先だってプチ放談をしていただきました「ぽこぽこクラブ」。彼らの第3回公演である「あいつをクビにするか」(2016年10月26日~30日 花まる学習会王子劇場)のレポをお届けします。
東京・王子にある客席数100ほどの劇場の入り口に向かうと、そこは既に別世界。“プチプチ”で馴染み深いエアキャップが暖簾のように垂れ下がり、それをくぐり抜けて視界に飛び込んできたのは、劇場内の上方にあるギャラリーまでスッポリと舞台全面を覆った半透明な乳白色の世界。壁一面十重二十重に、ゆったりとドレープを取ったカーテンのようにエアキャップが貼り巡らされていました。少し圧倒されつつ舞台上に視線を移すと、そこにはちょうど人1人くらいが隠れそうな、それぞれ高さと幅が違う木製フレームに、これまたエアキャップが貼られた11枚のパネルがランダムに置かれているのみ。
そのシンプルな空間に、舞台奥から客席に向けて差し込む青色がメインの照明。半透明のエアキャップを通して見えるその光の中心はハッとするほど力強く、かと思うと光の境界付近はぼんやりと頼り無げで、その対比が“日常”と“別世界”、現実なのにどこか夢の中のような、意識と無意識下の世界のような、作品世界を暗示する印象を醸し出していました。
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<有料部分の小見出し>
■ニートやイジメ、盗撮にネット拡散などなどイマドキ要素を取り入れつつ
■ヒロインのメイ役、磯部莉菜子さんはお人形さんのように可愛らしい印象ですが…
■懐かしい「17才」のメロディがオルゴールでやさしくノスタルジックに流れ
■ふとした折に見せる影に、過去イジメで受けた傷の深さが生々しく
■やるせなさと憐憫、ギリギリのところで繋がっている親子の情
■「人」が一番怖いけれども、「人」から受けた傷を癒してくれるのもまた「人」
<ぽこぽこクラブvol.3 『あいつをクビにするか』>※この公演は終了しています
[公演日]2016年10月26日(水)〜30日(日)
[場所]花まる学習会王子小劇場
[キャスト]三上陽永、杉浦一輝、渡辺芳博、高橋玄太、坂本健 / 伊藤公一、小野寺志織、都倉有加、磯部莉菜子、梅津瑞樹、くらら、松田佳央理
[スタッフ]音楽(メインテーマ曲):オレノグラフィティ(劇団鹿殺し) 振付:下司尚美(泥棒対策ライト) 照明:坂本明浩 舞台監督:鳥養友美 衣装:宣伝美術:坂本健 音響:堀江潤 美術:渡辺芳博 当日運営:池田風見(サードステージ) 制作:吉田千尋(ゲキバカ)
<関連サイト>
ぽこぽこクラブ http://pocopoco-club.com
ぽこぽこクラブ Twitter https://twitter.com/pocopoco_club?s=09
- サイコパスを伏線に「普通」が揺らぐ90 分、『あいつをクビにするか』公演を観て 2017年2月13日
- 来た観た書いた:(6)2017年1月6日、ひとり芝居「夜明け」開幕 小沢道成インタビュー(下) 2016年12月27日
- 来た観た書いた:(5)小沢道成インタビュー(上) 「ガラスの仮面」北島マヤにあこがれて 2016年12月26日
- 来た観た書いた:(4)『あいつをクビにするか』、演劇ユニット「ぽこぽこクラブ」プチ放談 2016年10月26日
- 来た観た書いた:(3)「死ぬっ程大変!」、『光射す場所へ歩く君たちへ』山本・三上対談(下) 2016年6月7日
- 来た観た書いた:(2)AUBE GIRL’S STAGE『光射す場所へ歩く君たちへ』、山本夢人・三上陽永対談(上) 2016年6月6日
- 来た観た書いた:(1)小劇場公演「ストアハウスコレクション ~タイ週間~」より 2016年3月18日
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■ニートやイジメ、盗撮にネット拡散などなどイマドキ要素を取り入れつつ
開演時刻になると照明がすっかり落ち、再び薄明かりが入り始めた舞台中央には、食い入るように目の前の光を覗き込みながら座す一人の少年。シュッシュッと刃物を研ぐような音に続いて、何かを力任せに叩き切るようなダンダンという音がリズミカルに響き渡り、その音をビートに、どこかおどけた調子の音楽が流れ始め、いつの間にか少年を囲むようにパーカーにフードを目深に被った複数の人間たちが現れる。しかし彼らはパネル越しのためにその表情が読めない。やがて彼らはゾンビのような動きでダンスを始め、少年を威嚇しつつも翻弄し、壊れて崩れ落ちてゆくような複雑な印象に変化した音楽と共に、少年はどんどんと彼らに追い込まれてゆき、音楽の高揚とともに限界点を越えて気絶、バタリと倒れ込んだ…。
そんな怖いような、滑稽なような、なんとも不可思議なシーンから始まった「あいつをクビにするか」。
物語の中心は、仲の良い兄と弟、それぞれの「阿久沢」家。家族で精肉店を営む、兄の阿久沢権蔵(渡辺芳博さん)の一家は、妻房子(都倉有加さん)と、夫婦の一人息子で発達障害を抱えるが、とても純粋無垢な少年、真理雄(坂本健さん)。
弟の泰吉(伊藤公ーさん)の一家は、高校教師の長男カズヤ(三上陽永さん)、高卒ニートの次男セイジ(杉浦一輝さん)、真理雄と同い年の高校生、末娘のメイ(磯部莉菜子さん)に、数年前から行方不明のままの妻深雪(松田佳央理さん)。
そんな彼らを取り巻く人々に、カズヤの同僚であり婚約者でメイの担任、香坂沙織(松田佳央理さん2役)。深雪の妹で、姉の失踪で残された義兄と3兄妹の世話を買って出ている内海マキ(小野寺志織さん)。メイの友人で、イジメられ孤立していた時にメイによって救われた過去を持つ井尻モモコ(くららさん)と、モモコのクラスメイトで沙織に想いを寄せる桐島大五郎(梅津瑞樹さん)。モモコと桐島の元担任で、スキャンダル動画を盗撮されてネットで拡散されたため、学校を依願退職したばかりの三田義弘(高橋玄太さん)。
ニートやイジメ、盗撮にネット拡散などなどイマドキ要素を取り入れつつの青春モノ?と見える物語のあらすじは、メイ、モモコ、桐島、真理雄のティーンエージャー四人が、つまらない世の中に刺激を求め、自分たちが気に入らない先生を罠にはめて、学校をクビになるよう仕向けるという、他人の人生を左右する、悪ふざけが過ぎるサークルを秘密裏に立ち上げて、三田を含め次々と被害者を出して行く。兄カズヤの婚約者である沙織の存在が許せないメイによって、沙織がターゲットとなり、彼女への嫌がらせがエスカレートしていったその時、突然メイたちの所業は露見する。被害者ではあるが教師として、動機を聞こうとする沙織。すると、メイの言動に違和感と恐れを感じるようになっていた桐島とモモコが「自分たちはメイに逆らえなかった」と言い出し、仲間と思っていた友人たちの突然の離反に衝撃を受けたメイは暴発し、傷害事件を起こす。何が彼女を他人をして「あいつはサイコパスだ」と呼ばれるまでにさせたのか?原因は母深雪の存在とその失踪にあった。阿久沢家の過去の謎が解き明かされていく過程で、複雑に絡み合った登場人物たちの心の襞に触れていくストーリーでした。
■ヒロインのメイ役、磯部莉菜子さんはお人形さんのように可愛らしい印象ですが…
ヒロインのメイを演じた磯部さんは、パッチリ眼をしたお人形さんのような可愛らしい印象の女優さん。末娘で父や兄に溺愛されて育ち、その愛くるしい姿とは裏腹の、サイコパスをも疑われる言動の感情の振れ幅が広いメイを大熱演。観る側を時に蠱惑的に惹き付け、ある種の固定観念を翻弄することにも成功していました。メイは物語の前半は得体の知れない、何をするか理解し難い人物として存在。一方後半では、母方の祖母から続く母娘の確執が原因で、女の子を育てることに怯えていた母、松田さん演じる深雪との間が上手くいかず、恐らくは深雪もその母親から言われていたのでは?と思われる「あんたには心が無い」という言葉で、幼い頃から人格を否定され続け、母の愛に飢えたまま育ってしまった不憫な少女という存在で、彼女が周りを一方的に傷つける側ではなく、既に散々傷つけられた側であり、常に心から悲鳴をあげ怯えていた彼女の境遇を理解したとき、観客として酷く胸が痛みました。憎みつつも求めていた母深雪は、実は既に亡くなっており、紆余曲折の末、メイが自らの心象風景の中で再会した母親は、生前に見られなかったやさしい微笑をたたえてメイを抱きしめ、その光景はライティングの効果もあって、厳かでやさしい雰囲気の中、母と娘が互いに真実望んでいた姿だったのだろうと感じられて、メイには3代に渡り続いた負の連鎖を断ち切って、幸せになって欲しいと願わずにはいられませんでした。
これは余談ながら、ギャグとシリアスが絶妙にブレンドされた本作品では、本筋としては辛い事情を背負う役どころのメイでしたが、物語の中盤のメイと真理雄の赤ん坊時代の回想シーンで、懐かしのドリフを髣髴とさせる、オールインワンの赤ちゃん服で登場して、乳幼児をシュールに面白く熱演。可笑しいやら可愛らしいやらで客席を沸かせていました。
■懐かしい「17才」のメロディがオルゴールでやさしくノスタルジックに流れ
メイの言葉にならない心の悲鳴を唯一感じ取り、乾いた彼女の心を癒していたのは、坂本さん演じる従兄弟で幼馴染の真理雄。周囲がメイを持て余し、奇異の眼を向けるときも、真理雄だけはメイをメイ自身としてまるごと受け止める存在でした。真理雄の子供のままの純粋な思いで、一心にメイだけを恋うる姿は微笑ましく、それに応えてまるで自らを落ち着かせる呪文のように、「真理雄ちゃん、私のこと好き?」と、事あるごとにポツリと彼に確認していたメイとの二人のシーンは、懐かしい「17才」のメロディがオルゴールでやさしくノスタルジックに流れ、幼い日の二人も彷彿とさせる、淡くやさしい温か味のあるシーンになっていました。
真理雄の両親、権蔵と房子を演じるのは渡辺さんと都倉さん。物語の中では、もっぱらテンポの良い芝居で笑いを誘う「かき混ぜ役」のオモロイ夫婦ながら、ここぞ!というシーンでの場の引き締めぶりの見事さは流石でした。端から見るとちょっと昭和な下町臭も漂わせつつ、たくましくケラケラ笑いながらしれっと下ネタも披露する、底の抜けた明るい夫婦という印象でしたが、真理雄の抱える障害に悩み、それでも二人で寄り添いながら息子をひたすらに愛し育ててきただろう来し方もほんのり感じられる、ひとつの家族の形を具現化していました。
権蔵と泰吉、兄弟二人のシーンでは、弟が可愛い権蔵と、兄が大好きな泰吉の様子がよくわかり、ある意味「運命共同体」の選択をする後の行動に納得してしまいました。
■ふとした折に見せる影に、過去イジメで受けた傷の深さが生々しく
メイの友人、モモコと桐島を演じるのは、くららさんと梅津さん。一見普通の女子高校生に見えるモモコが、ふとした折に見せる影に、彼女が過去イジメで受けた傷の深さを生々しく感じました。一方桐島は沙織に振られ、半ばヤケになっている状態のところを、メイに誘われてサークルに入った少年。始めこそ面白がって協力し、しかし次第にメイに同調できなくなると、自身惹かれ始めたモモコを誘いメイと決別する役どころ。桐島に同意しながらも、メイを独りにしてしまったことに少なからず後味の悪い思いを感じているモモコに、桐島が言った台詞「あいつはもともとああなんだよ。あいつはさ、おかしいんだよ」を聞いたときに、自分の平安を脅かす理解し難い存在に対して、自分とは明らかに違うのだと切り捨てて「おかしい」というレッテルを貼り、「だから考えてもしょうがない」と、そこで思考停止し「無関心」に移行しようとした心の動きに、良く言えば割り切り、悪く言えば臭い物に蓋で「何故?」と原因に思いを致さない構図に、ハッとさせられました。
メイたちの通う高校の教師である、三田の高橋さん、沙織の松田さん(2役)、そしてメイの母方の叔母、マキの小野寺さん。
本人は真面目なのに、どこかひょうきんで憎めない三田と、教職にプライドを持って取り組み、生徒と向き合う沙織、義兄の家族を献身的に支えるマキ。
おのおの物語を円滑に次へ展開させる役割を担い、ひと癖もふた癖もある登場人物の間の凸凹したいびつな隙間を埋める、欠かせない存在でした。
■やるせなさと憐憫、ギリギリのところで繋がっている親子の情
メイの肉親、妻深雪の失踪以来、口数が少なくなった父親、泰吉は伊藤さん。明るく爽やかで優しい雰囲気の長兄、カズヤは三上さん。そして次兄セイジの杉浦さん。
寡黙に働き続ける父親と、デキる感じの高校教師の長男ときて、ニートの次男。自宅に引き篭り、テレビを見ながら常にお菓子を口に運ぶだけという無気力で怠惰な姿を見せるセイジに、最初は「お笑い担当のイジられキャラ?」と見えて、しかし何を考えているのか読めない、影のある風情に違和感を覚えましたが、その理由は突き詰めるとメイとの“関係”で、物語の後半に父親への告白という形で語られます。母の失踪を含め、家族のバランスが壊れたことへの「何故こうなった?」という、息子としての行き場のない憤りと共に「自分はおかしい」と、哀しいほど静かにとつとつと父に告白するセイジと、その全てを正面からありのまま受けとめようとする泰吉との二人のシーンは、やるせなさと憐憫と、それでもギリギリのところで繋がっている親子の情が感じらる演技に、胸を締め付けられました。
そして家族の中で只一人、何の瑕疵もなく物語を渡ってきた長兄カズヤ。物語中に仕込まれていた布石を拾い集め、起こった事象を集約していく過程で、メイではなく、実は彼こそが正真正銘のサイコパスで、自分の愉しみのために周囲を巻きこんでいたのだということが、ラストシーンの真理雄の行動によって言外に観客に悟らせた展開は、まさに虚をつかれた感じで、終始涼やかだったカズヤの様子に、人の性格は顔に出るとはよく聞かれる言葉ではあるけれど、悪い事を悪いという自覚なくやっている人間は、自分の欲望に忠実な分、意外に「邪気のない顔」をして隣に居るかもしれないと、薄ら寒い思いにかられました。
■「人」が一番怖いけれども、「人」から受けた傷を癒してくれるのもまた「人」
作品のコンセプトが、ホラーエンタメを題材にということで、近年話題に上るサイコパスを全体の伏線に、母と娘という同性親子間の確執と、イジメ、ニート、知的障害など、「普通」と呼ばれる社会では生き辛い事情を抱えた人々を登場させ、そこに最後まで「明快な真実が明かされない」という、観る者の言い知れぬ不安をあおる不確定要素を物語全体に通奏低音のように横たわらせ、しかし一方では、ホッと気を緩ませられるギャグシーンも散りばめながら、家族間のほほえましい情景と深い情愛、幼く悲しいほど透明な純愛、与えられるべきときに与えられなかった愛情への渇望などが切なく細やかに随所織り込まれた展開で、観劇後は、私たちが認識している「普通」って何なんだろう?と「普通」の概念が揺らぐとともに、「人」が一番怖いけれども、「人」から受けた傷を癒してくれるのもまた「人」なんだ、と思わされた、90分という枠の中で思考をフル回転させられる見応えのある作品でした。