ジャズピアニストの木住野佳子(きしの・よしこ)さんが8月26日、デビュー20周年記念アルバム「Anthology -20th anniversary-」をリリース、9月17日からは全国ツアー「-Anthology- 20th anniversary tour」を開始しました。木住野さんは1995年、アメリカの名門レーベルGRPレコード初の日本人アーティストとして世界デビュー。今回のアルバムは、これまでのアルバムに収録されたスタンダード、オリジナル曲からファン投票で選ばれた楽曲を再録音してのリリースです。アイデアニュースでは、このほど大阪を訪れた木住野さんに単独インタビュー。20年を振りかえっていただき、心に残る思い出やレコーディング秘話などをうかがいました。インタビュー全文を(上)(下)2回に分けて掲載します。
――このたびは20周年おめでとうございます。デビューからの20年を振り返ってみていかがですか?
20年という年月は「あっという間とは言えない」っていうんですかね。10年だとあっという間だという風に見えるかもしれませんが、20年というと「あれもあってこれもあって、いろんな波もあって……」という感じだと思います。そんな中でも、初めてCDを出すことができたときの感激と新鮮な驚きは、昨日のことのように覚えています。
それまでは自身でライブ活動をしていましたので、自分でライブハウスに電話して、(お店に)ライブのお願いをして、スケジュールを取って、メンバーにも声をかけて……そういったことも全て自分でやっていました。20年以上前って携帯電話がなかったので、雨の日のライブの休憩時間に公衆電話を探しに行ったり……。CDを出すまではレストランやいろんな場所で、毎日のようにライブをやっていましたので、休憩時間にお店に電話して。私がリーダーじゃなくてもいろいろな方のサポートをさせていただいたり、歌の方やベースの方と一緒だったり、様々なライブをやっていました。
そういったことを一年くらい続けていましたので、その頃の苦労がすごく報われたという感謝の気持ちいっぱいのデビューでした。最初にデビューをさせていただいたGRPというアメリカのレーベルは、いわゆるフュージョンやクロスオーバーの全盛期だった時代の花形レーベルだったんですよ。今ではGRPってあまり出していないので、私が日本人で唯一、ただ一人のアーティストだったと思います。
――後にも先にも「日本人でただ一人のGRPのアーティスト」ということですね。
アメリカ在住の日系の方で一人いらっしゃったかもしれませんが、そういうことになります。当時はセンセーショナルなデビューでした。それまでに、今でいうインディーズみたいな形でCDを出していたわけでもなかったので、いわゆる「初めてのCD」がそういう録音でした。
橋本正人(アイデアニュース編集長):なぜそんな大きなレーベルからいきなりデビューできたんでしょうか?
先ほどもお話しましたように、一年間自分でバンドを作って活動していた頃、月に1回は大きなライブハウスでやろうと決めていたんですけど、一年間続けていたら、阿川泰子さんの事務所の方が見ててくださいまして、そこからレコード会社にプッシュしてくださったんです。今のユニバーサルミュージック、当時はMCAビクターというところで、そちらの方に相談したら、私の音楽はちょうどGRPにいいんじゃないかと言ってくださいました。GRPというのは、映画音楽などで一世風靡したデイヴ・グルーシンと、ラリー・ローゼンというプロデューサーが組んで作った「グルーシン・ローゼン・プロダクションズ(Grusin Rosen Productions)」の略なんですが、デイヴ・グルーシンとラリー・ローゼンが私のデモを聴いてくださったところ、なぜか一発OKが出まして、「いいんじゃない!コレ、出そうよ!」と話が進んだわけです。当時は景気も良かったので、1枚目から3枚目まではニューヨーク録音なんですけど「予算はいくらでも出すよ」という勢いで、スタジオに行った瞬間、来るミュージシャンみんな「サインください!」という気持ちになるようなすごいメンバーばかりでした。
橋本:才能を向こうがパッと見抜いたわけですね。
うーん、音楽の内容ですかね? (私の音楽は)内容がそこまでジャズっぽくなく、あとオリジナルもやっていましたので、それは「すごくいい!」と、褒めていただけました。グルーシンの音楽は、いわゆるマニアックなジャズではなく、メロディラインが美しいんです。ジャズっぽいんだけど、お洒落。映画音楽も美しい映画も作れちゃう、まるでデヴィッド・フォスターのような方なので、私の音楽を「いいね!」っておっしゃってくださったんじゃないかな。
――木住野さんの音楽と通ずるところがあった、ということなんでしょうか?
そうなんですよね。GRPはビッグバンドを持っていたり、チック・コリア、リー・リトナー、ジョージ・ベンソンといった名だたるアーティストもたくさんいらっしゃる、ジャズの人気ナンバーワンレーベルだったんですよね。だからよく私も、GRPのオールスターズが来日してコンサートするときは必ず見に行っていたんです。もう、本当に大好きで……。そのレーベルから「CDを出してあげる」と言われたわけですから、まさに夢のようなデビューでした。
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大阪での「木住野佳子 Anthology 20th Anniversary Tour」(2015年10月19日)の情報はこちら
→ http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=9633&shop=2
大阪以外のツアーやアルバムの情報は、「木住野佳子オフィシャルサイト」をごらんください
→ http://www.kishino.net/html/all.html
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<プレゼント>
木住野佳子さんのサイン色紙を、アイデアニュースの読者3名さまにプレゼントします。どなたでもご応募いただけます(10月9日金曜日締切)。下記フォームからご応募ください。当選者の発表は発送をもってかえさせていただきます。(このプレゼントの募集は終了しました)ご応募くださったみなさま、ありがとうございました。
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※ここからは、アイデアニュース有料会員(月額300円)限定コンテンツです。「20年間で特に思い出に残っている」という、プラハでのレコーディングなどについてのお話を紹介しています。なお、インタビューの「下」は、10月2日(金)に掲載する予定です。
<アイデアニュース有料会員向けコンテンツ>
――いろんなことがあったと思いますが、その中で特に思い出に残っていることはなんですか?
それぞれのレコーディング、CD1枚1枚に対して、子供を作るような気持ちでいますので思い出はたくさんありますが、一番心に残っているのは、チェコ・プラハでのレコーディングです。最初の3枚は、ニューヨークですばらしいメンバーの胸を借りて録音し、その後、日本で2枚、その次はロサンゼルスで録音……。アメリカ録音と日本録音の後、2004年にチェコのプラハでレコーディングしたことが私の転機になったんではないかと思っています。
ピアノトリオとストリングスというオーケストラと一緒に演奏したいというのが私の夢であり目標で、2000年に出したアルバム「Tenderness」でもストリングスで録音したんですが、その時はデビッド・キャンベルというアレンジャーの方に弦の譜面を書いてもらったんです。でも、2004年のプラハのレコーディングの時は、一から全部、自分で作曲してアレンジさせてもらったんです。プラハって、チェコフィルもいるくらいですからレベルがとても高く、素晴らしい環境の中で自分の音楽ができたことは、自分にとってもターニングポイントになりました。
以来、アレンジの幅がどんどん広がっていって、CM音楽をアレンジしたり、様々なことに繋がっていったと思うんですね。またプラハってほんとにおとぎの国にいるような、まるでお姫様になったような気持ちになれるステキな国なんです。
橋本:プラハってどちらかというと「プラハの春」(1968年のチェコスロバキアの変革運動。この動きに反対するソ連軍などがチェコに侵攻し全土を占領した)のようなイメージがありましたが、ロマンチックな国なんですね?
せつなさもあり、明るいだけじゃない。ストリングスの弦の音とかも、ロサンゼルスと両方で録音しましたが、やっぱりね、ちょっと深いんですよ、楽器の音が。それは国が背負っている歴史の深さや重さなのかな、とは思うんですけど。だけどね、音楽というものがご飯を食べたりお茶を飲んだりするところと同じように、自然なところにあるんですよ。自然体で音楽をやっている。私たちって音楽をやるときは「さて、やるぞ!」と構えてしまうところがあるじゃないですか?でも違うんですよね。子供のころからオペラハウスでオペラを聴いていたり……。
(公演は)3時間以上あるんですけど、その間の休憩時間にご飯食べるという形なので、日本でいう歌舞伎のようなものでしょうね。子供たちも騒いでいるというよりも「これどうなるの?どうなるの?」と、集中して観ているんです。これが文化の違いなんだって思いました。私が録音した場所もオペラハウスみたいなところの上にスタジオがあって、1階の食堂でご飯を食べていると、オペラの休憩時間にみんなツノをつけて食べに来たり(笑)。お金のある国ではないのに、こんなに人の心が豊かなんだな、って。洋服なんかも破れていたりするけど、素晴らしい演奏をされたり……ね。あと、レコーディングする際ってブースを立てるんですが、穴が空いているんですよ。だから全然音が遮断できなくて、一発録音なんです(笑)。
びっくりしたのが、そのときのコーディネーターの方が、私が手書きでオーケストラのスコア書いていたら、最初会ったときにそれを見て「どんな音楽やるの?ああ、これだったらそんなリハーサルしなくても大丈夫だよね」って言うので、なんでこの人わかるんだろうって思っていたら、レコーディング作業終わった後、「僕ライブやるから来る?」って言うから行ったんです。そしたらその方、ジャズバンドでドラム叩いてたんですよ。で、最後の日にも「ドン・ジョヴァンニの公演で息子も出るんだけど来る?」って言うので行ったら、その方がパーカッションやってたんです。この人パーカッショニストだったんだ、って驚きました。だから、そこら中に音楽をやっている人がたくさんいる。みんな音楽家なのでやってる水準がすごく高い。だからレベルが上がるんですね。
――(下)に続く。
※木住野佳子さんインタビュー(下)は10月2日金曜日掲載予定です。お楽しみに!