「表現したいのは、まずは人との関係だと気づいた」、藤原啓児インタビュー(下)

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

劇団スタジオライフの役者であり、代表を担う藤原啓児さんのインタビュー、後半です。演劇の世界に飛び込んでからの変化、コミュニケーションの気付き、2019年5月18日(土)から音楽劇としてリニューアル上演される次作『音楽劇 11人いる! 』への想い、高校での「芸術鑑賞教室」再始動、代表としてのマネジメント視点などについて、じっくりとうかがいました。

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

――「もう食えなくてもいいから、演劇の世界で自分が思っていることを表現していけたら」と腹を決めて、本格的に演劇の世界に飛び込まれたのは、いくつの時ですか?

28歳でした。今から思うと浅はかだったなと。一方で、その浅はかさがなかったら演劇の世界に飛び込めなかった。両方の思いがありますね。

――ということは、役者になりたいというより、世の中のおかしいと思うことを堂々と表現する場に自分の身を置こうというのが動機ですか。

28歳のその瞬間は、そうでした。ただ、実際に演劇の世界に飛び込んで変わりましたね。演劇は人の人生を扱うし、社会のことを取り上げるわけで、真実に迫ろうとするもの。そういう芸術の深さに気付かされていくのです。若い時はイデオロギーに興味があって不寛容さに対する批判的な芝居とかがやりたかったんです。ですが今は違って、ベースはコミュニケーションです。

――藤原さんの中の表現のベースが、イデオロギーからコミュニケーションへと変わった。その変わり目には、何かあったのでしょうか。

僕は劇団員たちに、表現者としてのスタートは、いつか分かるか?という話をよくするんです。僕の中では、本当に無残にもできなくて、孤独感や無力感を心底味わった時が、表現者としてのスタートラインに立てる瞬間だと思っています。じつは僕にもそういうことがありました。

――「孤独感や無力感を心底味わった」というのは、どんな経験だったのですか?

(スタジオライフに入団後)海外の戯曲に初めて挑戦させてもらったことがありました。それもメインで。プロが世の中に向けて書いた戯曲に対しては、自分ではなく相手を慮る演技が必要なんです。だけど当時の僕は、コミュニケーションが分かっていなくて、エゴイスティックな延長線上にいました。それまでの社会経験で、変革には時間がかかると皆が言っている病院内の問題に対して、3 年で何とかしようと言っちゃう世間知らずな自分が、芝居でもあからさまに出るわけです。従って、相手の表情を見て、相手から感じて、それに対して慮る演技というのが、カケラもできなかったんです。

立ち稽古からダメ出しの連続で、人生のダメ出しまでされて、しまいには稽古場でうずくまって泣いて、挙句の果てに初日の舞台に立てなかったんです。役を降ろされました。6 日間の短い公演で 4 日間降ろされて、2 ステージだけ立たせてもらった。でもやっぱりダメだと言われて、千秋楽も立たせてもらえなかった。みじめでしたね。

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<有料会員限定部分の小見出し>

■正しいか正しくないかじゃない。一人ひとり違うことをどこまで理解し合えるのか

■長い目で見ています。理解には時間がかかることを身をもって知っていますから(笑)

■萩尾先生の作家生活50周年。次作の『11人いる!』は音楽劇としてリニューアルします

■高校での芸術鑑賞会後の懇親会、生徒が劇団員に人生相談をし始めた。嬉しかった

■劇団と自分、どっちか分かんなくなるところまで行けた時に、何か見えてくるのかな

<Studio Life公演 『音楽劇 11人いる! 』>
【東京公演】2019年5月18日(土)~6月2日(日) あうるすぽっと
http://www.studio-life.com/stage/11nin2019/

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劇団スタジオライフ
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藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

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■正しいか正しくないかじゃない。一人ひとり違うことをどこまで理解し合えるのか

――打ちのめされた状態。そこから、よくぞ這い上がって来られましたね。

そうなった時に初めて分かりました。演劇って俺が考えるよりも、はるかに深くて広いことを思い知って、これはもっと勉強しないと、人間としても成長しないと太刀打ちできないと思ったんです。そこからですね。自分の表現したいものは、世の中の矛盾や理不尽さがメインではなく、まずは人との関係だと気づいたのは。それが分からなかったら、人としても役者としてもまず成立しない。そうして、コミュニケーション能力を身に付けて、その背景にメッセージ的なものがふわーっと、押し付けがましくなく浮かび上がってくるものがしたいと思ったんです。

――コミュニケーションという気付きがあって以降、そこからどうすればいいのかという時に、何を大事に実践されてきたのでしょうか。

最近思うのが、正しさではなく、面白いと思えるかどうかが自分の中にないと、結果的に目指しているものが、いつまでたっても見えてこないような気がしています。近頃は、同じ考え方・やり方じゃない人間を排除しようとする社会の傾向がある。そんな不寛容な社会の原因を考えた時に、それは正しいか正しくないかという、ものの見方に集約される気がします。

人っていろんな矛盾を抱えて、言葉にできないところで生きているし、幸せになりたいと願うことは、社会的な成功とは違うところにある目標だと思うんです。先の大戦以前から、三木清が『人生論ノート』を書いたように、一人ひとりの幸せの追求に理解がある世の中にならなければ、人は幸せになることはできない、と戦後身にしみて猛省した。なのに今、再び全体主義の中に飲み込まれようとしている状況がある。

身近でも、やり方が違うだけで喧嘩が起きたり、排除しようとする言動を見ることがあります。でも本人たちは気づいていない。自分は正しいと思い込み、正義がありますから。だけど、正義ほど怖いものはないです。戦争だって、正義と正義のぶつかり合いですから。そういう周りの状況を見るほど、正しいか正しくないかじゃない、皆それぞれの思いで生きているし、それは一人ひとり違うんだ、ということを思い、じゃあどうコミュニケーションをとってどこまで理解し合えるのか、どうやって不寛容さから遠のいた社会に行けるのかを考えます。それは、違いに面白さを感じることではないかと思います。そうして面白く生きられるかどうか、だと思うんです。

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

■長い目で見ています。理解には時間がかかることを身をもって知っていますから(笑)

――身近で、正義と正義の争いを目の当たりにされた時、藤原さんはどう対応されますか?

かつて事務長たちに言ってもらった言葉が、今でも僕の頭に焼き付いているように、言葉ではちゃんと言おうと思います。「それっていうのはさあ、お前は正しいと思ってやっているかもしれないけど」と切り出して。ですが、その瞬間に合点がいく人は、そういないでしょうね。僕も20年近くかかりましたし(笑)。ですが、伝えることは大事だと思います。ただ、そのことで傷ついて去っていった人間もいます。その人には申し訳ないと思っています。だって傷つきますから。それでもいつか気付いてくれたらいいですね。長い目で見ています。理解するのには時間がかかることを身をもって知っていますから(笑)。

――コミュニケーションって深いですね。

演劇は特にそうです。でも面白いのが、役者の中で人間関係が苦手だと思っている人の方が、実はコミュニケーションについて考えている。だから何か表現をさせたりすると、深くなっていく。僕がラッキーだったのは、先代の人たちに、飲みニケーションといって「酒飲めないのに芝居やってるのか」といって引きずりこまれ、酒回しながら説教される環境の中にいたことです。

――関係が密だったんですね。

そういう交流に助けられた自分もいます。でも今は、皆それぞれの時間を大切にする子たちが多いですから、それをやるとキツいんです。それで以前のようなやり方はしていませんが、だからといって芝居の質が落ちることはないです。考えてる子は考えてるので。ただ僕たちはちょっと寂しいな、みたいな(笑)。

僕、こうやって自分のことを人前で話すことがあまりないんで、今こうして話していて結構楽しいです。自分がなぜここにいるのかとか、演劇の信念とか、そんなことは酒飲んでいる時でも話さないですからね。照れくさくて(笑)。

■萩尾先生の作家生活50周年。次作の『11人いる!』は音楽劇としてリニューアルします

――次作の『11人いる!』について。『なのはな』に続き萩尾先生の原作で、これまでも上演されてきた作品の再演です。

スタジオライフとしては3度目の上演。2019年は、萩尾先生の作家生活50周年ということもあって、音楽劇としてリニューアルする形となります。それから、同じ作品を高校でも上演します。

ここからは代表としてのマネジメントの部分に関わる話ですが、じつは、高校の芸術鑑賞教室をスタジオライフも5年前に立ち上げたんです。その時の上演作品が『11人いる!』と『アドルフに告ぐ』、『夏の夜の夢』でした。ですが、先代が亡くなったことがあり、バタバタして中断していました。それでも3年ぐらいずっと上演依頼があったほどに、先生からも生徒からも評判がよかったんです。「劇ぃー?」って言って最初はしらけていた子たちが前のめりになって見ていました。

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

■高校での芸術鑑賞会後の懇親会、生徒が劇団員に人生相談をし始めた。嬉しかった

――かつての藤原さんのように。

そう。それで、そんな生徒の変化を見た先生が、嬉しそうに駆け寄ってきてくれました。驚いたのは、上演後の懇親会にやって来た生徒たちが、劇団員に人生相談をし始めたんです。「皆さんはこういう時どうしてますか」と。そういう交流は初めてでした。うちは若い役者が多いじゃないですか。それで高校生から見れば、お兄さんのような安心感もあったのかなと今になって思います。それで「この子、こんなこと考えてるんだ」と生徒の違った一面が見えて、先生も喜ばれた。僕らも嬉しかったですね。

『11人いる!』は、簡単にいえば学校を舞台とした友情と成長の話です。高校生の鑑賞にはうってつけじゃないかと思い、高校での上演を再始動する今年も第一弾として持って行きます。この作品は、萩尾先生が1970年代に書かれたSF漫画ですが、今、日本の社会が直面している多文化共生の要素が織り込まれているので、このタイミングで上演することに意義があると思っています。

――藤原さんの代表としてのまなざしを感じます。

就任してまだ5年で、自分が代表として何がやれるか、想像もつかないような状態です。その中で、僕は外回りをさせてもらっているので、演劇関係者の他にも、学校の先生や、メディアの方々、各種協会の皆さんなど、いろんな人たちと話をさせていただく機会があります。そうすると、普段、上演活動に必死になるあまり、自分たちだけでは見えていない部分を教えていただくことがあります。

――外からの視点を獲得できたということでしょうか?

例えば、全国には「演劇鑑賞会」という会員制の組織が各地にあって、僕たちもそこで上演することがあります。ある演劇鑑賞会さんが、過去の上演作品のベスト10をしたところ、うちの作品が2つ入っていたんです。40代~60代の会員の方が年間通じて多数観ている、いわば芝居を観るプロフェッショナルの方々がスタジオライフの上演作品に投票してくれた。そんな事実や、学校の教育現場からも熱いメッセージを送られているといった結果の部分が、内にいると入って来づらい。

裏方を含め、皆が寝る時間も惜しんで一生懸命やっていることが、こういう形で世の中から歓迎されている。そのことの魅力に100パーセント気付いてもらうことが、劇団を回転させていく原動力になるのではないかと。先代は夢を語るのがすごく得意な方だったんです。「ロンドン公演をやりたい」、「劇団の中からスターを出す」というように。それが皆のモチベーションにつながっていました。僕はそういうことがなかなかできなくて、今やっていることがどれだけ世の中の人に受け容れられているかを劇団員たちに伝えるのが、僕が代表としてできることではないかと、遅まきながら気付き始めました。

――代表という立ち位置がピラミッドの頂点ではなくて、フラットな関係性の中で、内も外も風通しをよくするようなイメージを抱きました。それが、藤原さんならではの切り開き方なのかと。

本当にそうなんですよ。上に立つとか、前に立つのではなく、同じ立ち位置の中にありたい。皆、劇団が好きで集まって来ているので、そこは絶対信じられる。特に劇団の10年選手、15年選手は人間的にも成長して、どんどんいい役者になってきています。そういう人間たちが劇団以外のところでもどんどん活躍することで、スタジオライフの魅力が、もっと世の中に広がっていけば。それが結果的に役者たちのモチベーションにもなりますから。

そういう意味で高校での芸術鑑賞会も精力的にやりたいですし、演劇鑑賞会も頑張りたいです。影絵劇もやっています。先代の河内が1999年から始めた取り組みが好評で、現在も年中、小学校を中心に全国各地で上演しています。それらの活動が、世の中の人たちに受け容れられていることがいかに幸せか、皆が実感できる状況を作りたい。皆が自分の劇団だ、自分の家だ、と胸張って言えるようになれたら、もっといろんな発展の仕方が見えてくると思います。そうして普段、演劇公演に注いでいるエネルギーを、他の場でも表現して生かせるように回していきたいです。

■劇団と自分、どっちか分かんなくなるところまで行けた時に、何か見えてくるのかな

――藤原さん自身、役者としてはどうですか?

僕は、ほんとまだまだです。先代が僕のことを見抜いていましてね、38歳の時に「なぜ、お前が大人の芝居をできないのか」と、言葉をかみ砕いて話してくださったことがありました。その時に「お前みたいなヤツは、もっと劇団のことをやった方がいい」と言われて、今に至ります。「外に出て劇団のために頑張ることで、お前の中で見えてくるものがあればいい」と言われたのは覚えていますね。今なら、それが分かるような気がする。

――実際にやる中で、今、何か見えてきていますか?

うーん、そうですね……。なぜ先代がそういうことを言ったのかとか、それこそ病院の事務長たちが言った言葉の意味は、よく分かってきました。ということは、何かしら自分の中で変化はあるのだろうとは思っています。思っていますが、業が深いんで……。ワハハハハッ。ついやっちゃうんですよ。お客さんがただ笑ってくれたら嬉しいっていう(性が出る)。それでお客さんを意識して、ついつい(笑)。あー、俺はまだまだだなあって思いながら。

――藤原さんは、劇団において周りの人を引き立たせて、最後に締めるような役割に見えていました。

引き立て役というのは、もしかして僕に合っているのかもしれない。

――引き立て役という言い方は、語弊があるかもしれません。

いや、いいんです。舞台の上に立っている人間たちがお客様にとってキラキラして見えるように、僕のちょっとした言葉で光が増してくれたらいいなと思いは常にあります。

――直近でいうと、『なのはな』の藤川さん役のような?

ああいう役は、お前頑張れよ、といって与えられた役のような気がしているんです。藤川さんの役そのものというより、藤川さんの話を聞いたことによって、それまでぐっとこらえていたナホのお母さんが心を開いて、悲しみや苦しみ、怒りのようなものが、ふわーっとあふれてくる。藤川さんは、お母さんに手当てに来た役ですから、藤川さんがよかったというよりは、お母さんの感情があふれる姿がよかったと言われる方が、結果的にいいと思える自分になってきているのであれば、僕も少しは成長したのかなと思います。やっぱり人は一人では生きていけない。そのことを強く思います。

――それが演劇のコミュニケーションであり、劇団における藤原さん自身の変化。

そうですね。劇団は自分の演劇の場ですから、そこを守ろうとするのは結局は自分のためです。劇団と自分、どっちがどっちか分かんなくなるぐらいのところまで行けた時に、何か見えてくるのかなと思います。まだ身体が動きそうなので、あと 10 年ぐらいは頑張りたい。まだまだ発展途上です。そうして人生の幕を下ろすまでに、自分の中でこんなことを遣れたな、と思える出来事を遣り遂げられたら幸福です。

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

藤原啓児さん=撮影・桝郷春美

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