重くなりがちな社会派のテーマを、笑える演出で 「天使は瞳を閉じて」ルポ(下)

「虚構の劇団『天使は瞳を閉じて』」公演より=写真提供・サードステージ

虚構の劇団「天使は瞳を閉じて」公演の様子を紹介する公演レポート、「下」です。作・演出の鴻上尚史さんの作品は、上演する時期や、作品で取り扱う時代の流行りモノを取り入れて客席の笑いを誘ったり、難問だったりデリケートな問題であるが故に、テレビや新聞など大手メディアが取り上げにくい、ともすると世間も目をそらしたがる社会問題をテーマに取り入れて、登場人物たちがその問題に七転八倒しながらも立ち向かう、という設定がしばしばあります。そして、重くなりがちな社会派のテーマを取り扱いつつも、カラッとケラケラ笑いこけられるコミカルな演出と観客を我に返らせる暇も与えないテンポの良い展開で、観客が”沈みきらないよう”導いて、虚構(創作)と現実が入り混じる、作品世界としての「結果」を見せてくれます。

「虚構の劇団『天使は瞳を閉じて』」公演より=写真提供・サードステージ

「虚構の劇団『天使は瞳を閉じて』」公演より=写真提供・サードステージ

■すぐに言語化出来なくても、折にふれて記憶の引出しから取り出し考える経験をさせてくれる

観劇後に、すぐに言語化出来ないことも多々ありますが、かならず「作品から受け取った何か」を土産に抱えて家路を辿り、折にふれて、しまいこんだ記憶の引出しから「土産」を取り出しては眺め考える。そんな経験をさせてくれる作品が多いように思います。

今回の作品の冒頭「放射線管理地区」のシーンでは、今なお、日常を取り戻せない原発周辺の地域を彷彿とさせ、この物語を架空の世界だと笑い飛ばせるだけの余地を奪い、身近な喫緊の問題を思い起こさせます。

■閉じ込められた人間だけが新たな街と文化を発展させてゆく、アイロニカルな設定

物語では、この「放射線管理地区」ごと透明なドームで覆い、周辺環境ごと「石棺化」して放射線の漏洩を防ぐとともに事故の記憶を風化させ、これまでの「環境」を守ろうとするも、その後の地球規模の気象変動が引き起こした原発事故により、更に高濃度の放射線が地球上に蔓延し、地球上の人間はゆっくりと絶滅。封じ込めのために創られた、「透明なドーム」に閉じ込められた人間だけが生き残り、新たな街と文化を発展させていったという設定は、なんともアイロニカルで複雑な思いにとらわれました。

<虚構の劇団  第12回公演「天使は瞳を閉じて」> (この公演は終了しています)
【東京公演】2016 年8 月5 日(金)~14 日(日) :座・高円寺1
【愛媛公演】2016年8月20日~21日 あかがねミュージアム あかがね座(多目的ホール)
【関西公演】2016 年8 月26 日(金)~28 日(日) :AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
【東京凱旋公演】 2016 年8 月31 日(水)~9 月4 日(日) :あうるすぽっと
【作・演出】鴻上尚史 【出演】上遠野太洸 鉢嶺杏奈 伊藤公一 佃井皆美 / 小沢道成 杉浦一輝 三上陽永 渡辺芳博 森田ひかり 木村美月 (虚構の劇団)

<関連サイト>
虚構の劇団  第12回「天使は瞳を閉じて」
虚構の劇団のページ

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重くなりがちな社会派のテーマを、笑える演出で 「天使は瞳を閉じて」ルポ(下)

<ここからアイデアニュース有料会員限定部分です>一部ネタバレを含みますので、この作品をまだご覧になったことのない方は、ご注意ください。

■抜け目の無いデキるビジネスマンの電通太郎(伊藤公一)。背中に羽が生えてくる病にかかり…

■仮装や着ぐるみで「無理だろー!」と絶叫しつつ、必ず壁を壊せると信じているアキラ(杉浦一輝)

■一番人間臭いサブロウ(三上陽永)は、押し上げられ、虚勢を張り続け、独裁者のような色を増し

■可愛いいチハル(木村美月)。川の流れを変える岩のように、彼女の存在が要所で楔のように働く

■ほがらかで何でも話せる存在のマスター(渡辺芳博)。クライマックスで明かされる彼の過去は…

■元気溌剌で天真爛漫な元天使のテンコ(森田ひかり)。人間が好きな彼女のラスト、泣けました

■天使(小沢道成)は、物語の中の人間たちだけではなく、観客にも寄り添ってくれる存在

■「見守ってくれている」存在があることのありがたさと、「見つめる」対象を持てる幸せと

■抜け目の無いデキるビジネスマンの電通太郎(伊藤公一)。背中に羽が生えてくる病にかかり…

伊藤公一さん演じる電通太郎は理知的で抜け目の無い、デキるビジネスマン。社内で頼りにされ、分刻みで動き、「アンジェリコ」で休息しながら、マスターとダーウィンの進化論の話をするのが楽しみで、物腰柔らかく礼儀正しい人物であるのに、社内の自分以外の人間を「馬鹿ばっかりなんだよ」と笑顔でサラッと言ってしまえるあたりはびっくりさせられますが、状況の冷静な分析と、例えば何が駄目なのかを相手に明確に説明できる姿は、やはり切れ者で、それ故にいらぬ摩擦も起こし、孤立しそうな印象を与えていました。

彼は後半、街に増えていた原因不明の病にかかります。その病気は、背中に羽が生えてくるという症状で、彼はこれをウィルスが引き起こした突然変異で、「生命の大進化」と捉え、「人間は天使に進化するんだ」と、マスターに訴えます。背中に羽が生えた、という状況は、ほとんどの人間がパニックに陥りそうなものですが、それを「進化」と捉えられる彼は、果たして柔軟かつ大胆な精神の持ち主であったのか、それとも、人間の矩を超えて「神の領域」に踏み込もうとする傲慢な思考の持ち主だったのか。物語の結末と合わせて考えると、太郎の存在は一種の”縮図”だったのだろうかと、観劇後も折に触れて思い出します。

■仮装や着ぐるみで「無理だろー!」と絶叫しつつ、必ず壁を壊せると信じているアキラ(杉浦一輝)

杉浦一輝さん演じるアキラはとにかく熱い!その熱さと周りとのタイミングのズレが可笑し味を呼び、作中では仮装や着ぐるみも満載で、お笑い芸人張りの堂々たるコメディリリーフ!彼の番組「壁を壊そう」では、「壁は壊せますか?」の問いに対して、「無理だろー!」と答えるアキラの絶叫が、番組恒例の締めの台詞ですが、普段の彼からは、その締めの台詞とは違い、番組ありきの壁へのチャレンジではなく、いつか必ず壁を壊せると信じているのだということが感じられ、その意志の強さと、マスターとのやりとりで感じられた素直な人柄とが印象に残りました。

■一番人間臭いサブロウ(三上陽永)は、押し上げられ、虚勢を張り続け、独裁者のような色を増し

三上陽永さん演じるサブロウは人間の弱さ、優しさ、怖さを描かれた一番人間臭い人物に映りました。自身の弱さをさらけ出すという意味ではユタカも同様ですが、若いユタカほどまっすぐではなく、にぎやかしなハイテンションで自分の気持ちを上げ、それでも追い詰められて辛くなり、マスターに差し出された「コーマエンジェル」という薬に頼り、しかし自身があれほど求めたマリが、ユタカの曲の採用を条件に自分を好きにしていいと迫ったときも、彼女の心を得られない関係には耐えられないと、据え膳に箸をつけることもせず。そんな根が繊細で傲慢になりきれない男が、社会的に押し上げられ、大衆のまえで立場に見合うよう虚勢を張り続けた結果、どんどんと独裁者のような色を増していったのには、なんともやるせない思いになりました。

■可愛いいチハル(木村美月)。川の流れを変える岩のように、彼女の存在が要所で楔のように働く

木村美月さん演じるチハルは、可愛いらしい外見と好きなことに対する積極性に、等身大の若い女の子特有のパワーを感じました、彼女がユタカに対して実際に起こしていると思しき行動は、彼女自身と彼女へのユタカの反応を通して客席の想像にゆだねられていましたが、その効果は普通の水が硬い岩を浸食していくのに似て、ジワジワと影響していったと思われ、川の流れを変えてしまうひとつの岩のように、結果的に彼女の存在が話の要所で楔のような働きをしていたことには観劇後に思い至り、脚本の仕掛けに膝を打った次第でした。

■ほがらかで何でも話せる存在のマスター(渡辺芳博)。クライマックスで明かされる彼の過去は…

渡辺芳博さん演じる「アンジェリコ」のマスターは、店の客すべてに同じ距離感で接し、ほがらかで懐深く、常連客にとっては何でも話せる存在。しかし彼が何を考えているのか読めないミステリアスさが不思議な魅力と存在感を醸し出していました。話の中で登場する副作用のない麻薬の一種「コーマエンジェル」とは、”天使の涙”のことで、「コーマエンジェル」を持っていたマスター自身が、実は元「天使」であることが、物語のクライマックスで明かされます。

そう言えばこの「街」には受け持ちの天使が居ない、という冒頭の天使二人の会話や、パーティーの最中に突然姿を現わしたテンコを怪しむことなく自然に人の輪に引き入れたり、店の名前の「アンジェリコ」(「天使のような人物」の意)、太郎やサブロウの仕掛ける戦略に、大衆が偏りすぎないようバランスがとれるように動いたり、何よりテンコの語る「天使」の存在を、彼は疑うことなく信じていたことなど、そうだったのか!と驚いたのもつかの間、カルマグループが仕掛けた新たなイベント、街の住人全員の力を文字通り結集して、街を囲む透明な壁を内側から押して壊すという企画が…。

それをなんとか阻止しようとしていた彼でしたが、しかしそれは叶うことはありませんでした。壁を壊した先にあるのは、高濃度の放射線が待つ、人間にとっては、死の世界であることを知っていた元「天使」らしく、その手段には納得しかねるものの、彼なりにこの「街」を守りたかっただろう思いが感じられて胸が苦しくなりました。

■元気溌剌で天真爛漫な元天使のテンコ(森田ひかり)。人間が好きな彼女のラスト、泣けました

森田ひかりさん演じる元天使のテンコは元気溌剌で天真爛漫。人間世界に興味津々で、ついには自身も人間になってしまいます。元「天使」なだけに、懺悔を聞くのは得意分野のようで、ままならない世の中に疲れた店の常連客の話を聴いては、癒しを与えていたようです。

ケイが創った映像作品にテンコや店の常連客が出演して、作品を披露(実際の映像ではなく、映像の体で演者が演じていました)するシーンがあるのですが、癒されて泣ける作品だと解説するケイの説明とは裏腹に、ギャグ要素満載のその作品で、テンコはひたすら「おはよう」と「大丈夫!」を繰り返し言うだけでしたが、はじめはゲラゲラ笑いながら観ていた私も、不思議に心に沁みてくるテンコのまぶしい笑顔とやさしく明るい声音に、癒される・・・と感じてしまったのには我ながら驚きました(笑)。

物語のラストでは透明な壁が壊れ、結果誰も居なくなってしまった店のカウンターで、ひとりぼっちの彼女は、常連客が居て楽しかった過去をイメージします。それは実際にはみんなでお祝いできなかった「アンジェリコ」の開店記念日のパーティー。今はもう居ないみんなが揃って楽しげな笑顔がはじけるそのシーンのBGMは「ずっとこのままで、時間が止まればいい」と歌う、かりゆし58の「流星」。軽快な音楽をバックにした舞台上の全員の賑やかさがまぶしく映れば映るほど、そのまぶしさはまるでマッチ売りの少女が、孤独の中で擦ったマッチの炎の明るさのようで、人間が好きで人間になった彼女に想いを馳せて、泣けました。

■天使(小沢道成)は、物語の中の人間たちだけではなく、観客にも寄り添ってくれる存在

小沢道成さん演じる天使は、その任務の「見つめる」のとおり、物語の中で展開する人の営みにずっと寄り添っていました。当初、「天使の仕事は見つめるだけだ」と言っていた彼も、ケイがどうしようもなく凹んだ時にそっと肩に触れ、すると次の瞬間、どん底から脱したらしい晴れ晴れとした表情に変わるシーンが幾たびかあり、見つめるだけではおさまらず、人間にかかわり始めてしまった天使の姿を観たとき、この極めて細やかで感情豊かな天使という存在に「見つめる」だけという任務は、見つめる対象の状況によっては、ひどく苦行なのではないか?と、ふとそんなことを感じました。

物語の冒頭で、天使時代のテンコが「街を見に行こう」と誘ったときに、「行けばきっと後悔する」と、ポツリと言う台詞があって、天使自身、そこの自覚があったのかもしれません。実際天使役のお二人、森田さんも小沢さんも、人間たちに負けず劣らず表情豊かで、感情の振れ幅も大きい演出になっていて、そのお陰で、舞台上の彼らの反応でそのシーンが意味するところを補完したり共感できる場面も多く、ある意味一番観客に近い存在で、物語の中の人間たちだけではなく、観客にも寄り添ってくれる存在だったのかも知れません。

■「見守ってくれている」存在があることのありがたさと、「見つめる」対象を持てる幸せと

この作品の「天使」の存在意義は「見つめる」こと。「見つめられる」側から考えると「見守ってくれている」存在があるということで、作中でマスターが、自身は見えないけれども存在する「天使」に対して「あなたが居てくれてありがたい」と言った台詞の通り、その存在はとてもありがたいものだと思います。また、逆にこちらが「見つめる」対象を持てることも、とても幸せなことだろうと感じました。ユタカを見つめたマリや、人間を見つめたマスターのように。その存在故に傷つくこともあるけれど、その存在があればこそ、起伏の激しい道も歩いていくことができる。

様々な人間模様がギュッと詰まったこの物語で、考えさせられることはたくさんあり、また、その考える内容は、観客それぞれできっと違ったものになるのだろうと思います。今回作品から貰った「お土産」も、折に触れて取り出しては眺めることになりそうです。

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