まちを取材し、まちの物語を書いて、そのまちで上演まで行う。そんな実験的な取り組みが、大阪府大東市で行われています。連載「地域演劇を作る」第2回は、「だいとう戯曲講座」のはじまりと歩みをリポートします。
大東市主催のこのプログラムは、市と民間が協力し、廃校になった深野北小学校跡を地域の文化活動拠点にしていく企画の一環として行われています。2017年3月11日(土)、12日(日)には、この小学校跡地で戯曲講座の発表公演があり、3月25日(土)、26日(日)にはこの講座の講師で、劇団「虚空旅団」(こくうりょだん)代表の高橋恵さん作・演出の歴史群像劇「河内キリシタン列伝」が上演されます。
現在進行中の本講座では、全10回のプログラムで戯曲の書き方を学んでいます。条件は、大東市を舞台に書くことと、大東市で上演されること。全体の流れは、受講者がそれぞれ大東のまちで物語を見つけ出し、10分程の戯曲を書き、それを講師の高橋さんが演出して朗読劇に仕立て、関西の小劇場界などで活躍する俳優の方々が演じてくれます。戯曲を書いたことのない人でも、プロの劇作家からお芝居の台本を書くスキルを学べて、上演までしてもらえるという充実のプログラム。得難い経験です。そう思うのは、物語を作る過程を学ぶことで筆者自身、まるでレンズの向こうの世界が豊かに見えるメガネをかけているような感覚になるからです。そうして、世間のものさしとは違うベクトルで日常が動き出す面白さもあります。
初年度の講座は、3月の朗読劇上演に向けてラストスパートの段階ですが、戯曲講座は2017年度も開かれる予定です。行政が文化芸術予算をつけるのが難しい昨今、市が主催となって草の根の文化芸術活動に力を入れているこの大東市のケースは珍しいようです。
「だいとう戯曲講座」では、本講座が始まる前に戯曲を書くために必要な内容をワンコイン(500円)で教えてくれるお試しの単発講座が開かれました。そこでは心理ゲームをやったり、短歌や俳句を作ったり、お互いをインタビューして他己紹介をしたり、相手へのテーマソングを考えたり、テーマに沿って参加者同士が会話を作って読み上げたりと多彩な内容が展開。毎回、参加者の顔ぶれは違っていたのですが、知らない人同士が共に取り組むことで、自然と相手のことを知っていき、内面が垣間見えることもあります。知らないからこそ、気兼ねなく出せるものもあって皆で思いっきり笑い合ったり、ほろりとしたり、考えさせられたりしながら講座は進んでいきました。筆者の場合は、日常で心配事があった時、この講座でワークを通じて間接的に表現できたことで気持ちが軽くなったこともありました。
そんな過程を経て、いよいよ本講座へ。当初は、「大東ならではのドラマを地域の人たちが書き下ろす」という目的だったものの、実際は受講者の中に大東市の人は一人もいないという状況の下で始まった講座。大東というまちを、一体どのようにたぐり寄せていけばいいのだろう……。ということで、まずはまち歩きが開催されました。自分が行きたい場所を訪ねる「Walkin’ About」というまち歩きイベントとのコラボレーションで、参加者はまち歩きが得意な人や、大東在住者、作品のテーマを見つけるための取材を兼ねた受講生たちです。
「Walkin’ About」とは参加者が90分間、まちを自由に歩いてそれぞれの見聞を共有するという、大阪ガス(株)都市魅力研究室の山納洋さんが開催している独創的な活動です。2014年にも大東市でこのまち歩きが実施されており、その時に参加者から集まった情報から着想し、大東を舞台に戦国武将・三好長慶を主人公とした朗読劇「蘆州のひと」(脚本・演出 高橋恵)が生まれた経緯があります。
今回のイベントでは当日、JR野崎駅(大東市)に集合しました。山納さんから野崎の街についての簡単な説明があり、地図が配られて一旦解散。90分後に再集合して、その間に何をしていたか、何を見て、聞いて、見つけたかという経験を共有しました。話の内容は、お店の人との会話や、地域で親しまれている野崎観音(慈眼寺)にまつわるエピソード、昭和47年の大東大水害のこと、緑地公園を満喫した話や広場で上演ができそうという発見など多岐に渡りました。
「Walkin’ About」が実施されている街は観光地ではなく、こんな機会でもなかったら行く機会のなかった場所が多いのが特徴で、今回の参加者にはそんな街を歩き続けてきた常連メンバーもいて、その方々の歩き方はすごかった! 集合時間より前にスタートして古地図を見て2万5千歩あるいた方、月一回だけ開いている高齢者向けの集いの場を見つけた方、かつては水路だったエリアをたどって偶然出会った地元のおばあさんから昔話を聞き出して後日取材にも行った方など。情報そのものもヒントになりましたが、まちを歩いて、そのまちについて読み解く力が身につけられたら楽しいだろうなという気にさせられました。
山納さんは「演劇に作り手の意図が反映されるように、まちも誰かが作為を持って作っています。ですから、まちを歩くというのは、そこから何を読み解くかという点において観劇に似ています。そうすると、まちが豊かに見えてくるのです」と話します。
その後、今度は筆者も一人でまち歩きを繰り返し、戯曲講座に通ってストーリーを模索する中で、気づけば大東のまちに住む人と自然と出会っていき、縁もゆかりも無かったまちに少しずつ親近感を覚えていきました。
※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分には、物語を作る過程での気づきや、日常生活の中で感じ始めた視点の変化などについて紹介します。
<有料会員限定部分の小見出し>
■「お店に入って話しかけることは演劇行為そのもの」
■ドラえもんのポケットからひみつ道具を出してくれる感覚
■「過程が大事です」をかみしめて
<大東市主催、虚空旅団製作公演『河内キリシタン列伝』>
―今から450年前、ここ河内の地には、わが国に伝わったばかりのキリスト教をめぐる様々なドラマがあった…―
【大東公演】2017年3月25日(土)18:30/3月26日(日)13:30、17:30開演 旧深野北小学校体育館 前売・当日共 1500円
作・演出:高橋恵(虚空旅団)
原作:『戦国河内キリシタンの世界』批評社/神田宏大、大石一久、小林義孝、摂河泉地域文化研究所=編
出演:飛鳥井かゞり(猫会議)、諏訪いつみ(満月動物園)、杉江美生、竹田モモコ、水柊(少年王者舘)、濱奈美(劇団ひまわり)
ポストトーク(3/25公演終了後):天野忠幸氏(天理大学准教授)
チケット予約フォーム:https://www.quartet-online.net/ticket/kawachikirisitan
- 地域演劇を作る(4)演劇は新たな景色を見せてくれる扉 2017年4月24日
- 地域演劇を作る(3)まちの5つの物語を上演、3月11日と12日に大東市で 2017年3月8日
- 地域演劇を作る(2)過程がドラマ 2017年2月3日
- 地域演劇を作る(1)見えてきた「地域演劇」の形、プロデューサー・山納洋さんインタビュー 2016年11月28日
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■「お店に入って話しかけることは演劇行為そのもの」
お試し講座期間を含めて、ここ半年ぐらい戯曲講座に通っていて、筆者自身の中で感じている変化があります。それは、物語を作る過程を学び、日常生活に戻る繰り返しの中で、おのずと演劇の視点が日々の生活の中に取り込まれていて、日常を見るベクトルが変わったように感じることです。
戯曲では、シチュエーションと登場人物のキャラクター設定について考えるのですが、そうすると、逆に日常生活に戻った時に、たとえば職場だったり、お店だったりが、物語の舞台に見えてくることがあります。
たとえば、職場で理不尽なことがあったとしたら、それをシチュエーションに見立てて、どうしてこの人はこんな言動をするのだろうと背景に思いをめぐらせてみる。そうやって想像しようとするクセがつくことで、状況をなるべく客観視して、感情との距離をはかることができるようになっている気がします。
たとえば初めて入るお店で、自分が起こす行動でお店の人の言葉が変わり、それがせりふに聞こえたりすることがあります。先日も中華料理屋さんに入った時、待ち時間に漫画を取りに行ったら、お店のおばちゃんが私にかけてくれた第一声は「週刊誌もありますよ」でした。漫画を取りに行かなかったら、おばちゃんからは違う言葉が出ただろうと考えると、お店に入ること一つをとっても、スリリングな行為に感じるのです。
そんな風に感じるのは、山納さんが「ある知らないお店に入って話しかけることは演劇行為そのもの。こちらが何を話しかけたかによって相手の言葉が変わる。自分が体験型演劇の真っ只中にいるように見えてきます」と話したことが印象に残っているからです。
■ドラえもんのポケットからひみつ道具を出してくれる感覚
講師の高橋さんは、物語を書く行為について、「現実から少し浮く感覚で見ること」「私にはこの話はこんな風に聞こえた」という主観に基づく変換だと言います。
主観を出すことは、筆者にとっては勇気の要ることでした。ライターの私は、記事を書くことにおいては自分の立ち位置を黒子のように定めていたのですが、戯曲を書くとなったらそうはいかない。そのことに特に臆病になっていた理由は、実際の地域で、実在する人物に取材して書くという中で、作品で自分のものではない痛みに触れようとしているからというのもあります。自分の痛みならまだしも、実際に“そのこと”を経験していない私が書く。相手のことを配慮すればするほど書けなくなってしまう。実在するまちを舞台に、実際に出会った人がモデルになっているから、ご本人が観ても恥ずかしくない作品にしたい、という狭間であがいていました。
そんな微妙なあわいの中で模索している過程が、最近になって楽しく感じています。それは、それぞれの受講生の課題に対する高橋さんの講評を聞く中で、こんな書き方があるのか!と目から鱗が落ちるような瞬間が多くあるからで、まるでドラえもんのポケットからひみつ道具を出してくれている感覚になるのです。道具を例えるなら、レンズの向こうの世界が豊かに見えるメガネ。それは日常につながっていて、一見何の変哲もないように思えた街が、キラキラと見えてくる。ともすれば欠点に見えがちな人の側面が、キャラクターの魅力として映る。世間のものさしとは違うベクトルで日常が動き出す。そのメガネの力は、そのまま演劇の力と言い換えられるのではないかと思います。そんな演劇メガネをかけて実在する街を見て、地域の人たちを見つめることができる。それが、今回の「だいとう戯曲講座」ではないかと実感しています。
■「過程が大事です」をかみしめて
「過程が大事です」と講座の初めに高橋さんが話していたことを今、かみしめています。戯曲を書くことで人と出会っていき、新たな人たちと関わりながら世界が広がり、模索しながら学んでいく。上演が一つのゴールだとしたら、そこに至るまでの道のり、過程そのものがドラマなのかもしれない。結果ばかりが注目されがちなこの社会で、過程をかみしめられるのは得難い経験です。
次回は、講師の高橋さんへのインタビューと、約半年かけて大東にそれぞれのドラマを見出した受講生の皆さんの声をお届けします。