フィリピンのピナツボ火山噴火被災者ら、レンタルドレス店設立へ

フィリピンのピナツボ火山噴火被災者ら、レンタルドレス店設立へ

美しいドレス姿を披露しているのは、フィリピンの山岳先住民族「アエタ」の女性ふたりです。フィリピンの多様な民族の中でも、最も古い先住民であるアエタの人々は、1991年のピナツボ火山噴火によって、山の民としての暮らしが出来なくなった避難民なのです。筆者は、1994年6月から2015年5月まで、「ピナツボ・アエタ教育里親プログラム」という教育支援活動をおこなってきました。現在、アエタの女性たちの新しい収入の手段として、「レンタルドレスショップ」の設立を準備しているところです。日本の善意ある方々から寄付してもらったウエディングドレスやフォーマルドレスは、おしゃれが好きでドレスアップする機会が多いフィリピンの女性たちの夢をかなえる魔法のドレスとして生まれ変わります。

レンタルドレスショップの運営の中心となるベナスさん(左)とナニン=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

レンタルドレスショップの運営の中心となるベナスさん(左)とナニン=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

1991年6月に大噴火したフィリピン・ルソン島にあるピナツボ火山。その山は、先住民族アエタの人々にとって、先祖代々、暮らしを支えてきてくれた聖なる山でした。噴火の少し前まで、狩猟や簡単な農業で暮らしを立てていた少数民族アエタは、暗褐色の肌や小柄な体、縮れた髪などの外見的特徴と、主流のフィリピン文化とは違う独自の文化を持っています。避難生活は、争いごとを好まず穏やかで、それでいて大変誇り高いアエタの人々にとって、つらいものでした。差別や偏見を受けたことも多々あります。「もっとも困難な避難生活」を送っている人々に緊急支援を始めたのが、筆者とアエタの人々との出会いでした。

アエタの若者の寄宿舎からレンタルドレスショップに変身することになった建物=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

アエタの若者の寄宿舎からレンタルドレスショップに変身することになった建物=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

噴火によって山を降りたアエタの人たちは、狩りや焼き畑農業という生活基盤を失い、将来は不透明なままでした。アエタの人たちにとって最も重要なニーズはなにか。話し合いの中で、「アエタの村の小学校には、アエタの先生がいてほしい」「いずれはアエタの中から医療の専門家が出てほしい」「アエタを助けるのはアエタでありたい」そんな言葉を聞いたのです。それなら、若きアエタのリーダーを育てる教育支援がいいのではないか。町に「ドミトリー・寄宿舎」を用意して、アエタの若者たちが共同生活を送りながら、高校や大学に通う仕組みを作りました。1994年、「ピナツボ・アエタ教育里親プログラム」の始まりです。

元奨学生のビルマは今、小学校の代用教員をしています=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

元奨学生のビルマは今、小学校の代用教員をしています=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

ピナツボ火山噴火から24年の歳月が流れ、教育支援を開始してから20年がたちました。山岳先住民族アエタの人たちをとりまく環境も大きく変わり、「ピナツボ・アエタ教育里親プログラム」は、2015年5月の卒業生を最後に、その役目を終えました。これまでに延べ200名を超えるアエタの若者が学校に通い、そのうち120名ほどが高校や大学を卒業しています。幼稚園や小学校で教師をしている卒業生、換金作物を導入して村の経済発展に貢献している卒業生、市役所の運転手として働いている卒業生、町の大きなレストランで働いている卒業生、サリサリストアー(一坪ほどの店舗のコンビニ)のオーナーをしている卒業生のカップルなど、次の世代のアエタの良いお手本になっています。

難関の正式教員試験に合格した元奨学生のアナリン(左)と筆者=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

難関の正式教員試験に合格した元奨学生のアナリン(左)と筆者=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

2015年5月に専門学校を卒業した最後の奨学生のジェセルメイは、現在、ホテル内レストランで働いています=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

2015年5月に専門学校を卒業した最後の奨学生のジェセルメイは、現在、ホテル内レストランで働いています=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

一方で、結婚し、出産をした女性が仕事を続けることが難しいのは、古い文化や習慣が残るアエタの人たちの現実です。せっかく奨学金プログラムの支援で学校を出ても、いったん仕事を離れると再開することは容易ではありません。そんな中で新たに出てきたアイデアが、「レンタルドレスショップ」経営なのです。

元奨学生ベイビールースの娘、ミカちゃんにピッタリのドレスがありました=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

元奨学生ベイビールースの娘、ミカちゃんにピッタリのドレスがありました=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

キリスト教の国であるフィリピンでは、復活祭や洗礼式や結婚式、クリスマスなど教会で行う行事には、晴れ着で出席します。卒業式、地域のお祭り、家族のいろいろな集まりにも素敵な服で出たいと願う、おしゃれな人たちが多い国です。お金のない人たちにとっては叶わない願い。でも、そんな庶民の夢をリーズナブルにかなえるレンタルドレスショップがあったら、どんなにいいだろう。「ピナツボ・アエタ教育里親プログラム」の奨学生の卒業式に出るたびに、そう思ってきました。

届いたドレスを試着してみて大騒ぎのスタッフたち=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

届いたドレスを試着してみて大騒ぎのスタッフたち=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

「ピナツボ・アエタ教育里親プログラム」を長年応援してくださった大阪のうつぼロータリークラブのご寄附により、かつてプログラムの寄宿舎であった古い家の改築が実現しました。奨学生たちの共同スペースだった殺風景な部屋が、トルソーに着せたドレスや、ラックにたくさん吊るされているドレスが窓ガラス越しに見えるしゃれたお店に変身しています。

大阪の「うつぼロータリークラブ」が改築に協力したことを説明する表示板が壁に埋め込まれています=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

大阪の「うつぼロータリークラブ」が改築に協力したことを説明する表示板が壁に埋め込まれています=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

アエタの学生たちの頑張りを知っている日本の人たちが、筆者の呼びかけに応えて、続々とドレスを送って下さいました。自分や家族が着たウエディングドレス、子どもさんが発表会で着たドレス、プロの演奏家がステージで着たドレス、フラダンスやフラメンコを習っていた人が着たドレス……いずれも中古とは言え、とても美しく、いい状態で保管されていました。幸せな記憶をもったラッキーなドレスたち。海を越えて優しさと友情が届けられたようで、本当に嬉しく有難いことです。ドレスを見たアエタの女性たちは、飛び切りの笑顔になり、大きな歓声を上げていました。

最後の奨学生のジェセルメイ(左)と母親のジーナさん=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

最後の奨学生のジェセルメイ(左)と母親のジーナさん=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

プログラムの元奨学生の中に、洋裁の技術を学ぶ専門学校に通った女性がふたりいます。それから、これまでアエタの奨学生たちの寄宿舎での「お母さん」として生活を共にしてきた、自身もアエタであるべナスさんは裁縫が得意。彼女たちが中心となって、オリジナルのドレスと、今回筆者が日本から持ち込んだドレスを使って貸衣装店を経営します。これなら、結婚しても子育て中でも、働き方を工夫してずっと続けていける仕事です。

届いたドレスを「トルソー」に着せて飾る=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

届いたドレスを「トルソー」に着せて飾る=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

お店を知ってもらうための宣伝をしたり、ドレスを借りに来た人たちの体型に合わせてドレスを補正したり、お金の管理をしたり、アエタの女性たちがこれから担っていく仕事はいろいろあり、トラブルも起きることでしょう。それでも、レンタルドレスを通して、日本から届いた応援の心を励みに頑張ってもらいたいです。差別や無理解に負けず、学校に通った元奨学生たちが、学生時代同様たがいに助け合ってほしい。そして、少しずつ収入が増えて、いつかは、もっとたくさんのアエタの女性たちが働ける大きなお店になる日を願って、これからも応援していきたいと思っています。

元奨学生で裁縫学校を卒業したナニンがウェティングドレスを試着。ナニンはレンタルドレスショップの中心メンバーとなります=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

元奨学生で裁縫学校を卒業したナニンがウェティングドレスを試着。ナニンはレンタルドレスショップの中心メンバーとなります=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

この「レンタルドレスショップ」のために、ドレスのご寄付や輸送料のカンパなどをしていただける方は、こちらのフォームを使って、ご連絡ください。

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<アイデアニュース関係記事>

フィリピンのピナツボ火山噴火被災者ら、レンタルドレス店設立へ →https://ideanews.jp/backup/archives/8783

ピナツボ・アエタ教育里親プログラム、最後の奨学生が卒業 →https://ideanews.jp/backup/archives/3090

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「アエタを助けるのはアエタでありたい」元奨学生たちの嬉しい提案

ある元奨学生のスピーチ 若きリーダーの頼もしい姿

ここからは「全文閲覧権」を購入くださっている方だけが読める部分です。

「アエタを助けるのはアエタでありたい」元奨学生たちの嬉しい提案

2015年5月、これまでの活動を振り返り、元奨学生やスタッフが思い出を語り合っている中で、4名の元奨学生が立ち上がり、素晴らしい提案が飛び出しました。「これまで奨学金をもらって教育を受けてきたのだから、今度は私たちがお返しをして、未来に投資しなければいけないと思う。時間とお金をかけて世話をしてくれたマム・みどりや日本の皆さん、フィリピンのスタッフが安心して活動を終えられるようにしよう。元奨学生を中心に、仕事についているアエタは月200ペソ、仕事のないアエタは100ペソか、いくらでも出せる額を毎月アエタ教育基金として寄付して欲しい。未来のアエタのために、今度は私たちが動く番です」と語り始めたのです。

フィリピン人スタッフも知らなかった自発的な提案に驚き、感動しました。「アエタを助けるのはアエタでありたい」という夢に向かって長年プログラムを続けてきたことが報われた思いです。事務局長、秘書、会計、監査の役割まで決めて仲間のアエタの若者たちに堂々と呼びかける4人は、アエタの志士のようでした。月におよそ日本円にして270~550円。安定した職についていない人も多いアエタの若者にとっては、決して易しいことではないと思います。それでも、「自分の子どもがいてもいなくても、アエタ全体のためだし、自分たちがしてもらったことを思えば、少しでもお返ししなければいけない」という言葉が嬉しく、長く奨学金プログラムを続けてきて、最後に大きな贈り物をもらった気持ちです。

4人の志士のひとり、元奨学生のビルマ(右)と筆者=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

4人の志士のひとり、元奨学生のビルマ(右)と筆者=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

ある元奨学生のスピーチ 若きリーダーの頼もしい姿

元奨学生の集まりで、ニコニコとみんなの前にたってマイクを握ったジェイアール。教師を目指して、教育学部を卒業するアエタの若者は多いのですが、その後、教員国家試験を受けて合格する奨学生はいませんでした。試験の合格率が低いので、多くの学生が大学卒業後もセミナーを受けたりして準備している難関試験。アエタの若者にそんな余裕はありません。でも、生徒がほとんどアエタの子どもたちというような小さな田舎の小学校なら、国家試験に合格していなくても代用教員として雇ってもらえるのが現状なので、そういうところで働いている奨学生がほとんどです。いつか合格したいと勉強を続けても、なかなか受からないのです。

しかし、このジェイアールは、大学卒業後に受けた国家試験に一回で合格! 「ピナツボ・アエタ教育里親プログラム」が応援した学生の中で、ロールモデルとして、またリーダーとして頑張っています。

「私は今、公立小学校で4年生と5年生を教えていて、主任もしています。最初のうちは、アエタの教師なんて……という偏見がまだありました。ちゃんと教えられるのかと不信の目を向ける親もいました。でも、それは仕事をきちんとしていけば分かってもらえると信じていました。私には大きな目標があります。“あの先生は、アエタだけど優秀だ、いい先生だ”とは言ってもらいたくない。“あの先生は、アエタだからやっぱりいい先生だ、アエタだから信頼出来る”そういう風にみんなに思ってもらえる日が来るように頑張りたいのです。私は、もっと大きな学校で教えようとか、給料の高いところで教えようとは思っていません。いずれはアエタの子どもたちがほとんどだという学校で教えるつもりです。でも、それまでに、教師として成長したいし、認められたい。あの先生が教える学校なら、私も通いたい、自分の子どもを通わせたいと思ってもらえる先生になりたいのです」

数年前には、目ばかり大きな、細身の少年だったジェイアールが、体も大きくなり、心もこんなに立派になって話をしてくれて、本当に嬉しいひと時でした。自分のことだけでなく、アエタの後輩たちを思って働くジェイアールは、真のリーダーだと感動した次第です。「アエタを助けるのはアエタでありたい」という夢を生きるジェイアールを、褒めたいと思います。

アエタによる奨学金プログラムの代表となったジェイアールと筆者=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

アエタによる奨学金プログラムの代表となったジェイアールと筆者=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

「政治家みたい」と冷やかされて笑う教育里親プログラムでスタッフだったテシーさん=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

「政治家みたい」と冷やかされて笑う教育里親プログラムでスタッフだったテシーさん=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

教育里親プログラムの現地の代表だったアロマさん(右)と寄宿舎で母親役だったベナスさんもドレスを試着=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

教育里親プログラムの現地の代表だったアロマさん(右)と寄宿舎で母親役だったベナスさんもドレスを試着=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

赤いドレスを着たナニン=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

赤いドレスを着たナニン=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

奨学金プログラムのスタッフだったデルマさん=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

奨学金プログラムのスタッフだったデルマさん=2015年8月28日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

アエタの人たちがお金を出し合う新しい奨学金プロジェクトを立ち上げたビルマ=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

アエタの人たちがお金を出し合う新しい奨学金プロジェクトを立ち上げたビルマ=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

最後の奨学生のジェセルメイ=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

最後の奨学生のジェセルメイ=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

レンタルドレスショップの今後について話し合ったレストランでデザートを食べています=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

レンタルドレスショップの今後について話し合ったレストランでデザートを食べています=2015年8月29日、フィリピン・サンバレス州で、撮影・橋本正人

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