森本薫さんが戦前「文学座」に書き下ろして1945年4月から上演され続けてきた舞台『女の一生』が、段田安則さんの演出で、2020年11月2日から11月26日まで新橋演舞場で上演中です。杉村春子さんが947回にわたって演じ、平淑恵さんや山本郁子さんが演じてきた主人公の布引けいを、大竹しのぶさんが演じます。そのほか、高橋克実、段田安則、宮澤エマ、多岐川華子、服部容子、森本健介、林翔太、銀粉蝶、風間杜夫のみなさんが出演しています。大竹さんは、少女時代の快活なけいを高めの声でテンポ良く表現し、結婚後は声を低く大人の女性へと変化させ、代わりに少女時代の明るさを消し去り、けいを取り巻く状況の変化をも巧みに表現します。大竹さんが少年役を演じたミュージカル『にんじん』や、女盛りから腰の曲がった高齢女性までを演じた舞台『三婆』を拝見した時にも感じたように、年齢や境遇の変化を自然かつ鮮明に表現される大竹さんならではの醍醐味あふれる舞台でした。
時代は終戦直後の1945年、木枯らしが吹き渡る夜。辺り一面焼け野原の廃墟に座っていた壮年の婦人(大竹しのぶさん)の元に、彼女と同じ世代と思しき紳士(高橋克実さん)が道をたずねるシーンから始まります。低い声音で、どこかぶっきらぼうな口調の婦人に対し、年齢に比して若さを感じる快活な口調の紳士、ふたり暫く当たり障りのない会話を交わしたあと、紳士が暇乞いをして立ち去りかけた刹那。去り際に婦人が口ずさんだ歌をきっかけに、お互いをかつて一緒に暮らしていた、布引けいと、提栄二と認めて久々の邂逅、というところで場面転換のための幕が下り、再び幕が上がると、舞台は二人が出会った40年前に一気に遡り、そこから4年後、10年後、13年後、17年後、そして40年後と、明治・大正・昭和の激動の世相を織り込んだ、けいの半生が綴られていきます。
舞台『女の一生』の作者、森本薫さんについて書かれたウィキペディアによると、「初演は空襲の間隙を縫うように渋谷東横映画劇場で上演され、戦後の1946年に初演台本のプロローグとエピローグを病床の森本が戦後版へ改訂し、森本が没した翌月に再演された」とのことで、初演が戦前の作品ではあるものの戦後のシーンから始まる構成で上演されています。
旅順陥落を祝う、提灯行列の賑やかな声が響く1905年正月。清国との商いで財を成した堤家は、夫に先立たれ一家の主となったしず(銀粉蝶さん)を、義弟の章介(風間杜夫さん)が支えて家業を守っていました。しずの誕生日を祝う一家団らんの場面、彼女は詰襟の学生服姿の息子たちに囲まれ、長男の伸太郎(段田安則さん)から肖像画を、次男の栄二から貝細工の飾りがほどこされた赤い櫛をそれぞれ贈られたあと、次女のふみ(宮澤エマさん)の歌を聴こうと、家族と奥の部屋に入ります。
誰も居なくなった庭続きの部屋に、やがて開いていた木戸を通り、下げ髪に三尺帯の少女、布引けいが上がり込みます。無人の部屋の卓上に、栄二が母に贈った櫛が置かれているのを見つけ、出来心で手に取り、そのまま髪に挿してみたところを、戻ってきた栄二に見つかり、「泥棒」と大騒ぎになります。盗もうとしたわけじゃないと、まくし立てるように自分の境遇を語るけい。彼女は戦災孤児で、身を寄せていたおばからひどい仕打ちを受け続けた挙句に見捨てられ、帰るところがありませんでした。寄る辺ない身の上、そして自らと同じ、今日が誕生日だと語るけいを哀れんだしずは、使用人として彼女を拾い上げます。
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■芽生えはじめた恋慕、次男・栄二役の高橋と心が浮き立つように
■自らの恋心を切り捨て、伸太郎の妻となることを受け入れ…
■彼女の覚悟と生き様を見据える叔父・章介、風間が熟練の演技で
■けいと伸太郎、夫婦のつかの間の温かみを大竹・段田が細やかに
<『女の一生』>
【東京公演】2020年11月2日(月)~11月26日(木) 新橋演舞場
公式サイト
https://www.shochiku.co.jp/play/schedules/detail/enbujyo_20201031/
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■芽生えはじめた恋慕、次男・栄二役の高橋と心が浮き立つように
成長したけいは、元々の闊達な気質もあって、一家のために甲斐甲斐しく働いていましたが、やがて栄二へ淡い恋心を抱くようになります。栄二もまんざらではないようで、ふたりの互いに茶化し合いながらの楽しそうな会話の様子は、主家の息子と使用人という立場からは遠く、相手が自分をどう思っているのかを探りあっているような、芽生えはじめの恋慕に心が浮き立つようなくすぐったさが感じられました。
一方、しずは次期当主となる長男伸太郎の、学問を好み優しい気質が家業に向かないであろうことが気がかりでした。そこで、けいのこれまでの献身ぶりと気性を気に入っている彼女は、伸太郎の嫁として名実ともに堤家の人間となり、家業を支えて欲しいとけいに迫ります。
■自らの恋心を切り捨て、伸太郎の妻となることを受け入れ…
しずから受けた恩義を思うと、とても否とは言えないと悟ったけいは、自らの恋心を切り捨てて伸太郎の妻となることを受け入れます。互いに涙するしずとけいの姿は、片や自らも背負った、母であり一家の主であることの責任からの解放による安堵と、継ぐ存在への幾許かの呵責と憐憫であり、片や開花することなく手折らざるを得なかった想いへの贖いと、主からの破格の恩恵により生じる責任への押しつぶされそうな不安であり、おそらくこれまでも脈々と受け継がれてきた、家という枠組みの中での、ひとつの継承の瞬間なのだと感じられました。
時は経ち1915年。すっかり堤家の人間となり、仕事に精を出しているけいと、叔父の章介が仕事から帰ってきます。夫の伸太郎との間には娘が生まれたようですが、今は亡きしずの期待に応えようと、けいはけいなりに家に尽くそうとして、家業についても精力的に対処しているようなのですが、彼女のある種合理的な判断とその行動に、伸太郎はもちろん、伸太郎の妹たちとも相容れず、家族の中で徐々に孤立していきます。
■彼女の覚悟と生き様を見据える叔父・章介、風間が熟練の演技で
自分に不満げな様子の夫に、どこが気に入らないのか、何を考えているのかわからない、と尋ねると、けいが家のために尽くしてくれていることはわかっているが、そのやり方が性格の違う自分には相容れない。そして、けいの栄二に対する想いを察していた伸太郎は、母に頼まれたとはいえ、あっさりと自分の妻となる事を承諾した彼女に対して、女しか持っていないなにかを、お前は持っていない、として不信をぶつけます。
夫の言葉を受けての「誰が選んでくれたのでもない。自分で選んで歩き出した道ですもの。間違いと知ったら自分で間違いでないようにしなくちゃ」という、けいの言葉は、彼女の覚悟と、ともすれば頽れそうな自分への叱咤ともとれて、胸が詰まります。
家族の誰も気が付かない、彼女の覚悟と生き様を、叔父の章介だけが終始見据えていました。けいに対する章介の複雑な心情が垣間見える、風間杜夫さんの豪胆でありながらも繊細な熟練の演技は必見です。
■けいと伸太郎、夫婦のつかの間の温かみを大竹・段田が細やかに
物語後半では、終戦の直前、娘とも不仲となり、広い屋敷に一人住まうけいのもとに、別居している伸太郎が訪れての短いひとときのシーンがありますが、お互いに心を通わせることは難しいと思われたふたりならではの、紆余曲折を経た夫婦としての、つかの間の温かみを感じられる場面があり、大竹しのぶさん、段田安則さんおふたりの、その細やかな表現には引き込まれました。
今の時代と比べると、けいやしずのように、男女問わず個人としての想いを切り捨て、家のため家業のため、恩義のために粉骨砕身し、大儀を支えた名もなき人たちが、当時は多く存在して、おそらくそれが特別なことでもなかったのだろうということに思いを馳せ、シチュエーションは違うながらも、同じ時代を生き抜いた祖母たちや、そして母を想った作品となりました。