音楽さむねいる:(21)人形と音楽 (3)ストラヴィンスキーのバレエ『ペトルーシュカ』

Stravinsky PETROUCHKA=YouTube「música para milhões」より、https://www.youtube.com/watch?v=oQSV-hgUXsw

バレエ音楽『ペトルーシュカ』(1911年原典版)(※1)

イーゴル・ストラヴィンスキー(1882年6月17日-1971年4月6日)作曲

推薦録音:ピエール・ブレーズ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック(※2)

Koichi Kagawaの 音楽さむねいる

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前回は、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』を通して、ファンタジックな人形と音楽について考察した。それは、呪いにかけられたくるみ割り人形が、お菓子の国の王子の姿に戻り、それを手助けした少女マリーがお菓子の国の王妃となるという、少年少女が憧れる夢物語であった。今回は、同じ西洋の人形でも、人間の心を持ってしまったペトルーシュカという人形の哀しい物語である。

■ ペトルーシュカという人形

バレエ音楽『ペトルーシュカ』は4場から成る管弦楽作品で、題名の通り、ペトルーシュカという名の人形が主人公のバレエ音楽である。このペトルーシュカという人形であるが、ロシアのみならず、広くヨーロッパ各地に異なった名前で存在している。例えば、ドイツでは“Kasperle”、イタリアでは“Pulcinella”、イギリスでは“Punch”、フランスでは“Polichinelle”という具合である。呼称はともかく、この人形は詐欺師、ペテン師、あるいは反逆者として扱われるのが常である。更に言うなら“道化師”であろう。

ロシアにおける人形劇は、18世紀のロマノフ朝時代に、女帝アンナ・イヴァノヴナがアジアから操り人形劇を輸入したことを嚆矢とする。この人形劇は、主に宮廷での娯楽や、キリスト教の教えを普及するために上演されたものであった。しかし、ペトルーシュカは操り人形ではなく手人形であり、屋外の簡易劇場(ポータブル式のものや組み立て式の小さな小屋)で一般大衆に向けて上演されることが主で、宮廷の操り人形とは異質のものであった。

ペトルーシュカが演じられる人形劇は、極めて定型のものであることが多く、不道徳なペトルーシュカが悪魔と対話することで正義を説くという、一見矛盾するような話の展開を見せ、最後は犬か警官、あるいは悪魔がその人形を引きずって行き、幕切れとなる。これは、「音楽と人形(1)」に出てきた、神の託宣を媒介する傀儡師の人形にも通じるものがある。そもそも説教や祝詞などというものは、神の言葉を拡散することを目的としているため、その語法は自ずから定型となることが運命付けられている。それを、人形劇を介して繰り返し繰り返し表現することで、道徳の浸透が助長されることになる。その目的のために、損な役割回りを、性根が悪い各国の“ペトルーシュカ”が担っているとも言えよう。

以下、第一場から第四場までの舞台を、1990年のキーロフ・バレエ団の公演を引用し、解説する。初演当時と同じ演出、振付け、衣装によるこの公演は、貴重なものである。また、それぞれの場面の開始時間も付けたのでご参照頂きたい。

■ 第一場:Shrovetideに浮かれる市場の情景-祭日の喧騒(0:00-9:40)

さて、ペトルーシュカの物語は、1930年代のサンクトペテルブルクの海軍省広場から始まる。激しく蠢くロシア風の音楽に乗せ、多くの人々が、キリスト教の四旬節の初日である“灰の水曜日”前の Shrovetide(“懺悔の三日間”)を市場で過ごしている。躍動的で変則的な旋律が、祭日の喧騒を巧みに表現している。観覧車が回転し、人々が踊り、歌うざわめく市場の中に、シャルラタンという老魔術師が登場し、笛を吹きながら人形劇の観客を集め、彼らに魔法をかける。そして、ペトルーシュカ、踊り子、ムーア人の3体の人形を舞台に取り出し、それぞれに命を吹き込む。

芝居小屋の壁に括りつけられていた3体の人形は、最初は足を動かしてロシアの踊りを舞い始めるが、やがて人形達は突然舞台から飛び出し、観客の中で生き生きとロシアの踊りを披露する。ペトルーシュカは踊り子に恋心を抱き、近づこうとするが、踊り子はムーア人と仲睦まじく踊るばかり。それに嫉妬したペトルーシュカは、シャルラタンから渡された棒を振り回し、暴れる。やがてシャルラタンが魔法を解いたことで、3体の人形は踊りを止め、地面に崩れ落ちる。

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■ 第二場:ペトルーシュカの部屋-人形の独白(9:41-14:14)

舞台は暗転し、ここはペトルーシュカの部屋。星や半月が描かれた漆黒の壁には、シャルラタンの肖像画がぼんやりと浮かび上がっている。シャルラタンに蹴とばされながら、ペトルーシュカが部屋に転がり込んでくる。扉を閉められ、一人になったペトルーシュカはゆっくりと起き上がり、壁を叩きながら部屋から脱出しようと試みる。見世物小屋での奴隷のような生活に絶望し、寂しさに耐える自分を憐れんでのことである。そして、踊り子に恋心を抱いていることに葛藤を覚え、人間の感情があるがゆえに悶え苦しむ。

そこに突然シャルラタンが踊り子を放り込む。ペトルーシュカは有頂天になり、自分の気持ちを伝えようと踊りながら踊り子に近づく。驚いた踊り子は部屋から逃げ出し、ペトルーシュカは彼女を追いかけようとするが、突然扉が閉まり、彼はまた部屋に閉じ込められる。外に出ようと怒りをぶつけるペトルーシュカであるが、力尽き再び倒れ込んでしまう。この場面では、ハ長調と嬰ヘ長調の3連音が並列されて構成される、有名な“ペトルーシュカ和音”がクラリネットとトランペットで演奏される。この不気味な不協和音によって、ペトルーシュカの煩悶と、シャルラタンに対する呪いが強調されている。

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■ 第三場:ムーア人の部屋-ムーア人と踊り子とのデュエット(14:15-19:19)

原色の派手な南国の花や動物に彩られ、異国情緒あふれるムーア人の部屋。ムーア人がベッドに寝ころびながら椰子の実で遊んでいる。ペトルーシュカと違って、ムーア人はヴァカンス気分である。椰子の実を割ろうとムーア人は刀を抜くが、全く割れない。そこへ、シャルラタンが踊り子を放り込むと、小太鼓の小気味よいリズムに乗って、踊り子がラッパを吹きながら行進する。

やがて、踊り子がワルツを踊り始める。最初は興味深げにそれを見ていたムーア人であったが、二人でデュエットを楽しむようになる。しばらくしてムーア人は一人で座り込み、踊り子の華麗なワルツを手拍子で囃し立てている。

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ここは、ストラヴィンスキーが、ヨゼフ・ランナー(※3)の『シュタイアーマルク風舞曲』と『シェーンブルンの人々』の旋律を引用・編曲した箇所である。

ヨゼフ・ライナー『シュタイアーマルク風舞曲(※4)』(引用部分1:28-)

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ヨゼフ・ライナー『シェーンブルンの人々(※5)』(引用部分0:38-)

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ムーア人と踊り子が一緒に踊っている最中、突然シャルラタンがペトルーシュカをムーア人の部屋に放り込む。二人が仲良く踊っていることに嫉妬したペトルーシュカは、ムーア人を追いかけまわすが、逆にムーア人に踏みつけられ、部屋から追い出されてしまう。(19:19-21:15)

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■ 第四場:終幕、再び市場の情景-雄大なロシアの夕暮れ(21:14-35:09)

■ 『ペトルーシュカ』作曲の経緯

■ 『春の祭典』と『ペトルーシュカ』に共通するもの

■ 人形と音楽

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■ 第四場:終幕、再び市場の情景-雄大なロシアの夕暮れ(21:14-35:09)

「市場の情景」(21:14-22:14)

第一場と同じ市場に夕暮れが迫る頃、祭日を楽しむ人々が行き交う市場はそれまで以上に賑わいを見せ、喧噪のるつぼと化している。ストラヴィンスキーは、雄大なロシアの夕暮れに沈んでいくこの市場の情景を、実に華麗なオーケストレーションで表現している。

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「乳母の踊り」(22:15-24:44)

行商人達は、それぞれの商品や見世物を宣伝すると共に、ロシア色豊かな踊りを次々に披露する。その中で、最初に披露され、かつ、最も傑出した旋律は、オーボエの奏でる「乳母の踊り」であろう。これは、ロシア民謡『ピーテル街道に沿って』に基づく変奏であり、ペトルーシュカで最も有名な主題である。この「乳母の踊り」に乗せて、華やかな民族衣装に身を包んだ男女が軽やかな踊りを披露していく。やがて、この旋律はホルンによって短く演奏されると、更に弦楽器が長大なレガートでそれを引き継ぎ、コントラバスの重低音が基礎を支える華麗なるロシア舞踊の乱舞となる。この一連の踊りを彩る管弦楽は、薄暮に蠢く春の兆しを連想させ、やがて発表される『春の祭典』の冒頭に通底するものがある。

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ロシア民謡『ピーテル街道に沿って』

「熊と熊遣い」(24:25-25:41)

男女がロシアの踊りを繰り広げる中、突如クラリネットが不協和音を奏し、熊を連れた農夫が登場する。クラリネットの高音と、チューバで表現される「熊と熊遣い」の主題である。物珍しさが人々を駆り立て、人々はゆっくりと去って行く熊と農夫を見送る。

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「市場の情景」(25:42-26:11)

その後、木管楽器によって2分の音程がもそもそと蠢きながら基部を構成し、女達がリボンを手に華麗に踊る場面が続く。そこに、金管楽器がアルペジオ風の旋律を上乗せ、また木管楽器が重層的に音程を加えて行く。この部分は、春の兆しを表現しているかのようで、非常に美しい旋律である。

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「行商人と二人のジプシー娘の踊り」(26:12-27:17)

次に、弦楽器に奏でられ、二人のジプシー娘を引き連れた行商人が登場する。軽やかに踊りを踊る行商人とジプシー娘。タンバリンが打ち鳴らされると、行商人は紙幣を人々にばらまき、辺りは騒然となる。二人のジプシー娘が人々の中で繰り広げる踊りの輪に、行商人も思わず踊りに熱が入る。踊りのテンポがゆっくりと落ちて行き、行商人とジプシー娘達はどこかへ消えて行く。

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「馭者と馬蹄の踊り」(27:18-29:29)

いつの間にか雪が降り始めたサント・ペテルベルグの広場に、馭者と馬蹄が登場し、コントラバスの重低音が骨太の輪郭を形成する勇壮な踊りが始まる。トランペットが吹きならす4連符の後に弦楽器のピチカートが続き、その後トロンボーンが音階を引き継ぎ、sff(スフォルツァティッシモ)で一時休止。これを数度繰り返しながら弦楽器も併せ、次第に緊張感を高めて行く。そして、金管楽器と弦楽器が最初の旋律を交互に演奏し、曲は最高潮に達する。この主題は、『ペトルーシュカ』全曲中最も華麗でドラマチックなクライマックスを構成し、雄大なロシアの平原に馬を歩ませる馭者と馬蹄の踊りを生き生きと描いている。

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「仮装した人々」(29:30-31:02)、「ペトルーシュカとムーア人の格闘」(31:03-31:51)、「ペトルーシュカの死」(31:52-32:49)、「警官と人形遣い」(32:50-34:04)、「ペトルーシュカの亡霊」(34:05-35:09)

馭者と馬蹄の踊りが終わると、ピアノとハープが仮面をつけた芸人達の登場を促す。仮装した芸人たちに囲まれて、悪魔の仮面をつけた芸人が踊る。すると突然、甲高いトランペットの音が聞え、見世物小屋の幕間からムーア人が刀を持ってペトルーシュカを追いかけ出る。踊り子もその後に続くが、ムーア人は無残にもペトルーシュカを刀で斬りつける。驚いたムーア人と踊り子は、雪の中に倒れたペトルーシュカを置いてどこかに逃げ去った。群衆が集まり、興味深げに見守る中、ペトルーシュカは息絶える。

ファゴットの音に乗って警官が現れると、シャルラタンを取り押さえ、ペトルーシュカの死体の前に連れて行き尋問する。シャルラタンは魔法を解き、ペトルーシュカを元の人形の姿に戻した。死んだのはただの人形だと弁明し、事は収まった。人々が家路に向かう中、シャルラタンは人形を引きずりながら去ろうとする。すると、ペトルーシュカの亡霊が見世物小屋の屋根に現れる。恐れおののいたシャルラタンはすぐさまその場を立ち去り、ペトルーシュカの亡霊が息絶えたかのように上半身を揺らしながら一人残っていた。

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■ 『ペトルーシュカ』作曲の経緯

さて、バレエ音楽『ペトルーシュカ』は、1910年8月から翌年5月にかけて作曲が行われた。同じバレエ音楽『火の鳥』が1910年の5月に完成するや、ストラヴィンスキーは、“異教徒の儀式(ritual)”が主題になる音楽の着想を得ており、その話を聞いたディアギレフ(※6)は、作曲を強く勧めた。しかし、その夏が終わる頃、ディアギレフが耳にしたのは、ピアノと人形が重要な役割を果たすバレエ音楽のスケッチであった。即ち、ペトルーシュカの習作である。

この作品の制作には思った以上に時間がかかり、その完成は上演の3週間前の5月26日であった。それは、ストラヴィンスキーがニコチン中毒にかかり、一時病床に臥せっていたからである。それでも、この生き生きとした人形劇のバレエに音楽を付けることができたのは、台本を担当したアレクサンドル・ブノア(※7)の協力が大きかったからである。従って、ストラヴィンスキーは、この曲をブノワに献呈している。

初演は1911年6月13日、パリのシャトレ座で、ピエール・モントゥー(※8)の指揮、ニジンスキー(※9)のペトルーシュカ、フォーキン(※10)の振付けで行われた。評価はおおむね良好であったものの、人間の感情を持った人形が惨殺され、その亡霊が現れるところで幕切れとなるこの台本と、“ペトルーシュカ和音”に代表される、ある種グロテスクにさえ聞こえる音楽に対して、抵抗感を持つ聴衆も少なくなかったと伝えられる。

尚、ストラヴィンスキーは、バレエ音楽『ペトルーシュカ』の1911年原典版を3管編成に変更した作品を、1947年に発表している。現在では、1911年版を全曲取り上げるにはコストや労力がかかるため、演奏会ではこの1947年の“縮小版”がよく用いられる。また、『ペトルーシュカ』は、ピアノが大きな役割を果たす作品という位置付であったため、ストラヴィンスキーは、ピアノ曲『ペトルーシュカからの3楽章』も編曲している。これは、難曲中の難曲として知られ、ピアノのリサイタルでこの曲を取り上げると知るや、私は必ずと言っていいほど演奏会に足を運び、演奏者の技量を見ることにしている。

■ 『春の祭典』と『ペトルーシュカ』に共通するもの

先に述べたように、『ペトルーシュカ』の随所には、“異教徒の儀式”を主題にした『春の祭典』に通じる“音色”が潜んでいるように思う。特に、シャルラタンという謎めいた老魔術師が駆使する魔術には、ロシアの大地に息づく異教徒がもつ呪力と同質の、何か妖しい光の煌めきを感じる。それは、生贄を捧げる程に礼を尽くして迎える春に共通の、どこかしら危うく鈍い光である。冬の力がまだ衰えない季節を舞台にした『ペトルーシュカ』と、時期を同じくして、春を迎える異教徒の儀式を描いた『春の祭典』-この二つの音楽には、春が蠢き始める季節に共通の、人の心で揺れ動く、おぼろげな不安が存在しているような気がする。

「人形と音楽(1)」で触れたように、冬から春へと移ろうこの季節には、邪気が入りやすいとされる。遠く離れたロシアではどうか知らないが、ストラヴィンスキーのこの2つの作品には、同じような邪気=“evil”がある種の役割を果たしていることを、直感的に感じ取ってしまうのである。それを両作品の作曲の動機であるなどと言うつもりはないが、この2つの作品の音符一つひとつには、人智では捉えることができない、胸騒ぎを覚えるような“邪気”が放たれているように思えてならない。

■ 人形と音楽

これまで、日本の浄瑠璃、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』、そして、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』と、人形が大きな役割を果たす音楽を取り上げてきた。人形とは人間の代理であり、身代わりである。人形に神の声を代弁させようとも、その声に神格を与えるのは人間の業である。ところが、ペトルーシュカは、人間の感情を持ってしまったが故の苦悩に苛まれることになる。同じ人格を持った人形でも、くるみ割り人形は、ファンタジーの世界に遊ぶ無邪気な少年少女の憧れである。従って、くるみ割り人形は、純粋な子供の夢や精神が反映する造作物である。ここが、ペトルーシュカとは異なる点である。

チャイコフスキーは、童話に音楽を付ける作業に艱難辛苦を味わいつつも、最後は素晴らしく愛らしい音楽で『くるみ割り人形』を演出することに成功した。それは、おとぎ話の原作を半分以上捨象し、音楽のほとんどをお菓子精の踊りに費やし、原作にある物語性を、極力音楽から排除したことによって成し得たことであったのかもしれない。『くるみ割り人形』では、人形に人格を持たせることはしたが、人間と同じ精神の深みには至らずに終わった。そのことが、夢物を甘美な音楽で彩ることに成功した理由なのかもしれない。

ペトルーシュカは、どこまでも人間の精神や感情の支配する人形として描かれている。そのため、嬉しさや喜びだけではなく、苦悩、苦痛、嫉妬、怒りなどが、その体内に同時に内包されている。これが、ペトルーシュカの物語が恐ろしさを発散する理由である。

神のご神託をありがたく授ける装置としての日本の人形。少年少女の夢を代弁するくるみ割り人形。魔法により人間の心を持ってしまったペトルーシュカ… もし自分が人形であったら、音楽も含めて、3体のうちどれを選ぶのが一番幸せであろうか?この問いは、現在進行形のロボット社会の行く末を暗示しているような気がしてならない。

※1 “Petrushka” (Igor Stravinsky)

※2 CBS/SONY, 73DC-248-50

※3 Joseph Lanner (1801年4月12日-1843年4月14日), 神聖ローマ帝国時代のオーストリアの作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト。“ワルツの始祖”と呼ばれる。

※4 Steyrische Tänze,Walzer, Op. 165

※5 Die Schönbrunner Walzer, Op. 200

※6 Sergei Diaghilev (1872年3月31日-1929年8月19日), ロシア・バレエ団の創設者。芸術プロデューサーとして辣腕を振るい、ミハイル・フォーキンやヴァーツラフ・ニジンスキーなどの不世出のダンサーを見出した。手掛けたバレエは、ストラヴィンスキーの三大バレエである『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』 、モーリス・ラヴェルの『ダフニスとクロエ』などがある。

※7 Alexandre Benois (1870年5月4日-1960年2月9日), ロシアの美術・舞台デザイナー。

※8 Pierre Monteux (1875年4月4日-1964年7月1日), フランスの指揮者。ストラヴィンスキーの『春の祭典』、『ペトルーシュカ』、ドビュッシーの『遊戯』、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』など、20世紀を代表する管弦楽曲を初演している。

※9 Vaslav Mijinsky (1890年3月12日-1950年4月8日), ロシアのバレエ・ダンサー、振付師。ディアギレフと共にロシア・バレエ団の創設に参画。不世出のダンサーと言われる。リヒャルト・シュトラウスの『ティル・オイレン・シュピーゲルの愉快ないたずら』、ドビュッシーの『遊戯』、『牧神の午後への前奏曲』の振付けを担当。特に『牧神の午後』の振付けは物議をかもした。

※10 Mikhail Fokin (1880年4月23日-1942年8月22日), ロシアのバレエ・ダンサー、振付師、ダンス教師。ディアギレフと共にロシア・バレエ団の創設に参画。ストラヴィンスキーの『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』の振付けを担当。特に、アンナ・パヴロワのために振付けた『白鳥の湖』の「瀕死の白鳥」は有名。

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