緊張感が半端ない『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』、8月4日に大阪公演

尾上右近さん(左)と篠井英介さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

歌舞伎界の新鋭、尾上右近さんが翻訳現代劇に初挑戦した作品『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』が全21回の東京公演を経て、8月4日に大阪・サンケイホールブリーゼで上演されます。『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』は、2008年トニー賞作品賞受賞作『イン・ザ・ハイツ』の脚本家であるキアラ・アレグリア・ヒュディスによる、2012年ピューリッツァー賞戯曲部門賞受賞作です。筆者は、東京公演を観劇しましたが、戦争、薬物依存、ネグレクト、移民など、重い要素が扱われる中、それでも観劇後に、他人との繋がりによって、なにか可能性が広がっていくことを予感できるような、閉塞感の中から目の前に僅かな光を感じられるような、そんな印象の作品でした。

尾上右近さん(左)と篠井英介さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

尾上右近さん(左)と篠井英介さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

イラク戦争の帰還兵で、今はサブウェイでアルバイトをしながら俳優を志望している青年エリオット(尾上右近さん)には、生みの母オデッサ(篠井英介さん)と彼女の姉である育ての母ジニーの2人の母がいた。オデッサはかつて薬物依存で、そのためにエリオットは妹とともにネグレクトを受け、当時子供に大流行した胃炎により、2歳の妹メアリー・ルゥは絶命。自らも罹患したが、何とか助かった幼いエリオットは、伯母のジニーに育てられ成人した。

彼と仲の良い幼馴染みで、いとこのヤズミン(南沢奈央さん)は、音楽家志望だったが、現在は非常勤講師として大学で音楽を教えている。離婚調停真っ只中の彼女は、自分の音楽の才能と人生に行き詰まりを感じながら生きていた。

エリオットには、ずっと頭にリフレインする、アラビア語のとあるフレーズがあった。実はそれは戦争によって彼が抱えるPTSDの症状だったが、その言葉の意味を知ろうと、ヤズミンの知人であるアマン教授(影山泰さん)に翻訳を依頼するところから物語は始まる。

一方、かつての自分の悔やんでも悔やみきれない経験から薬物を止め、“シラフ”6年目になるオデッサは、薬物依存から抜け出すための更生支援のチャットルームを立ち上げ、管理人“俳句ママ”として、このオンラインのバーチャル空間に集う“オランウータン”、“あみだクジ”等、薬物依存と戦う人々と、何日間“シラフ”であったかを語り、互いに励まし、支えあって日々を生き抜いていた。

チャットルームの常連、ハンドルネーム“オランウータン”こと、日系人マデリーン(村川絵梨さん)は、生後間もなく日本からアメリカへ里子にだされ、紆余曲折の末、現在は釧路で英語を教えている。

同じく常連の、ハンドルネーム“あみだクジ”こと、アフリカ系アメリカ人ウィルスキー(鈴木壮麻さん)はロス在住の国税局の職員。彼は一度依存から抜けていたが、息子との不仲が引き金となり、再び薬物依存の渕に迷い込んだ過去を持つ。

ある日、ハンドルネーム“ミネラルウォーター”こと、フィラデルフィアの高級住宅街に住まう企業家のジョン(葛山信吾さん)がチャットルームを訪れ、オンラインバーチャルなコミュニティに新たな波紋が起こっていく。

そしてオフラインのリアルな世界では、エリオットの育ての母、ママ・ジニーが、がんで亡くなる。慈悲溢れ、わけ隔てなく人に接し、多くの人々に愛された彼女の葬儀のために、エリオットとヤズミンは疎遠となっていたオデッサを訪ねることになる。そこをきっかけにオフラインとバーチャルな世界が交錯し始める。

※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分には、東京公演の舞台の詳細なルポと写真を掲載しています。

<有料会員限定部分の小見出し>

■問題を多く抱えたエリオットが、尾上右近さんという芯を得て、矛盾なく存在

■オデッサの複雑な人物像は、篠井英介さんが演じてこそ!と思える瞬間が何度も

■母の愛情への渇望と失望、言葉の槍。母と息子のヒリヒリとした緊張感が半端ない

■人と人の関係性の中に、幾度もそれぞれの想いが凝縮された「スプーン一杯の水」が

<『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル ~スプーン一杯の水、それは一歩を踏み出すための人生のレシピ~』>
【東京公演】2018年7月6日(金)~ 7月22日(日) 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA (この公演は終了しています)
【大阪公演】2018年8月4日(土) サンケイホールブリーゼ
公式サイト
http://www.parco-play.com/web/play/wbts/

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(左から)尾上右近、篠井英介、南沢奈央、葛山信吾のみなさん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

(左から)尾上右近、篠井英介、南沢奈央、葛山信吾のみなさん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

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■問題を多く抱えたエリオットが、尾上右近さんという芯を得て、矛盾なく存在

主演、尾上右近さんの、確固たる「個」の煌きと存在感に目を奪われる。フィラデルフィア在住のプエルトリカン青年という、姿形はまごうことなき現代のアメリカに居そうな若者という風情に、しかし内面から滲み出る「華」とスッとしたブレない「芯」が感じられて、その存在感は素晴らしかった。

エリオットは、自分の家族、特に2人の母に対する複雑な思いを抱きながら、戦争で右足を負傷し、足を引きずるようになってしまったという身体の傷と、自分が殺したイラク人の亡霊に苛まれ続けるという心の傷、そして負傷治療の際に大量投与された鎮痛剤への依存という心身の傷も抱えており、背負っている荷物がとにかく半端なく多くて重くて多岐に渡る難役ですが、エリオットの持つ、それらの「要素」が、尾上さんという確たる芯を得て、“諸々の問題を抱える、等身大のひとりの青年”として矛盾なく舞台上に存在していて、その役へのアプローチも新鮮で、尾上右近さんという俳優のスケールの大きさを感じました。

エリオットが頑なに実の母を否定し責め苛むのも、裏切られた心の傷の大きさ故と想像に難くない。しかし根底のギリギリのところで、母を思い切れない肉親の情も確かに感じられて、難物のエリオットを遺憾なく表現していました。

尾上右近さん(左)と陰山泰さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

尾上右近さん(左)と陰山泰さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

■オデッサの複雑な人物像は、篠井英介さんが演じてこそ!と思える瞬間が何度も

篠井英介さん演じるオデッサは、Webサイトの管理人をやっている、一見世話好きで快活な女性。甘いとろけるような笑みと、どこか蠱惑的雰囲気も漂うミステリアスさも感じられる人物。しかし、その人あたりのやわらかさは、実の息子の前ではたちまち硬化し、瞳には暗い影が落ちてしまう。

これまで、何人もの薬物依存の人々を、その言葉で救ってきという彼女。“オランウータン”をして「自分が存在しているのは彼女のおかげ」、“あみだクジ”は「言葉の数々が俺の人生を救ってくれた」と、今もなお彼らにとっての水先案内人である彼女が、他人には惜しみなく示せる隔て無い慈しみと愛情は、何故か実の息子へは、彼女の全世界であるWebサイトのログインパスワードに息子の名前を設定するほどに愛している実の息子に対しては、頑ななまでに向けられないことは、彼女が自らの過去の行動で負ってしまった傷の深さと悔恨故と感じられます。

エリオットが実母を赦さないのと同時に、多分彼女自身も自らを赦せない。それでもあふれ出す行き場のない我が子への愛情を、チャットルームの住人たちに向けている、そんな印象を受けました。オデッサというさまざまな感情が折り重なった、作品中突出して複雑な人物像は、演出家のG2さんが「普通の女優さんでは難しかったろう」と言われていたとおり、篠井さんが演じてこそ!と思える瞬間を、劇中何度も感じました。

篠井英介さん(左)と葛山信吾さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

篠井英介さん(左)と葛山信吾さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

■母の愛情への渇望と失望、言葉の槍。母と息子のヒリヒリとした緊張感が半端ない

エリオットとオデッサ、舞台上で2人が同じ次元に相対するシーンは少ないのですが、2幕序盤でエリオットが同席していた“ミネラルウォーター”に、ご立派な管理人“俳句ママ”が、実はどんな人物なのかを知らしめるために、過去に起こった痛ましい出来事を語るシーンがあり、その自らの過去最大の過失を聞きながら、息子から向けられる剣呑な言葉の槍を受け止め、淡々と起こったことを補足していく血の気の失せたオデッサの様子と、一方息子としてエリオットが求めても得られなかった母の愛情への渇望と失望が滲み出ているそのシーンは、母と息子のヒリヒリとした緊張感が半端ない。

その結果、オデッサがジニーへの献花の代金を購うために、自分の大切な世界の入り口であるパソコンを質に入れろと、自室の鍵をエリオットに直接渡そうとして躊躇し、ヤズミンへと託すシーンは、母と息子の複雑な内面が残酷なほどに表現されていて、一際心に残るシーンでした。

南沢奈央さん(左)と尾上右近さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

南沢奈央さん(左)と尾上右近さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

■人と人の関係性の中に、幾度もそれぞれの想いが凝縮された「スプーン一杯の水」が

作品タイトルの「WATER by the SPOONFUL」は、エリオット兄妹とオデッサの、ほんの一瞬の幸せだったひとときを象徴する出来事に由来する言葉ですが、“オランウータン”と“あみだクジ”の赤裸々な激しい感情のぶつかり合いの果てに生まれた新たな関係性であったり、“ミネラルウォーター”と“俳句ママ”の静かで穏やかに互いを癒すだろうこれから始まる関係性の中に、幾度もそれぞれの想いが凝縮された「スプーン一杯の水」を互いに与え合う気配を感じて、人が人と共にそこに在ることの、誰かがそこに居てくれることの有難さを改めて感じることができました。

そしてエリオットたちの祖母からジニー、オデッサと続く、身近な人々を明るく導くオーディズ家の女性達のしなやかな力強さが、若いヤズミンへと引き継がれた現場を目撃して、“みんなが帰ることが出来る場所”が再構築されたことも、観劇後にふわりとやさしく残る印象のひとつと思えました。

鈴木壮麻さん(左)と村川絵梨さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

鈴木壮麻さん(左)と村川絵梨さん=『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』より、撮影:引地信彦

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