「平家物語」に登場する那須与一(なすのよいち)。敵の小舟に掲げられた扇の的を見事一矢で仕留め、その名を全国に知らしめました。あれから830年。那須家37代目の子孫に会うため、栃木県大田原市で開催されていた「与一弓道大会」へ行って来ました! 大田原市は那須与一が生まれ育った故郷であり、ゆかりの場所が多数あります。
合成音声による読み上げ
8月に大田原市の那須与一伝承館を訪ねたとき、館長の髙田裕先生と学芸員の前川辰徳先生と話していて、那須家のご当主が来月、大田原に来られるという情報を入手しました。これは会いに行かないと! 何が何でも那須さんに挨拶に行きたい!
■那須与一のお墓がある玄性寺で開かれた「第32回 与一弓道大会」
会場となる「玄性寺(げんしょうじ)」には、与一のお墓(※分骨)と那須家代々の領主が眠る合祀碑があります。※与一の墓と伝わるものは全国にいくつかありますが、全て与一の遺言で分骨されたものだそうです。最期を京都市東山区にあるお寺「即成院(そくじょういん)」で迎えられ、そこにお墓(平安時代末期に造られたとされる3メートルの供養塔)があります。
与一弓道大会は今年で32回目の開催となります。当日は朝の8時過ぎに玄性寺に集合。受付をすませて館長の髙田先生と共に来賓用のテントへ。
■830年の歴史を持つ「福原餅つき唄」。与一まつりでご一緒した方々が奉納
福原餅つき唄も奉納されました。見覚えのあるお顔が揃っているなーと思ったら、8月の与一まつりでご一緒させていただいた方々でした。餅つき唄の歴史は古く、義経の家来として那須十郎(兄)と与一の2人が旅立つ時に、福原の民が出陣を祝って代わる代わるついたのがはじまりだそうです。市指定無形民俗文化財に指定されています。
福原餅つき唄
一. 那須の与一公は色白で、おとこ美男で旗頭
一. 福原の温泉林の八重桜、八重につぼんで九重に咲く
一. 九重が十二ひとえに咲くならば 温泉林は花でかがやく
一. 友達がたまにきたのになにもない 天上とぶ鳥がんの巻物
一. 巻物をといてのばして酒肴 ひとつおあがり菊の玉酒
一. 白河の天守やぐらのはねつるべ こんどよく見なあがりさがりを
一. このもちはいくらついたと聞いたなら ニ石三石八おけ八かます
※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分では、那須家37代目の当主の那須正美さんにお会いした時のことや、うかがったお話などについて紹介しています。与一弓道大会などの写真を集めたフォトギャラリーも掲載しています。
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■やっと会えた那須家37代目の当主。どことなく歴代那須家の領主のお顔立ちに似て
■どれだけ兄弟が多くても、家や代々伝わる宝物などは全て、領主になった者一人が継いで
■36代当主が決断。国重要文化財の太刀などの貴重な資料を「那須与一伝承館」に
■友好親善都市の井原市(岡山県)は、与一が頼朝から与えられた荘園の一つ
■一鏑優萬朶。与一が放った一矢は吉野に咲き誇る何万本の桜の美しさにも勝る
■フォトギャラリー
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■やっと会えた那須家37代目の当主。どことなく歴代那須家の領主のお顔立ちに似て
そして、やっと会えた那須家37代目の当主!那須正美(なすまさみ)さん。どうやら伝承館が取り次いでくださったみたいで、私が那須与一好きだということを既に知っておられました。本物…。憧れの那須与一の子孫!
開会式からずっとご当主の横でお話を伺っていました。那須家のこと、趣味や特技に至るまで話題が尽きることがなく、意外な一面が知れて本当に楽しい一時でした。
■どれだけ兄弟が多くても、家や代々伝わる宝物などは全て、領主になった者一人が継いで
前からずっと気になっていて、お会いしたら絶対に聞いてみたいと思っていた疑問にも快く回答してくださいました。「なぜ、那須氏の子孫の方々は少ないのか」これは、色々と調べているうちに不思議だなーと思いはじめていたのですが…。
那須城主の那須資隆(なすのすけたか)の11番目の息子が与一なのは皆さんご存知だとは思いますが、扇の的を射抜いたあとの話で那須家の家督を継いだのは与一でした。「元々家が城持ちで兄が10人もいれば、今頃那須家の家系図は物凄い人数になっているに違いない」と考えるのが普通なのですが、不思議なことに大田原では「那須」という名字をほとんど見かけません。そればかりか那須家に代々伝わる太刀や鎧、古文書なども市外では全く見かけません。なぜなのか。
その答えをご当主から聞くことができました。なんと、どれだけ兄弟が多くても、家や代々伝わる宝物など全てその領主になった者一人が全てを継ぐそうです。那須家の歴史を紐解いてみると、一族の危機が何度か訪れていたり、一度途絶えてしまっていたりとギリギリのラインで何とか今の37代目ご当主の代まで繋いできた命だということが分かりました。
■36代当主が決断。国重要文化財の太刀などの貴重な資料を「那須与一伝承館」に
膨大な数の那須家の宝物を守るため、今のご当主の一代前の36代当主は大きな決断をします。大田原市での伝承館建設計画にともない、貴重な資料の数々を預けるというものでした。
2007年10月。那須与一伝承館がオープンし、那須与一が屋島の戦いで身に着けていたとされる国の重要文化財太刀銘成高(たちめいしげたか)や大鎧(復元)、弓、豊臣秀吉や上杉謙信から送られた書状など貴重な宝物が展示されています。人目に触れることもなく歴代領主により大切に保管され続けていたため、ここでしか見ることが出来ない大変貴重なものとなっています。
■友好親善都市の井原市(岡山県)は、与一が頼朝から与えられた荘園の一つ
2015年9月には、東京スカイツリーで大田原市(栃木県)と井原市(岡山県)の友好親善都市盟約30周年記念イベントが開催されました。井原市は与一が扇の的を射た功績で頼朝から与えられた荘園の一つです。その記念イベントのポスターと漫画を手がけたのが文星芸術大学4年山口明日香さん。大田原市在住で、私と同様に那須与一の伝承を伝えていきたいと強く願う同志の一人です。
■一鏑優萬朶。与一が放った一矢は吉野に咲き誇る何万本の桜の美しさにも勝る
一鏑優萬朶(いってきばんだにもまさる)。那須家が大切にしている言葉だそうです。与一が放った一矢は吉野に咲き誇る何万本のしだれ桜の美しさにも勝る、という意味。たった一矢で見事扇の的を射抜き、敵味方関係なく賞賛された与一。そこから学ぶ彼の生き方、考え方を那須家の歴史を通して次の世代に伝えて行きたいです。
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