福島県の二本松に、関久雄さんという詩人がおられます。岩手県生まれの東北人で、1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに脱原発運動に参加、1994年からは二本松にご家族と暮していました。2011年福島第一原発の事故後、家族は米沢に避難。関さんは二本松に残り、福島の子どもたちの保養に取り組んでいます。また、「詩の言葉でなら、福島の今が伝わる。聞いてもらえる」と、震災以降の福島の今を、詩の形で綴っておられるのが関さんなのです。
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2016年1月、関久雄さんのFacebookページに、こんな言葉を見つけました。
~~『「福島のいま」を見に来ませんか。3月スタディツアーのご案内』
5年目の「3・11」を間もなく迎えます。そこで、3月12~13日、もしくは19~20日の日程で、「福島のいまを知る」スタディツアーを実施します。1泊2日の行程で宿泊費、2食、ガイド料、車両代など一切で参加費は1万円で行います。(福島駅までの交通費は自己負担)定員は一人から受けます。最大、7名まで。1日コースも可能です。基本の内容は、福島市と周辺の視察と農家や地元で暮らす人たちとの交流です。希望によっては飯舘村や周辺を回ることも可能です。~~
まさに渡りに船、関さんに福島を紹介してもらえるなら、それ以上のツアーはないと思って申し込んだ次第です。3月11日、太田康介さんの写真展で黙祷した後、福島に移動。夜はJR福島駅前のビジネスホテルに泊まって、翌3月12日から13日まで、関さんの車で福島市、伊達、川俣、飯舘などをまわりました。以下はその報告です。
まずは、福島市から伊達、最後に飯舘に向かう道中、いろいろな場所にある放射性廃棄物の仮置き場を見せてもらいました。強く印象に残ったのは、人々の生活圏内に、今もこれほどたくさんの除染ゴミが置かれているのだということでした。この①の仮置き場は、隣が公園、目の前が市の公共施設という場所にあります。
環境省の「除染情報サイト」によると、仮置き場の安全性を確保するため、『居住地域からの距離を十分確保した上で、柵などを設置し、人が誤って仮置場に近づかないように防止します』と書かれています。除染情報サイト(環境省) しかし、今回見た幾つかの仮置き場には、“距離を十分確保”しきれていないように思えるものがたくさんありました。
山道を行くと、もっと規模の大きいものもあります。
除染して取り除いた表土や草木を、フレコンバッグや大型土嚢に入れて、遮水シートの上に積み上げ、その上を汚染されていない土で覆って放射線をさえぎります。中身が、枝や葉のような可燃物の場合は、火災の恐れがあるので通気性防水シートをかぶせて、ガス抜き管を設置しています。
再び環境省の情報サイトによると、『定期的に廃棄物の保管状態を確認し、白煙や水蒸気などが確認された場合は内部の温度などを測定し、適正に管理』するとなっていますが、その白煙や水蒸気は安全なのかと思ってしまいます。また、福島民報によると2016年3月5日朝、福島県浪江町の仮置き場で、除染作業で出た木の枝や枯れ草など約320平方メートルを焼く火災が発生したそうです。
関久雄さんの詩に、「たたり神」という作品があります。
おばあちゃん あれは なあに
あれは ゲンパツの お墓
青い 袋の中には
草や 花や 土や ミミズが 虫が ビセイブツが
ホウシャノウと 一緒に閉じ込められ
とてつもない ホウシャセンを あびながら
袋の中で うめいている
詩は、「痛いよ、苦しいよ」という声が袋から聞こえると続き、まわりを鉄の板で囲んでも、「いずれあのものたちは袋を食い破って外に出て、たたり神となって動き出す」と書かれています。今回、除染廃棄物の仮置き場を何か所も案内しながら、関さんは同じ言葉を使っていました。
「除染して、土とか草とか詰めた袋を積みあげた形が、似ていませんか。あの、“風の谷のナウシカ”っていう漫画の王蟲(オウム)に。いつかたたり神になって、動き出すような気がする」
私は、福島第一原発の近くに生きていた、犬や猫、牛や豚や馬や鶏のことには、何も出来ないながら気持ちを寄せてきました。でも、関さんが示してくれた命の世界は、もっと広くて大きかったのです。
「除染」の名のもとにはぎ取られた土や、刈り取られる草木、一緒に袋の中に閉じ込められるミミズや、まる虫、微生物、菌たちは、関さんの豊かで美しい故郷の立派な一員だったのに。今、そんな命たちが袋の中に閉じ込められ、苦しくて、熱くなり、水蒸気や煙を出してたたり神になろうとしているのだとしたら、私たちに謝る言葉はあるでしょうか。
仮置き場の前に置かれた看板の言葉「ご迷惑をおかけします」思い出すのは、3月11日の前後に様々なメディアが被災地を取り上げた中で、最も印象に残った番組「アーサー・ビナード日本人探訪」のシリーズ、「日本を福島のレンズで切り取る作家」です。
福島市の高校の先生、赤城修司さんが撮り続ける福島の現実の中に、『ご迷惑をおかけします。道路除染をしています』という立て看板の文字を見つけて、アーサーさんが言います。「でもさ、ご迷惑をかけてるのは、放射性物質を大量に降らせたことだよね」
赤城さんは、「(相手が)巨大過ぎると、触れられなくなるんだなあ・・・例えば、海外からの非難はそんなに響かないけど、近所の人から非難されたら、それこそ居る場所ないですよね、だからこそ人々は、難しい事態で声を上げなくなるし、いろんな悲劇の中で人々が発言力を失う。こういう理屈で世の中回らなくなるんだ、当たり前のことができなくなるんだっていうのが、震災後に思ってること」と答えます。
今回のスタディツアーでも、同様のことが何度も関さんの口から語られました。「だんだんと微妙な空気が出てきて、物が言えなくなっています。甲状腺癌とその疑いのある子どもたちが167人という数になり、大人の中にも健康被害が出たり、急に亡くなってしまうケースを耳にしているのに、原発事故との関係は考えにくいと専門家は言い続ける。それを信じたい人も多い」。
「がんばろう福島」「復興」「帰還」、そうした言葉と雰囲気の中で、水や食べ物や子どもたちを外で遊ばせることへの不安を口にすることは、福島で暮らしていこうとしている人たちの間に「微妙な」空気を生んでいます。「まだそんなことを言ってるの?関さん、気にしすぎですよ」……そんな言葉が投げかけられるのだそうです。
阿武隈川の河川敷にさりげなく、空間線量の値を示す看板が立っていて、川にはたくさんの白鳥や鴨がいました。
こういう場所で遊ぶ子どもたちは、白鳥のいる川に入り、川底の土を触ってしまうのではないでしょうか。その放射線量は、空間線量よりも高いと思われます。放射性物質の含まれた土は、山の斜面を下って谷川に注ぎ込みます。海にまで運ばれるものと、川底に沈殿するもの。川の流れの強さ、早さ、雨の量などで、どの程度になるか分かりませんが、看板が示している値よりはずっと高いはずです。でも、ここは毎年白鳥がやってくる、素敵な場所のひとつ。子どもたちも白鳥を見るのを楽しみにしているし、除染をして、確かに数値は下がってきている……矛盾と葛藤と不安。そういうことを考えると、白鳥の白さが胸に痛いような気がしました。
関さんの詩、「5年目の福島」にはこう書かれています。
保養 黙って出かけるんです
ふだん ホウシャノウなんて
気にしていません って顔している
だから わたしは 隠れキニシタン
『隠れキニシタン』とは、またなんと悲しい言葉でしょう。不安を素直に口に出せず、周りの人の顔色を見てしまう。同じような苦労をしているはずの近所の人や職場の人と、少しずつ気持ちがずれていく。「また保養に行ったの?」と言われてしまう。「福島はもう大丈夫」と言う人がいる。本当にそうなのかという気持ちを隠す。その微妙な、複雑な感じが、5年たったということなのでしょうか。「5年目の福島」は、こう続けられます。
勉強しましたよ 郡山はもう安全 だから
保養は必要ありません むしろ
福島に遊びに来てください と 市の職員
おとうとに 新潟のコシヒカリ送ったら
「良かったあ 県産でなくて」と言うもんだから アタマきて
ああ もうやんねえ わがで買って食えと 言ったんです
福島産のコメ 測っているから
他県のものより安心だと思いますよ
福島は危ないのイメージ
払拭したいと あえて外に作った遊び場
指さす モニタリングポストは 0,16マイクロシーベルト
その数値 高いのか 低いのか
ツアー1日目は、最後に飯舘村まで行きました。原発から30キロ以上離れているのに、風向きや雨の影響で汚染がひどくなり、事故から1ヵ月以上たった2011年4月22日、全村避難の指示が出た飯舘。関さんの知り合いの方に、避難された方のお家の中を案内してもらいました。
ほとんどの持ち物を置いて、急いで避難されたのだなということが分かります。誰もいなくなった村では、野生動物が食べ物を求めて里に降り、家の中にも入ってきました。このお宅にも、ハクビシンやアライグマが住みついているような跡がありました。
ミイラのような姿になった、このお宅の飼い猫だったみーちゃん。手を合わせてから写真を撮らせてもらいました。外は雪がちらつく寒さ。5年間、寒さも暑さも耐えて、こんな姿になったのかと思うと、本当に可哀想で、申し訳なくて、たまりませんでした。
<関連サイト>
関久雄さんのFacebookページ
福島と結ぶ佐渡へっついの家
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■細川牧場の馬たち
■たましいになったブチ 3・11飯館村の牧場で起きたこと/詩
- 有限の時間の中で感じた無限、スタジオライフ『なのはな』東京・大阪公演を観て 2019年5月3日
- 東日本大震災と原発事故を描いた萩尾望都の『なのはな』、スタジオライフが舞台化へ 2018年11月25日
- 福島県浪江町、被災犬と猫の私設シェルターに「ドッグラン」ができました 2017年12月24日
- 「ひとりひとりの事情に向き合って」、たらちねクリニック・藤田操院長インタビュー 2017年12月15日
- 有機農業と太陽光発電が融合、11月19日に千葉でソーラーシェアリング収穫祭 2017年10月27日
■細川牧場の馬たち
震災前には130頭もいたという飯館村・細川牧場の馬は、今では40頭ほどになっています。牧場主の細川徳栄さんは、飯舘村で3代続いた馬喰(ばくろう)、すなわち家畜商を生業にしている方です。
震災直後、「牛を置いて避難した」という知り合いに頼まれて、牛を保護。その後も引き取り手を探したり、売却したりと、とりのこされた牛や馬の面倒を見てきた細川さんを、牧場にたずねました。
細川さんも、ご家族を避難させて、自分だけが残って馬の世話をされています。相馬の馬追いのような有名な行事に参加する馬もこの牧場からたくさん出ているそうです。また、ボランティアでホースセラピーもされていて、幼い頃から牛や馬と一緒に育った細川さんは、やはり、生きている馬たちを見殺しに出来なかったのでした。
「馬がどんどん死んでいくんだよ。放射能のせいだよ。だって今までこんなことなかったんだから」
「母馬が死んで、仔馬がおっぱい欲しくて死んだ親にすがりつくのよ。こんな悲しい、みじめな姿はないよ」
細川さんは語ります。外で飼っている馬たちは、夜も馬屋などに入らず、外で眠ります。寒い時期には、出来るだけ風の当たらない窪地になったような場所で、馬同士集まって眠る習慣だったそうで、そういう場所は、放射性物質の吹き溜まりになっていたのかもしれないと細川さんは考えています。
放射能の影響を受けた馬たちは、膝に異常が出て、立っていられなくなるそうで、立てないということは馬にとって致命的。なんとか立たせておこうと努力したが、1頭、また1頭、死んでしまったと話す細川さんでした。
■たましいになったブチ 3・11飯館村の牧場で起きたこと/詩
2013年から「スタディツアー」を実施してきた関さんは、飯舘村の細川牧場を何度も訪れ、死んでしまったポニーを目の当たりにしています。この絵本は、本当におきた出来事を絵本にしたもので、あとがきにはこうあります。
『カラスに目玉をつつかれ骨身をさらすポニーの姿に衝撃を受け、これが明日のわが子と思えないのかと「人ばしら」という詩を書き、お話にしてみました』
関久雄さんの詩、「人ばしら」は、最後にこう締めくくられています。
人と 馬と どれほどの 違いがあるのか
これが明日の わが子と 思えないのか
昔 水俣病という 公害がありましてな
いまは 福島病としか言いようのない 奇病がありましてな
2011年3月11日の 地震から
やたらと ヒトが 病みまする