辺野古の文子おばぁ「戦争だけは絶対にやってはならない」、参議院議員会館で語る 

2017年8月17日 参議院議員会館講堂で語る島袋文子さん=撮影・松中みどり

2017年8月17日、「辺野古の“文子おばぁ”がやってくる!島袋文子さんを迎え沖縄に連帯する市民のつどい」が、東京・永田町の参議院議員会館講堂でおこなわれました。市民の団体による実行委員会が主催。平日午後の日程にもかかわらず、500名を越える人たちが駆けつけました。全国にもファンが多い文子おばぁこと島袋文子さんは、名護市辺野古に長く住み、新基地建設反対を貫いている沖縄戦体験者。文子おばぁが初めて東京で話をするというので、これだけの人が集まったのです。筆者も当日兵庫県から参加、熱気あふれる会場で、「戦争だけは絶対にやってはならない、安倍(首相)の甘い言葉に騙されてはダメ」という文子おばぁの言葉を受け止めました。

2017年8月17日 参議院議員会館講堂で語る島袋文子さん=撮影・松中みどり

2017年8月17日 参議院議員会館講堂で語る島袋文子さん=撮影・松中みどり

体調の心配もある88歳の文子さんが、沖縄から駆けつけた永田町。近くに国会議事堂や首相官邸の立ち並ぶ場所で、文子おばぁは誰に一番話をしたかったのでしょうか? 会場に集まった私たちのそんな思いに呼応するように、文子さんと一緒に登壇した映画監督の三上智恵さんがまず聞きました。「一番、誰に会って何を言いたかったんですか?」

「それは決まってるんじゃないですか。私は安倍晋三(首相)に会いたいです。口では美しい日本とか、国民の命や財産を守ると言いますが、やってることは反対。戦争が出来る国を作りだそうとしてる。私たちは戦争の時、自分の親や兄弟も救いきれなかったんです。あの火の海の中で、どういうふうに国民の命を守ることが出来るんですか!」

「私は70年前に一度は死んだ人間です。アメリカの肩をもつのではないですが、もし日本軍が戦争に勝っていたら、怪我でウジ虫の湧いてる人間を生かしてはくれてなかったと思います。アメリカが勝ったからこそ、野戦病院に連れて行って生かしてくれた。命の恩人はアメリカ。アメリカに助けられたのはありがたい。でも戦争をやったのは憎い」

文子さんは、戦争中、死体が浮かんだ泥水を飲んで生き延びた体験を持っています。辺野古で座り込みをしていた時、機動隊員に右手の小指を引きはがされ、5針も縫う怪我を負ったこともあります。文子さんは戦争と、今の米軍基地の問題の両方を知る語り手、象徴的な存在なのです。

2017年8月17日 参議院議員会館講堂で語る島袋文子さん 隣は三上智恵監督 =撮影・松中みどり

2017年8月17日 参議院議員会館講堂で語る島袋文子さん 隣は三上智恵監督=撮影・松中みどり

「安倍晋三(首相)に、そんなに戦争のできる国にしたいんだったら、死んだ人間の血の泥水を飲んでからやれと、それだけは言いたい。本土の皆さん、どこの国にも基地をおいてはいけないです。基地があるゆえに戦争がおきるんですから」

独り暮らしをしている文子さんですが、辺野古や高江の闘いを通して弟、妹が出来たと語りました。そして、東京で話をしたこの日、こんな風にも話されました。

「東京に来て、皆さんをきょうだいとして迎えられるのは、本当に生きていてよかったねと私は思います」

※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分では、島袋文子さんのお話の後半部分と、文子さんも絵の中に登場する絵本「だれのこどもも殺させない」を紹介しています。

<有料会員限定部分の小見出し>

■私は戦争体験者。母と弟を連れて逃げ回って、人間の浮かんでいる池から水を飲んだ

■日本軍が助けてくれると信じていた。でも日本軍は住民を助けもしないで、殺した

■戦争をやってはいけない。ですから命をかけてゲート前に座ってる、面白半分じゃない

■本土の方、もっと戦争とはどんなものかを、辺野古に来て、見て、わかってほしい

■戦車の前に、スクッと立つ文子おばぁの姿も。絵本「だれのこどももころさせない」

<関連ページ>
◆『辺野古の“文子おばぁ”がやってくる!島袋文子さんを迎え沖縄に連帯する市民のつどい』 Facebookイベントページ
https://www.facebook.com/events/147322312511554/?active_tab=about
◆毎日新聞映像グル―プ 首相官邸前で語る島袋文子さん
https://mainichi.jp/movie/video/?id=120194206
◆安保関連法に反対するママの会 Facebookページ
https://www.facebook.com/mothers.no.war/

※ここから有料会員限定部分です。島袋文子さんのお話の後半部分と、文子さんも絵の中に登場する絵本「だれのこどもも殺させない」を紹介します。

■私は戦争体験者。母と弟を連れて逃げ回って、人間の浮かんでいる池から水を飲んだ

「本土の方は、安倍首相の甘い口に乗せられて、支持率が上がったり下がったりしてますけど、それはいけないことです。戦争は明日来ます、今日来ますと予告して来るものではないんです。ミサイルが落ちてきたとしたら、どういうふうにして自分の家族を守ることができますか。安倍さんに会えたら私は言いたい。どういうふうにして国民の命や財産を守るのか。ミサイルが飛んで来たら、奥さんの命でさえ守ることは出来ないと言いたい」

「私は戦争体験者です。15歳でした。目の見えない母と10歳になる弟を連れて逃げ回って、食べる物も水もない。人間の浮かんでいる池から水を汲んで飲んだ。人が浮いているのがわかっていたら、飲まなかったと思いますけどね、どんなに喉が渇いても。でも、夜のことですから。朝になって見たら、そこには人間が浮いてる。その水を見た時、私は弟にも親にも何も言えなかった」

2017年8月17日 話ながら思わず涙ぐむ島袋文子さん=撮影・松中みどり

2017年8月17日 話ながら思わず涙ぐむ島袋文子さん=撮影・松中みどり

■日本軍が助けてくれると信じていた。でも日本軍は住民を助けもしないで、殺した

「民間が作った防空壕、軍から逃げてきた兵隊が住民を追い出して、自分たちが入って。でも、日本は勝ってる、駆逐艦何隻やった、軍艦何隻やったということばかりしか言わないから、そうなんだと思ってたんです。いつかは日本軍が私らを助けに来てくれるだろうと信じていた。でも、その日本軍は沖縄の住民を助けもしないで、殺したんです」

■戦争をやってはいけない。ですから命をかけてゲート前に座ってる、面白半分じゃない

「私たちは二度と戦争をやってはいけないと思ってるんです。ですから、命をかけてゲート前に座ってるんであって、面白半分に座ってるんじゃないんですよ。家庭も何もかも犠牲にして、毎日あんなゲート前で座って、機動隊にごぼう抜きされて、私は小指も5針縫ったんです。頭を打って救急車で2回も運ばれたんですけど、基地だけは作らせてはいけないと思ってる。その基地を止めない限り、私は死んではいけないと思ってる。私は今88歳です。生きながらえて、どんなにしてでも基地を止めようと思っています。どうぞ、皆さん、沖縄に力を貸してください。本土の方がたくさん来てくれて応援してくれて、有難いと思ってます。でもまだまだ足りないです。どうぞ、力を貸してください。そしたら、沖縄の基地も止められるでしょう」

沖縄だけが大変なのではないと、かなり前から看破していていた文子さん。本土も沖縄のようになるよと警告をしています。

「ゲート前の今の状況は、ますます大変です。私たちは機動隊にごぼう抜きされて怪我をさせられても、救急車で運ばれても、何の補償もない、ごめんなさいもない。けど、機動隊をちょっと押しただけで、あ、痛い、暴力やった、逮捕しろ。こういうことで、機動隊は触るだけで、逮捕するんです。逮捕したら、何かを探してでも罪を着せようとする。それが山城博治さん。私は、共謀罪を博治さんと4~5名の方に当てはめてやってるんじゃないかと思いますよ。沖縄から共謀罪をやってると思うんです」

そんな大変な中でも、明るい雰囲気を保っている現場。なぜ、沖縄の人たちはそれが出来るのでしょうか。

「私たちは三味線弾いたり、踊ったり、歌ったりしながら抗議をやってるんです。沖縄の住民だからこそ出来るんです。あんなに戦争で惨めな思いやってきたけど、それを繰り返してはいけない。沖縄の人間だからこそ立ち上がることが出来た。何も日本の政府が立ち上げたんじゃないですよ。負けないです。沖縄の住民は。意志が強いです。戦争の後、何もないけど、あの海でサザエとか魚をとって飢えをしのいだんです。命の海を埋めるということは絶対許されることではないです。私たちは負けませんよ。頑張ります。基地がなくなるまで」

「私は生きながらえて、必ず基地を止める。基地が無くなったときには、龍の頭に乗って天国に行けるねと思ってるんです」

■本土の方、もっと戦争とはどんなものかを、辺野古に来て、見て、わかってほしい

「涙が出るくらい悔しいですよ。私たちは機動隊にごぼう抜きされて、そこへ業者が海を埋める石とか運んで、何十台と車がゲートの中に入っていくのを見たら、ほんと、悔しくて涙出るんですよ。でも、涙出ても、どうしようもないんですよ。だけど、どうしようもないと言って諦めるわけにもいかないんです。私は機動隊にも言いますけど、あんたたちは安倍の言うことをきいてね、戦争の出来る国を作るんだけど、その戦争が起きたら、あんたたちの妻子はどうなるの。一番に徴収されるのがあんたたちだよ、わかってるかと私は言うの。今は、機動隊、警察官といって威張れるかもしれないけど、いざ戦争が来たら、自衛隊の初年兵にでも頭が上がらないよ。だって、日本の軍隊はそうだったもの。階級の差がひどかったからね。自衛隊員がいじめられて怪我したとか、亡くなったとか、自殺したとかいう話を聞くたびに、ああ、やっぱりこれは元日本軍がやってたことを、今もやってるんだねと思うんです。自衛隊の命も、私たちの命も、おんなじ。大切なものですよ。戦争はダメ、軍に入ってもダメ。みんなで止めましょうね。力を貸してください」

文子さんは、宮古島や石垣島といった南西諸島に自衛隊の基地が作られて、利用されることを心配しています。

「戦争が始まる前に、色々な部隊が最初に宮古や八重山に来て、そこから台湾に行ったんですよ。だから、今、八重山とかあちこちに自衛隊の部隊を作っているのは、戦争の前触れではないかなと思うんですよ。70年前もそうだったんだから」

「ミサイルが飛んで来たら、撃ち落とすという考え、あれちょっと”1年生”じゃないかなと思う。こっちで構えて、撃ち落とすって言っても、構える前には落ちてるよ。1年生の考え方であると思いますよ。本土の方、もっともっと戦争とはどんなものかということを、辺野古に来て、見て、わかってほしいと思うんですよ。本土のお若い方は、戦争がどういうものが分からないと思うんですよね。だから、辺野古に来て、一緒に基地をなくすために頑張ってほしいと思います。沖縄から基地がなくなれば、本土の基地もなくなると思うんです。基地はどこにもあってはいけないんです」

2017年8月17日、文子さんと対話する高校生=撮影・松中みどり

2017年8月17日、文子さんと対話する高校生=撮影・松中みどり

本土の人には、戦争がどんなものか分からないと思う。その言葉通り、この日の集会で、若い人たちとの対話の機会があった文子さんは、沖縄戦がどれほど過酷なものであったか、日本軍が住民を見殺しにするばかりか、手をかけることまでしたことを、涙を流しながら語りました。

■戦車の前に、スクッと立つ文子おばぁの姿も。絵本「だれのこどももころさせない」

文子さんを東京に招いたのは、「辺野古・高江を守ろう!NGOネットワーク」「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」「一坪反戦地主会・関東ブロック」「沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志」「安保関連法案に反対するママの会@東京」といった市民の団体です。それぞれの力強いアピールの中で、特にご紹介したいのが、安保関連法案に反対するママの会から生まれた絵本です。

「「だれのこどももころさせない」安保関連法に反対するママの会のコールから生まれた絵本=撮影・松中みどり

「だれのこどももころさせない」安保関連法に反対するママの会のコールから生まれた絵本=撮影・松中みどり

2015年7月、Facebookから生まれた「安保関連法案に反対するママの会」は、法案成立後、「安保関連法に反対するママの会」として活動を継続。「誰のこどもも殺させない」という合言葉を一致点に、47都道府県に100以上の会が誕生しています。その活動の中から生まれてきたのがこの絵本「だれのこどももころさせない」なのです。

2017年8月17日、絵本を紹介する画家の浜田桂子さん=撮影・松中みどり

2017年8月17日、絵本を紹介する画家の浜田桂子さん=撮影・松中みどり

絵を担当した画家の浜田桂子さんも会場に駆けつけ、実はこの絵本の中には文子おばぁを描いているんですと挨拶されました。文子さんの大ファンだという浜田さんは、戦車の前に、杖をついてスクッと立つ文子おばぁを、お好きだと聞いたピンク色の服で描きましたとおっしゃいました。これが、その絵です。

絵本「だれのこどももころさせない」より=撮影・松中みどり

絵本「だれのこどももころさせない」より=撮影・松中みどり

絵本の中には、戦車に綺麗な絵を描く子どもたちのそばで笑っている文子おばぁや、子どもたちと大きな木のそばに座って話をする文子おばぁも描かれています。いつか、こんな日が来ることを信じて、私たちひとりひとり「戦争をしない」と心に刻みたいと思います。

長い間、力いっぱい話をしてくれた文子さん、文子さんに寄り添って話を引き出し、現場の映像を見せてくれた三上智恵監督、そして、この集いの実行委員会の皆さんに心から感謝します。ありがとうございました。

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