「平敦盛追悼法要」に参加、歴史ロマンを肌で感じる 「須磨寺」ルポ(上)

須磨寺「平敦盛追悼法要」=撮影・正宗

現在、「ちょこっと関西歴史たび特別企画」でもピックアップされている「須磨寺」(すまでら)を訪ねてきました!期間は4月〜6月までです。丁度訪ねた日が「平敦盛追悼法要」という年に一度の供養会で、昨年に引き続き今年も参加してきました。(⇒ちょこっと関西特別企画のご案内

左から一番目:三浦直史(なおし)さん、二番目:朝倉経義(つねよし)さん、三番目:井上真英(しんえい)さん、四番目:小池弘三(こうさん)貫主(かんす)さま、五番目:小池陽人(ようにん)さん、六番目:児玉隆道(りゅうどう)さん、七番目:冨永龍弘(りゅうこう)さん=撮影・正宗

左から一番目:三浦直史(なおし)さん、二番目:朝倉経義(つねよし)さん、三番目:井上真英(しんえい)さん、四番目:小池弘三(こうさん)貫主(かんす)さま、五番目:小池陽人(ようにん)さん、六番目:児玉隆道(りゅうどう)さん、七番目:冨永龍弘(りゅうこう)さん=撮影・正宗

■須磨寺って?

この辺り一帯は平家物語ゆかりの地であり、義経の鵯越の逆落としで有名な一の谷の合戦の舞台となった場所です。境内にはその合戦で源氏の熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた平家の若き公達、平敦盛(たいらのあつもり)の首塚があります。多くの文人墨客がここを訪れたことでも知られていて、松尾芭蕉や真鍋豊平、子規などの句碑・歌碑が点在しています。

本堂は、慶長7年(1602)に豊臣秀頼が再建し、内陣の宮殿は応安元年(1368)の建造で重要文化財=撮影・狸爺

本堂は、慶長7年(1602)に豊臣秀頼が再建し、内陣の宮殿は応安元年(1368)の建造で重要文化財=撮影・狸爺

■須磨寺の魅力

広大な敷地の中には本堂をはじめ宝物館、青葉殿、本坊、三重の塔などさまざまな建造物が建っており、重要文化財や貴重な宝物の数々が多数存在しています。宝物館には敦盛が愛用していた青葉の笛(さえだ)、義経腰掛けの松、敦盛首洗いの池…。歴史ロマンを肌で感じる事が出来るだけでなく、境内をぶらぶら散歩しているだけでも四季折々の草花を見つけることが出来ます。

奥に見えるのは三重塔。6月までの期間中は、特別開扉されています=撮影・狸爺

奥に見えるのは三重塔。6月までの期間中は、特別開扉されています=撮影・狸爺

■平敦盛と熊谷直実

須磨寺と言えば、この2人!「平家物語」では一番涙を誘う名シーンです。800年以上前の話だと言うのに、能や歌舞伎など様々な伝統芸能を通して現代まで語り継がれています。諸説ありますが、敦盛を討ってしまった直実が出家した後、弔う目的でこの話を語り継いだという話が有力です。この話は、須磨寺前管長・小池義人和尚の本にも記されていますので、興味のある方は是非とも読んでもらいたい一冊です!

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源平の梅、夜音、柴燈護摩…フレンドリーで開かれたお寺 「須磨寺」ルポ(下) (6月17日掲載予定)

<関連サイト>

大本山「須磨寺」ホームページ
写真撮影に協力してくださった正宗さんのホームページ

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■境内の源平の庭を画像でご紹介

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境内の源平の庭にある像。奥が平敦盛、手前が熊谷直実=撮影・正宗

境内の源平の庭にある像。奥が平敦盛、手前が熊谷直実=撮影・正宗

寿永3(1184)一の谷の合戦で、源氏軍の奇襲攻撃により敗走し、海へと逃げる平家軍。その中に、一人の若武者を見つけて熊谷直実は声をかけます。「後ろを見せるとは、卑怯なり!」=撮影・正宗

寿永3(1184)一の谷の合戦で、源氏軍の奇襲攻撃により敗走し、海へと逃げる平家軍。その中に、一人の若武者を見つけて熊谷直実は声をかけます。「後ろを見せるとは、卑怯なり!」=撮影・正宗

敦盛は馬を引き返し、直実と一騎打ちに。その瞬間を再現している像です。意を決したような敦盛のまなざしにも是非とも注目してほしい作品です。10代という、戦場で戦うにはあまりに若すぎる年齢でありながら、最期まで武士として応じるその姿には胸が熱くなります=撮影・正宗

敦盛は馬を引き返し、直実と一騎打ちに。その瞬間を再現している像です。意を決したような敦盛のまなざしにも是非とも注目してほしい作品です。10代という、戦場で戦うにはあまりに若すぎる年齢でありながら、最期まで武士として応じるその姿には胸が熱くなります=撮影・正宗

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