共感以外の刺激として残るものが日常である可能性は、舞台『ダム・ウェイター』ルポ

舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・BUN

伊礼彼方さんと河内大和さんの2人が出演する舞台『ダム・ウェイター』が2021年3月16日(火)に下北沢・小劇場楽園で開幕し、3月28日(日)まで上演中です。『ダム・ウェイター』は、2005年にノーベル文学賞を受賞したイギリスの劇作家ハロルド・ピンターが初期に発表した戯曲で、「不条理演劇の傑作」と呼ばれる作品。登場人物は、ベン(河内さん)とガス(伊礼さん)の二人の殺し屋。地下室で仕事の指示を待っていると、そこにあるダム・ウェイター(料理昇降機)が突然動き出し、中には料理のオーダーが書かれた紙切れが入っているのでした。奇妙な指示に踊らされて、困惑する二人にボスの指示が届き…。体感する人によって、エンディングの理解が変わるというこの作品。ゲネプロの様子をお伝えします。

舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・BUN
舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・BUN

開幕前日の3月15日に行われたゲネプロ公演。「ガスサイド」と「ベンサイド」で見える光景が異なる本作。私は「ガスサイド」にて拝見しました。「ガスサイド」右寄りの位置は、全体像を見やすい席でしたが、「ベンサイド」からはまた別の光景が広がっていたはずです。

劇場には比較的全体像を見やすい位置が存在するとはいえ、一度にベンサイドとガスサイドを見るのは不可能です。『ダム・ウェイター』のチケットを買う時、観客は自らの視点をベンに固定するのか、ガスに固定するのか選択することになるわけです。

ガスが完全に背中を向けているシーンなどでは「逆からは、いまどのような光景が見えているのだろうか」「ガスはどんな表情をしているのだろうか」とふと歯痒いのですが、つまりその経験は、自分の顔が自分では見えないような感覚でもあることに気づかされます。

『ダム・ウェイター』は、下北沢にある本多劇場系列の小劇場「楽園」で上演されています。緑色の扉にオレンジピンクで大きく「楽園」と漢字で書かれた扉を開くと、地下へ向かうやや急な階段が現れます。階段を下りれば、ぽつりと灯る豆電球がぼんやりと照らし出すベンとガスが現れる前の部屋。目が慣れてくると、ベッドが2台あり、椅子があることに気付きます。

ベンとガスが、この地下室に入ってくる瞬間の気持ちを観客も感じられる劇空間でした。ここでこれから何が起こるのか。観客はもちろん、ベンとガスも知らないのですから。

舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・BUN
舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・BUN

<伊礼彼方さんのコメント>
いよいよ始まったダム・ウェイター。コロナ禍で空いてしまったスケジュール。「せっかくなら自分の力になる作品を!」という思いのもと始まったこの企画。本多さんを始め共演者の河内さん・演出家の大澤さん・スタッフさん、いろんな出会いが重なって仲間に恵まれ今日まで突っ走ってきました。楽園で面白い事をやりたい! 河内さんとなら180度いつもと違う世界を見せられる! 大澤さんとならそのさらに奥深く向こう側に行ける!と確信した時、この企画はもう既に成功の一歩手前まで進んでいました。後はお客様に観て頂くだけとなりました。1度観て理解するのは難しいと思いますが、観劇者のそれぞれの中に答えを見い出せる作品だと思います。大澤さんの言葉を借りるなら「これは不条理ではない、ヒューマンドラマ」です。まさにその言葉通り、大澤さんと共に物語の主人公たちの人生を紐解いてきました。僕らが演じるベン・ガスは日常に生きる1人の人間。皆さんと同様に沢山の悩みや不安を抱えながら人生のゴールを目指しています。同じ食べ物同じ飲み物を口にし、同じ赤い血が流れている。ただ僕らの知らない世界に住んでいるだけ。今日彼らが指示された地下室で何が起きるのか、ぜひ目撃してください。コロナ禍の厳しい状況ですが、スタッフ一同万全の対策をしてお待ちしております。

舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・BUN
舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・BUN

<河内大和さんのコメント>
不条理劇と言われるこの作品を、僕たちは不条理だと決めつけず、あらゆる可能性を探しながら稽古で実践していきました。やはりそこにはベンとガス、二人なりの理由や目的がしっかりとあって、ただ自分の人生を一生懸命に模索し生きている二人なんだと、今の僕たちと何ら変わらない人間なんだと気付きました。その創作は子供の時にした宝探しのようで、本当に大変で楽しい作業でした。僕自身、こんなに色んな要素が詰まった面白い作品になるとは思ってもみず、きっと皆様も、観劇後、この地下室に入る前には想像もしなかった心の味わいを感じていただけると思います。

舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・BUN
舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・BUN

<本多劇場グループ総支配人:本多愼一郎さんのコメント>
昨年8月より本多劇場グループnextとして、少人数(二人)芝居をメインに、コロナ渦でも安心して観ていただける小劇場での公演形態の発信方法を模索してまいりました。今回、役者2人の息遣いもわかる劇場で、伊礼彼方さん・河内大和さんによるハロルド・ピンターの『ダム・ウェイター』をお送りいたします。演出には大澤遊さんを迎え、小劇場楽園を『ダム・ウェイター』の世界に入っていただける空間へと創り上げ、濃密な時間をお届けいたします。是非皆さま、下北沢へいらしてください。

<演出:大澤遊さんのコメント>
伊礼さんと河内さん、このお二人と出会い、ピンターの戯曲と楽しく向き合うことができています。そのお二人がガスとベンとして舞台上で生きている姿をようやくお見せできる日が来ました。稽古を重ねれば重ねるほど、お二人と役が重なって見え、とても愛おしい物語になったように思います。(そんな物語だったっけ??)。ただ僕らは毎日のようにピンターの手のひらで転がされているだけかもしれませんが。ガスとベンが過ごす時間を、ぜひ楽園の客席で一緒に体験していただけたら嬉しいです。

※アイデアニュース有料会員限定部分には、ガスとベンのキャラクターの印象、会話が広げてくれる物語世界の奥行き、彼らの視点に入りつつも最後は観客として自分自身に戻っていく感覚の面白さ、日常とダム・ウェイターの関係性などについて考察した『ダム・ウェイター』ルポの全文と、独自撮影の写真4カットを掲載しています。

<有料会員限定部分の小見出し>

■快活に動きをもたらす伊礼ガス、視線や顔の角度で心境を作用させる河内ベン

■次々に起こることに戸惑いつつも、なぜか受け入れていく、ベンとガス…

■言葉の意味は正確にわかるにもかかわらず、解釈しようとすると、わからなくなる

■ある日、料理昇降機とは別の「ダム・ウェイター」に出会うことがあるかも

<舞台『ダム・ウェイター』>
【東京公演】2021年3月16日(火)~3月28日(日) 下北沢・小劇場楽園
公式サイト
https://www.the-dumbwaiter.com/

<チケット>
全席指定:6,500円(税込)
『ダム・ウェイター』公演チケット専用サイト:
https://www.e-get.jp/web5ap0547/pt/
U-25:4,500円(税込)劇場窓口のみで発売(25歳以下。身分証が必要)
劇場窓口での購入:
一般扱いチケット、U-25チケットを取り扱い
小劇場 楽園の向かい側、「劇」小劇場で発売(営業時間11時-19時)

<キャスト・スタッフなど>
出演:伊礼彼方、河内大和
原作:ハロルド・ピンター
翻訳:喜志哲雄
演出:大澤遊
美術・衣裳:池宮城直美
照明:鷲崎淳一郎(ライティングユニオン)
音響:星知輝(本多企画)
舞台監督:村田明(クロスオーバー)
宣伝美術:魚住和伸(Spacenoid Company Inc.)
宣伝写真:BUN
票券:能崎純郎(BellaVita)
制作:筒井未来(本多企画)
プロデューサー:I.K(KANATA LTD.)
エグゼクティブ・プロデューサー:本多愼一郎
協力:株式会社本多企画
主催・製作:株式会社KANATA LTD.

<関連リンク>
伊礼彼方officialサイト
https://ireikanata.com/
『ダム・ウェイター』公式twitter
https://twitter.com/2021DUMB_WAITER
【ガスとベンによる「楽園」紹介動画】伊礼さんと河内さんが、「ベンサイド」「ガスサイド」の客席案内及び、劇場の感染対策をご紹介
https://youtu.be/Pf-11iZLkr0

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舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀
舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀

※ここから有料会員限定部分です。

■快活に動きをもたらす伊礼ガス、視線や顔の角度で心境を作用させる河内ベン

伊礼彼方さんが演じるガスは、明るく快活。シリアスな鋭い表情も見せつつ、テンポの良い会話と動作にリズム感があり、空間に動きをもたらすキャラクターです。積極的に行動し、ベンにも話かけ、自分のことも喋りながら「指示までの待ち時間」を一見コントロールできているように見えるガスだからこそ、「ダム・ウェイター」がもたらす混乱に翻弄され、どんどん乱されていく様子が大きく表現されており、印象的でした。

河内大和さん演じるベンは、表情が大きく頻繁に変わるキャラクターではないのですが、視線や顔の角度や足の組み方が変わるだけで、ベンの心境が空間に作用し、変化がじわりと染みていくのを感じました。一糸乱れぬ佇まいで「待ち時間」をマイペースに過ごしているように見えていたからこそ、「ダム・ウェイター」によって静かに、しかし一瞬にして崩壊していく様子を目の奥や声色から感じることができました。

日常会話を楽しみ、よく笑い、把握しやすそうな性格のガスと、黙々と同じ新聞を何度も読みふけり、表情もあまり変わらない掴み所のないベン。しかし、実際の性格や内に秘めているものは、実は違っていたのかもしれません。ついラストを解釈したくもなりますし、そのまま受け入れたくもなる作品でした。

舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀
舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀

■次々に起こることに戸惑いつつも、なぜか受け入れていく、ベンとガス…

『ダム・ウェイター』のストーリーを、改めてここに記載しようとしたところ、あらすじに加えることが特にないように感じました。もちろん、厳密に記すのであれば、会話の内容であったり後半の展開などはありますが、エッセンスや流れとしては、これ以上特に足すことは不要だろうという感覚です。

簡潔に集約して説明できる物語の「骨格」が、ベンとガスという二人の登場人物の会話によって、ひとつの具体的な「できごと」として広がっていくのがこの芝居の醍醐味の一つなのだと思います。そこで起こることは、毎回変わるのだとも思います。ベンを演じる河内さんとガスを演じる伊礼さんという、俳優さんそれぞれの感覚の違いや、セリフのテンポ、ふとした表情。

もちろん、生の舞台は全て、「今、ここにしかない」瞬間の連続で成り立っていると言えます。だからこそ、2人芝居という対話をベースに進むこの世界観の中では、感覚や動作のわずかな変化が生み出す一瞬という時間が、より一層大きな割合を占めるように思いました。

「バタフライ・エフェクト」のように、日常のちょっとした変化が、実は大きな岐路になっているということもあるでしょう。意識して下す選択だけではなく、ふと起こったことに何気なく反応したことが、のちの人生に大きな影響を及ぼしていることもあるかもしれません。ただ、私たち自身が、そのふとした瞬間に気づくことは稀なのだと思います。大きなできことがあって、その原因やそこに至るプロセスを意識的に紐解いていけば、「あの時のこの選択」がこの結果につながったのだとわかることもあるでしょうが、特に意識せずに過ごす瞬間の方が遥かに多いのではないでしょうか。

今日という1日を、明け方に見た夢から順番に振り返って思い出せるストーリーは、記憶された瞬間の連続体です。ただし言語化されなかったり、記憶として形を持たなかったとしても、時間の経験として身体のどこかにはその記憶が刻まれているような感覚を、私は持つことがあります。

あらすじの通り、ベンとガスは「ダム・ウェイター」が運ぶ紙切れの指示に困惑します。観客もまた困惑します。この地下室は、自らの経験に則った予測が成立しない空間。何が起こってもそのまま受け入れられそうな一方で、「こうなりそうだ」という予測が成立したりしなかったりします。そこに法則性はありません。

しかし本来、日常とはこのようなものなのだと思います。もちろん、朝起きて顔を洗って歯を磨いて朝ごはんを食べて…というルーティーンや「今日の予定」という枠もあるでしょう。大半はその流れで進んだとしても、本来はどんな可能性だってあるのです。ベンとガスは、自らが置かれている状況を、次々に起こることに戸惑いつつも、なぜか受け入れていきます。噛み合わない言葉や感情をぶつけ、時間が過ぎていき、ある瞬間を迎えたところで、約70分となります。

ベンとガスは、この地下室に入ってきてから70分後の自分たちの状況を果たして予想していたのでしょうか。恐らく答えはノーでしょう。予想できるようなものでもなかったのではと思います。70分間、彼ら二人は向き合い、会話をし、笑い合い、お腹を空かせ、紅茶を飲みたがります。

舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀
舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀

■言葉の意味は正確にわかるにもかかわらず、解釈しようとすると、わからなくなる

『ダム・ウェイター』という作品の中で、ベンとガスを見ている観客の一人として、時に、ベンとガスの視線に無意識に入り込みながら、観客は、ベンとガス自身がこの地下室に入ってきてボスの指示を待ち続けながら、彼ら自身が過ごす70分間を観客は共に過ごすことになるのです。

言葉を一言一句正確に聞き取り、言葉の意味がわかるにもかかわらず、解釈しようとすると「わからなくなる」作品であるとも感じます。しかしなぜか、ベンとガスはわかり合っている。対話は続いている。噛み合っているのか噛み合ってないないのか、言葉を聞いているともはやわからないものの、ベンとガスの感情面では、とても噛み合っているように感じられるシーンもあります。

この作品の中には、唐突にヒートアップするテンションを理解しようとすると混乱したり、自分の思考を意識し始めるとふっと没入から我に返ったりする瞬間がありました。「今私は芝居を見ているのだ!」という鋭い感覚が身体を突き抜け、強い歓喜を覚えました。作品に没入することだけではなく、「観客」としての自分を客観視する瞬間にも芝居の醍醐味があるのだとわかります。

舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀
舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀

■ある日、料理昇降機とは別の「ダム・ウェイター」に出会うことがあるかも

殺し屋二人が地下室で謎の指示に翻弄されるというシチュエーションは特殊であり、通常の定義での「日常」の視点で観ると「非日常」ですが、ベンかガスの視線に入ってみることで、その視点を観客も持つことができる劇空間になっています。ラストに向けて、その視点を抜けて、だんだん観客は自我を取り戻していくでしょう。

芝居の中で、ベンとガスが状況を受け入れるほど、観客はどんどん状況を受け入れなくなるような気がします。話が進むほどに、どんどん観客は自分が「観客化」していくのを感じることになるでしょう。しかし、このぴったりとピースがはまらない、どこか世界に亀裂が入ったような感覚を覚えるからこそ、その経験は「共感」以外の刺激として観客の中に残るような気がします。そしてふと気づくのです。実は、日常がそのようなものである可能性があるということに。私たちもある日突然、料理昇降機とは別の姿の「ダム・ウェイター」に出会うことがあるかもしれません。出会っても通り過ぎることもあるでしょうし、ベンとガスほどに翻弄されることもないかもしれません。

舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀
舞台『ダム・ウェイター』より=撮影・村岡侑紀

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