ミュージカル『生きる』が2020年10月9日から日生劇場で上演中です(10月28日まで。のち、11月2日から11月3日まで富山・オーバードホール、11月13日から11月14日まで兵庫・兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール、11月21日から11月22日まで福岡・久留米シティプラザ ザ・グランドホール、11月28日から11月30日まで愛知・御園座でも上演)。遅くなりましたが、開幕直前に実施されたゲネプロの模様を紹介します。(※このレポートは、渡辺勘治役が鹿賀丈史さん、小説家役が新納慎也さんの組み合わせの回を観たものです)
この作品『生きる』には、「私は何を残しただろう」というテーマが貫かれています。ひと度生を受けた者は、いつか必ずこの世を去る。その時に「私はこれを残した」と、胸を張って言える人が果たしてどれくらいいるでしょうか。それほどこのテーマは深く、重いのです。だからこそ、作品の主人公・渡辺勘治が、限りがあると明確にわかった人生の最後の日々をかけて、市民の為の、何より未来の子供たちの為の公園を作ろうとし、実際にそれを実現させて一人ブランコを漕ぐ、あまりにも有名な原作映画の名シーンが深く心に刺さります。自分の心に確かな「私が残したもの」を得た渡辺は、紛れもなく市井の人のヒーローです。『生きる』はそんな滋味深いヒューマニティを描いた映画なのです。
そんな風に、この映画が名作だということは誰もが認めるところでしょうが、ひとたびこの映画がミュージカルになる?と考えた時に、やはり「そう来たか!」と膝を打つ感覚よりも、驚きの方が大きかったのが初演の企画発表時点での正直な感想でした。作品の静かなる一個人の闘いと、ミュージカルの世界観とが結びつく感覚は決してストレートに結ばれるものではありませんでした。
けれどもこの映画をミュージカルにしようとした、全ての人々に感じる敬意は、今回の2020年版再演に接して、ますます大きく膨らんでいきました。舞台の中央に印象的に位置する大時計が、渡辺の永遠に変わらないと思われた日常に、突然人生のカウントダウンを刻みはじめる。その懊悩や迷い、更にそこからの決断と前進が、音楽に乗せて、時に猥雑なまでにカラフルなダンスシーンや、時に切々と胸を打つ絶唱で綴られていく様がなんとも見事なのです。ここには、数々のミュージカルナンバーによって、感情とドラマが一気に飛翔していく「ミュージカル」という世界の持つ力が、ふんだんに活かされた強みがあります。
特に、新しいことをしようとして役所内で孤立していくばかりか、男手ひとつで育てた息子との隔たりも深まり、果てはやくざ者に襲われさえする渡辺の苦難が、音楽の中で描かれていくことで、ドラマのスピード感が落ちないのが素晴らしいのです。だからこそ、畳みかけるクライマックスへの怒涛の展開のあとで迎える、終幕の美しさには息を飲みます。ここには、日本のミュージカル界が今後更に次々と手掛けていって欲しい、日本生まれのオリジナルミュージカルへの創造にとってのひとつの道筋、大きな希望が示されていると感じさせられます。
思えば不朽の名作ミュージカルとして輝く『レ・ミゼラブル』も、ビクトル・ユゴーの原作世界に立ち返れば、これをミュージカルにしようと、はじめに考えた人の発想力も、計り知れないものです。そう思うと、黒澤映画の「生きる」をミュージカル化しようとの着想もまた、意表をついたものだったからこそ、これだけの鉱脈を掘り当てたとも言えるのではないでしょうか。ミュージカルの魅力を知り尽くした宮本亞門さんならではの、時にコケティッシュに、時に華やかに場を弾ませて物語を牽引していく力も、再演に際して更にブラッシュアップされていて、一層の起伏とテンポの良さを感じさせます。
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<有料会員限定部分の小見出し>
■日本のある時代までの家長を体現している渡辺の苦みが、鹿賀の個性に合って
■自由人に見える持ち味を生かした新納。初演よりも更に説得力を深めた歌いぶり
■大人な個性に瑞々しさを生むMay’n、キュートで内面表現にハッとさせられる唯月
■思考が短絡的になる光夫役、村井の伸びのある歌唱と温かな資質が押し上げ
■助役役の山西惇、組長役の川口竜也ら、ミュージカル界の常連組が底支え
■懸命に生きる美しさを描いた、上演を重ねるべき日本産オリジナルミュージカル
<ミュージカル『生きる』>
【東京公演】2020年10月9日(金)~10月28日(水) 日生劇場
【富山公演】2020年11月2日(月)~11月3日(火・祝) オーバードホール
【兵庫公演】2020年11月13日(金)~11月14日(土) 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
【福岡公演】2020年11月21日(土)〜11月22日(日) 久留米シティプラザ ザ・グランドホール
【名古屋公演】2020年11月28日(土)~11月30日(月) 御園座
公式サイト
http://www.ikiru-musical.com
<キャスト>
市村正親、鹿賀丈史、
村井良大、新納慎也、小西遼生、May’n、唯月ふうか、山西惇、
川口竜也、佐藤誓、重田千穂子、
治田敦、林アキラ、松原剛志、上野聖太、鎌田誠樹、砂塚健斗、高木裕和、福山康平、飯野めぐみ、あべこ、彩橋みゆ、五十嵐可絵、石井亜早実、河合篤子、中西彩加、竹内真里、高橋勝典、市川喬之
<クリエイター>
作曲・編曲:ジェイソン・ハウランド
演出:宮本亞門
脚本・歌詞:高橋知伽江
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■日本のある時代までの家長を体現している渡辺の苦みが、鹿賀の個性に合って
そんな中で、鹿賀丈史さんの渡辺勘治と新納慎也さんの小説家との組み合わせを観ましたが、鹿賀さんが重ねた俳優としての経験の全てがこの役柄に生きています。それこそ『レ・ミゼラブル』初演のオリジナルメンバーとして、ジャン・バルジャンとジャベールを交互に演じ、のちにジャベールを持ち役にしていった鹿賀さんの中にあった、どこかヒヤリとさせる鋭利なものが、年齢を経て枯淡の風格を帯びて来たことが、大きな効果を生んでいるのです。それによって、諦観からはじまる渡辺の人生が、このまま死んでなるものかという、本人さえ気づかぬままに胸の奥にあった情熱に火をつけていき、一幕終幕の「二度目の誕生日」のナンバーにつながる流れが圧巻。ジェイソン・ハウランドさんの楽曲、高橋知伽江さんの歌詞、鹿賀さんの絶唱の全てがかみ合った名場面は忘れ難いものになりました。息子に対して虚勢を張る、日本のある時代までの家長を体現している渡辺の苦みが、鹿賀さんの個性に合っているのもやはり貴重です。
■自由人に見える持ち味を生かした新納。初演よりも更に説得力を深めた歌いぶり
その渡辺を面白がり、ちょっと生き方を変えてやろうと思っていたはずが、いつしか彼の信念に感化され、息子をはじめとした周りの全てに誤解されることを厭わない渡辺を、遂には救う役回りを果たしていく小説家の新納慎也さんの、役への深い理解がドラマを快調運んでいきます。作中ストーリーテラーとしての役割も兼ねているだけでなく、渡辺に味方せずにはいられない観客の心理に最も寄り添ってくれる役どころだけに、一見して遊び慣れた自由人に見える持ち味を生かしながら、新納さんが見せる作品の中での変化が嬉しいのです。元々歌える人ですが、初演よりも更に説得力を深めた歌いぶりを披露していて、進化も感じさせてくれました。
■大人な個性に瑞々しさを生むMay’n、キュートで内面表現にハッとさせられる唯月
今回の再演では、このコンビが固定ではなく、根底にある陽性な持ち味がもう一人の渡辺勘治を描き出す市村正親さんと、悪魔的な美の中に真心を照射させる小西遼生さんの小説家の四人が、シャッフルで上演される組み合わせの妙もあり、全組み合わせで全く異なる色合いの『生きる』が生まれるのでは?と更に興味が深まります。それは小田切とよと光夫の妻・一枝を交互に演じるMay’nさんと唯月ふうかさんも同様で、一見大人な個性の中に瑞々しさを生むMay’nさんと、思いっきりキュートだからこそ内面の表現にハッとさせられる唯月さんの個性の持ち味の違いも面白い効果をあげています。
■思考が短絡的になる光夫役、村井の伸びのある歌唱と温かな資質が押し上げ
そんなWキャストの面々に伍して、渡辺の一人息子・光夫に村井良大さんが扮したことも、この再演版の新たな趣。父親も妻も愛してはいるのですが、それ故に思考が短絡的になる光夫役を、村井さんの伸びのある歌唱と、どんな言動をしても徹底的に嫌な奴にはならない温かな資質が押し上げていて、これは大きな効果になりました。
■助役役の山西惇、組長役の川口竜也ら、ミュージカル界の常連組が底支え
一方で、助役役の山西惇さんや、組長役の川口竜也さんなどが、心底嫌な奴らを的確に演じて、作品に必要不可欠なピースになっているのも見逃せません。
佐藤誓さんが描く薄気味悪さ、重田千穂子さんの放つ生活感、治田敦さん、林アキラさん、松原剛志さんをはじめとした、ミュージカル界の常連組が作品を底支えしていくなど、キャストそれぞれの力も大きく寄与しています。
■懸命に生きる美しさを描いた、上演を重ねるべき日本産オリジナルミュージカル
何よりも、世界が大きな困難に覆われている2020年に、懸命に生きることの美しさを描いた日本産ミュージカルの再演が叶ったこと。これからも上演を重ねるべき、オリジナルミュージカルの名作が、新たな歩みを刻んだことの尊さを感じる舞台でした。