原発事故後の日本を描いた歌芝居「夕陽の昇るとき」、8月20日に兵庫で上演

「夕陽の昇るとき」練習風景 演出の嶋田三朗(左)と俳優のフランチスカ・ローザ=撮影:松中みどり

「夕陽の昇るとき」は、2013年5月に芥川賞作家多和田葉子さんがドイツ語と日本語で書き下ろした戯曲です。福島第一原発事故後の日本を描いた作品で、ドイツと日本を中心に活動する「劇団らせん館」が芦屋市で初演後、尼崎、西宮、ベルリンなどで17回公演してきました。このほど、兵庫県立尼崎青少年創造劇場(愛称・ピッコロシアター)の2015年ピッコロフェスティバル演劇部門に参加することになり、”歌芝居「夕陽の昇るとき」を公演する会”主催、劇団らせん舘の嶋田三朗演出で、らせん舘俳優と、地域の様々な分野の人々との共演が決定しました。8月20日(木)に、兵庫県尼崎市のピッコロシアターで上演されます。筆者も出演することになった「夕陽の昇るとき」の稽古現場をレポートします。

「夕陽の昇るとき」練習風景 演出の嶋田三朗(左)と俳優のフランチスカ・ローザ=撮影:松中みどり

「夕陽の昇るとき」練習風景 演出の嶋田三朗(左)と俳優のフランチスカ・ローザ=撮影:松中みどり

2014年上演「夕陽の昇るとき」=劇団らせん館Facebookより

2014年上演「夕陽の昇るとき」=劇団らせん館Facebookより

「夕陽の昇るとき」は、母と娘、たぬきとラーメン屋、嫁と姑、少年と先生、春風と作家などの「二人の対話」を通して、3・11以降の日本を描いていきます。それぞれの問題を孤独に抱え込まず、相手と直接交流すること。ときにユーモラスに、ときに激しく、ときに率直に言葉を交わすことで、現代社会の問題をしっかりと考えていく内容になっています。演出の嶋田さんは、テキストとじっくり向き合い、言葉の意味を幾重にも解釈するスタイルで、一読しただけでは思い至らなかった意味を引き出していきます。そこに俳優や今回初めて参加する市民も自由に意見を言って、声の出し方や動きが変化していく面白さは、本番に負けず劣らず面白いものでした。

「夕陽の昇るとき」練習風景=撮影:松中みどり

「夕陽の昇るとき」練習風景=撮影:松中みどり

<セリフ>

……チェルノブイリdadaの原子炉dada事故dadadaは数えきれないほど多くのひとdadaびとの生活を破壊した……

<演出の嶋田さん>

「dada(ダダ)のところは、みんなで声を出した方がいい。いろんな声の高さで、たくさんの人が言っているように。このda(ダ)はロシア語の『そうだ』とか、ドイツ語の『ここ』という意味の言葉だともいえるし、東北弁の『うんだ、うんだ』だと思ってもいい。原子力発電所の事故が起きた時の爆発音のように言ってもいい」

<セリフ>

……かaaaれら非正規の労働者はaaa、正規の従業員よりも数倍高い放射線被爆を受けている。フラaaaンスでは、彼らを「放射能の餌」と呼んでいる……

<演出の嶋田さん>

「このとき、aaa(アアア)は、dadadaと違って、苦しんでいる人の声、息のようなaaaを出してみよう」

<セリフ>

……近ければ近いほど確率は増える。癌になる。病気。人間になる。人間は確率によって癌になる。確率は癌の弟である。……

<話し合い>

「人間になる」という言葉からみんなで議論になりました。人間が癌になる、ならわかるけど「人間になる」って?ここは「人間が(癌に)なる」の間違いじゃないか?筆者は、「人間になる」でいいと思いました。癌で闘病中に「この人は癌よ、病人よ」と言われた言葉を思い出したからです。この人=癌 という式は、ひっくり返しても同じ、癌=この人。 癌は、人間になったのです。そんな思い出がよみがえるテキストをもとに、みんなで話し合いながら練習中です。

「夕陽の昇るとき」練習風景 撮影:松中みどり

「夕陽の昇るとき」練習風景 撮影:松中みどり

劇団らせん舘は、1978年に尼崎市で設立し、ピッコロシアターで公演を重ね、劇団代表で演出家の嶋田三朗は、ピッコロ演劇学校設立当初に演出家の秋浜悟史さんの演出助手や舞台監督をしました。俳優の市川ケイ、とりのかな、は兵庫県立ピッコロ演劇学校研究科の卒業生です。俳優のフランチスカ・ローザは、ドイツのケルンの演劇学校の卒業生です。

らせん舘はこれまでに、イギリス、ドイツ、イタリア、スリランカ、タイ、ポーランド、ニュージーランド、インドネシア、マレーシア、ウクライナ、スペイン、フランス、インド、ハンガリー、韓国、チリ、米国、海外17カ国の40都市で公演やワークショップをし、日本では兵庫県阪神間をメインに32以上の都市で公演してきました。2002年からベルリンで演劇創造活動をし、ベルリン、関西、世界各地で日本語、ドイツ語、スペイン語などの言語を用いながら公演しています。「夕陽の昇るとき」も、日本語、ドイツ語、英語、ギリシャ語など様々な言葉を使いながら演じられます。

「夕陽の昇るとき」練習風景=撮影:松中みどり

「夕陽の昇るとき」練習風景=撮影:松中みどり

らせん館はこれまでも、俳優以外の人たちと一緒に芝居を上演することが、演劇の可能性を広げるという考えで、様々な試みを行ってきた劇団です。尼崎で1987年から続いている朝日新聞襲撃事件小尻記者追悼集会「青空表現市」では、一般市民とオリジナルの劇を作成。2012年には若手声楽家や尼崎の合唱団、市民と一緒に多和田葉子原作「白熊のトスカ」を兵庫県立芸術文化センターで公演しています。今回も、筆者を含む3名が、プロの俳優に交じって出演します。3人とも分野は違いますが、それぞれ「福島」に関心と関連を持つ人たちです。

演劇をやっている人の体と声は、一般人のそれとはもちろん違います。よく響く声としなやかな体、演出家の指示に反応して、様々な表現がすぐにできて圧倒されます。そこに、「しろうと」の声が混じることで、どんな化学反応が起きるのか。演出の嶋田さんは、「どんな美しい声も体も、放射能なんかに影響を受けなくてもどんどん変化していく。有機体である自分の皮膚感覚で、原発という現代の大問題を感じてくれれば、どんな声であっても必要で、素晴らしい」と言います。本番の日まで、模索を続けながら、福島の今をどう表現するか、模索していきます。

  • <夕陽の昇るとき>
  • 8月20日(木)ピッコロシアター 中ホール (兵庫県尼崎市南塚口町3-17-8  Tel. 06-6426-1940)
  • 18時45分開演 (開場 18時15分) 公演後アフタートークあり
  • 主催:歌芝居「夕陽の昇るとき」を公演する会  → http://maruta.be/Utayuuhi
  • 入場料: 一般、大学生 1000円  中高生 700円
  • お問い合わせ お申し込み:Tel. 090-3949-9917
  • E-Mail: Lasenkantusin☆aol.com (☆を@に変えてください)
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このセリフが気になるのです (松中みどり)

今練習している「夕陽の昇るとき」ではラーメン屋さんとたぬきの会話にこういうセリフがあります。水道の水を飲ませてと頼むたぬきに、たぬきなら川の水を飲めと言うラーメン屋さん。川の水は汚染されているというたぬき。

たぬき「水を飲ませて下さい。わたしがひからびて死んでしまってもいいんですか」

ラーメン屋「たぬき一匹くらい死んでも仕方がないだろう」

たぬき「でも、もし、わたしがキツネだったら、どうするんですか」

ラーメン屋「キツネ一匹くらい死んでも仕方がないだろう」

たぬき「でも、もし、わたしが人間だったら、どうするんですか」

ラーメン屋「人間一匹くらい死んでも仕方がないだろう」

このラーメン屋さんのセリフ、どう言ったらいいのか悩みます。政治家や権力者なら冷たく言い放てば終わりでしょうが(そんなことを言いそうな人の顔が浮かびますし)、このラーメン屋さんは原発事故の被害者でもあるのです。そんなに危険なものとは知らなかった原発の側で営んでいたお店。若い人が病気になって死んでいくのを見るのが辛いと思っているラーメン屋さんのセリフ。みなさんならどんな声で、どんな言い方でこのセリフを言いますか?

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