劇団四季で活躍された中井智彦さんが、「表現者」として新たな活動を始めました。7月2日にファーストアルバム「私の歌を聴いてくれ」が発売され、同日に「中井智彦 Premium Show vol.1」が行われます。そのエネルギーの源は「中原中也」に強烈に惹かれたこと。彼を歌いたいという思いからすべては始まりました。アイデアニュースでは、中井さんに音楽と出会った子供の頃から、現在に至るまでのお話を伺いました。(上)(下)2回にわたってお届け致します。(中井さんインタビューの「下」は6月3日に掲載する予定です)
――音楽とはどのように出会ったのですか?
幼稚園の頃から歌うのが好きでした。ただ、引っ込み思案なので、人前で歌うのは得意ではなかったんです。それを幼稚園の先生に見抜かれて。年中さんのときに、お芝居をやったんですね。靴屋のおじいさんが寝ている間に小人たちが靴を作るお話で、小人はアンサンブル的な感じで何人もの子たちがやる役だったので、あまり目立たないと思い「小人をやりたい」と言ったら、先生が「あなたはおじいちゃん役だから」とやらせてくれたんです。おじいさん役は出ずっぱりで、音に合わせて動くのが多くて、すごく楽しくて。そこで演じるというか、音楽に合わせて動くことの楽しさを知りました。年長さんのときは、「眠り姫」で、眠り姫が眠っているときの王様役。「みんな眠ってしまいました」と言って、椅子を持っていって寝て、暗転したらハケるだけですごくつまらなくて。そういうときに「もっとやりたいのか」と感じましたね。
■「やりたい」というより、「歌いたい」「演じたい」と
――幼稚園のときにすでにやりたい思いを見つけてしまった?
「やりたい」というより、「歌いたい」「演じたい」と思いました。自分ではない人を演じるのが面白かったんです。あのとき先生に「やっていいよ」といわれたから続けられているんだと思うんですよ。
――その後は?
僕はボーイソプラノだったのですが、小学校でもいい先生に出会えました。1〜2年生のときの先生が本格的な発声をされる、音楽が好きな先生で、音楽の授業のときに「ファ〜」という発声をするんです。みんなはできなかったけれど、僕は面白くて。ここに当てるとか、あくびで鼻を空けるとかわかるなと思って、声を出したら「今の誰!? いいじゃない」と。それから小学校のときはボーイソプラノの声の出し方をずっとやっていました。でも、小学5年生の頃に、変声期で裏声が出なくなって。
――早いですね。
そうなんですよ! がっかりしました。その頃バスケをやっていたのでバスケに力を入れようと思ったのですが、やはり歌を諦めきれなくて。高校に入ってバンドを組み、ビジュアル系の曲をやったのですが、喉を壊してしまいました。本当は何を歌いたいんだろうかと考え、基本を勉強したいという思いがわいてきて、音楽の大学を受けてみようと思いました。
■シューベルトの「美しき水車小屋の娘」などの物語性が好きで
――誰かに声楽を薦められることもなく、声楽に進みたいと思ったんですか?
小学校の頃から中学校までピアノを習っていたんですが、基本的に歌は独学ですよね。だから、喉が壊れたときに、治し方がわからなかったんです。そのとき、「クラッシックバレエはダンスの基本」と知り、クラッシックには声楽もあるから、それが歌の基本なんじゃないかと思いました。ピアノの先生は東京音大のピアノ科の先生だったので、相談して、その縁でいろいろ紹介して頂きました。
声楽は体を使って発声することが一番なので、すごく興味があったんです。もともとボーイソプラノでしたから、バウンドさせて下に軸を持ってあてるという声の出し方をやっていました。そういう軸というか支えがないと、軽い裏声になってしまうんですね。クラッシックで学ぶことで、声の支えの鍛え方を学ぶことができました。結局、歌が好きと言うだけで大学に入ったので、オペラなどを全く知りませんでした。やっていくうちに、ドイツ・リートなどを勉強して好きになりましたね。
――声楽を本格的にはじめたのは、大学に入ってからなんですね。
声楽は高校1年ぐらいからじゃないと、男性の声は安定しないので、その頃からはじめるのがちょうどいいんです。僕は、歌いたくて歌いたくて、歌っているうちにボーイソプラノの声が出なくなりました。でも、歌いたい、歌っていくうちに声が壊れた、じゃあ治そう、治すならば声楽だと。実は、東京芸大しか受けていなくて、落ちたら落ちたでいいと思っていたんです。単純に歌いたいだけでしたから、いざ東京芸大に受かってやってみても、オペラがやりたいのか、歌曲がやりたいのかとか。僕はあまり派手なことが好きではなかったので、歌曲の世界の方が好きでした。シューベルトの連作歌曲「美しき水車小屋の娘」は、20曲のなかで、「恋愛が生まれて叶わなくて死ぬ」というひとりの男を描いていて、そういう物語性がただ愛を歌うというよりすごく好きで。そんなタイミングでミュージカルに触れる機会があって、ブロードウェイに見に行ったんです。
<公演・アルバム情報>
『中井智彦 Premium Show vol.1』【東京公演】2016年7月2日(土) 品川プリンスホテル Club eX
⇒https://www.nakaitomohiko.jp/contents/34453
中井智彦1stアルバム「私の歌を聴いてくれ」 2016年7月2日(土)発売 ¥3,000
⇒https://www.nakaitomohiko.jp/contents/43617
<関連ページ>
中井智彦オフィシャルウェブサイト ⇒https://www.nakaitomohiko.jp/
中井智彦Facebookページ ⇒https://www.facebook.com/nakaitomohiko.vma/
中井智彦オフィシャルTwitter ⇒https://twitter.com/NakaiTomohiko
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- 幼稚園の時に演じた「おじいさん役」が楽しくて… 中井智彦インタビュー(上) 2016年6月2日
<プレゼント>
中井智彦さんのサイン色紙と写真1枚をセットにして、抽選でアイデアニュース有料会員(月額300円)3名さまにプレゼントします。応募は以下のフォームからお願いします。応募の際に記入いただいたメッセージは、コメントのページ(⇒こちら)に掲載します。応募締め切りは6月17日(金)。当選者の発表は発送をもってかえさせていただきます。(このプレゼント募集は終了しました。応募くださったみなさま、ありがとうございました。)
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■イカロスの物語の歌「勇気ひとつを友にして」が好きになって
■「レ・ミゼラブル」の司教役、すごく勉強になりました
■ジョン・ケアードさんが「お前を選んだのは僕だから」と言ってくれた
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――ブロードウェイが目的で、ニューヨークに行ったんですか?
そうです。大学の頃、ブロードウェイに見に行く機会があって。「オペラ座の怪人」「美女と野獣」「マンマ・ミーア!」「アイーダ」「ウィキッド」「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」……オフブロードウェイも行きました。
――たくさんご覧になったんですね。
「オペラ座の怪人」で感じたのが、ひとりの男の生き様なんですよね。それは声を張り上げるところではなくて、最後の最後に「クリスティーヌ アイ ラブ ユー」とオペラ座の怪人が本心でささやくところで涙が止まらなくなってしまったんです。あんな歌い方はオペラではできないし、マイクが拾ってくれるから聞こえるけれど、あの絞り出した声だからこそ怪人の心情が届いたんだと。行ってしまったクリスティーヌへの思いをあんな風に歌うんですね。ラウルと同じ旋律ということもラウルへの憧れが入っているというか。同じ人間なのにも関わらず、自分の容姿のコンプレックスなどいろんなものがある。自分に心が引っ張られていたクリスティーヌなのに結局行ってしまって、でもそれを行かせてしまった自分との葛藤が、あの「クリスティーヌ アイ ラブ ユー」のなかにすごく籠っていて感激しました。こういうリアリティのある歌があるんだなと。僕は、歌のなかでリアルに生きたいとずっと思っていたんですよ。
■イカロスの物語の歌「勇気ひとつを友にして」が好きになって
――歌曲を勉強してからですか?
小さい頃からですね。物語がある歌が好きだったんです。「勇気ひとつを友にして」というギリシャのイカロスが太陽に向って飛んでいって、ロウが溶けて死んでしまうという歌なんですが、小学校のとき、みんな結構バカにするんですよ。なぜ飛ぶんだとかね。でも、なぜ飛ぶのかはわかりませんでしたが、飛ぶ勇気と、とりあえず行きたいんだという意思を感じて、それを思いながら歌うということがすごく好きだったんです。
――それはいつ頃ですか?
小学校1年生のときですね。
――1年生!? すごいですね!
そのときの先生が、イカロスの歌をすごく好きで、毎回必ず歌っていたんです。あんなに物語のある歌はなかなかないので。
――でも、よっぽど好きじゃないと、小学校1年生の頃の記憶自体があまりないですよね。
多分、いい先生に巡り会えたんですよね。その記憶が、ミュージカルを見たときに、どんぴしゃでハマったんです。2時間半から3時間のステージのなかで、ひとりの男としてしっかり生きるというのが。オペラでこの「C」の音をどれだけ決めるかとか、そういう技術的な部分で拍手をすることもあるし。物語のリアリティとかそこに感動ってあまりないじゃないですか。歌曲の場合は、そうではない部分が好きでした。
それからミュージカルを勉強するようになりました。勉強といっても、どういう作品があって、楽譜を取り寄せて歌ってみてという繰り返しでしたが、楽しかったですね。
――幼稚園で歌に目覚め、ボーイソプラノ、声楽、歌曲と経て、15年程かかってミュージカルに出会い、求めていた答えが見つかったということですね。
■「レ・ミゼラブル」の司教役、すごく勉強になりました
――東京芸大のときにミュージカルに出会って惚れ込んだ中井さんが、初めて出演された作品が「レ・ミゼラブル」ですね。
大学4年生のときに、「レ・ミゼラブル」の全国オーディションがあり、応募しました。本当はマリウス役で受けたんです。そのときマリウス役に受かったのが、小西遼生くん、藤岡正明くん、山崎育三郎くんでした。そのとき、マリウスと同じメロディを歌う司教役も受けてみたらと進められて、司教役も受けていたんです。結果、マリウス役に落ちましたが、その司教役を頂きました。
――「レ・ミゼラブル」でデビューして四季に入るまでの約3年間はどうでしたか?
「レ・ミゼラブル」にアンサンブルで出ることができたのはすごく良かったと思います。いろんな役者さんをみることができますから。ジャン・バルジャンが山口祐一郎さん、今井清隆さん、別所哲也さん、橋本さとしさん。
――豪華なラインナップですね。
人によって全然違いますから。司教役がすごく勉強になって、舞台でジャン・バルジャンとふたりきりになるんです。
――そうですよね。
当時23歳で、しかも初舞台。演技もわからなくて、プレッシャーでしかなかったです。しかも、あの方々を諭す役。とても貴重な経験をさせて頂きました。いろんな人との出会いがあり、いろんな人の舞台裏を見ることができましたね。役者さんがどういう風に袖から入るかにすごく興味がありましたが、舞台裏からでないと見えないですからね。
■ジョン・ケアードさんが「お前を選んだのは僕だから」と言ってくれた
――四季に入るまで、何作か出演されていますね。
「キャンディード」は楽しかったですね。いい役をさせて頂きました。新妻聖子さんを誘惑する役で、まるまる1曲ソロがあるんです。本当はテノールの役なんですが、ジョン・ケアードさんが僕の歌を気に入ってくれていて「お前がやりたいのなら」と3度ぐらい調を下げたんですよ。それがまたプレッシャーで(笑)。
――(笑)。
勉強になりましたね。ジョンさんは創造される方でしたから。「レ・ミゼラブル」の司教役で苦しんでいるのを見て「キャンディード」に呼んでくれて、「お前を選んだのは僕だから、思うようにやればいい」と言ってくれました。それまでジョンさんと接するだけで固まってしまっていたんです。その言葉で通い合うようになりましたね。僕らアンサンブルにも目を向けてくださるんですよ。ちゃんと見てくれていることがすごく伝わってきて感動しました。