インタビュー:鎧を手作りして着る楽しさ、「大鎧を愛でる会」のLapisさん

Lapisさん

平安時代から鎌倉時代、武士の中でも上級の武将がつけていた「大鎧」(おおよろい)。この鎧を、本物と見まごうばかりに精密に手作りして、自ら着用してイベントなどに参加している女性がいます。アイデアニュースの独自インタビューの第一弾として、「大鎧を愛でる会」(おおよろいをめでるかい)のLapisさんに、お話をうかがいました。

「大鎧を愛でる会」のLapisさん=写真・Lapisさん提供

「大鎧を愛でる会」のLapisさん=写真・Lapisさん提供

日本の鎧は、大きく分けると、平安時代から鎌倉時代にかけて主に「弓矢」で戦った時代の鎧と、戦国時代に槍や鉄砲で戦った時代の鎧に分かれます。五月人形などでよく見る頭にかぶる兜の左右に大きな「吹き返し」がついているのが大鎧の兜で、吹き返しは飛んできた弓矢を跳ね返すために作られていました。戦国時代の兜に吹き返しはなく、全体に体にピッタリした鎧になります。

鎧を手作りすることを趣味にしている人はそれなりにいますが、大鎧を作る人となると少なく、さらに女性で大鎧を手作りしている人は珍しいとのこと。そもそもなぜLapisさんは大鎧作りに興味をもったのかをたずねたところ、Lapisさんのご先祖さまの話が出てきました。

「Lapis」は本名ではなく、「コスネーム」というコスプレイヤーの間で使うニックネーム。彼女は佐賀県の生まれで、祖母の家系(一族)の姓は「納富」(のうどみ)といい、鳥羽院(平清盛が生きた時代の天皇・上皇)の荘園があった場所に住んでいた桓武平氏とのこと。Lapisさんは母親らから平氏・源氏の話を何度も聞いて育ち、幼いころにちょうどNHKテレビで人形劇の平家物語(人形歴史スペクタクル 平家物語)が放映されていたことも重なって、「ご先祖様は、かわいそう。源氏は悪いやつ」だとずっと思っていました。ところが、社会人になって、あらためて「平家物語」をきちんと読んでみたところ、「源氏にも言い分はある」と思うようになり、そのうち源氏の弓の名手「那須与一」に惹かれるようになっていたのが、「大鎧を愛する会」につながっていったと言います。

いつかは大鎧を作ってみたいという「野望」はあったものの、いきなり作るのは無理なので、まずはコスプレ用の衣装の作り方を学ぼうと、三国志の周瑜(しゅうゆ)からスタートし、さまざま衣装を作ってコスプレイヤーの集まりなどに参加。昨年(2014年)になって、「そろそろ大鎧を作ってもいいかな」と思い、半年がかりで作ったのが、今回、アイデアニュースで紹介している大鎧です。

大鎧の後ろ=撮影・Lapisさん

大鎧の後ろ=撮影・Lapisさん

威し終えた「大袖」。仕事の合間に製作して、これだけで約1ヶ月かかったという=撮影・Lapisさん

威し終えた「大袖」。仕事の合間に製作して、これだけで約1ヶ月かかったという=撮影・Lapisさん

大鎧のコスチュームを制作するうえで一番大変だったのは、平紐(ひらひも=ひらべったいひも)で、鎧を威してゆく(おどす=つづり合わせてゆく)こと。実際の鎧は、固くなめした小さな革を重ねたものを、平紐で威してゆきますが、コスプレなので、プラスチック版(ポリプロビレンの板)に穴をたくさんあけて、そこに平紐を通していって、実際の鎧と似た感じに見えるように作っているとのことでした。

作成方法をいろいろうかがって、一番「へえ~~」と思ったのは、兜の表面についているブツブツの鋲(星)を「綿棒」で作ったという話。実際の兜は、鉄の板を何枚もつないで丸くしているので、つないでいる部分がブツブツの鋲になっているのですが、Lapisさんはホームセンターで工事用のヘルメットを買ってきて、それに綿棒の先を切ったものをくっつけて「鋲」に見えるようにしたそうです。また、実際の兜で板と板の境目に見えている線は、携帯電話などに使う黒い電線を切って、ヘルメットに貼りつけているそうです。

兜の上の黒いブツブツが綿棒で作った「鋲」=撮影・Lapisさん

兜の上の黒いブツブツが綿棒で作った「鋲」=撮影・Lapisさん

Lapisさんは、美大(九州造形短期大学・油絵科)を卒業して、大阪のデザイン事務所に就職したという、デザインの専門家。だから、大鎧の革の部分に描かれている絵柄は、半端なく美しいものです。この絵柄は、専門書などに出ている「絵韋」(えがわ=絵の革)と呼ばれる本物の大鎧の絵柄を自分で写し取ったもので、カッターで絵柄の部分に穴をあけたものを作り、その中にインクを落として描いていったそうです。

専門書に出ている図を見て、自分で「絵韋」(えがわ)を再現する=撮影・Lapisさん

専門書に出ている図を見て、自分で「絵韋」(えがわ)を再現する=撮影・Lapisさん

朱を入れたあとに黒を入れる。ドライヤーで乾かしながら慎重に=撮影・Lapisさん

朱を入れたあとに黒を入れる。ドライヤーで乾かしながら慎重に=撮影・Lapisさん

Lapisさんが大好きな「那須与一」は、屋島での「源平合戦」で、揺れる小舟の上に掲げられた扇の的をはるかかなたから射抜いたという話で有名な源氏の武将。与一が幼少時代を過ごしたと言われる栃木県大田原市では、観光協会がキャラクター「与一くん」を作り、大田原市をPRしています。Lapisさんは「与一くん」の公認アテンド(付き添い)となっており、ゆるキャライベントなどで「与一くん」をサポートしています。

兵庫県三田市で=写真・Lapisさん提供

兵庫県三田市で=写真・Lapisさん提供

Lapisさんのブログ「大鎧を愛でる会」(http://ameblo.jp/0327-15210/)には、大鎧をつけて白馬にまたがったLapisさんの写真が掲載されていますが、私が「これは本当に馬に乗っているんですか?」と聞くと、「そうですよ。大山乗馬センターで馬に乗って撮影したんです」とのこと。Lapisさんは現在、鳥取県鳥取市にお住まいで、鳥取の大山(だいせん)のふもとにある大山乗馬センターで馬に乗った写真を撮影したとのこと。面白いのは、Lapisさんが何度も大山乗馬センターでコスプレをしているうちに、大山乗馬センターには「コスプレDE乗馬」というコースが登場し、そのページにはLapisさんの写真も多く掲載されているという話でした。

大山乗馬センターの「コスプレDE乗馬」のページはこちら →http://my.sanin.jp/site/page/uma/cospure/

白馬にまたがって(大山乗馬センターにて)=写真・Lapisさん提供

白馬にまたがって(大山乗馬センターにて)=写真・Lapisさん提供

大山乗馬センターにて=写真・Lapisさん提供

大山乗馬センターにて=写真・Lapisさん提供

ちなみに、那須与一が船の上の扇を射抜いたという源平合戦の舞台、屋島のある香川県高松市では、2015年8月8日から9月19日まで「むれ源平石あかりロード」というイベントが開かれる予定で、Lapisさんによるとこのイベント期間中に「与一くん」が初めて屋島に遠征することが決まったとのこと。Lapisさんも、都合があえば「与一くん」とともに屋島に初遠征したいと話していました。

「むれ源平いし明かりロード」のホームページこちら →http://www.ishiakari-road.com/

インタビューの最後で、Lapisさんの今後のビジョンをうかがったところ、「これを言うと笑われてしまうんですが、東京オリンピックの開会式に出たいなぁと思っています」とのこと。戦国時代の鎧については戦争のイメージが強いけれど、平安時代の大鎧は芸術的だし外国人にも人気があるし、きっと受けると。お土産としても大鎧が売れたら日本の経済にも貢献できるし、「5年後には必ず日本ブームが来るので、その時に向けて、みんなで大鎧を今のうちに制作しましょう」と、Lapisさんの夢は広がってゆくのでした。

Lapisさんのブログ「大鎧を愛でる会」は、こちら →http://ameblo.jp/0327-15210/ (「大鎧を愛でる会」は「会」という名前になっていますが会員制組織ではなく、ブログの名前です)

Lapisさんの大鎧コスチュームの制作方法については、写真を多数使って詳しく紹介した記事を近日中にアイデアニュースに掲載する予定です。ご期待ください。

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<アイデアニュース関連記事>
真田幸村のキャラクター「幸丸くん」アテンド、たまきちゃんインタビュー
→ https://ideanews.jp/backup/archives/14016
源平ゆかりの香川県・屋島に「那須与一」が登場、Lapisさんのコスプレ報告
→ https://ideanews.jp/backup/archives/9545
連載:「大鎧の作り方」(2) 太史慈、ライトニングの斬鉄剣
→ https://ideanews.jp/backup/archives/6660
連載:「大鎧の作り方」(1) 初めて作った全身甲冑は「呂布」
→ https://ideanews.jp/backup/archives/6656
インタビュー:鎧を手作りして着る楽しさ、「大鎧を愛でる会」のLapisさん
→ https://ideanews.jp/backup/archives/4171

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アイデアニュース有料会員向け【おまけ的小文】  大鎧の兜のてっぺんにあいている「穴」は、何のために?(橋本正人)

筆者の橋本は、じつは騎士ものの映画が大好きで、鎧をつけた騎士がどのように戦ったかなどについて書かれた本を持っていたり、京都で鎧を身に着ける「武将体験」をしたこともあるので、知人から「大鎧を手作りしている女性がいる」と聞いた時は、ぜひ取材したいと思った次第です。

少々マニアックですが、鎧に関して、私が前から疑問に思っていた「大鎧の兜のてっぺんには、なぜ穴があいているのか」については、ぜひLapisさんに聞いてみたいと思っていて、インタビュー当日も、その話題にずいぶん時間を割いてしまいました。

Lapisさんが作った兜のてっぺんにも穴があいている=写真・Lapisさん提供

Lapisさんが作った兜のてっぺんにも穴があいている=写真・Lapisさん提供

インターネットなどで調べると、兜の頂点の穴は「天辺の穴」「八幡座」「葵座」など呼ばれ、平安時代から鎌倉時代の兜にはあるものの、時がたつにつれて穴の大きさはどんどん小さくなり、戦国時代の兜では無くなってしまったものだそうです。穴があいていた理由としては、大きくわけると、(1)穴から髪の毛を出していた説、(2)頭が蒸れるの防ぐためだった説、(3)神様がこの穴から入ってくるという意味であけていたという説、の3つがありました。

当時の武将は、胸ぐらいまで届くロングヘアで、その長髪を頭の上で棒状にたばねた「まげ」(髷)を結っていました。兜をかぶった時は、その「まげ」が邪魔になるので、兜の頂点の穴から出していたという説です。普段は髷の上に烏帽子をかぶっていたので、兜をかぶった時は、烏帽子をこの穴から出していたという話です。ただ私は、「まげ」を兜のてっぺんから出しても、動くと外れてしまうし、まげを縛ってどこかに固定したら、動くたびに髪の毛がひっぱられて痛くて仕方ないので、あまり実用的ではないのではと考えていたのです。Lapisさんに意見を聞くと、「ダサいですよね」とのこと。さすが、女性らしい反応ですが、武具では「カッコ良さ」というのも大きなポイントなので、ちょろっと髪の毛や烏帽子が出ていることになるのは、どうかなと思いました。

では、頭が蒸れるのを防ぐためだったのか。もっともらしい説ですが、兜をかぶるのは夏ばかりとは限らないし、冬は穴があいていると寒いし、雨が降ると頭や顔が濡れてしまって大変です。私は若いころにオートバイに乗っていたのでヘルメットは使い慣れていましたが、てっぺんに穴のあいたヘルメットなんて、雨の日には使い物になりません。(オートバイ用のヘルメットには、蒸れ防止のための風を外に逃がすための穴が上部にあいているものもありますが、雨が入らないようにカバーがついており、真上に開いた穴が堂々とあいている大鎧の兜とは違う構造です。

では、神様が穴から入ってくるためにあけていたという説が正しいのか。ある程度実用性を犠牲にしても宗教上の理由でどうしてもそうしたいという思いがあったと考えるのは一番説得力があり、Lapisさんも「私もそうだと思います」とのことでした。神様が守ってくれるため、冬場にどんなに寒くても、雨がふってきたら頭が濡れてしまったも、我慢したということでしょうか。

技術劇にも頂点の部分に穴をあけた形で兜を作るのは難しく、穴の周りは金色に飾られて装飾性の高い部分になっていました。Lapisさんは「あの穴あけるのって、結構、大変なんですよ。カッターナイフで小さな穴をあけてから、やすりで磨いていって、作りました」とのこと。大鎧の兜の頂点の穴、Lapisさんがきっちりと作ってくれていて、嬉しくなりました。

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