この春、まちの風景の中で、なのはなに目をやるようになった。青空の下、鮮やかな黄色い花が風にそよぎ、揺れている姿を眺めては、ひとつの物語に思いをはせる。そうして、いつもの春とは違うまなざしを向けるようになったのは、劇団スタジオライフの舞台『なのはな』を観たことがきっかけだ。2019年2月27日から3月10日まで東京で、その後4月12、13日に大阪で上演された舞台。東京と大阪、両公演の初日を観て感じたことなどをお届けする。
この作品は、少女漫画家の萩尾望都さんが、東日本大震災と同年の2011年8月に発表した短編漫画『なのはな』を、スタジオライフが2019年に初めて舞台化したもの(脚本・演出 倉田淳)。物語は、ナホという小学6年生の女の子と家族が主軸となっている。原発事故の影響で自宅を離れて、避難先で暮らすナホと家族。ばーちゃんは津波で行方不明のまま。ある時、ナホは夢の中でばーちゃんと再会する。隣には人形を手にした西洋人の女の子。再び夢の中で会った時、女の子は、ばーちゃんの使っていた種まき器を持っていた……。
原作者の萩尾さんは、大震災・原発事故の影響により、多くの人の運命が変わってしまったことに心を痛め、想いを寄せて『なのはな』という短編を生み出したという。それをスタジオライフが、1時間の舞台として立ち上げた。本作品では、家族の物語というスタンスに忠実に、ナホの夢と現実が交錯していく展開をダイナミックに見せて、かつ心の機微を繊細に表現。そうして、“なのはな”に希望を見い出していく地点に至るまでの過程を丹念に見せている。
私は東京公演初日を観終わった後、この作品をまた観たいと思った。この舞台が生き物のように感じられたからだ。この作品が生まれた根っこには、原発事故がある。現在進行形の深刻な事実を扱うからこそ、家族の小さな営みを大切にする姿勢。そこに好感を覚えた。そして私自身、福島県沿岸部に足を運んでいたことにもよる。2012年から14年当時、私はある高校生たちの演劇に出会って、観て終わりにしてはいけないという衝動に突き動かされて福島県沿岸部に通い続けた。だが大震災と原発事故の爪痕が生々しかった時期、現場を見れば見るほど、話を聞けば聞くほどに伝えることの葛藤に苛まれて一時期書けなくなった。とことん悩みあがいた末、それから世の中と表現とのつながりへの関心が強まった。あの時の経験が今も身体の中に沁み込んでいて、それが書いて伝えることの原動力の一つになっている。地に足をつけながら、どこまで広がりをもって豊かに表現できるか。その可能性を見つけていきたい。そうした中で、スタジオライフの『なのはな』に出会った。
スタジオライフは、ファンタジー色の強い漫画原作を舞台化することも多い。そんなスタジオライフによる『なのはな』だからこそ、この舞台における現実感とファンタジーとの融合が、公演を重ねることで、どのように変化していくのだろうということに興味があった。
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■吐く息が白かった早春から、なのはなが咲き誇る陽春へ
■ナホ役の松本慎也さん、悲しみを抱えている状態を見せられる安心感
■「なのはな」「種まき器」という物理的な角度からつながる
■今を生きる人に伴走するように、これからの道標を作ってくれた
<スタジオライフ『なのはな』>
【東京公演】2019年2月27日(土)~3月10日(日) 東京芸術劇場シアターウエスト(終了)
【大阪公演】2019年4月12日(金)~4月13日(土) ABCホール(終了)
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■吐く息が白かった早春から、なのはなが咲き誇る陽春へ
2月27日の東京公演初日を観た時は、大震災が起きた3月が間近という時期で現実感の方が気になった。私自身、福島での実体験から感じたものをベースに作品を観ていた。吐く息が白かった早春から、なのはなが咲き誇る陽春へと移り変わり、大阪公演を観に行った。4月12日の大阪初日では、よりファンタジーとして向き合えた感触がある。それで、現実感から離れることにより浮かび上がるファンタジーの力をより感じることができた。
だから、このリポートは舞台そのものの変化に加えて、私自身の受け止め方の変化も交ざっている。東京と大阪の初日両方を観た実感としては、おもに二つの変化が感じられた。それは、キャストの感情の表れ方が違って見えたこと。そして現実と夢のシーンが、二度目に観た時はひとつながりに感じられたことだ。
■ナホ役の松本慎也さん、悲しみを抱えている状態を見せられる安心感
本作品は2つのチームによるダブルキャストで上演され、私が観劇した東京・大阪公演の初日ともにK(クークラ)チームだった。
松本慎也さんが演じる主人公のナホは、東京公演の初見では、大好きなばーちゃんがいなくなって、悲しみを内側に抱え込む姿が印象に残った。我慢という心の動きが、内面と外面を隔てる分厚い輪郭として浮かび上がってくるようだった。それが大阪公演では、むしろ内にある悲しみそのものが表出しているように感じられた。我慢というバリアで我が身を覆わなくても、悲しみを抱えている状態を見せられる安心感が漂っているように見えた。
それは、ナホだけではない。東京公演の初日と比べて、大阪の初日では、家族間でも、それぞれの感情の交換が滑らかに運んでいるように感じられた。ナホを見守る父(船戸慎士)と母(仲原裕之)、「ナホは時間を止めてはダメだ」と言ってナホに兄貴然とした態度を示す兄(宇佐見輝)、朗らかなキャラクターのじーちゃん(倉本徹)。それでいて皆、実は伝え難い想いを抱えている。それが、地元の祭りで歌うために東京から帰ってきた音寿(明石隼汰〈客演〉)の歌を聞いて、普段は見せない感情がにじみ出ていく。
また、ばーちゃんの昔からの友人の藤川さん(藤原啓児)が訪ねてきたシーンでは、藤川さんを通して語られるばーちゃんの想いに触れて、こらえていたものがあふれる母の姿があった。それまで沈んでいたナホは、藤川さんから聞いた“なのはな”の話に希望を見い出していく。そうやって、互いの関係性の中で感情が行き交い、ばーちゃんの昔話をするという別の方向から新たな風が吹き、なのはなを介して未来への希望につながっていく。そんな流れが公演を重ねたことで、より滑らかになっていると感じた。
■「なのはな」「種まき器」という物理的な角度からつながる
もう一つの変化としては、二度目に観た時は、ファンタジーの作品が現実となじんでいくように感じられた。ばーちゃん(若林健吾)がいない現実と、ばーちゃんと再会できた夢の世界。ナホの視界には現実と夢の二つの状況があって、舞台では双方に行き来する展開をダイナミックに見せている。初めは、映像による美しさや恐ろしさのインパクトや、現実から夢への飛躍が印象的だったが、次の観劇時には「なのはな」「種まき器」という物理的な角度から、現実と夢がつながっていくことが、より鮮明に目に映った。
そして、舞台の上にある白いドア枠が、夢と現実を行き交う中で境界のように存在していたのが象徴的だった。そこに、西洋人の女の子(伊藤清之)が現れて、夢の中でばーちゃんのもとに案内してくれる。「あなたはチェルノブイリにいるあたしだね?」「あたしはフクシマにいるあなた」。このセリフに行き着くまでの二人のやりとりには、目を奪われた。言葉を発さない女の子の静けさと、感情を露わにするナホの激しさや戸惑いが折り重なって、言語ではないところのコミュニケーションが育まれていた。時間と場所の隔たりを越えて、「わたし」と「あなた」、「ここ」と「そこ」をつないでいく。そんなファンタジーの可能性に魅了された。
なのはなに希望を見い出したナホは、ばーちゃんの使っていた種まき器を自分が使っていくことを決める。そのシーンは、ばーちゃんはナホの心の中で生き続けることの転換点だと感じた。そうやってナホは、自分の意思で希望の方に向かって、今とこれからを生きていくのだろう。
その時には、もう舞台上からドア枠が取り払われていた。そうして現実と夢がつながっていくことを感じられた時、じんわりと感情の波が心の中に押し寄せた。震災という外枠を越えて、今度は観客それぞれの内にある日常の中の体験とつながって共振する瞬間が、クライマックスに向かうにつれて何度か起きた。その時、場内全体があたたかな空気に包まれた。
終盤、なのはなの黄色い光を浴びて、キャスト一人ひとりが微笑みながら佇むシーンは、とても美しかった。舞台『なのはな』は、1時間という有限の時間の中で、ファンタジーの無限の広がりを感じた作品だった。
■今を生きる人に伴走するように、これからの道標を作ってくれた
東京でも大阪でも、終演後の舞台挨拶時にキャストが「真摯に」「作品に寄り添う」という言葉を幾度も発していた。その言葉を反すうし、二度の観劇体験を思い返すと、今回の公演は、希望をつないでいくための静かな闘いだったのではないかと感じる。
この作品が生まれ、育まれた根底には、原発事故がある。現在進行形の深刻な事実をベースにするからこそ、見つめるのは人であり、家族の小さな物語を大切にする姿勢。そのことの儚さと、かげがえのなさを思う。この物語は今を生きる人に伴走するように、これからの道標を作ってくれたのではないか。
私個人はこれまで、東日本大震災に関しては、現実を見つめることをやってきたように思う。それでいて、目にみえる現実だけを見ていては収まりきれないほどの複雑さを感じてきた。このスタジオライフの舞台『なのはな』を観劇して、現実とファンタジーがひとつながりになることによる、表現の可能性の広がりに出会えた。
萩尾さんは、東日本大震災と同年の2011年8月にこの漫画を描いた。スタジオライフがこの作品を舞台化して上演した2019年の今は、2011年当時から見たら近い未来でもある。この『なのはな』という、未来へ向かう物語を8年の歳月を経て舞台化したこと自体が、未来へつなぐ活動になっている。現在進行形のことを扱うのは、そんなスタンスで近い未来に目を向け、できることを地道に更新していくことなのかもしれない。手から手へ、心を通わせながら。
この『なのはな』を経験した先のスタジオライフの表現活動を、これからも見つめ続けていきたいと思う。