「しろさびとまっちゃん」著者と、福島第一原発20km圏内へ(下)

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「しろさびとまっちゃん~福島の保護猫と松村さんの、いいやんべぇな日々」著者で、フリーランスフォトグラファーの太田康介さんと、福島第一原発20キロ圏内の猫たちに会いに行ってきた報告、今日はいよいよ最終回です。福島で生きる猫と、今回は犬のこともたっぷりご報告いたします。

浪江町で保護活動を続ける赤間徹さんのシェルターにて 撮影:松中みどり

浪江町で保護活動を続ける赤間徹さんのシェルターにて 撮影:松中みどり

2011年3月11日の東日本大震災から4年と4か月、残された犬や猫のことは、だんだんと話題にのぼらなくなり、活動をしているグループや個人のボランティアさんも減ってきていると聞きました。一方で、太田さんや豊田先生のように、「自分の出来ること、やらなければいけないこと」を続けている方々もいます。遅れてやってきた粗忽な新米記者ですが、今も福島で、人間が引いた「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の違いを知るはずもない猫や犬たちが必死で生きているなら、その子たちのために何か出来ることがあるなら、行きたいと思った次第です。

阪神大震災被災犬「ももじ」  撮影:松中みどり

阪神大震災被災犬「ももじ」 
撮影:松中みどり

私事ですが、阪神淡路大震災で行き場をなくした老犬を引き取った経験があります。おそらくその犬の飼い主も震災で亡くなったと思われますが、はっきりしたことはわからないままです。シェルターで保護されていた、たくさんの動物の中の1匹でした。1年たたずに天に召されましたが、目も見えず耳も聞こえず、ただ体を触ってもらうことでしか不安な気持ちを落ち着かせることが出来なかったおじいさん犬、「ももじ」のことは忘れられません。痩せた体を震わせ、切ない鳴き声をウオンウオンと響かせていたももじは、怖かったことや寂しかったことを精一杯訴えていたのでしょう。バサバサした毛並みの老犬の背中や首すじをなでると、ようやく鳴き声は収まりました。福島第一原発20キロ圏内には、ももじのように、怖い経験や辛い日々の果てに、人間を警戒しているけれど「本当は人間に甘えたい、また人間と暮らしたい」と思っている犬もまだいるという話を、赤間徹さんから聞きました。

福島6・25-52動物の保護活動を震災直後から続ける赤間徹さん 撮影・松中みどり

動物の保護活動を震災直後から続ける赤間徹さん 豊田動物病院にて 撮影・松中みどり

地元浪江町の住民で、現在は郡山市に避難されている赤間徹さんは、震災直後からお連れ合いと一緒に20キロ圏内の動物たちの保護活動をしてきました。浪江町の家と事務所を猫や犬のシェルターにして、毎日世話を続ける赤間さん。2015年7月現在、保護している猫83匹、犬21匹。猫の方が4倍多いのですが、赤間さんは言います。

「最初の2年間は、自分は犬専門だったんですよ」

「浪江町から犬が減ってきて、猫にも手をだしちゃったんですよね」

「3・11レスキュー日誌」より 

「3・11レスキュー日誌」より

2012年7月からの記録が残っている赤間さんのブログ「3.11レスキュー日誌」を見ると、確かに震災後しばらくは、犬の保護を中心に懸命に活動されていた様子がうかがえます。震災後から今まで、保護した犬(震災前からいた飼い犬と、震災後生まれの犬たち)は200匹以上。そのうち、今も赤間さんのところに残っている犬が20匹ほどいるのだそうです。

この連載記事の中でも触れたことですが、震災直後、原発事故の直後は、とにかく命を助けたいということが最優先でした。TNR活動のT、捕獲機で捕獲(Trap)を試み、アライグマなどの野生動物が入っていたら逃がし、猫だったら他の猫ボランティアさんにお願いする。犬や猫の姿を見かけたら給餌、また捕獲機を仕掛けるという根気のいる活動をずっと続けてきた赤間さん。それが、200匹以上の犬の保護という数につながったのです。

赤間さんのブログ「3.11レスキュー日誌」2012年9月の記事より

赤間さんのブログ「3.11レスキュー日誌」2012年9月の記事より

この写真の犬たちは、2012年9月に赤間さんに保護されました。白い方がおじいさん犬で、首輪もしていて人に慣れていて、捕獲してすぐ触ることが出来たということですから、震災から1年以上、なんとか生き延びた飼い犬です。茶色い方は、『逃げる気まんまんです。捕獲機はかじるは、吠えまくりで、大暴れです』 とブログにあります。震災後に生まれた犬で、元気な女の子。

避難した飼い主が置いていかざるを得なかった飼い犬たちと、震災後に生まれた犬たちがいる理由はこうです。鎖につながれていた犬や、完全室内飼いだった猫たちは、衰弱し、飢えて亡くなる悲惨なケースもありました。つながれていなかった犬、もしくはなんとか解き放たれた犬は、孤独や餌を探す苦労と引き換えに自由を手に入れ、同じような境遇の相手と巡り合い、どちらも不妊手術をしていなかった場合には、子犬たちが生まれてきたというわけです。

猫も同様で、たくさんの子猫が誕生しています。今では赤間さんのシェルターも猫でいっぱい。猫の方が繁殖力が高いと言われていますし、赤間さんたちのような活動をあてにしてなのか、わざわざ猫を捨てに来る人もいるという、やりきれない話も耳にしました。

赤間さんのシェルターにて 撮影:松中みどり

赤間さんのシェルターにて 撮影:松中みどり

この頃、浪江町の犬の数は減ってきたというお話だったので、「それはやっぱり犬の方が生き延びていくのが難しいということですか?」と問うと、赤間さんは爽やかに、はっきりとこう言いました。「目撃した犬は、大体みんな保護したんですよ。」

「でも、人を警戒してなかなか近づいてこない犬でも、母犬の場合は子どもがある程度大きくなったら人の前に出てきて、子どもだけ置いてくんですよ。母犬はまだ保護できていないのがいますね。まあ、子どもが生まれるんだからオス犬もいるってことですけどね」。

残された犬たちは、どれほどの経験をして生き延びたのだろうと思います。突然いなくなった人間への不信感や警戒心を抱えているのかと思うと辛いです。それでも、と赤間さんは続けます。「いったん保護しちゃうと、すりすり、甘えるんですよ~」

シェルターで保護している犬を散歩中の赤間さん 「3・11レスキュー日誌」より

シェルターで保護している犬を散歩中の赤間さん 「3・11レスキュー日誌」より

前回の記事でご紹介した豊田動物病院の豊田先生とともに、TNR活動を支えている浪江町の赤間さん。おさらいになりますが、TNRとは、猫や犬を捕獲機などで捕獲(Trap)し、不妊手術(Neuter)をほどこして、元のところに戻す(Return /Release)という活動で、その頭文字をとってTNRと言います。それにサポートのSをプラスした「TNRS」活動が大事だと、圏内で保護された猫や犬の不妊・去勢手術やワクチン接種などを無償でおこなっている豊田動物病院の豊田正先生は話しておられました。

豊田動物病院で不妊手術を受けた猫をシェルターに連れて帰る赤間さん 撮影:松中みどり

豊田動物病院で不妊手術を受けた猫をシェルターに連れて帰る赤間さん 撮影:松中みどり

2012年9月、浪江町の病院を再開した豊田先生がN(不妊手術)の部分を担って、赤間さんはT(捕獲)と、R(リリース)とS(サポート)を引き受けているのです。筆者がフォトグラファーの太田さんと猫の給餌に行った6月25日、何匹か姿を見せてくれた猫たちは「耳カット」されていました。一度捕獲され、手術などの処置が終わって、何らかの事情でリリースされた猫という印。赤間さんは言います。

「そういう耳カットしている猫がうちの捕獲機に入って保護しちゃうと、やっぱり里親さんを探してしまうんですよ」

事務所の方にいる猫はすっかり普通の飼い猫です 撮影:松中みどり

浪江町の赤間さんの事務所を利用したシェルターにいた猫。すっかり普通の飼い猫のようです 撮影:松中みどり

TNRS活動のR(保護した場所に帰す、リリースする)という決断は、やはり重たいものです。赤間さんの構えたり力んだりしたところが少しもない言葉からにじみ出る、動物への深い愛情に胸が熱くなりました。せっかく保護した命、今まで苦労した分だけ、幸せな「猫生」、「犬生」を送らせてやりたい。もう餌を探して苦労しなくてもいいんだよと言ってやりたい。そのために、被災した浪江町の自宅と事務所がシェルターになって、合計100匹以上の猫と犬の世話をするために、避難先の郡山市から毎日通っている。赤間さんご夫妻の献身的な活動に本当に頭が下がります。

ケージの並ぶスペースで、赤間さんのお連れ合いと太田さん会議中 撮影:松中みどり

ケージの並ぶスペースで、赤間さんのお連れ合いと太田さん会議中 撮影:松中みどり

「リリースする子は、本当に限られています」と話す赤間さんは、こう続けました。

「犬は、絶対放さない(リリースしない)です」

もともと「犬派」だったという赤間さん。保護した犬が亡くなってしまったとき、ブログにこんな言葉を書いておられました。

2012年. 9月4日.PM13:00
やまと  永眠しました。
ここに謹んで、ご報告致します。
「やまと・・・ゆっくりおやすみ!!」

3.11レスキュー日誌より

3.11レスキュー日誌より

双葉町で保護してから16日間の付き合いだった「やまと」は、心不全と診断されたおじいさん犬でした。もっともっと長生きさせたかった。1年以上飢えと寂しさに耐えて生きてきた犬。もっと早く保護してあげたかったと綴られているブログは、こう締めくくられます。

やまとは、自分を選んでくれたんだと思う・・・

やまとを看取ることが出来た事に感謝しょう・・・

「ありがとう・・・やまと」

「3・11レスキュー日誌」より

「3・11レスキュー日誌」より

こんな思いで犬の保護活動を続けてこられた赤間さん。猫のことも本当に可愛がっておられます。個人ボランティアさんの助けを借り、同じような活動をしている団体と連携しながら、猫が人への信頼を取り戻せるまで時間をかけているので「うちの猫たちはけっこう長くいる子が多いんですよ」と笑うのです。

こんなに慣れて、甘えん坊になっている猫もいます。里親さんが見つかりますように。 撮影:松中みどり

こんなに慣れて、甘えん坊になっている猫もたくさんいます。 里親さんが見つかりますように。撮影:松中みどり

今では猫の保護が多くなったとはいえ、犬が全くいないわけではありません。赤間さんのブログの2015年7月の新しい記事に、こんな白い犬の写真が載っていました。震災前からいたような年恰好の犬。なんとか手からおやつを食べるようになったけれど、リードを見ると逃げていくこの犬を、赤間さんは保護するべく動いているところです。

「3.11レスキュー日誌」より

「3.11レスキュー日誌」より

3回に渡ってお伝えしてきた2015年6月25日の20キロ圏内の猫たち(犬たち)と、その命を支える人たち。給餌活動を続けているフォトグラファーの太田さん、地元の動物病院で地域の猫たちの不妊手術やワクチン接種を無償でおこなっている豊田先生。そして今回ご紹介した赤間徹さん。読者の皆さんから、「ボランティア活動について考えさせられた」「少しばかりのお金を寄付して終わりにしていたことを反省した」という感想を寄せていただきました。そして、少なくないご質問が、「それでも、やっぱり応援をしたいと思うのだけれど、何かできることはありませんか?」というものでした。ありがとうございます。

どうか、赤間さんの活動を応援してください。キャットフード、ドッグフード、ペットシーツ、医療費、里親さんのところに出すための移送費などが寄付で賄われているのです。「3.11残された犬猫後方支援の会」という、現場で活動している団体や個人を後方で支える活動をしている会があります。赤間さんのところに物資やカンパを送りたい場合は、こちらまでよろしくお願いいたします。

「支援物資について」

住所 : 032272 ヤマト運輸 三宿センター止め (センターコード番号が無くても大丈夫です)

名前 : 311犬猫後方支援の会

「支援金について」

三井住友銀行 渋谷駅前支店
普通 4424099 犬猫後方支援の会 (イヌネココウホウシエンノカイ)

311残された犬猫後方支援の会 http://shien311.exblog.jp/16225779/

赤間さんの活動はこちらのページをご覧ください → 3.11レスキュー日誌 (里親募集中の猫や犬の紹介も載っています)  http://okomenokiwami.blog38.fc2.com

素晴らしい人たちや、動物たちに出会えた一日の締めくくりは、松村直登さんと、直登さんのところの動物たちとの対面でした。ドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」の主人公、ナオトこと松村直登さん。今回同行していただいたフォトグラファー太田康介さんの本「しろさびとまっちゃん~福島の保護猫と松村さんの、いいやんべぇな日々」のまっちゃん。原発事故後には全域が警戒区域に指定され、全町民避難となった富岡町に、「ひとりっきり」で残り、動物たちの世話を続けている松村さんのお家に少しだけお邪魔しました。

「忙しい人だし、約束したわけではないので、直登さんがいるかどうかは分かりませんよ。しろとさびと会って、遊べたらいいか、くらいの感じでお訪ねしましょう」と太田さんが言ってくれたので、軽い気持ちで向かったのでした。

「しろ」の子ども、黒ちゃん 撮影:松中みどり

「しろ」の子ども、黒ちゃん 撮影:松中みどり

緑の濃い田舎の道を進むと、松村さんが世話を続けている牛たちの姿が見え、松村さんの家の前には、ダチョウがいます。「触れますよ」と太田さんが言うので、おっかなびっくり、ダチョウのモモの大きな背中に触らせてもらいました。猫たちと遊んでいるうち、韓国からのお客様と話をしていた松村さんも帰ってきて、しばらくお話することが出来たのです。

韓国からのお客様と談笑する松村直登さん 撮影:松中みどり

韓国からのお客様と談笑する松村直登さん 撮影:松中みどり

すでに映画を何度も見て、本も読んでいたので、お家に上がってもとても初めてとは思えません。SNSなどでもやりとりをさせてもらっている松村さんは、思っていた通りの人でした。言葉はそのままで裏がなく、ちょっとやんちゃな明るい人柄。自然の中に溶け込んでしまうような雰囲気。そして、生きものへの、特に小さな命へのまっすぐな愛情が感じられました。一日動き回って頭も心もいっぱいになっていた筆者は、松村さんのところでは、取材ではなく本当に友だちの家に遊びに行ったような、なんでもないおしゃべりだけをして帰ってきました。とても心地よい空気が流れていて、思ったより長居してしまいました。どうもありがとうございました。

松村さんがいなければ失われた命がどれだけあるかと思うと、本当に「ありがとうございます」と何度も申し上げたい気持ちです。だけどやっぱり、「まっちゃん」は、自然体で気負いがなくて、お酒が入ると昔話が止まらないのです。電気こそ復旧しましたが、また水道は使えない富岡町のこのお家で、猫のしろ、さび、その子どもたち、犬の石松、ダチョウのモモが暮らしています。遅くなったからと腰をあげた太田さんと私を、なんとなく寂しそうに見上げた表情が心に残っています。外は、本当に真っ暗な富岡の夜でした。

松村直登さん  撮影:松中みどり

松村直登さん 
撮影:松中みどり

上、中、下の三部作となった福島のレポート、よかったら前の記事や関連記事を合わせてお読みいただけるとありがたいです。ここに登場したすべての皆さんに心からの敬意を表します。そして最後に、この取材に協力して下さり、何から何までお世話になった太田康介さんに、心からの感謝を申し上げます。「しろさびとまっちゃん」が多くの人の手にとってもらえるよう、これからも協力させていただきます。 アイデアニュース 松中みどり

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アイデアニュース有料会員向け【おまけ的小文】     直登さんのお父さんに作っていただいたラーメン (松中みどり)

思ったより長くお邪魔していた松村直登さんの家で、直登さんのお父さんにお目にかかりました。お母さんが震災後亡くなられているので、ひとりになったお父さんは、この頃よく富岡町の家におられるのだそうです。直登さん、太田さん、私が話している横で、カセットコンロでお湯をわかして、お菓子やコーヒーをすすめてくださいました。夜が更け、とうとうインスタントラーメンを作り始めたお父さん。「あ、おふたりは夕飯だから、切り上げなければ」と思ったのです。ですが、直登さんのお話は面白く、途切れなく、それにどうも鍋はかなり長くコンロの上にありました。「インスタントラーメンかと思ったけど、何か別の料理かも・・」と思っているうちに、私の前に一番に置いて下さったのが、このラーメン。「長く煮過ぎて、汁、なくなった。水でも足すか?」とおっしゃりながら。いえいえ、よく煮込まれて味のしみた柔らかいラーメンが、疲れた体と心を満たしてくれました。美味しかったです。お父さん、ありがとうございました。ごちそうさまでした。

直登さんのお父さんのラーメン 撮影:松中みどり

直登さんのお父さんのラーメン 撮影:松中みどり

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