村さんを描いている。古希を迎え、さらに革新的に創造を続ける津村さんは瑞々しく鮮やかだ。第1部は、さまざまなアーティストとのコラボレーション。第2部は、津村さんの過去から現在に至る時間を紡ぎ、第3部ではバリ舞踊とのコラボレーションでさらに飛躍した表現の可能性を描いた。三宅監督は「能なんだけれど、バレエやマイムなどコントラストが違うことをやっていることにより、津村さんの中の能楽師の身体のエッセンスが見えてくる。能の様式でないがゆえに非常にモダンに身近に感じられ、違うジャンルの方とやっている津村さんの身体にフォーカスした。津村さんがルーティンで長い時間やられていることと、新しいこととがクロスするように描いた」と、その意図を語った。
津村さんを描くうえで意識したのは、まずは説明的になりすぎないことと、身体を根源的に描くことに徹したこと。そして、津村さんの在り方がアーティストの理想像を現しているのではないかという思いに辿り着いた。「演出家や監督がトップダウンで仕切っていくのではなく、いろいろなアイディアを互いにリスペクトしながらボトムアップで作り上げていく姿や、出来る出来ないではなくやってみて何が生まれるかと委ねている姿が、表現する人の理想型で、普遍的な意味がある」という。
映画にはナレーションはなく、テロップを挟んで進む。「ナレーションを入れることによって『誰の目線の映画』という人称が生まれてしまう。違う人称、違う時間、違う視点を映画に入れたくなかった。映画の中の時間だけで表現して、それだけで見せきるという意図があった。また、映画を音楽的に捉えていることも影響している。映像と文字でリズムやアクセントが生まれ、間や加速感が強調出来たり、情報とは別のもうひとつの流れで映画を見せきることも意図だった」と明かしてくれた。
完成した映画をみて、津村さんは「嫌だな」と笑ったそう。「シーンが終わっても終わっても自分ばかり出てくるから。撮影中、津村さんは『自分はいち素材に徹する』と何の注文もすることなく、とてもやりやすかった」と回顧する。
津村さんに出会ってから約10年の時を経て、「躍る旅人ー能楽師・津村禮次郎の肖像」が完成し、「津村さんについてはこれでひとつの答えが出せたと思っている。機会があればドキュメントではなくて創作的な何かが作れたらとは思う」と今の心境を語る。津村さんの創作作品ひとつひとつだけでも膨大な素材が眠っているだろうと思うが、作品にフォーカスするつもりはないそうだ。「舞台作品を撮っても作品にはならない。表に見えているだけではないことを描いて、ひとつの作品にできるのは映像でしかないから、それを映像でやることに意味がある」という。
それでは、今後はどんな映画を撮っていこうと考えているのだろうか。「ひとつは芸能で、ある地方の伝統芸能を取り上げる。かつて日本人が失ってきた生活様式や日本の古層の身体的なものが浮かび上がってくるような作品。もうひとつは芸能から離れて、戦争の記憶をテーマにしたものをやりたいと思っている。今までの作品よりも、ケレン味がある、作りこんだ作品にしていきたい」と明かした。
芸能と戦争という異なる分野を撮ろうとしている三宅監督に、撮りたいと感じる興味の視点を尋ねた。「目の前に見えていることだけでない、映画でしかできない時間を描けるものならば何でもいい。時間を構成していくことで映画表現として提示できるものであれば、表層の部分はこだわっていない」という。また、「アウトプットは結果論」だといいきる。「あるジャンルに落とし込むことには興味がない。あくまでも自分の時間の彫刻を作る作家でありたい。アウトプットは多分何でもいいというタイプ。演劇というフレームに自分を落とし込む、自分は社会派の何かをやるというのとは逆方向だ」と分析した。
映画「躍る旅人ー能楽師・津村禮次郎の肖像」公式ウェブサイト
上映スケジュール
新宿K’s cinemaにて上演中。7月17日まで連日10:30より
7月17日上映後のトークイベント:野田秀樹(演出家・役者)×津村禮次郎×三宅流
http://www.ks-cinema.com/movie/odorutabibito/
以降、全国順次公開予定
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アイデアニュース有料会員向け【おまけ】 「映画を音楽的に捉えている」という三宅さんの音楽エピソードをご紹介します。
お話を伺った喫茶店で、かかっていた音楽に私は全く気づかなかったのだが、インタビュー終盤になって話が聞こえなくなるほど盛り上がってきた。気をとられていると、「第九ですね」と三宅さん。「今までの苦悩を経て、ここから歓喜の絶頂にいたるところですから」と説明してくださった。音楽がお好きなんだろうか?「好きですね。音楽的な感覚があります。リズム感やテンポ感がある、官能を感覚に置き換えるというところがあります。情報や意味よりもそういう感覚に近いかなと。津村さんのありようも作り方も、ジャズセッションのようにセッションしながら作っていくんですよ」と教えてくれた。