2016年10月6日、「7本指のピアニスト」・西川悟平さんは、コンサートツアーの合間を縫って堺市立浜寺小学校を訪れました。ここは悟平さんが1987年に卒業した母校。卒業生でピアニストの悟平さんのお話を現役の6年生が聞くという、キャリア教育を含めた歓迎会が開かれたのです。まずは、西川悟平さんの母校での演奏の動画をご覧ください。悟平さんのために、友人のミュージシャン・松藤由里さんが作ってくれたオリジナル曲「プレリュード イ短調」です。
悟平さんの母校訪問には、筆者の松中も同行し、12歳の子どもたちと一緒に卒業生・西川悟平さんの話を聞きました。
“世界中で演奏活動ができるピアノの先生になりたい”というほど子ども好きな悟平さんですから、大勢の子どもたちを前にしてもまったく憶することはありません。ひとりひとりの顔を見て反応を確かめながら、やさしい言葉で話す先輩・悟平さんの話は、すぐに子どもたちの心をつかみます。
順風満帆で過ごしてきた人の成功物語でも、病気で大変な思いをしている人の苦労話だけでもない。「そんなこと無理に決まってる」、「できる訳がない」と言われたことにチャレンジし続けている悟平さんの話は、説得力がありました。
■映画の中の世界に住むって言うたらアホかってなるやんか。でも、住むって決めてん
悟平さん――この小学校におった時って、僕、自分にこんなちっさい枠をはめててん。ブラウン管の向こうの世界は、自分とは関係ない、縁のない世界って。でも、みんな、その枠をはずしてみて。例えば、小学生のときふざけて「ゴーストバスターズ!」って歌ってる僕が、あの映画の中の世界に住むって言うたらアホかってなるやんか。でも、住むって決めてん。
悟平さん――君たちいま何歳?11歳?12歳?僕12歳の時ピアノなんか弾かれへんかった。どこにドの音があるかもわかれへんかった。15歳で初めてピアノ習って、ピアノって綺麗やから「ピアニストになりたい」って言ったら、アホちゃうかってみんなに言われた。けど、今、僕ニューヨークで、ピアノでご飯食べてる。
持ち前の明るい笑顔と分かりやすく面白い話しぶりに、6年生は身を乗り出して話を聞き、先生方も大変喜んでおられました。
※ここからアイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分です。西川悟平さんが母校で話した内容を詳しく紹介します。小学生の頃はピアノの道に進むとは全く考えていなかった悟平さんが、なぜ今、ニューヨークでプロのピアニストになったのか。病気になっても、それを克服できたのはなぜか。夢をもつのはなぜ大切なのか。予定になかったピアノ演奏も飛び出した、あっという間の45分を詳しく紹介します。
<有料会員限定部分の小見出し>
■6年生80余名が花束と校歌斉唱で歓迎。「お伝えしたい浜小」を説明
■マイケル・J・フォックスさんと募金活動をして、1日で集まった額は…
■「絶対無理」って誰かに言われても、できるかも!って考えてくれる?
■「こんなふうになりたい!」って決めるんや、そしたらいっぱい努力するやん
■失敗した時に「失敗」と思ったらあかん。それが失敗を続ける人と成功する人の違い
■小学生から悟平さんへの質問と答え
■ジストニアになったときの気持ちは?
■尊敬するピアニストはいますか?
■ピアノをなぜ始めようと思ったんですか?
■ピアノを弾いてる時の気持ちを教えて下さい
<西川悟平ライブ・イン・ジャパン>
【神奈川公演】2016年10月31日(月)開演19:30 モーション・ブルー・ヨコハマ
http://www.motionblue.co.jp/artists/nishikawa_gohei/
<西川悟平ジャパンニューイヤーコンサート>
【神奈川公演】2017年1月19日(木)開演19:00 横浜みなとみらいホール 小ホール
http://www.yaf.or.jp/mmh/schedule/detail.php?s_y=2017&s_m=01&ev=6337&c_y=2017&c_m=1#scroll_2016001094
<関連サイト>
西川悟平オフィシャルホームページ http://gohei.info/index.html
Gohei Nishikawa 西川悟平 facebook https://m.facebook.com/gohei.piano/
- 「にこたん♡ソープ」は手洗いの大切さと、夢をもつ素晴らしさを伝えます 2017年2月16日
- 西川悟平さん、11月2日に武道館出演へ 抽選で2020人無料招待のライブ 2016年10月25日
- 「失敗を失敗と思ったらあかん」、ピアニスト・西川悟平さんが母校で語った話 2016年10月24日
- 国境も貧富も超えて心の奥に届く音楽、ピアニスト・西川悟平さんインタビュー 2016年10月17日
- 「7本指のピアニスト」西川悟平さん、10月3日と8日に大阪、10月11日に東京でコンサート 2016年9月26日
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■6年生80余名が花束と校歌斉唱で歓迎。「お伝えしたい浜小」を説明
悟平さんが通っていた頃から変わっていないという校舎。担当の6年生が迎えに来て、校長室から音楽室への移動中の悟平さんは、階段で声をあげました。「僕、ここで、これからはレコードやなくてCDっていうもんの時代やねんてって話をしたわ!」
現役6年生にはCDは当たり前で、レコードの方は「知らない」そうです。時代の流れを感じつつ会場の音楽室へ。「こんにちは~~!」と大きな声で挨拶する悟平さんを、6年生80余名が花束と校歌斉唱で歓迎しました。
そして、悟平さんのお話が始まる前に「先輩・西川悟平さんにお伝えしたい浜小」についてという、浜寺小学校の近況報告がされたのです。これがなかなか素敵でした。子どもたちが次々と手をあげて30年近く前に卒業した悟平さんに「今の浜小」の様子を伝えてくれました。
「来年から教室にエアコンが設置されます」「浜寺地区にしか咲かない浜寺草という草花をグランドで育てています」「浜小のいいところは、みんなが優しいところです」はきはきとして、素直で、とても元気な子どもたちでした。
■マイケル・J・フォックスさんと募金活動をして、1日で集まった額は…
そしていよいよ、卒業生で、プロのピアニストである西川悟平さんのお話が始まりました。
悟平さん――みんな映画見る?僕、この小学校に来てた時、“ゴーストバスターズ”が流行っててん。知ってる?ゴーストバスターズ。30年前に見てたあの映画がロケしたところに、僕、今住んでるねん。もうひとつ、同じころの映画に“バックトゥザフューチャー”があってな、僕、主人公の男の子をやったマイケル・J・フォックスが大好きで、絶対いつか会いたいと思っててん。そんで僕、去年、彼に手紙書いて、一緒に仕事始めたの。ハリウッドのスタ―の人たちの前で、あの人がしゃべって、僕がピアノ弾いてんな。映画の中の人たちと一緒に仕事をするっていう僕の夢がかなったの。
悟平さん――みんな100万円が高いお金って分かる?1000万円が高いお金って分かる?もう分かるよな、6年生。それよりもっと高いお金、(*1億!と子どもたちから声が上がる)あ、1億も分かるん!僕な、手が悪いんやん。ジストニアっていう病気になって、普段は動くけどピアノ弾こうとしたら指動けへん、不自由があるんやんか。マイケル・J・フォックスさんもパーキンソン病っていう病気があって不自由やねん。だから一緒に協力して募金活動をしようってことになって。それで、病気を治すための研究費をつくろうっていうことで、こないだ一日で1億7千万、集まってん。
■「絶対無理」って誰かに言われても、できるかも!って考えてくれる?
悟平さん――君たちも、こんなんやってみたいなあとか、なんか夢があったら、「そんなん絶対無理」って誰かに言われることもあるかもしれへん。でも、無理やろなって思わずに、できるかも!っていうふうにちょっと考え方変えてくれる?考え方ってすごく大事で、絶対無理って思った時点でできることもできへんねん。でも、できへんことも、出来ると思ってコツコツと努力して続けて行くと、急に出来る日がくるねん。それが、いきなり来週できる。いきなり来年できるっていう保証はない。けど、今君たちが頭に描いたことが30年後にかなってるかもしれへん。それが、今の僕です。
せっかくだから子どもたちにピアノを聴かせたいという悟平さん。予定になかった演奏で、友人のミュージシャン、松藤由里さんが悟平さんのために作ってくれたオリジナル曲「プレリュード イ短調」をプレゼント。古い音楽室のピアノが、聞き慣れた音とは違う音を奏でるのを、子どもたちは間近に耳にすることが出来ました。この日一番の大きな拍手がおきたミニライブでした。
■「こんなふうになりたい!」って決めるんや、そしたらいっぱい努力するやんか
悟平さんは、「プレリュード イ短調」を演奏してから、こう話を続けました。
悟平さん――自慢話をするために言ってるんじゃなくて、僕が君たちに言いたいのは、僕の人生って、「絶対無理やろ」って言われたことが全部かなったってことやねん。
悟平さん――だから君たちも、「こんなふうになりたい!」って決めるやん、そしたらいっぱい努力するやんか。たとえばどこどこの高校に行きたいとか、漁師になりたい、医者になりたいとか。そうなるまでに、何回も失敗するときがある。失敗の連続で、失敗の数の方が、成功した数より多いかもしれへん。
■失敗した時に「失敗」と思ったらあかん。それが失敗を続ける人と成功する人の違い
でも、失敗した時に「失敗した」と思ったらあかんで。失敗したら、「やった!」って思って。ここが、失敗を続ける人と成功する人の違いで、失敗した時に「新しいことを習えた!やった!」と思う人は、それをどんどん肥やしにしていく。そして引き出しいっぱい作れる。いっぱい嫌な経験して、試験すべったとか、間違えた、またやってもうたと思ったとしても、そこから習えることが多いっていうふうに考えるようにしてくれる?
悟平さん――「俺はダメや」と思う瞬間、僕も何回もあるねん。けれど、ダメやと思い続けるんじゃなくて、「じゃあ、どうやったらあの失敗を免れたんやろう」、「どうやったら次はもっと良くなるんやろう」って考え続けていけば、最後に絶対自分の夢が叶う日が来るねん。それが20年、30年かかったとしても。だから、それだけ分かってくれたら、あきらめずにずっとやってくれたら、君たちはなりたい自分になれる日が来る!
小学校6年生の子どもたちに、まっすぐ届く言葉と音が、かつて悟平さんが学んでいた音楽教室に響いて、あっという間のお話が終わりました。「もし、君らがなりたい自分になられへんかったら、僕、“ごめん”って言ってご飯おごったげる」とみんなを笑わせて、先輩西川悟平さんのお話は終わりました。
■小学生から悟平さんへの質問と答え
ここからは堺市立浜寺小学校での悟平さんと子どもたちとのやりとりをお伝えします。
小学生――僕は、医者になりたいんですけど……
悟平さん――ええやん!なんで医者になりたいん?
小学生――おじいちゃんが生まれる前に死んでるから、そういう人を助けれたらいいなあと思って。
悟平さん――君はね、絶対いい医者になれる!絶対、なるで。ありがとう。いっぱい助けてあげてな。それで、僕が死にそうになったら助けてな。
■ジストニアになったときの気持ちは?
小学生――ジストニアになったときの気持ちを教えて下さい。
悟平さん――ジストニアになったとき?死にたかったです。なんでって言ったら、ずっといっぱい練習してきた中で、5人くらいのお医者さんに言われてん。日本のお医者さんとアメリカのお医者さんで権威と言われてる人たちに、「悟平さんは絶対、死ぬまでピアノは弾けません」って。「二度と治りません」って5人に言われてんな。ずーっと練習してきたのにさ、過去に練習したこともなくなるし、これからやろうとしてることも全部なくなるし。
悟平さん――だから、君、さっき医者になりたいって言ってたOくん、覚えとってくれる?患者さんに「あなたは治りません」って言うような医者になったらあかんで。「一緒に治していこうな」って言う医者になってくれる?
悟平さん――もうちょっとこのこと話させてな。もう未来ないと思って落ち込んだ。けれど、さっき言ったマイケル・J・フォックスとコラボで1億7千万っていうお金集めたやん。それを病院に寄付してん。全部。でね、病院の先生に言ってん。「僕はこの1億7千万円を、あなた方が絶対弾かれへんって言った手で弾いて稼いだ。それを全部あげる。あげるから、治療や研究に使って下さい。その代り、絶対に患者さんに“二度と治りません”とか、“一生こういう症状を抱えたまま生きて行くことになります”とか、患者さんが不安になるようなことを言わないでください」って。そしたら、僕、全米とヨーロッパの医療雑誌の表紙になってん。全然ちゃうで、こんな顔と(笑)。もっとポーズとってん(笑)。そしたら、世界中の人たちから「勇気もらいました」っていっぱいメールもらった。
悟平さん――僕が言いたかったのは、死にたかったけど、負けずに努力をしたら7本指まで回復してピアノが弾けるようになりました。どんどんコンサート活動が出来るようになった。君たちも死にたい気持ちになる日があったとしても、頑張って続けて。負けずに努力をしたら、いいふうになるってこと。
■尊敬するピアニストはいますか?
小学生――尊敬するピアニストはいますか?
悟平さん――心をこめて演奏する人が好き。上手な人はいっぱいいるんですよ。だけど、うまい人の中で、心をこめて演奏する人が良いなあと思う。
■ピアノをなぜ始めようと思ったんですか?
小学生――ピアノをなぜ始めようと思ったんですか?
悟平さん――中学校の音楽の先生がきれいやってん。先生に習ったら二人っきりになれるかなあと思って。下心があったんやな。人生どうなるかわからへんな。
■ピアノを弾いてる時の気持ちを教えて下さい
小学生――ピアノを弾いてる時の気持ちを教えて下さい
悟平さん――素晴らしい質問。えっと、感無量です。「感無量」って言葉分かる?例えば今日も、さっき弾いてたときすごい幸せでした。というのは、30年ってすごい昔やんか。君ら何回も生まれ変われるくらい。30年前、僕がこの音楽室にいた時は、リコーダーでピーって音鳴らして「悟平、違うやんか!」って怒られてた。30年後、ここで西川先輩とか言われてピアノ弾いてる。すごく時間がかかったけど、僕の夢を叶えることができたし、みんなの前で演奏できて、すごく幸せな気持ちでした。