2010年の日本初演から9年。イギリスの劇作家Joe Penhall作『BLUE/ORANGE』が、2019年4月28(日)日まで、東京・DDD青山クロスシアターにて上演中です。ロンドンの精神病院を舞台とした、ワンシュチュエーションの丁々発止の会話劇。2人の精神科医、ブルースとロバート、患者のアフリカ系の青年、クリストファー。議論に次ぐ議論の中、己が基本的価値観さえも足元から揺らいでゆく白熱の芝居をレポートします。
≪STORY≫(『BLUE/ORANGE』公式サイトより)
ロンドンの精神病院。境界性人格障害のために入院していたアフリカ系の青年クリストファー(章平)は、研修医ブルース(成河)による治療を終えて退院を迎えようとしている。しかしブルースには気がかりなことがあり、退院させるのは危険だと主張していた。上司のロバート医師(千葉哲也)はそれに強く反対し、高圧的な態度で彼をなじる。納得のいかないブルースはクリストファーへの査定を続け、器に盛られたオレンジの色を問う。彼はそのオレンジを「ブルー」と答えた……。
約200人を収容する密な劇場空間は、3つのエリアに分けられており、真ん中に細長い舞台、舞台を挟んで相対する形で設けられた客席があり、観客は舞台を観ながら、同時に演者越しに対面に座っている観客の姿・表情が見え、目の前で起きる事件と、それに対する「世間」の反応を、同時に体感できる仕掛けになっていた。
セットは病院らしくほぼ白の配色。中央にテーブルと椅子を配した、カジュアルなミーティングルームといった風情。テーブルの上には、ガラスのボウルに盛られた色鮮やかなオレンジが数個。
天井は(通常では舞台向かって右手にある)劇場入り口側から徐々に斜めに低くなり、劇場入り口とロビーを部屋の出入り口と病院のロビーに見立てていて、劇場入り口側はクリストファーが帰りたがる「外」その反対側は低い天井故に「閉ざされた閉塞空間」を思わせる。
その閉じた空間である劇場入り口反対側には、掃除用バケツとベンチと空気清浄機、そしてなみなみと水を湛えた大きなボトルを頂く給水サーバー。セットとしての「病院の設備」の一部という役割と、怒涛のような台詞の応酬の芝居のため、文字通り「給水」を兼ねて設置されたものと思われるが、上演中に演者が給水するたび、ボトルの中で沸き上がる気泡の形と音が、ある時は場の空気感を助長して不安定さを煽り、またある時は、「おいおいしっかりしろ、正気に戻れ」と言わんばかりに、劇中の議論の洪水に溺れそうになっている意識の気付け役になったりと、なかなかに面白い効果を出していたように感じられた。
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<有料会員限定部分の小見出し>
■一見非日常的。しかし話のそこかしこに、じっとりと、知っている感覚が登場する
■成河さんのブルースはとても自然体。細やかな演技が劇場隅々まで伝わってくる
■千葉さんのロバートは、独特の間合いが絶妙で「何考えてんだ、このおっさん!?」と
■章平さんのクリストファーは、客席に与えるギャップが凄まじい。スケールの大きさを感じた
■「この芝居ヤバイっしょ!」と声を大にして言いたい、とても見ごたえのある面白い芝居
<舞台『BLUE/ORANGE』>
【東京公演】2019年3月29日(金)~4月28日(日) DDD青山クロスシアター
http://www.ddd-hall.com/
作:Joe Penhall、翻訳:小川絵梨子、演出:千葉哲也
出演:成河、千葉哲也、章平
公式サイト
https://www.stagegate.jp/
- 2019年以前の有料会員登録のきっかけ 2020年8月18日
- 「この芝居ヤバイっしょ!」と声を大にして言いたい、舞台『BLUE/ORANGE』ルポ 2019年4月16日
- 「本質に立ち返るべき。参加型じゃない演劇って何?」、成河インタビュー(下) 2019年3月24日
- 「自分の考えを率直にぶつけました」『COLOR』成河・井川荃芬対談(下) 2022年9月5日
- 「俳優はプロデューサーと一緒に創りたい」『COLOR』成河・井川荃芬対談(上) 2022年9月4日
- 「ファンクラブに入っていたかも」『COLOR』浦井健治・小山ゆうな対談(下) 2022年9月2日
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■一見非日常的。しかし話のそこかしこに、じっとりと、知っている感覚が登場する
物語は精神病院での患者の処遇についての議論がメインで、一見非日常的な話題で重いものにも感じる。しかし話のそこかしこに、じっとりと「ああ、知っている。この感覚」と感じる箇所が登場する。たとえば、互いに意味の通じる会話を交わせていたかと思うと、突如、目を爛々と輝かせハイになり、頓珍漢なことを言い出したり、突然激高したりする「喜怒哀楽」の表出が激しいクリストファーと、なんとか落ち着かせて、多少強引にも「こちら側」へ、互いに積み上げられる会話に戻そうと辛抱強く導くブルース。このあたりの構図は、さながらぐずる幼児と母親、やんちゃ盛りの生徒と教師、学生気分の抜けない部下と上司、などなど、場所や立場こそ違え、どうすれば理解してもらえる、または、どうすればこの場を収めることができるのかと頭を悩ませた経験をお持ちの方も少なくないのではと思う。
逸脱しかけている方向性を「あるべき」世間一般の方向へ修正する。反論の余地はない、もっと言えば「正しい」行動に思える。しかし、ブルースの上司、ロバートの登場によって、この「正しい」はずの方向性が揺らぎ始める。彼はブルースとはまったく異なった視点から「君の診断は誤っている可能性はないか?」と意見を述べる。ブルースにとっての「正しくないもの」は、クリストファーの生まれと育ちから考えれば「普通」のことで、否定されるものではない。それを否定しようとする君の方こそ傲慢ではないのか? と。
■成河さんのブルースはとても自然体。繊細で細やかな演技が劇場隅々まで伝わってくる
成河さんのブルースはとても自然体。冒頭でのハイテンションで喋りまくるクリストファーと相対する姿は「舞台の上」どころか、ともすると隣でこちらを気遣いながら同じ目線で語りかけてくれているような、とても繊細で優しい印象を受けた。
クリストファーとロバート、彼らの発する奔放な言葉を、真正面からガッチリと受け止めた瞬間、彼がすんなりとは理解しがたいその意味を咀嚼しようとして、自らの内に不安が細波のように広がっていく細やかな表現が、視線の揺らぎや呼吸のペース、早鐘を打つ鼓動までが感じられそうなほど、小劇場だけに客席にまでしっかりと伝わり、クライマックスに向けて彼がどのように翻弄され、そして暴発していくのかの段階が、同調できそうなほど体感できた。
クリストファーの台詞で「あんたさっきと別人みたいだ」という言葉があるが、価値観の相違にぶつかり、起こるべくして起こった「自らが信じていたあるべき姿」が崩壊し、追い詰められたブルースの、人相が変わるほどの表情の変化はすさまじかった。
■千葉さんのロバートは、独特の間合いが絶妙で「何考えてんだ、このおっさん!?」と
千葉さんのロバートは、見た目の渋さとは裏腹に、剽軽な振る舞いで他人を煙に巻くリアリスト。昔懐かしい「ドリフターズ」的な、体当たりな笑いもちょくちょく提供。客席の注意を引き付ける、居方が醸し出す独特の間合いが絶妙で「何考えてんだ、このおっさん!?」というキャラがブルースとそして客席を掻き回す。彼の発言は時にえげつなくはあるが、現実をどう回していくかという点で共感できるところも多々あり、そこが何とも複雑な人物感を抱かせる。
ブルースとの会話では上司と部下ということもあり、圧倒的優位に立つが、クリストファーとの会話の場面では、彼の言動にロバートが翻弄されるのが立場逆転で面白い。彼らのやりとりを見ていると、価値観と文化が異なり、「暗黙の了解」や「共通認識」という、社会を円滑に回す要素が存在しない状態では、権威による無言の圧力は無論通じないばかりか、子供の喧嘩のような、感情むき出しの短い台詞の応酬で、クリストファーへ上手く切り返せなくなるロバートの姿に、日常でいかに私たちは互いに忖度しあって、スムーズなコミュニケーションが成り立っていることかと思い知らされた。
また、おそらくは疑ったことのない「一定の常識」と思っていることさえ、他人に説明するのが面倒で完全放棄したのか、はたまた大した理由付けも持たぬまま行動していたゆえかはわからないが「意外に底の浅い人物?」と、地金が透けたかとも感じたのだが、終盤、ロバートの台詞に虚をつかれるシーンもあり、いろいろな意味で、ますます「喰えないおっさん」感を強くした。
これは私事の全くの余談ながら、今回が初見の本作での、ロバートの初登場シーンで、劇場入り口から登場した彼の姿を認めた瞬間、一瞬そこに故・中嶋しゅう氏が現れたと見紛い驚いてしまった。初演のお三人で「いつか再演を」と話していらした作品とのことなので、たぶんきっと、ずっと氏はここで公演を見守っていらっしゃるのだろうなぁ、などと手前勝手に感じた瞬間だった。
■章平さんのクリストファーは、客席に与えるギャップが凄まじい。スケールの大きさを感じた
章平さんのクリストファーは、こちらが怯む凄みを含んだ雰囲気に立派な体躯、そしてテーブルを軽々と飛び越える身体能力の高さが、人に懐かない野生の獣を思わせる。先日のインタビューで「異物としてそこにある」と、初演でクリストファーを演じた成河さんがおっしゃったとおり、彼に対して強烈に感じるのは「違和感」。
パーソナルエリアを気にもとめず話す若者のノリで「ヤバイっしょ!」を連発しながら楽し気に語る彼が見ている世界は、我々には容易に共有・共感することが難しいもので、しかしそれを当然のように滔々と語る彼への違和感が、じわじわと我が身を脅かしかねない得体のしれないモノ、ある意味「恐怖」に変わっていく。
かと思うと、ブルースやロバートに「突き放された」と感じて不安になった瞬間の、親とはぐれて途方に暮れた幼子の様に怯えたクリストファーを見ると、彼の感じる不安や怯えに共感して、守ってやらねばと駆け寄って抱きしめてやりたくなりもしたりと、客席に与えるそのギャップがとにかくすさまじい。
彼に対して抱く相反する感情、拒絶の警戒と慈愛の庇護の意味でも、常に注意を向けたくなるオーラを終始放っていて、とにかくスケールが大きいと感じた。若さに似合わぬその存在感は、三人芝居のこの作品のキャラクターバランスを見事に保っていて、客席が誰かひとりに偏らず、登場人物それぞれの視点から作品を味わうことに大きく作用しているのではと感じられた。
■「この芝居ヤバイっしょ!」と声を大にして言いたい、とても見ごたえのある面白い芝居
たとえ同じ言語を話し、同じものを見ているとしても、その解釈、五感で感じる「世界」は自分と相手、必ずしも100パーセント一致することはないのだろうとこの作品を観て改めて感じた。育った環境、現在の生活環境により価値観はひとそれぞれに多様に分化する。さらには自分と他人、まったく個別に生存生活する別の個体ゆえに、外界からの刺激に対する反応、情報解析は完全に一致するか? というところにははなはだ疑問があると思う。
わかりやすいところで、写真に写っているドレスの色が、見る人によって「白地に金」または「青地に黒」のどちらかに見えるという、SNSで2015年ごろに話題になった一枚の写真をご記憶の方もいらっしゃると思う。これなどは個体差による脳の色情報解析の違いであろうし、物議を醸した捕鯨やイルカ漁の問題などは、文化圏が異なる故の価値観の違いとも言える。
21世紀になり、国や地域による差異は、交通と通信の発展で地球がどんどん狭くなり、広く一般的に受け入れられている価値観、宗教などをベースに共通認識も育まれつつある。しかしそこから逸脱しているもの、たとえるなら「オレンジはブルー」という、自分とは異なる感性・価値観に遭遇したとして、理解が及ばず受け入れ難いとしても、それを排し廃れるべきと考えるのは傲慢では? と、さまざまな問いかけを内包した本作を観て、そのような思いを強くした。
キャラクターと演者、双方三者三様の際立った個性が、まったくの対等でガチにぶつかり合う会話劇。役者同士の関係性で構築された演出だけに、演者同士のリアルな人間関係がシーンの端々に垣間見えて、それがキャラクター同士の関係性をも裏打ちし、さらに立体的な生きた世界を客席に感じさせる。
スピーディーな台詞と緊迫感で、息つく暇も与えぬ155分。ラストシーンでは「え、そういう関係性で行くんだ?!」という意外な驚きとともに、想像しうる今後の人間関係に思わずニヤリの展開。あえて一言で作品の感想を述べるとすれば、クリストファー顔負けにハイテンションで「この芝居ヤバイっしょ!」と声を大にして言いたい、とても見ごたえのある面白い芝居だった。