脳幹出血で倒れてから7年半、「宮ぷー」が初めて飛行機に乗りました 

みんなの力が集まって、映画が出来ました=撮影・松中みどり

2016年9月3日(土)、仙台の電力ホール(定員1000名)で、かっこちゃんこと山元加津子さんの初監督映画「銀河の雫~はじまりはひとつ~」が初上映されました。脳幹出血で倒れてから7年半、初めて飛行機に乗って講演会に参加する宮ぷーこと宮田俊也さんも無事に会場に到着。かっこちゃんやたくさんの仲間と共に映画を鑑賞し、何か月もかけて準備した挨拶文をたずさえて晴れの舞台に上がったのでした。筆者も、伊丹空港と仙台空港を日帰りで利用して弾丸ツアーで参加してきましたので、その報告をお読みください。映画については、こちらをお読みください→「かっこちゃん」が初監督した映画「銀河の雫」、9月3日に仙台で初上映

■かっこちゃん初監督作品「銀河の雫」を初上映、しかも1000人(=仙人)規模の会場で

全国に先駆けて、かっこちゃん初監督作品「銀河の雫」を初上映、しかも1000人(=仙人)規模の会場で、宮ぷーも登壇するという会を主催されたのは「宮ぷーとかっこちゃんを心から応援する会」“快調”の佐藤とよこさんと“福快調”の佐藤茂雄さんです。

「銀河の雫」初上映主催の佐藤とよ子さん・佐藤茂雄さん=撮影・岩崎靖子さん

「銀河の雫」初上映主催の佐藤とよ子さん・佐藤茂雄さん=撮影・岩崎靖子さん

講演会で配られたチラシの中には、このように書かれていました。

宮ぷーとかっこちゃんを心から応援する会とは、「宮ぷー」こと宮田俊也さんと、「かっこちゃん」こと山元加津子さんの考え方、生き方に賛同し、宮田俊也さんと山元加津子さんの活動を心から応援しようという任意の集まりです。会則も会費もなく、「快調」「福快調」「福福快調」と勝手に命名し、みんなで楽しく宮田俊也さんと山元加津子さんを応援する会です。

このような思いで開催された会ですから、始まる前から会場には温かく、初めて出会うのに懐かしいような、同窓会をしているような嬉しい楽しい雰囲気がただよっていました。

上映前のロビーでかっこちゃんと宮ぷー=撮影・松中みどり

上映前のロビーでかっこちゃんと宮ぷー=撮影・松中みどり

そしていよいよ山元加津子さん初監督映画「銀河の雫~はじまりはひとつ~」が12時から上映されました。

「銀河の雫・シナリオ本」も限定販売されました=撮影・松中みどり

「銀河の雫・シナリオ本」も限定販売されました=撮影・松中みどり

映画は、小さなあたたかい光から始まりました。バターランプの光です。

バターランプの光=「銀河の雫シナリオ本:写真野村哲也さん」より

バターランプの光=「銀河の雫シナリオ本:写真野村哲也さん」より

ネパールではお祈りをするときにバターランプに火を灯すのです。みんながちゃんとお祈りできるように、バターを溶かしてランプの準備をするおじさんは、かっこちゃんが身振り手振りで話しかけると、やってみたいかっこちゃんの気持ちが分かって、バターを削らせてくれたり、バターを注がせてくれたり、お別れに握手がしたいかっこちゃんに、「手が油で汚れてるから……」と遠慮したり。異国の、見ず知らずの女性にどこまでも優しいネパールの人の姿を映して、映画は静かに静かに、ひとつの命を生きるすべての人、動物、そこに存在するものの物語を語り始めました。

かっこちゃんが11年前、初めてネパールに行った時、旅のお世話をしてくれたギータちゃん。幸い今度の大地震でも無事でいてくれたギータちゃんは再会したかっこちゃんに語りかけます。

ギータちゃん:「植物、テーブル、この床も神様ですし、ランプもカメラも、木も鳥も、全て神様ですね。……人間がお世話になるものすべてが神様」

■大いなる循環の中で、なにもかもがいいふうに、大丈夫なように出来ている

人間は死んでも、その体が燃やされて灰になったら、大地を肥やし、植物や動物の新しい命を支える。その大いなる循環の中で、なにもかもがいいふうに、大丈夫なように出来ている。何度でも生きて、何度でも死ぬ。私たちはいつも守られている。このことを、本当は分かっているのに、心から納得し安心してゆだねることが出来ない私たちなのですよね。でも、地震で家が崩れたり、食べ物や身の回りの品が十分でなかったりする大変な中で、優しい気持ちを失わず祈りに包まれて暮しているネパールの人たちの様子と、風景と、かっこちゃんの言葉が一体となって、映画の1時間36分を一緒に旅をして、やっぱりすべては大丈夫なのだと思えたのでした。

「銀河の雫シナリオ本」撮影・松中みどり

「銀河の雫シナリオ本」撮影・松中みどり

映画が終わり、休憩に入る前に今回の映画に尽力された方々が登壇しました。

みんなの力が集まって、映画が出来ました=撮影・松中みどり

みんなの力が集まって、映画が出来ました=撮影・松中みどり

写真の左から、映画監督で、今回配給技術応援をしているハートオブミラクルの岩崎靖子さん。

「最初にかっこちゃんに映画を撮ってと言われて、すみません、国内で撮りたい人がたくさんいるから、ごめんなさいと断っちゃったんですね。今日映画を見て断って良かったと思いました。私にはこんな映画は作れないな。やっぱりかっこちゃんだったんだな。この映画の影の功労者は私じゃないかなと思っています。映画を精一杯応援していきたいと思います」

靖子ちゃんのとなりにいるのは、電子書籍の出版や白雪姫プロジェクトの応援、そして今回の映画の配給を担当している一般社団法人「ろばの耳」の石川弘子さんと後田雅子さん。

真ん中黒一点、かっこちゃんのサポートを長く続けておられ、今回の映画に出演された小林正樹さん。

「“助演男優賞”を受賞した小林です(笑)。人類の長い歴史の中で時々神様はとんでもない人をこの世に送り出してくれる。山元加津子は、そういう人なんです。大変な方向音痴に生まれて下さったので、こうして付き人をさせていただいているわけです。これからもご支援よろしくお願いいたします」

映画のナレーションと主題歌を担当された声優の佐久間レイさん。

漂白剤で色を抜いて柄を描いたオリジナルの手作りワンピースで登場のかっこちゃんこと山元加津子さん。

どの人もどの人も、この映画を支え、応援したいという気持ちがあふれた素晴らしいスピーチをされました。気持ちが伝わって泣き笑いをしてしまいました。ここで特にご紹介したいのは、佐久間レイさんと、「ろばの耳」のおふたりです。

■「ああ アンパンマン やさしい君は 行け! みんなの夢まもるため」に涙

佐久間レイさんは、アンパンマンの「バタコさん」役や魔女の宅急便の「ジジ」役で有名な声優さんで、宮ぷーがレイさんの大ファンなのだというエピソードも披露されました。今回の映画ではナレーションと主題歌を担当。この日は特別なプレゼントとして「アンパンマンマーチ」を歌ってくださいました。レイさんの美しい声が会場を包み、やなせたかしさんの温かい歌詞が胸にしみこんでいきました。

そうだ うれしいんだ

生きる喜び

たとえ胸の傷がいたんでも

被災地訪問もされているレイさん。被災された方が最初の3行で涙を流されたという歌詞が、本当に深く心に響きました。歌の後半、レイさんがかっこちゃんの肩を抱きしめて歌ったこの部分も涙がこぼれました。

ああ アンパンマン

やさしい君は

行け! みんなの夢まもるため

アンパンマンの主題歌を歌う佐久間レイさん=撮影・松中みどり

アンパンマンの主題歌を歌う佐久間レイさん=撮影・松中みどり

■私の知る限り、いちばん地道で大変な部分を、地元で支えている石川弘子さんと後田雅子さん

「ろばの耳」の石川弘子さんと後田雅子さんは、チーム宮ぷーのメンバーとして宮田俊也さんの毎日の生活を支えているおふたりです。

まずマイクをにぎったのは、まこちゃんこと後田雅子さん。

「電子書籍を販売する法人の“ロバの耳”を作ったとき、まさか映画の配給をすることになるとは思いませんでした。去年、ネパールのことが頭から離れないの、寝ても覚めてもネパールのことが気になって仕方がないとかっこちゃんが言い出した時、いや~な予感がしたんです。やっぱり映画撮ろうかなって。出た~!かっこちゃん、どうしたって湧き上がってくるんでしょってききました。湧き上がったら終わりです。必ずするんです。そして彼女のすることは天のすることだと私は思っています。いつもかっこちゃんのすることを応援したいと思っています。今日ここにお越し下さった皆さんもきっと、私よりもずっとかっこちゃんを支援してくださって、これからも応援してくださるのだと思います。銀河の雫の上映会、よろしくお願いいたします!」

次にマイクをにぎったひろ子ちゃんこと石川弘子さんもこう話されました。

「実は、一般社団法人ろばの耳の代表は、宮田俊也さんなんです。その下で働かせていただいています。かっこちゃんは次々といろんなことをやっていくけど、どうしてそんな風に出来るの?ときいたらかっこちゃんは“来たバスに乗るの”と言いました。来たバスに乗ったらどこに行くかの分からんし、遠回りするかもしれない、とてもじゃないけどそんなこと出来ないといったら、やっぱりかっこちゃんですね。来たバスには意味があるし、遠回りにも意味があるんだと言いました。今日は、かっこちゃんのいう通りに素直にバスに乗りましたら、皆さんのところへ、仙台までやってくることが出来ました。ありがとうございました!」

私の知る限り、いちばん地道で大変な部分を、宮ぷーとかっこちゃんの地元で支えているチーム宮ぷーのおふたりの飾らない言葉が、会場の笑顔と涙を引き出して、初上映会の第一部が締めくくられました。

脳幹出血で倒れてから7年半、初めて飛行機に乗って移動することが出来た宮ぷー=撮影・岩崎靖子さん

脳幹出血で倒れてから7年半、初めて飛行機に乗って移動することが出来た宮ぷー=撮影・岩崎靖子さん

■本当に長い長い文章を、何か月もかけて用意していた宮ぷー。待ちに待った宮ぷーの講演

そして午後2時半になり、とうとう宮ぷーがかっこちゃんと一緒に舞台に登場して、第二部の仙人講演会が始まりました。

初めての飛行機はどうですか?と聞いたら「200パーセント不安」と答えたという宮ぷー。7年半前に脳幹出血で倒れた宮ぷー、ベッドの上からどこにも行かない方ですから車椅子もいらないでしょうとお医者様に言われた宮ぷー。飛行機に乗って、仙台にやってくることが出来ました。無事にこられて本当に良かった!まだ言葉が出ない宮ぷーがどうやって思いを伝えているのか、「あかさたなスキャン」のやり方を教えてもらいました。アイウエオの上の段を読み上げ、該当する行を読み上げるシンプルな方法です。それから、宮ぷーが使っている意思伝達装置レッツチャットのデモも見せてもらい、いよいよ宮ぷーの講演が始まりました。私たちがパソコンやワープロで文章を作るのと比べると100倍くらいの時間がかかるのに、本当に長い長い文章を、何か月もかけて用意していた宮ぷー。会場の人たちが待ちに待った宮ぷーの講演が始まりました。

皆さん、今日は、銀河の雫の初上映会に、来てくださってありがとうございます。映画はいかがでしたか?僕は白雪姫プロジェクトを、応援したり、この映画の配信をしている、一般社団法人、ロバの耳の代表理事をしているみやぷうこと、みやたとしやです。

このように 自宅から 遠く離れた 仙台の地まで 飛行機に乗って 僕が来られるとは 以前の僕には 予想もできませんでした。われながら 驚いています。僕のように 普段、座位保持装置に乗っているひとが 飛行機に乗るためには 航空会社をふくめて 多くの人たちが じつにいろいろの 事前の用意が 必要です。

はたしてそんなことができるだろうかという迷いもありました。けれど、多くの方が僕の背中を押してくれました。僕が、いま、このステージに立つまでには多くの物語があったと感じています。

宮ぷーはひらがなで打っているので、読みやすいように漢字に直したのはかっこちゃんですが、文章はすべて宮ぷーのものです。機械が読み上げる宮ぷーの言葉を、会場に集まったひとたちが心を合わせ、ひとことも聞きもらしたくないと耳を澄ませました。その時間、私たちはずっと銀河の雫のひとつぶになって、仲間のひとつぶが一文字一文字つづった言葉を体の中に取り入れていったのでした。

宮ぷーが文章をつづったレッツチャットの説明をするかっこちゃん=撮影・岩崎靖子さん

宮ぷーが文章をつづったレッツチャットの説明をするかっこちゃん=撮影・岩崎靖子さん

<関連ページ>
◎白雪姫プロジェクト→http://shirayukihime-project.net/
◎銀河の雫 はじまりはひとつHP→http://eiga377.wixsite.com/robanomimi-eiga

※ここからはアイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分です。宮ぷーの講演内容全文、かっこちゃんが伝えたかったこと、この映画を通してのネパール支援についてお伝えします。

<宮田俊也さん講演内容全文の小見出し>(小見出しはアイデアニュース編集部でつけたものです)
■前日まではおろか、当日の昼も、病気の気配はまったくありませんでした
■4人のドクターのうち、3人が、「このまま死なせてあげたら」と
■何かを伝えたくても、何もできない。そのときに、かっこちゃんの顔がいつも目の前にあって
■死ぬことを考えたのは一度だけでした。妹に殺してくれと頼んだとき……
■「回復するしないは、ドクターが決めるのではない。宮ぷーが決めるのだ」と
■今のぼくがあるのも、チームみやぷうのみなさんのおかげです
■体が動かないものが、自分に誇りを持って生きることは簡単ではないと思います
■泥棒や殺人を犯してしまう人はいらないという気持ちは、誰かを差別する気持ちにつながる
■大地震の後も、優しさを忘れずに、相手を思う姿や、世界中の人々の幸せを祈るネパールの人たち
■たくさんのみなさんにお願いしたいです。「かっこちゃんをおねがいします」
■誰もが大切で、争わなくてもいいということが、本当のことなんだとわかる映画に
■ぼくには、大きな役割ができました。ぼくは、これからも、がんばります

かっこちゃんの講演会では・・・

ネパールの人も、病気や障害のある方とそのご家族も、みんなで一緒に幸せになろう

<宮田俊也さん講演内容全文>(小見出しはアイデアニュース編集部でつけたものです)

■前日まではおろか、当日の昼も、病気の気配はまったくありませんでした

僕は今から、およそ7年半前の二千九年二月はつかに、脳幹出血という病気で倒れました。倒れる前日まではおろか、当日の昼までさえ、病気の気配はまったくありませんでした。

それは突然、訪れました。夜中にひとりで自動車の運転をしていたとき、突然、だんだん体が自由に、動かせなくなったのです。曲がりたい小道の交差点で曲がれません。それでもなんとか車を家のすぐ近くの、勤務先の駐車場にとめることができ、そこから家族に電話をかけました。家族と言っても、当時、僕のまわりで、頼りになるのは、近くに住む妹がいるくらいでした。今もそうですが、僕はひとりぐらしでした。

■4人のドクターのうち、3人が、「このまま死なせてあげたら」と

電話の声も、うまくロレツも、回らず、それも真夜中に、自分の居場所を妹に伝えられたのは、奇跡に近いと思われます。しばらくして妹が来てくれました。そして、救急車を手配してくれました。この時、妹がすぐに、来てくれなければ、きっと死んでいたでしょう。脳幹出血の生存率は、ものすごく低いのです。およそ1割しかありません。こうして、僕は、大学付属病院に、かつぎこまれました。

実際のところ、僕の状態は、絶望的だったと思います。瞳孔は開いたままで、舌が口から出てしまっていたそうです。内臓の動きもなく、呼吸器をつけないと息もできない状態だったそうです。

最初は、僕に関わってくださった4人のドクターのうち、3人が、「このまま死なせてあげたら」と言われたそうですが、残りの一人のかたが、僕が年齢的に若いので、生きることはできるかもしれないと言われたそうです。けれど、生きていても、もういっしょう、目覚めることもなく、植物状態だろうと思われました。そんな僕が、いま、このステージに立って、みなさんの前に立てたのは、かっこちゃんが、特別支援学校で、子供たちといて、回復方法があることを、知っていて、常識とは違うかもしれないけれど、その方法でリハビリを続ければ、回復すると信じて疑わなかったからです。

■何かを伝えたくても、何もできない。そのときに、かっこちゃんの顔がいつも目の前にあって

大学病院での 2ヶ月間の記憶はほとんどないけれど、倒れたすぐから、かっこちゃんが、大丈夫、みやぷうは大丈夫と言い続けてくれたことは、なんとなく、記憶というか、感覚は覚えています。そのころから、かっこちゃんは、グラグラした体の僕を、隠れて起こしたり、揺らしたり、話しかけたり、し続けてくれたようで、映画などを見て、すごく感動をして、感謝しています。もし、どんなことをしても、無理と思っていたり、方法を知らなかったら、すぐに、体も、硬くなり、今頃、立つリハビリもできていなかったと思いますし、それどころか、思いも、伝えられないままに、いたことでしょう。

意識が戻ったときに、僕は体のどこも動きませんでした。何かを伝えたくても、何もできない。でもそのときに、かっこちゃんの顔がいつも目の前にあって、だいじょうぶだと言い続けてくれました。僕のわずかな動きも決して見逃さないという、かっこちゃんの思いというか、技術が、僕の気持ちを引き出してくれました。そうです。ほんの一ミリの動きに、かっこちゃんは、気付いてくれました。このとき、僕は、相手に、自分の考えが伝えられる喜びを、実感しました。わかってもらえた。わかってもらえた。それは、ひとすじの僕の生きる光となりました。

それまでは、ドクターでさえ、僕には意識があると、思っていなかったのです。これをきっかけにして、僕の体は、ちょっぴりずつ、動き出したのです。やがて、イエス、ノーのみで、伝えることしか、できなかった僕が、ほんのすこし動かせる指につけたスイッチとレッツチャットという機械を、使って、いろんな人に、思いを伝えられるようになりました。

■死ぬことを考えたのは一度だけでした。妹に殺してくれと頼んだとき……

こういう機械を、意思伝達装置と言いますが、実際、僕のいた、病院で、これを使っている人は他にいなかったと思います。かっこちゃんが、特別支援学校でひとりひとりの子供達と、コミュニケーションを取る方法を、ずっと、探し続けていたことで、知っていたのです。

ところで、このように書くと、すぐに、回復したように、見えますが、自分で思うように、合図が送れるには、六ヶ月のつきひが必要でした。僕は心がどちらかというと、弱いと思います。すぐにめげそうになるし、どうせ何をしてもかわらないんだと思ったこともありました。でも、死ぬことを考えたのは一度だけでした。妹に殺してくれと頼んだときに、妹が、「どうして、私がお兄ちゃんのために、人殺しにならないといけないの。それは絶対にいやだ」と言ってくれました。

■「回復するしないは、ドクターが決めるのではない。宮ぷーが決めるのだ」と

何度もかっこちゃんに、「このままもう変わらないと周りの人はいうけど、かっこちゃんは回復するという。どちらが本当なの?」と尋ねました。そのたびに、かっこちゃんは、「あきらめなければ、回復する。回復するかしないのは、誰が決めるわけでもない、ドクターが決めるのでもない。それは宮ぷーが決めるのだ」と言いました。

あきらめない。決してあきらめない。その心でいれば、人間の中にあるものすごい力で、回復していけると僕はいまは信じています。でも、実際はまだできないことがほとんどです。この講演の文字も、書くのは簡単ではありませんでした。ひともじひともじなので、とても時間がかかります。この文章は、完成前に3ヶ月以上もかかっています。

僕の回復に応援をしてくださったひとりが、「僕のうしろに道はできる」の映画を撮ってくれた岩崎靖子さんです。最初は、回復はしないと思われていました。そんな僕を一生懸命とっても、映画にはならない可能性もあったはずです。でも、回復を信じて映画を撮ってくれました。映画をとってもらっているから、がんばろうという思いもとても大きかったです。

転院した脳神経外科病院には、およそ、6年間、入院していましたが、しだいに、かっこちゃん以外の人が、何人か、本当に、奇跡的な、出会いなどが、いろいろあって、来ていただけるようになりました。ありがたかったです。その人たちは、チームみやぷうという名前になりました。

■今のぼくがあるのも、チームみやぷうのみなさんのおかげです

チームみやぷうができて、ぼくのリハビリを手伝ってくれるようになったのです。それまでは、かっこちゃん一人でしか、できないリハビリが二人でするようになって、パワーアップできたし、それ以外にも、病気になったおかげで、こんなにも、人というのは、優しく、温かいものだと知ることができました。

僕は倒れる前、あまり人を信じられる方ではありませんでした。けれど、チームみやぷうの皆さんは、それぞれが、自分の家庭があるなか、ボランティアで来てくれています。感謝してます。人というものは、こんなにも優しいものなのかと僕は、よく考えます。今のぼくがあるのも、チームみやぷうのみなさんのおかげです。

もちろん、病院のスタッフのみなさんにも、大変お世話になりました。皆さんや、かっこちゃんや、チームの皆さんのおかげで、少しずつですが、回復をして、体のいろいろなこところが、ちょっとずつ、動き出したのです。

そんなふうにして、リハビリをして、5年後に、病院を退院して、一人暮らしが始まりました。一人暮らしから2年経ちます。訪問看護師さんが毎朝来てくれて、朝の用意をしてくれて、僕はデイケアに行きます。帰ってくるのを、かっこちゃんとチームのみなさんの誰かが待っていてくれます。チームみやぷうの方々もかっこちゃんも、毎日来てくれます。何年もそれを続けるのは、本当にすごいことだと思います。自分だったらできない。できないことを、してくれていることに、感謝の思いで、いっぱいです。

■体が動かないものが、自分に誇りを持って生きることは簡単ではないと思います

今の僕は、かっこちゃんやチームみやぷうの みんなや、妹だけでなく、訪問介護に来てくださる、看護師さんや先生、そして、デイやショートステイのお世話にもなっています。みんなの助けなしには、僕は1日も送ることができません。でも、多くの方は、奥さんだけ、ご主人だけが、介護をされている場合もあるでしょう。社会の中で、やはり、家族だけでは、つぶれてしまうのじゃないかと思います。

助けてもらっている本人が、言うのも、おかしなものですが、周りの方、どうぞ、温かい手を、皆さんに、貸していただきたいと思います。どうぞお願いいたします。これは、本当のことです。僕のように体が動かないものが、自分に誇りを持って生きることは簡単ではないと思います。もし、世話をする人が疲れていては、けっしてみんなで幸せになることはできません。

そんな僕は、こんな状況の中では、なかなか社会活動に、参加しづらいと思われていましたが、ロバの耳の代表理事になることで、障害がある人でも、社会参加できることを、しめしたいのです。やはり、僕は、自分の生きる意味を、見つけたいのです。生きているだけでも、大切な命ですが、やはり、お世話になっている社会に対して、お返しがしたいというのが、僕の気持ちです。

4年前、かっこちゃんは、僕のような状態になって、あきらめている人がたくさんいることを知って、回復や意思伝達の方法を伝えようと白雪姫プロジェクトを立ち上げました。4年経ち、大きな成果をあげていると僕は思います。回復する方法があること、みんな思いがあるということを、一般常識にすることが大切だと思うのです。

■泥棒や殺人を犯してしまう人はいらないという気持ちは、誰かを差別する気持ちにつながる

先日、相模原の障害者施設で、大変な事件が起きました。障害を持っている人は、幸せではなくて、そして、ただ、お荷物になっているだけなのかということを、みんなが考えた事件だったと思います。こういう気持ちは、事件を起こしてしまった人だけでなく、本当は、心の奥に、多くの人が持つ気持ちかもしれません。きっと、ぼく自身の中にも。あるものなのかもしれません。たとえば、泥棒や殺人を犯してしまう人は、いらないんだという気持ちは、やがて、誰かを差別する気持ちにもつながると思います。

僕ができることは、僕は体も動かないけれど、とても幸せだよ。楽しいことやうれしいこともいっぱいあるよ。みんなで一緒に生きていこうよと、僕はもっともっと伝えていかなくてはいけないと思います。そうすることが、こういった事件を無くする一助にならないかと思います。

■大地震の後も、優しさを忘れずに、相手を思う姿や、世界中の人々の幸せを祈るネパールの人たち

ところで、銀河の雫の映画はどうでしたか?このネパールの映画は、大地震の後も、変わらずに、一生懸命に日常を送る、ネパールの人々の姿が描かれていて、僕は、とても感動しました。

僕は病気になりました。それは、僕にとっては、もちろん、とても大きな出来事でした。ネパールの人々の大地震は、僕の病気と同じほどの、大きな出来事のはずです。僕は一時期、自分のことしか考えられないこともありました。いいえ、いまも僕はつい自分のことばかり考えてしまいます。それなのに、ネパールの人たちが優しさを忘れずに、相手を思う姿や、世界中の人々の幸せを祈る姿は、素晴らしいと思います。

僕は、最初、かっこちゃんが、ネパールへ行って、映画を撮って、監督もすると聞いたときに、とても驚きました。正直、無理だと思ったし、心配でなりませんでした。学校に勤めていたときに、かっこちゃんの周りは、いつも子供達でいっぱいでした。かっこちゃんはしょっちゅう、怪我をしたり、失敗したりします。とんでもないこともします。それが心配で、子供達はいつも、そばにいたように、思います。僕もその一人でした。子供達も僕も、ほうっておけないというか、また、とんでもないことを言ったりしなかったらいいのになあと、思っていたと思います。

■たくさんのみなさんにお願いしたいです。「かっこちゃんをおねがいします」

そんなかっこちゃんが、映画を作るというのです。また、とんでもないことを言い出したなあと思いました。それに、今の僕は、何も手伝ってあげることもできないのです。とても心配をしましたが、周りのみなさんが、かっこちゃんを助けてくれました。

ありがとうございます。僕の映画に出てきますが、僕が倒れて、すぐに、小林さんや、さかねさんや、赤塚さん、てっちゃんに、「かっこちゃんをお願いします」とあかさたなスキャンで頼んだことがありました。僕が倒れて、何も手伝えないのがつらいのです。今日はたくさんのみなさんにもお願いしたいです。「かっこちゃんをおねがいします」

なぜかというと、かっこちゃんはとんでもないことをいつも言い出すのですが、それは、自分のためじゃないのです。弱い子供たちのために、誰に対しても、泣きながら、伝えるのです。あとで、あのとんでもないことは必要だったとわかります。この映画は大切な映画だと思います。

■誰もが大切で、争わなくてもいいということが、本当のことなんだとわかる映画に

かっこちゃんが、学校の子供達に、いつも言っていたこと。みんな素敵だということや、誰もが大切で、争わなくてもいいということが、本当のことなんだとわかる映画になっていたと思います。

僕は、チームみやぷうのみんなで、字幕を確かめるために、映画を見た後、感想を言い合ったときに、最初に、難しいと言いました。それは、映画が難しいという意味ではないのです。映画はこんなにもやさしく伝えてくれていると感じましたが、とても内容が深くて、一度で全部を消化することが、難しいほど、大切な映画だと言いたかったのです。何度も何度も、噛みしめるように見て、本当に大切なことが、何か、きっとわかってくる映画だと、僕は言いたかったのです。ぜひ、みなさんの感想も教えていただきたいです。僕はロバの耳の代表なので、みなさんの感想がとても気になります。

■ぼくには、大きな役割ができました。ぼくは、これからも、がんばります

この上映会の後、一般上映会が始まります。ロバの耳の代表としてだけでなく、かっこちゃんの友人として、また、地球の幸せを願う一員として、お願いします。この映画を広めてください。争いを世界中から無くすために、ぜひ、自主上映会のお申し込みをお願いいたします。自主上映の収益は、ネパールの子供達やみなさんの支援や、白雪姫プロジェクトをひろめることに、使われます。

お手元のちらしなどの中の、はがきのうらに、申し込みのアドレスが書かれてあります。また、ロビーではチーム宮ぷうのひろこさんが、自主上映の受付をしてくれています。まず、自分の家のテレビで上映会をしてみませんか? みんな大切だという心を、まず自分の大切な仲間から初めてはいかがでしょうか? みんなで、ひとつの命を生き、争わずにいられる世界にみんなでしたいのです。

最後にこの上映会を開いてくださった、しげちゃんと、とよちゃんと、僕をここに連れてきてくれたチームのみんな。そして、来てくださったみなさんに、心からお礼を申し上げます。しげちゃんと、とよちゃんは、どんなに大変だったでしょう。お二人は「宮ぷうとかっこちゃんを応援する会」という名前で、ずっと応援を続けてくれています。なぜ、人はこれほどまでに、誰かのために一生懸命になれるのでしょうか?

僕は何ができるのでしょうか? そのことをよく考えます。また、遠く離れていても、いつも僕のことを応援し、祈り続けてくださったみなさんにも、お礼申し上げます。本当にありがとうございました。

ぼくには、大きな役割ができました。ぼくは、これからも、がんばります。

■かっこちゃんの講演会では・・・

かっこちゃんが特別支援学校で教え始めた頃は、脳の損傷は治らないというのが常識でした。でも、かっこちゃんが受け持った子どもたちは、かっこちゃんが体を起こし、ゆらし、大好きと言って抱きしめて、歌をうたうと、笑ったり泣いたりする。かっこちゃんは、「誰でも深い思いを持っていて、回復することが出来ると、私はずいぶん前から知っていたのです」と話し始めました。なかなか他の人に伝える勇気をもてないままだったかっこちゃん。そんなとき、一般常識では「むしろ死なせてあげた方が」と言われるほど重篤な脳幹出血で、同僚で大切な仲間の宮ぷーが倒れたのでした。会場でも流された、岩崎靖子監督の映画「僕の後ろに道はできる」の予告編をご覧ください。

講演会ではかっこちゃんの一番古い記憶についても語られました。

かっこちゃん:「わたしには不思議な記憶があるのです。今となっては夢だったのか、それとも実際の記憶なのかはわかりません。それは、本当に奇妙な記憶なのです。

私が二つに分かれたがっている。そして、分かれていく。そんな不思議な記憶です。そして、そのときの感覚は、今もありありと思い出せるのです。
たとえ二つにわかれても、四つにわかれても、大丈夫なのだと私は知っていたように思います。

どんなに分かれても、私はバラバラにならず、みんなひとつで、大丈夫だということを、わたしはその時に知っていて、すごくすごく幸せでした。思い出すたびに、私は幸せな気持ちになります。それが、わたしの一番古い記憶です」

誰かが痛いと私も痛い。自分がケガをしたわけではないのに、誰かがケガをしたら痛くて痛くて泣けてくる。そんな子どもだったかっこちゃんは、そんな自分が変な子だと思われないか、おかしいことなのではないかと思って自分のことをなかなか好きになれなかったそうです。特別支援学校の先生になってから、かっこちゃんは、ダウン症のちなつちゃんに出会いました。何かにつまずいて足の小指を骨折してしまったかっこちゃん。子どもたちには涙を見せないようにカーテンに隠れて泣いていたのに、ちなつちゃんはカーテンの向こうのかっこちゃんを思って、ぼろぼろ涙をこぼしていたんです。ずっと一緒に泣いてくれていたちなつちゃん……。

かっこちゃん:「私はちなつちゃんと一緒になって泣きながら、自分が小さかった時、誰かが痛かった時私も痛かったことを思い出しました。そういう思いをもってもいいんだ。私たちはこんな風に作られてるんだなあと思ったんですね。例えば、東北で地震がおきたり、この前みたいにひどい水害があったりしたときに、顔も知らない方が何か自分にできることはないかと、日本だけじゃなく世界の人が、これを使って下さいとおっしゃる。それはきっと心の中に、あなたが痛いと私も痛い。あなたが嬉しいと私も嬉しいという思いがあるからだと思うんですね。それを、ネパールの人はみんな知ってるとギータちゃんは言ったんです」

講演会ではこんなふうに、かっこちゃんが子どもだった頃から持ち続けた記憶と思いが、学校の子どもたちや宮ぷーやギータちゃんに銀河の流れの中でちゃんとひとつにつながって、かっこちゃんがこの映画を撮ったことが必然だったんだなあと思ったのでした。

ネパールの人も、病気や障害のある方とそのご家族も、みんなで一緒に幸せになろう

ネパールの子どもたちに絵本をプレゼント=撮影・松中みどり

ネパールの子どもたちに絵本をプレゼント=撮影・松中みどり

会場で販売されていた二冊の素敵な絵本にはネパール語と日本語が書かれています。実は、この絵本を購入することでネパールの応援にもなり、障害や病気のある方とそのご家族を応援することにもなるのです。

「銀河の雫」のホームページにはこんな風に書かれていました。

ネパールにはほとんど絵本がないそうです。

それで、絵本を送りたいと考えました。そこで「みんなで幸せに」と考えているろばの耳らしい支援の仕方を考えました。病気や障がいをお持ちだったり、また、障がいを持っておられるお子さんとすごしていて、なかなかお仕事につくことがむずかしいお母さんを応援したいというのが、私の考えてきたことのひとつです。

それで、日本のそうした作家さんに、絵本を作っていただいて、ギータちゃんにネパール語に訳していただいて、絵本にはネパール語と日本語の両方をプリントして、半分をネパールに送り、半分は、作家さんたちの印税代わりにもらっていただいて、販売したり、活動に使っていただくことを考えました。

1冊目の絵本「ひとつぶのなみだ」と、2冊目の絵本「プレゼント」、どちらも本当に素敵な内容で、ネパールの子どもたちの喜ぶ顔が見えるような絵本になっています。これからいろいろなイベントや集まりの会場で販売されることと思いますので、どうぞ皆さんもお買い求め下さい。

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“脳幹出血で倒れてから7年半、「宮ぷー」が初めて飛行機に乗りました ” への 1 件のフィードバック

  1. 仙台のとよちゃん より:

    みどりちゃん、9月3日の「銀河の雫」仙台初上映会にご参加いただきまして本当にありがとうございました。

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