映画「with…若き女性美術作家の生涯」が生み出したもの:(1)

佐野由美さん=映画『with…若き女性美術作家の生涯』より

14年前に公開された一本のドキュメンタリー映画がある。テレビドキュメンタリーを映画化したその作品は、劇場上映を経て、観た人の手によって全国各地で自主上映し続けられ、14年経った今もなお、人から人へ、上映の輪が広がり続けている。映画のタイトルは『with…若き女性美術作家の生涯』(監督/プロデューサー・榛葉健)。阪神・淡路大震災で被災した当時大学生だった佐野由美さんが、大学卒業後に単身でネパールに渡り、スラムの小学校でボランティア教師をしながら子どもたちと向き合い、自分にできることを考えて懸命に取り組み、美術作家として、一人の人間として生き方を深めていく姿を映した作品だ。

佐野由美さん=映画『with…若き女性美術作家の生涯』より

佐野由美さん=映画『with…若き女性美術作家の生涯』より

主人公の佐野由美さんは、神戸市長田区で生まれ育った。幼いころから絵を描くのが好きだった由美さんは、大阪芸術大学美術学科に進学。在学中の1995年1月17日、阪神・淡路大震災に遭い、発生3日後からリアルタイムでイラスト日記を描き始めた。「食べ物がない日々の中、“生きる・死ぬ”の問題と背中合わせの時に描いた」(*)という由美さんの震災日記は、長田のまちを描いたイラストとエッセイとともに書籍化され、98年に『神戸・長田スケッチ 路地裏に綴るこえ』(六甲出版/2014年 株式会社くとうてんが復刻版を発行)を刊行。当時、神戸でベストセラーになった。(*『神戸・長田スケッチ 路地裏に綴るこえ』p.6「はじめまして」より)

大阪の毎日放送に勤める榛葉健さんが由美さんと出会ったのは、この本がきっかけだった。阪神・淡路大震災では15本のドキュメンタリー番組を制作した榛葉さん。由美さんが描いたイラスト日記から、長田の下町の人たちが困難な状況の中で工夫を凝らしながら、たくましく生きる姿を感じた。自宅が全壊し、自らも避難生活を送った由美さんについて「大変な境遇の中で日々の体験をポジティブにとらえていく表現の仕方に私は魅力を感じました。被災した当事者が、ポップな言葉遣いで描くことに魅かれ、ああ生きるって、そういうことかなとも思いました」と語る。

由美さんは大学卒業と同時に、単身でネパールへ渡った。北をチベット自治区、三方をインドと接し、ヒマラヤ山脈が東西に連なるネパールには、36以上の民族があり、カースト制度の差別意識が根深く残る。由美さんにとっては大学時代、ボランティアとして孤児院で3週間を過ごした国だった。先進国・日本からアジアの最貧国といわれるネパールへ。さらには、由美さんがボランティアを行ったパタン市のラリット福祉小学校は、スラム街にある。彼女はそこで1年間滞在することを、自ら望んだ。「この人たちの中に溶け込んで、生活習慣を自分のものにしたかった。そうしないとその人たちの持っているものは解らない。人が解ってこそ描ける絵があるんじゃないかと思うんです」(映画『with…若き女性美術作家の生涯』より)とネパールで由美さんは話し、「自分の美術を社会の中で意味のあるものにしたい」という志を抱き、子どもたちや貧しい中で生きる人々と交わり、人間をまっすぐに見つめ、描き続けた。

『with…若き女性美術作家の生涯』チラシ

『with…若き女性美術作家の生涯』チラシ

由美さんのことは、1999年から被災地の人々の「その後の生き方」を見つめるヒューマンドキュメントシリーズの1本としてテレビで紹介された。由美さんの大学卒業前からネパールで生活した3年間を追ったその番組には多くの反響が寄せられ、世界各地のテレビ番組コンテストに出品されると幾つもの国際賞を受賞した。その後、テレビ版を拡大した映画『with…若き女性美術作家の生涯』が、2001年末に誕生した。

映画には、想像を超える現実が映し出されている。「観てくださる一人ひとりの人生とどこか結びついて、自分ならどうするだろう、この状況を前にしてどう生きていけばいいのだろうと自らに問いかけたくなる、誘発する力が『with…』にはあるように思います」。公開以来14年間ずっと、全国各地の上映会に出向き、講演を行い、観客と直接交流を重ねてきた榛葉監督は、そう実感している。

由美さんの生きざまに触発され、青年海外協力隊に応募してアフリカのマラウイに行き、ボランティア教師を2年間やりとげた人がいる。中学で開かれた上映会で『with…』を見て、その後看護師の道に進んだ女性もいる。当時の由美さんと同じ23歳のときに劇場で映画に出会い、彼女の生き方に突き動かされ、生まれ育った町で、中学の同級生たちと力を合わせて継続して自主上映会を開いている若者もいる。これまでに6回、『with…』を観た筆者もまた、書かずにはいられない思いにかられて今、記事を書いている。

2015年4月25日、ネパールで犠牲者が8千人を超える大地震が起きたとき、榛葉監督は考えた。「『with…』に力があるとすれば、観てくださった方々がネパールの現実に心を寄せてくださるかもしれない。ネパールの大地震に対して、リアリティーをもって向き合っていただく手がかりに、或いは一緒に何か行動を起こすきっかけになりうる映画だ」。

映像表現を通して、世の中が少しでもいい方向に進むのであれば、やる。14年前の映画を、より多くの人々に観てもらえるような新しい仕組みを考えた。

連載2に続く。<7月23日(木)掲載予定>

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ドキュメンタリー映画『with…若き女性美術作家の生涯』公式サイト
http://with2001.com/

上映会場「天劇キネマトロン」大阪市北区中崎西1-1-8
http://amanto.jp/groups/tengeki/httpamanto-jpgroupstengekiaccess/

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アイデアニュース有料会員向け: 「with」のあとに続く「…」について考える

榛葉監督は、上映後の講演会で観客に、ある問いを投げかけています。それは、タイトル『with…』の「with」のあとに続く「…」の部分についてです。「あえて伏せ字にしたのは、皆さんにとってのwithに続く言葉を入れていただきたいからです」と榛葉監督は言います。映画の主人公の佐野由美さんは、日本を発つとき、スーツケースにはアルファベットを組み合わせたステッカーで「AMBITION」と書かれていました。“with ambition”、由美さんは志を抱いて、新天地へと向かったのです。

『with…』は、いろんな感じ方ができる映画です。映画を観て、講演を聴くたびに、筆者にとってのwithに続く言葉は何だろうと考えるのですが、その時々の心境で感じ方が変わり、まだしっくりくるものが見つかっていません。そう、『with…』は繰り返し観ていても、たやすく答えの出る物語ではないからです。だから、考え続ける。問い続ける。観終った後もずっと、現在進行形なのです。今回の連載に取り組みながら、自分なりのwithに続く言葉を考えていきたいと思います。

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