アイデアニュースに文楽の太夫さんが初登場! 2017年4月に、六代「豊竹呂太夫」(とよたけ・ろだゆう)を襲名される豊竹英太夫(とよたけ・はなふさだゆう)さんにお話をうかがいました。インタビューは2月東京公演の最中、「鬼界が島の段」を語った直後の熱気冷めやらぬ中で実施。英太夫さんが考える「鬼界が島の段」の見どころに始まり、呂太夫襲名を控えた今の思い、文楽のこれからについてなど、20歳で入門してから50年間の足跡を振り返りつつ、お話いただきました。
文楽初心者が抱きがちな素朴な疑問にもわかりやすく答えてもらいつつ、文楽の魅力を英太夫さんならではの言葉で語ってくださっています。「70歳にしてまだまだこれから」の文楽太夫の道は本当に奥が深いです。
写真は国立劇場の楽屋で撮影した、出番直前の英太夫さんの表情です。
1)その場その場で一生懸命だから、1時間5分もあっという間です
――まずは2月東京公演「平家女護島」のお話を。これは「平家物語」の俊寛の話を題材にした近松門左衛門の作品で、英太夫さんが語られた「鬼界が島の段」は1時間5分の長丁場でした。初日前には、 まだまだ課題もあるとのことでしたが、 千秋楽も近づいた今はいかがですか?
もうだいぶわかってきたね。余裕が出てきた。聞いてくださって良かったですか?
――はい。最初は「英太夫さんの場面が始まった!」と床(ゆか)に目が行きがちだったのですが、だんだん物語の中に引き込まれてしまいました。
最初は何や辛い感じで始まってね、「こんなんが延々続くんかいな」と思うでしょ。 ところが、 途中にちょっと笑いがあるのが近松の面白いところで、「あれっ?」と思わせといて、迎えの船が鬼界が島に着いたところからドラマが始まるからね。
――英太夫さんの「平家女護島」という作品に対する印象は?
これをやるのは3回目か4回目ぐらいなんですけどね、今回初めて「鬼界が島」はこうなんだというのが把握できましたね。
――今までと何が変わったのでしょう?
何となく、語ってて楽しくなってきた。
――緩急がすごくあるじゃないですか。1時間余りの中でどういう風に気持ちをコントロールしていくのでしょうか?
もうとにかく、その場その場を一生懸命やりますから……あっという間ですね。
――歌舞伎の「俊寛」も観たことがあるのですが、歌舞伎は「鬼界が島の段」だけの上演で、去っていく船を俊寛がひとりで見送るラストシーンばかり印象に残っていたのですが、 今回は前後の段もあって平清盛まで出てくるから、歴史ドラマとしても面白かったです。そういうところも文楽ならではの見どころですよね。
わかりやすいもんね。「六波羅の段」があるから、「鬼界が島の段」でお客さんはもう俊寛の妻あづまやが死んでしまったのを知っているからね。
――だから余計に俊寛の落胆ぶりが切なかったです……。
※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分には、インタビューの全文と、追加の写真を掲載しています。3月14日(火)に掲載予定のインタビューの「下」には、これまで何度も太夫をやめようと思ったことがあるなど、英太夫さんの子どものころからお話を詳しく語っていただいた内容を収録します。
<インタビュー「上」有料会員限定部分の小見出し>
2)「鬼界が島」は色々な愛情が描かれた、すごい話や!
3)「呂太夫」襲名は上からの勧め、「流れには乗ってみよう」と決めた
4)「寺子屋」の荒唐無稽な世界を納得させる、それが僕らの役目やと思う
5)「小説家修行」のために入った文楽の世界で50年間やってしまった
※抽選で有料会員3名さまに豊竹英太夫さんのサイン色紙と写真1枚をプレゼントします。有料会員がログインすると、この記事の末尾に応募フォームが出てきますので、そちらからご応募ください。応募締め切りは3月28日(火)です。※このプレゼントの募集は終了しました。
<2月文楽公演>
【東京公演】2017年2月4日(土)~2月20日(月) 国立劇場 ※この公演は終了しています
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2016/21039.html
<4月文楽公演>
【大阪公演】2017年4月8日(土)~4月30日(日) 国立文楽劇場
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2017/41029.html
【展示】「豊竹呂太夫 -代々の魅力-」2017年4月8日(土)~5月28日(日) 国立文楽劇場 資料展示室
http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku/event/6076.html
<5月文楽公演>
【東京公演】2017年5月13日(土)~2017年5月29日(月) 国立劇場
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2017/6045.html
- 「感情のない人形に思いを込める、深い境地がある」、豊竹英太夫インタビュー(下) 2017年3月14日
- 4月に六代「豊竹呂太夫」を襲名へ、文楽・豊竹英太夫インタビュー(上) 2017年3月13日
- 音楽さむねいる:(19)人形と音楽 (1)人形浄瑠璃の世界 2017年3月11日
- 音楽さむねいる:(11)オペラ、ジャズ、文楽とコラボ… ソプラノ・城田佐和子さんに聞く 2016年8月17日
※ここから有料会員限定部分です。
2)「鬼界が島」は色々な愛情が描かれた、すごい話や!
「鬼界が島」で近松がすごいなと思うのは、俊寛と一緒に流されている丹波少将成経と海女の千鳥が結婚するというところ。丹波少将はすごく位の高い人だけど、海女というのは昔の人からするととても身分は低いんですね。その二人が一緒になって、千鳥を都に連れて帰ると言うんですよ。これはすごいことや。
――まさに身分を超えた愛ですよね。そして流人たちは恩赦で都に帰れることになり、迎えの船がやってきますが……。
でも、迎えの船には「海女なんか乗せたらあかん」と言われる。そしたら丹波少将は「じゃあ私も島に残る」と、これもすごいことやと思いますよ。「すまんな、じゃあまた」で、自分だけ行ってしまうことだってできたわけなのに。それだけ真剣に愛していたんでしょうね。もっとすごいのは、丹波少将が「僕は千鳥と島に残る」と言うと、俊寛たちも「いやいや流人はみんな一緒やし、 自分たちも船を降りる」って言うわけよ。 あれもすごいことやと思う。
結局、俊寛が悪い役人の瀬尾を斬ってしまい、「自分はいったん許されたけれど、瀬尾を斬ったから、その科で島に残る」と言って、代わりに千鳥を船に乗せることにする。良い方の役人の丹左衛門基康もそれを認めるわけだけど、あれも本当は落ち度になるんですよ。あの役人は都に帰ったら切腹かもしれへん。おそらくあの時そこまで覚悟してる。でも、俊寛たちの愛情を見て、やっぱり何かを感じたんじゃないかと思う。
――そう考えると色々とすごいですね……。
ほんまにすごいことやで! 江戸時代には考えられない物語を近松は創り上げてる。
3)「呂太夫」襲名は上からの勧め、「流れには乗ってみよう」と決めた
――今回、英太夫さんとして語られる舞台はこれが最後ということになりますが、そんなこと考えている暇はないという感じでしょうか。
うーん、まだ全然実感がわかないですね。人から「呂太夫さん」と言われても「どこにいるんやろな?」って(笑)。
――このインタビューでは、文楽の世界をよく知らない人が抱きがちな疑問もどんどんぶつけさせていただくつもりですが、まず素朴な疑問その1として、そもそも「襲名していいですよ」というのは、 どのように決まるのでしょう?
だいたいが自分で申請するわけですよ。
――そうなんですか!
それで「今度この名前を襲名したいと思ってるんですが大丈夫でしょうか。させていただけますか?」と師匠方に相談しないといけないけれど、僕の場合は去年の2月に一番トップの竹本住太夫さんから勧められたんです。住太夫さんが師匠先輩方に声をかけてくれたから、非常にスムーズに行きました。
――英太夫さんの場合はお祖父さんが豊竹若太夫さん(十代目)ですから、そのお名前が目標なのかなと思っていたのですが、「呂太夫」を選ばれたのは?
それは住太夫さんにも勧めていただいたし、僕もまだ「若太夫」という大きな名前に相応しい立場でもないから、今は「呂太夫」なのかなと。上の方から言ってきてくれるなんて普通はないことやから、そういう流れが来た時に逆らったらあかんなと思ったんですよ。「呂太夫」というのは僕の祖父の前名でもあるし、お祖父さんも大事にした名前やから、まず「呂太夫」を受け継いでもっと勉強しようと思ったんです。住太夫さんも「君は将来まだ若太夫があるで。 これで勉強して若太夫を継げよ」とおっしゃってくれましたから。
――「豊竹若太夫」は江戸時代の豊竹座の初代から続く大名跡ですからね……そこでまた素朴な疑問なのですが、いつから「呂太夫」に変わるんでしょう?
大阪公演の初日とちゃうかな?
――今まで「英(はなふさ)さん」とも呼ばせていただいていましたが、「呂さん」とはちょっと呼びにくい……そんなくだらないことも考えてしまいました(笑)。
これからは「呂太夫さん」やね(笑)。
4)「寺子屋」の荒唐無稽な世界を納得させる、それが僕らの役目やと思う
――襲名披露公演は「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋の段」ですが、 これもご自身で選ばれたんですね。
そうですね。制作の人といろいろ考えたんですけど、「寺子屋」がいいんじゃないかなと。
――何故「寺子屋」を選ばれたのでしょう?
僕のお祖父さんも好きやったし、僕も好きやしね。それに「寺子屋」って主役の松王丸夫妻の他にも、武部源蔵とか色んな人が出てくるから、人形遣いさんもたくさん出られるでしょ。
――ここでまた素朴な疑問ですが、この「寺子屋の段」は、主君である菅原道真の息子である菅秀才を救うため、松王丸夫妻が我が子小太郎を身代わりにするという、現代人の感覚では共感するのが難しい話ですが、どのように理解すれば良いのでしょう?
江戸時代は来世思考が今よりとても強くて「主従は三世」(主従の縁は三世先まで続く)という考え方があったわけです。そもそも命を捧げられるのが本当の愛情だから、主君のために命を捧げるということは、本当の愛であり奉仕ですよね。
――でも、犠牲にするのは自分じゃなくて自分の子どもの命ですが……。
子どもも納得してるから、すごいのよ。
――確かにすごいです……。
すごい。 子どもは子どもで主君のためにと思ってる。「弁慶上使」でもね、弁慶が腰元の信夫(じつは弁慶の娘)に「主君の奥さんの命を助けるため、身代わりに首をくれ」と言うと、信夫は「どうぞ。お主のために私は命を捧げます」と言うんです。子どもの時分からそういう心構えができてるんですよ。そういうことを最初は「荒唐無稽やな」とか「可哀想や」と思うけれど、聴いたらすごくつじつまが合うというかね、「良かった」という風にさせるのが僕らの役目です。
――なるほど!
荒唐無稽な世界を納得させる、それが大事なんですよ。「鬼界が島」もそうだけど、作品自体が良くできてるし曲もいいから、ライブで実際聞いているとそういう感じになってくるんです。もちろん僕らにもそうさせるだけの技量がなかったらあかん。でも、文楽という三業一体(太夫・三味線・人形)の世界にはそれぐらいの力がある。わけがわからなくても何か面白いところがあるんですよ。
――それは私もそう思います。文楽を観ていると「なんで私、こんな話に感動しちゃうんだろう?」ということがよくあります。
そうでしょ、そうでしょ 。
5)「小説家修行」のために入った文楽の世界で50年間やってしまった
僕は最初、「文楽なんて、こんな流行らん商売はイヤだ」と思っていたんです。僕のお祖父さんのお通夜の時に先代の呂太夫さんと銭湯に入って。大塚の金春湯っていうところやったね。そこで呂太夫さんが僕に「太夫になれ」と勧めてくれた時、僕は「いやぁ〜文楽なんて勘弁して」と言ったんだけど、ふと思ったんです。僕、本当は小説家になりたかったから「これは小説家になるための、ええ社会勉強になるな」と。
――(笑)
僕は大阪生まれなんやけど、文楽をやれば大阪にも帰れるし。2〜3年いてやっぱり合わなかったら、長野県の田舎かどこかに行って、バーテンでもしながら昼間は小説書こうかなと思ってたんですよ。
――意外と不純な動機だったんですね(笑)。
そのころ僕は大江健三郎とか倉橋由美子みたいなシュールな感じが好きやったんですよ。それで改めて文楽を観たら、太夫がなんやわけわからんことをギャーギャー言うてるし、三味線弾きさんもベンベン鳴らしてるし、人形遣いさんはひとつの人形を3人がかりで遣ってるでしょ。それで舞台上の色彩はすごくいい。……これはなんとシュールな芸だなと。アバンギャルドとでも言おうか。
――(笑)
わけわからんけども「すごい!」と思ったんですよ。それでしばらくやろうかなと思ったら、50年間やってしまった、20歳から50年間。
同年代の人も結構亡くなって、先代の呂太夫さんも50ぐらいの時に亡くなってね。何だか僕だけが生き残ってしまって、 みんなに悪いなという気がするんですよね。僕が今ここに残って「呂太夫」を継ぐなんて。文楽の太夫として今やってること自体が不思議でならない。やっぱりこの仕事に縁があるんですかね。
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