平安時代から鎌倉時代、上級の武将がつけていた「大鎧」(おおよろい)をコスプレ用に手作りしている「大鎧を愛でる会」(おおよろいをめでるかい)のLapisさん。これまでもアイデアニュースに何度か登場いただいていますが、彼女がアテンド(ゆるキャラなどの紹介者)をつとめている栃木県大田原市のご当地キャラクター「与一くん」とともに、源平合戦ゆかりの香川県・屋島を訪問した時のレポートをLapisさんに書いていただきました。(アイデアニュース編集部)
8/28(金)曜日は、高松市役所(香川県)へ表敬訪問に行って来ました。ご当地キャラクターの与一くん(栃木県大田原市)のアテンドとして、加藤副市長と岡下市議会議長にご挨拶することができました。むれ源平石あかりロード実行委員長の松山さん、副実行委員長の新谷さんとその他の実行委員の方々が協力してくださり、この夢のような訪問が実現しました。実行委員の皆様、高松市役所関係者の方々、本当にありがとうございました。
●屋島についてのおさらい
平家物語の中に「扇の的」という話があります。学生時代に、古文の授業で習った方もいらっしゃるかと思います。海に平家、海岸沿いに源氏の軍が対岸し、平家の扇の的を見事一矢で射抜いた源氏の武将、那須与一の話です。屋島の戦いの後の(夕刻の出来事だとされている)話で、今から800年以上も前に実際に起こった出来事です。屋島は今の香川県高松市にあり、現在でも屋島(やしま)・庵治(あじ)・牟礼(むれ)周辺にはたくさんの源平ゆかりの史跡が残っています。
●那須与一(なすのよいち)とは
今の栃木県大田原市で幼少期を過ごし、やがて義経の軍に加わり、屋島の戦いで功績をあげました。父の名は那須資隆(なすのすけたか)。那須城の城主で、与一は資隆の11番目の子として生まれました。幼い頃から弓の腕が優れており、大田原周辺には現在も幼少期の逸話がたくさん残っています。そんな、弓の名手として名高い那須与一が扇の的を射抜いたことで、その功績を称えられ11番目の子であるにもかかわらず、那須家の家督を継ぐ事になります。
●石あかり実行委員の方々、大田原市の方々と屋島山頂で食事会
●800年のときを経て、屋島の地に再び…
今回の与一くんの高松訪問は、源平好きからするととても貴重で、歴史的に見ても記念すべき日となりました。「那須与一」の名を全国に知らしめることとなった屋島の戦い。原点となったこの地に、与一くんを再び導く事が出来て大変嬉しく思いました。
お世話になった方々、本当にありがとうございました!
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●「那須与一、扇の的を射抜く」絵に隠されたひみつ
(絵を見れば、それを描いた作者がどれだけ理解しているのかが分かる)
パソコンの普及で便利な世の中になりました。ググれば(検索すること)載っていない情報なんてほとんどありません。「那須与一」と検索をかければ、文章や絵がたくさん見られますよね。しかし、情報が溢れかえりすぎててどれが正しい答えなのか分からない場合もあります。結局は、自分で一つ一つ地道に調べていくしかありません。
私も普段から検索はよく利用しますが、あくまで参考に見るだけで実際に現地に足を運び、自分の目で確かめて学ぶことのほうが多い気がします。もしかしたら、パソコンの情報では分からなかった新しい発見があるかもしれません。現地の人と交流することで、面白い出来事に遭遇するかもしれません。そう考えると、ワクワクしてきますよね。10年程前に、那須与一の鎧の色(威紐)についてパソコンで検索したことがあり、たくさんのイラストや絵が出てきました。どれも様々な色の鎧で、真実に近そうなものは見つかりそうにありません。最後は自分で平家物語を購入して読むことにしました。
色々と調べていくうちに、段々分かって来た事がありました。それは、きちんと平家物語を読んだ人が描いている那須与一は、屋島の戦いのときに身に付けている鎧の色(威紐)が「萌葱色(もえぎいろ)」(※深い緑色)であること、更に乗っていた愛馬の「鵜黒の駒(うぐろのこま)」が黒い毛並みの馬であったこと、この2つのポイントがきちんと描かれているということです。案外こんな簡単なポイントも理解せずに描いている絵が多くてビックリしました。与一は那須家のおぼっちゃまなので、下級武士が着用していた胴丸ではなく当然大鎧を身に着けていたでしょう。
更に、もっと詳しい人が描いた場合…。おそらく、このレベルになると屋島周辺に住んでいる人か、那須家に関係のある人、専門家しか分からない情報があります。それは、背景に「屋島」が描かれているかどうか。流石にこれは、現地へ行ってその景色を見ないと分からないでしょう。与一が弓を放ったとされる駒立岩付近に立ってみれば分かります。高松市に行った時に見つけたマンホールの絵にもしっかりと描かれているのですが、さすが地元。背景の位置関係も完璧に表現されていますね。手前に与一、奥に平家の舟、背景に見える平たい山が屋島です。むしろ、屋島が背景に入ってない絵は屋島の戦いとは無関係と言いたいぐらいです。
この3つのポイント(1.大鎧の色が深緑、2.馬の毛色が黒、3.平家の舟が描かれている場合、その奥に屋島が見える)がきちんと描かれている那須与一の絵は、意外にありません。
知られているようで案外知らない、那須与一の扇の的を射抜く絵の裏話でした。