中井智彦さんのインタビュー後半です。劇団四季での活動や現在の新たな活動、詩人・中原中也への思いなどを語って頂きました。
――その後、劇団四季を受けていますが、その理由にはどんなことがあったのでしょうか?
大きな作品に何作かアンサンブルで出させて頂きました。そのときに、東京芸大で同級生だった(田代)万里生が「エリザベート」のルドルフ役にいたんですよ。「キャンディード」の稽古をしているときに、東宝の稽古場で会いましたが、正直目を見ることができませんでした。万里生がデビューした「マルグリッド」を見たときも、悔しかったですし。
自分も物語を引っ張る歌を歌う役をやりたくて。ブロードウェイを見てやりたいと思った役は、「美女と野獣」の野獣や、「オペラ座の怪人」の怪人なんですが、それが四季にあったので、受けてみようと思いました。転機というか、挑戦できる場がどこかにないかと探したときに、四季に挑戦するという答えが出ました。これでダメだったら、あきらめたと思うんです。ミュージカルにこだわらずに自分のなかで歌を探さなければという思いが、少し出てきていたんです。思いきって四季に入ってみたい、ダメならダメでという覚悟で行ったら、浅利(慶太)さんが面白がってくださったんだと思います。
■万里生はいいヤツなので、「来なよ!」と言ってくれて
――そういう思いで入った四季ではすぐに抜擢されていますね。
「オペラ座の怪人」のラウル役が最初ですが、入団してから8カ月はずっと稽古していました。
――田代さんとはその後お会いになったんですか?
彼が「ラブ・ネバー・ダイ」に出演しているときに、僕が「オペラ座の怪人」でラウルをやっていたんです。そのときに、「見に行きたい」と万里生に連絡したんです。万里生はいいヤツなので、「来なよ!」と言ってくれて。見に行って、久しぶりに楽屋で会いました。ようやく会えましたね。そのとき、「悔しかったんだ」とようやく言えました。でも、「ラブ・ネバー・ダイ」を見たときも羨ましかったですね。
――「オペラ座の怪人」をやっているのにも関わらずですか?
四季はエネルギーを出しすぎたら怒られるようなところがあるんですね。でも、外の舞台ってみんなリミットを外しているじゃないですか。あれが羨ましかったんです。できている万里生が、やっぱり羨ましかった。挑戦できているんだなと思いました。
――中井さんは「悔しかった」とか「羨ましかった」とか、素直にお話されますね。
万里生と楽屋で話すまでは言えなかったですよ。やっと言えるようになりました。
■四季では厳しいけれど、チャンスがあった
――ラウル役でデビューしてから、念願の野獣役も演じられて、四季に入りたいと思った目的にかなっていたんだと思いますが、いかがでしたか?
挑戦する場がたくさんありました。オーディションで浅利さんに見てもらって、浅利さんがいいと思ったら稽古にキャスティングしてくれるなんて初めての経験でした。
――新しい場所ですね。
オーディションは楽しかったですね。
――大きな役をやって、手応えはありましたか?
ひとつの舞台で、ひとりの役としていられる、その集中力、居方というのが、とても勉強になりました。アンサンブルはいくつもの役をやりますからね。ひとつの役をブレずに演じる。それに挑戦できていることが楽しかったですね。
■自分がもっと表現したいことは何なのかを悶々と考え続け
――そのなかで、退団を決意されたのはどんな思いがあったのでしょうか?
いろいろありましたね。演じ続けることに関してはまだまだやりたかったですが、次にやりたいものが見つかったことが大きかったです。
――それは四季にいてはできないことだったんですね。
自分で創作がやりたかったんです。自分がもっと表現したいことは何なのかを、入団してから悶々と考え続けていました。さらに何かを求めていく自分がいました。
――今までお話を伺っていると、ひとつひとつクリアして次のステージに進んでいる感じですね。次に求めたものが「中原中也」であり、7月の舞台と、アルバム発売になると思いますが、詩人「中原中也」にはどんな風に出会ったのでしょうか?
四季のライブラリーに、「中原中也全集」が寄贈されていて、2012年に読みました。それまでは「サーカス」ぐらいしか知りませんでした。「美女と野獣」で札幌に長く行く予定でしたので、そのときに全集を持って行ったんです。松宮五朗さんというという俳優さんが寄贈されていて、その方の書き足しなどがあって面白かったんですよ。
<公演・アルバム情報>
『中井智彦 Premium Show vol.1』【東京公演】2016年7月2日(土) 品川プリンスホテル Club eX
⇒https://www.nakaitomohiko.jp/contents/34453
中井智彦1stアルバム「私の歌を聴いてくれ」 2016年7月2日(土)発売 ¥3,000
⇒https://www.nakaitomohiko.jp/contents/43617
<関連ページ>
中井智彦オフィシャルウェブサイト ⇒https://www.nakaitomohiko.jp/
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- 中原中也の生きざまを連作歌曲劇で表現、「中井智彦 Premium Show vol.1」 2016年7月22日
- 「自分で創作をやりたかった」、中井智彦インタビュー(下) 2016年6月3日
- 幼稚園の時に演じた「おじいさん役」が楽しくて… 中井智彦インタビュー(上) 2016年6月2日
<プレゼント>
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■歌いたいという軸があって、すべての行動が生まれている
■「表現者」として「中原中也」に関して、企画・構成・演出、そして作曲などすべてをやりたいんです
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――中原中也の、どんなところに惹かれたのでしょうか?
中原中也は30歳で亡くなられていますが、読んだとき僕は29歳でした。あと一年で彼は亡くなっているということも惹かれた一因だと思います。彼の詩の特徴的なところは、言葉になる前の感覚を言葉にしようとしているんです。形としてきれいな詩を書くというのは、練ればできると思いますが、彼は、そのとき思ったその感覚をどう言葉にするか。自分に起こった出来事を赤裸々に描く、愛する女性が親友のところに行ってしまったときに、裏切られたその思いからも筆が走るんです。
――感情ありきということですね。
その感情で、つらいからこそ芸術に向き合えている詩ですね。結婚して子供ができて、その子供が2歳で亡くなってしまい、それでも書く。その後、自分がすぐに子供を追うように亡くなってしまうんですが、最後の最後に書いた詩は、日記と共に読めば彼の30歳という人生のなかですごく動きがある。それは、大衆に受けたいと思うようなことより、彼が芸術というものに向かって走っていく足跡なんです。だから、大衆受けしたいと感じない文で、自分のわき上がってきたものを、これを書いて何が悪いというようなところがすごく好きなんです。
――迎合する感じは一切ないんですね。
だから、生き方が非常に下手な方だったとは思いますが、そこが自分とちょっと似ていて(笑)。彼の詩があったから自分と向き合い続けられたのかなと感じます。彼を演じたい、曲がないから曲を作ろう、歌いたいと気持ちが強くなってきました。彼は、自分の詩を歌にして欲しいというエネルギーが強い人なんです。生前、音楽団体に「これを歌にしてくれ」と自分の詩を持っていっているんです。彼の詩の曲があるんですよ。さらに、彼は「詩」のことを「歌」と書くんですよ。だから、彼の詩はすごく歌いやすいです。詩集が2冊しか出ていませんが、「山羊の歌」と「在りし日の歌」と、どちらも「歌」なんです。「在りし日の歌」というのは、彼が亡くなったあとに、親友で、文芸評論家の小林秀雄が出します。「(子供・文也の)在りし日の歌」として作った詩集が、彼が亡くなってから出されたことによって、「(中原中也が)在りし日の歌」にもなるような、不思議な詩集です。
――中原中也に惚れ込んだことと、それが次のことをしてみたい気持ちに結びついたのは、大きな出来事ですね。
僕の中で常にやり続けていきたいことは「歌うこと」。歌いたいという衝動から、演じたいという結論になります。
■歌いたいという軸があって、すべての行動が生まれている
――目標ありきではなくて、歌いたいという気持ちありきということですね。
今思うと、歌いたいという軸があって、すべての行動が生まれているんだと思います。
――それは幼稚園のときからずっと繋がっているんですよね。
そうだと思います。僕は歌うという軸があれば、どこにでも生きていられます。もちろん自分がやれることであれば、舞台にも挑戦したいという気持ちもあります。でも今は、歌いたい思いが、音楽活動、創作活動になり、中原中也を演じて歌うことだったり、アルバムを作る行動になっています。
――それが実現して今度のコンサートになりますが、1部は今のお話が実現される世界ですね。作曲はすぐにできましたか?
メロディはすでに流れていました。小学校のときに「サーカス」を他の子が「いく時代かがありまして……」と読むのを聞いて「いや、違うな」と、こういうメロディだと頭のなかに流れていたんです。彼の詩を見ていくと、自分のメロディがつけられる詩がたくさんありました。すらすらと浮き上がってくる感じですね。
――2部はアルバムと同じナンバーを歌われるそうですが、さまざまな名曲が揃いましたね。
多数の歌いたい楽曲の中から「今」を意識して、僕が選曲しました。1曲・1曲の物語の中で、様々な「愛のかたち」として演じられるものを選びました。映画音楽が好きなんですが、この曲を聞くとあの情景と思い浮かびますよね。サウンドプロデューサー西村智彦さんと一緒に作っているのですが、今まで歌ったことが無いサウンドが生まれたと実感しています。西村さんが作り出す新しい世界と、僕の表現したいものが合わさったとき、たまらなく面白かったですね。
――特に気に入っている曲などはありますか?
「慕情」ですね。理屈なく単純にギターがかっこよくないですか?
――ドラマティックですね。
「オペラ座の怪人」でも怪人が出てくるとギターが鳴ったりするんですが、アンドリュー・ロイド=ウェーバーがものすごく考えたのだろうと。
――「慕情」は英語部分もあるんですね。他の曲は日本語ですか?
ほとんど日本語ですが、「アヴェマリア」はドイツ語で、「君の瞳に恋してる」は英語です。「君の瞳に恋してる」は中川(晃教)さんが歌われますよね。
――7月は「ジャージボーイズ」が上演中ですからタイムリーですね。
そうですよね。選曲したときは知りませんでした。
■「表現者」として「中原中也」に関して、企画・構成・演出、そして作曲などすべてをやりたいんです
――「表現者」と名乗っていらっしゃいますが、どんな意図があるのでしょうか?
「中原中也」に関して、すべてをやりたいんです。今後の活動でそれを続けていきたいと思っています。まず形として作れたものは、今回の「中原中也」の舞台の企画・構成・演出、そして作曲ですね。それは、俳優の仕事ではないじゃないですか。だから、俳優というくくりだと狭いと思い、「表現したいものを形にできる人」という意味で「表現者」としました。
――いち役者としての活動もあるかもしれないし、表現者として今回のように作って表現することもあるだろうという感じですね。
そうですね。歌という軸に対して、自分がやれることを見つけていかなければいけないと思っています。
――今後やりたいことは具体的に見えていますか?
今回のようなショーをたくさんやりたいです。1回ではやりきれないですね。たくさんの場所でも歌って、たくさんの方に聴いて頂きたいですね。
――まずは7月の舞台を楽しみにしています。ありがとうございました。