ナチスドイツが台頭するオーストリアで、激動の時代に翻弄される青年フランツと彼を取り巻く人々を描いた舞台『キオスク』が、2021年1月22日(金)に兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホールで開幕しました(東京・静岡・愛知・広島公演あり)。オーストリアの人気作家ローベルト・ゼーターラーによるベストセラー小説『キオスク』の舞台化で、2019年12月から2020年1月にリーディング版(朗読劇)が上演され、今回はゼーターラー自身が手掛けた戯曲での日本初上演となります。出演は、(敬称略)林翔太、橋本さとし、大空ゆうひ、上西星来(東京パフォーマンスドール)、吉田メタル、堀文明、一路真輝、山路和弘のみなさん。東京公演初日を観劇したレポートです。
1937年の秋、17歳の青年フランツ・フーヘル(林翔太さん)は故郷のザルツカンマーグートを離れ、母マルガレーテ(一路真輝さん)の旧友であるオットー・トゥルスニエク(橋本さとしさん)が営むウィーンのキオスク(新聞やタバコを商う小店舗)で働くことになります。アッター湖が美しい田舎から都会のウィーンに出てきたフランツは、キオスクで働きながら、かの精神分析学者ジークムント・フロイト(山路和弘さん)に出会います。「先生の著書を全部読みます」と目を輝かせる青年にフロイトは、「人生を楽しむためには、そんなことより恋をせよ」とアドバイスします。なるほど!と即行動に移したフランツは、プラーター遊園地で出会ったミステリアスなボヘミア生まれのアネシュカ(上西星来さん)に心奪われますが…。
『キオスク』を一言で表現すると、田舎育ちの無邪気なフランツが都会のウィーンへ行き、さまざまな人との出会いの中で成長する姿を描いた物語です。フランツが働く場所がキオスクであるからこそ、彼は短期間で多くの刺激を吸収することができたのでしょう。この物語が成立する上で、舞台がキオスクであることは必然であるかもしれません。ウィーンの通りに面し、行き交う人々を眺められ、お客が来るからこそ、フランツはキオスクのスツールに座っているだけで時代の空気を自然と吸収できる、いや吸収せざるを得なかったのです。
「新聞を読まない奴にはキオスクの店主など務まらない」と、真面目な「新聞読み」であることを伺わせるオットーの教えに素直に従い、フランツは店頭に並ぶ様々な新聞を読むようになります。生まれてこの方、大自然の中でのびのびと育ったフランツは、偏ることなく多様な政治思想を吸収していきます。そして、年齢の割にピュアとはいえ、頭の中は女の子のことでいっぱいのフランツ。アネシュカに振り回されるフランツは、キオスクの常連客の1人であるフロイトに、自分の恋の悩みを相談するのでした。
ここまでであれば、瑞々しい青春小説です。しかし、この物語の舞台は1937年のウィーン。ナチスの台頭に、オーストリアも無縁ではいられなかった時代でした。ユダヤ人の排斥が始まり、フランツを取り巻く環境は大きく変化します。信念を貫くオットー。ユダヤ人のフロイト。不法滞在者という立場で生き抜くための選択をするアネシュカ。フランツの周りから、次々に彼らは姿を消していきます。
ザルツカンマーグートという地方に住む母マルガレーテとは、文通でやり取りが続きます。最初は「ママ、こんな事があった」と素直に事実を伝えるフランツですが、オットーの運命を機に変わります。彼の死の真相について心配をかけまいと「愛ある嘘」を書き送るフランツ。地方にもナチスの影は忍び寄りますが、ウィーンはより深刻な状況に。母は次第に、フランツの状況を把握できなくなっているのでした。
こうした状況で、彼らの代わりにフランツの中に入ってくるものがあります。「時代の空気感」です。ウィーンに降り立ってすぐに下水の臭いに辟易したフランツへ「時代が腐っているのよ」と語る女性。赤のエーゴンと呼ばれる、強烈な反体制思想を持つキオスクの客。母からの手紙を届けてくれつつも、いつしか「ハイル・ヒットラー」と挨拶してくるようになった郵便屋。オットーを連行したゲシュタポ。アネシュカと姿を消した、鉤十字(ナチスの紋章)をつけた男…。少しずつ、フランツにしのび寄ります。
※アイデアニュース有料会員限定部分には、大空ゆうひさん、吉田メタルさん、堀文明さんが中心に表現された「時代の空気感」と林翔太さんの演技との連動感、パンフレットに書かれていた内容に沿ってGoogleストリートビューで舞台に登場する場所を訪ねてみた感想、舞台を観終えて感じたことなどについて書かれた舞台『キオスク』ルポの全文を掲載しています(写真は掲載していません)。
<有料会員限定部分の小見出し>
■多くの役を演じる大空ゆうひ・吉田メタル・堀文明が、時代の空気感を担う
■視覚面のリアリティより人物の心理を表現するセット。印象が一変する瞬間も
■Googleストリートビューでウィーンを巡ると『キオスク』がより近くに
■来ては去っていった帰らぬ人々の影、もしかするとこれから来る人の影も
■ただの旅人でいられることが当たり前ではないことを噛み締めながら
<舞台『キオスク』>
【兵庫公演】2021年1月22日(金)~1月24 日(日) 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール (この公演は終了しています)
【東京公演】2021年2月11日(木・祝)~2月21 日(日) 東京芸術劇場 プレイハウス
【静岡公演】2021年2月23日(火・祝) 静岡市清水文化会館 マリナート 大ホール
【愛知公演】2021年2月25日(木) 日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール
【広島公演】2021年2月27日(土) JMSアステールプラザ 大ホール
公式サイト
https://www.kiosk-stage.com/
作:ローベルト・ゼーターラー
翻訳:酒寄進一
演出:石丸さち子
出演:林翔太、橋本さとし、大空ゆうひ、上西星来(東京パフォーマンスドール)、吉田メタル、堀文明、一路真輝、山路和弘
企画:兵庫県立芸術文化センター
共同制作:兵庫県立芸術文化センター、キューブ
<関連リンク>
キオスク 公式 Twitter
https://twitter.com/kiosk1937
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■多くの役を演じる大空ゆうひ・吉田メタル・堀文明が、時代の空気感を担う
この空気感の役割は、大空ゆうひさん・吉田メタルさん・堀文明さんの3名が担っています。彼らは、「アンナ・フロイト」「ロスフーバー」などの固有名詞を持つ役も演じられていますが、大半は「やつれた男」「通行人」「守衛」「ゲシュタポ」など、舞台の中での「役割」が役名になっています。1人あたり10ほどの役割を担っており、パンフレットの中で演出家の石丸さち子さんがおっしゃっているように「普通は、8人の登場人物がいたら8人の人生の物語になるけれど、キオスクはもっと多くの人々による社会の物語になっている」のです。
舞台『キオスク』の奥行きと魅力は、オットー、フロイト、アネシュカ、そして、この「時代の空気」を担う人物たちが、フランツの中に溶け込んでいく様子を感じられる点にあるのだと思います。林さんが見せてくださったフランツの変化には、とても説得力がありました。フランツとオットー、フランツとフロイト、フランツとアネシュカ、フランツと客、フランツとゲシュタポ、フランツとロスフーバー…。全ての対話が、「本当に」フランツに影響を与えているのを、演技から感じることができました。林さん演じるフランツが舞台上で見せる変化を見ていると、役者同士が互いのエネルギーを「リアル以上にリアル」にぶつけ合っているのがわかります。
そして、フランツの変化に更に説得力を与えるのが、母マルガレーテの存在です。フランツの変化に対して、母は気付きながらも手紙で反応します。「責任感」が生まれたことを喜び、愛に悩む息子を母だからこそできるやり方で丸ごと受け止めます。だからこそ、フランツがつく「優しい嘘」に気づけず、気づかぬうちに「ぼうや」を失ったことを悟るラストシーンは、一層哀しみがこみ上げてくるのだと思います。
■視覚面のリアリティより登場人物の心理を表現するセット。印象が一変する瞬間も
舞台の演出にも、印象に残る箇所がいくつもありました。セットなどの視覚面ではリアリティを追求せず、登場人物の心理や、多様な人物が作り出す時代の空気感がリアルの役割を担っていたように思います。まず、冒頭で、キャスト全員が一列に並び、「来てくれてありがとう、今から楽しんでいってくださいね」と、観客に歌いながらステップを踏むと言う軽快なトーンで幕が開くのです。また、シュテファン大聖堂など、ウィーンの街並みを彩り、フランツの目に映る建物は、ペープサートの道具のように表現されていまし、影絵も取り入れられていました。このように、視覚的な要素からは、どことなくメルヘンチックなニュアンスさえも感じました。
しかし、その印象が一変する瞬間がありました。二幕終盤、爆撃の音がするシーンです。舞台は暗転し、客席のみに強い光が当たり、轟音が響きわたるのです。本物の爆撃の音が使われていたのかどうかはわかりませんが、芝居とは一線を画すものだったように思います。
■Googleストリートビューでウィーンを巡ると『キオスク』がより近くに
観劇後、『キオスク』公演パンフレットに掲載されている、フランツ役・林翔太さんのコメントを読みました。「自分の心を動かさないと、伝えられない」と、演出家の石丸さち子さんが配られたウィーンの地図を片手に、Googleストリートビューで現在のウィーンを巡られたそうです。オットーの「キオスク」の場所、プラーター遊園地、フロイト先生の家。その箇所を読みながら、私もこの舞台に登場する場を巡らないと、この文章を書けないような気がしてしまい、ストリートビューで旅をしました。
ウィーンはもちろん、フランツの出身地でもあり、マルガレーテが住むザルツカンマーグート地方や、アッター湖へも。アッター湖は、かつて画家のクリムトの避暑地であったことを知りました。彼は何枚もアッター湖を描き残しています。クリムトらしいタッチの青く輝くアッター湖の絵を、そして現在のアッター湖の写真を見ながら、舞台『キオスク』の背景画として登場するアッター湖を思い出しました。
プラーター遊園地も訪れました。大観覧車の写真は、すぐに見つかりました。この観覧車は、映画『第三の男』にも登場します。フランツがアネシュカに「観覧車にも乗ろうよ」と提案する。アネシュカは「射的ならいいわ」と答える。不思議です。観覧車を見ただけでもう、そんな2人の声が聞こえてくるのです。
ストリートビューで作品に登場する地名を旅しつつ、既に懐かしさがありました。私はオーストリアを訪れたことはありません。まだ見ぬ場所ですが、いつか訪れることができたらきっと、この『キオスク』の舞台を通して、私はウィーンの街並みを見ることになるのだと思います。
「ぼくは、キオスクを続けなきゃ。ばらばらにならなければいいんだけど。でも、それでも残るのは湖だ。山と雲はずっと映り続ける。鉤十字よりも長く」と、フランツがマルガレーテに書き送った手紙のように、舞台作品とは人の心に残り続けるものではないでしょうか。
■来ては去っていった帰らぬ人々の影、もしかするとこれから来る人の影も
この『キオスク』という物語は、場が人格化していくような側面を持っているようにも思います。反体制派、体制派、ユダヤ人、どことなくスノッブな夫人、禁書であるポルノ雑誌だけをひたすら求める男など、全ての客のニーズに向かって開かれ、社会のありのままの姿がフィルターなく丸ごと流れ込んでくるオットーのキオスクという場。オットーにとってこのキオスクは、「命尽きるまでキオスクの店主でいたい。品物も全て、自分の友人であり家族だ。本当は売りたくはないが、キオスクの店主であるから人に売るのだ」と言うくらい、彼の居場所であり、彼自身でもあるような場なのです。その思いを感じ取っているフランツだからこそ、オットーがいなくなったあとも、「キオスクで働くのは自分の責任だ」と母への手紙に書き送り、この場を守ろうとするのでしょう。
ラストシーンでは、メモが貼られたキオスクが舞台中央に現れます。その姿を見つめていると、たびたび登場した影絵のように、これまでの物語が目の奥に投影されるような気がするのでした。来ては去っていった帰らぬ人々の影を、そしてもしかするとこれから来る人の影をも。
■ただの旅人でいられることが当たり前ではないことを噛み締めながら
いつかウィーンに行ける日が来たら、プラーター遊園地に行って、近くのどこかのキオスクで絵葉書を買って、誰かに送ってみたくなりました。ウィーンの街並みを歩く1人として、旅のアジア人女性だとキオスクの店主に思われ、一瞬で忘れられて。そんなただの旅人でいられることが当たり前ではないことを噛み締めながら。これがフランツとオットーの「人差し指」の先に示されたものなのかどうかは、わかりませんが。
オットーとフランツのキオスクの前を通った通行人の1人として、私は今この記事を書いているような、なんだかそんな気持ちになってきました。記録したいのであれば、書かねばなりません。通行人の噂が、やがて風の噂となってしまう前に。