今回は私にとって特別の猫「せり」の一生について綴ろうと思う。我が家に来てくれた猫たちはもちろんみんな可愛い。でも、私にとって「せり」に変わる猫はもう現れないだろうと思うほど、一番愛した特別な猫だ。第2回でせりに出会ったところは書いたので、ひとりと一匹の新たな生活からはじめることにする。
当時、猫を飼うために引っ越したのは大学のすぐ裏のワンルームマンションだった。授業に行ってもお昼休みには帰ってこれる程の近さ。帰ってくると部屋の奥のゲージの中でにゃんにゃんと叫んで迎えてくれた。遊びたい盛りの子猫だったので、私が遊んであげられないときは、電気の紐にくくりつけた鈴の入ったボールを、ひとりで追いかけて遊んでいた。あるとき、いくら探してもせりが見つからなくて、ひとりで大騒ぎをしたことがあった。結局、遊び疲れて、ベッドの下に置いてあった押し入れケースなどに入れて使う、仕切りケースのひとマスで寝ていたところを発見した。薄いストールをたたんで入れていたので、ベッドがわりに気持ちが良かったのだろう。改めて、その小ささに驚いた事件だった。
近所には小さな商店街があって、日々の食事の買い物によく通った。せりを留守番させておくのも可哀想だし、この可愛い子を連れて歩きたい欲望もあったか、買い物がてら散歩に連れていった。当時、アビシニアンはまだ珍しかったし、小さいからか、歩いているとよく声をかけられた。「それは何? イタチ?」なんて人も。少し大きくなってくると、塀の上に飛びのるようになった。猫の散歩ははじめての経験だったので、上下運動に翻弄され、リードを離さないようにと緊張感のある散歩だった。
手芸が得意だった私は、せりにお手製の小さな首輪を作った。ひとつめはベージュ系のリボン付き首輪。成長してレッドカラーが濃くなってきた頃には、オレンジ系の紐をグラデーションに束ねた。我ながらどちらもかわいくて、こういうのが売っていればいいのにと思った。
せりはパンが好きだった。まだ猫知識が少なかったので、少しならいいかなと思ってあげていると、下痢気味に。病院で「猫はグルテンが消化できないからね」と言われ、目から鱗だった。ある夜、コンビニで白あんとカステラ系の皮でできたお饅頭を買ってきた。明日食べようと楽しみにしながら寝た翌朝、机の上には包み紙だけが残っていた。せりだ……包んであるから大丈夫だと思ったのに(泣)。手を使えないのに上手にむけるもんだなぁと感心しきり。食に一生懸命な猫だった。
実家が岡山から千葉に戻ってきたとき、私は大学を卒業して就職するタイミングだった。ちょうどよいからと、せりを連れて実家に引っ越した。それからは、夜は私の部屋で寝ていたけれど、私が仕事に出ている昼間は、他の猫たちとリビングで過ごしていた。しゃらを取られたという、しゃらの子供たちへのうらみを忘れないのか、彼らのことはあまり好きではないせりだったが、大きな猫団子をみんなで作り、いつも端っこにくっついていた。
せりは私にべったりで、あまり猫らしくない猫だった。我が家では「忠猫せり公」と呼ばれていたぐらい。家で仕事をしているときはずっと膝に座っていたし、夜は私の腕枕で一緒に眠った。写真の勉強をはじめた頃、家で猫たちの写真を撮っていたが、せりにカメラを向けると、私の方へ近づいて来てしまって、いい写真がなかなかとれなかったことも多かった。
せりは17歳で旅立った。ほとんどの老猫がわずらう腎臓の病が原因だった。せりを失うなんて考えられないといつも思っていた。でも、確実にそのときはやってくる。腎臓が悪くなってから、その時を遅らせるための何かはないのかと、一生懸命に調べて試してみた。病気が悪くなって入院したのが、2011年。東日本大震災の頃だ。震災の衝撃に心痛めながら、せりが日に日に悪くなる様子に焦っていた。正直なところ、両方がいっぺんにやってきて、心が疲弊しきっていたと思う。それを自覚出来ないほどに忙しく、少し興奮状態だった。
せりが悪くなってから、およそ1カ月半の2011年4月20日早朝に、旅立っていった。たくさんの思い出が残っているが、ひとつの光景と、ひとつの声は一生忘れられないものになった。
旅立つ前日の朝、弱ってからもずっと一緒に寝ていたが、寝ているせりを起こすまいとそっと起きて部屋を出て、仕事に行く準備をはじめた。着替えにもどろうと廊下にでると、うす暗い廊下の部屋の扉の前にせりが座っていた。「寝てていいのに……」。瀕死の状態でも、私が行ってしまうと起きてくる。せつなくて、愛しくて、たまらなかった。
その日の夜、動物病院に点滴に行っていたせりを迎えに急ぐ電車の中で電話がなった。「もう、危ない」という知らせの電話。動物病院につくと、母と動物看護士の方が、もう意識がないであろうせりを囲んでいた。「せりちゃん! 帰ってきたよ!」駆け寄ると、せりは小さな声で「にゃーん」と一度鳴いた。
動物が愛する飼い主を待っていてくれるという話はいろんなところで耳にする。せりを見送ったとき、そうなんだろうなと思った。せりを見送った後も、他の猫たちをさまざまな形で見送ったけれど、せりだけはやはり特別な別れだった。きっと、虹の橋のたもとで私を待ってくれている。
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※岩村美佳さんのエッセイ、「私と猫たち」は隔週月曜日(月曜祝日の場合は火曜日)に掲載しています。
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<アイデアニュース有料会員向け【おまけ的小文】>
せりの失敗談と、せりが旅立つ1年前に私が引っ越したときのエピソードをご紹介する。
せりが旅立つ約1年前に、私は引越しをした。そこは猫が飼えないマンションだったので、実家と新しい家を行ったり来たりするようになった。毎日私と寝ていたせりは、私が帰らない日は母や他の猫たちと寝るようになった。最初はひとりで寝ることが多かったそう(母の周りには他の猫たちが集まっていたから)。でも、結局、母の胸の上で寝るようになったそうだ。17年目にして、ようやく懐いてくれたみたいと、それまでよりも可愛くなったような様子だった。仕事で間に合わない私の変わりに、病院に連れていってもらったり、様子をみてもらったり、母には本当に感謝している。せりも最後に懐いてくれてよかった。
今でも最後の1年はかわいそうなことをしたのだろうかと思ったりすることがある。猫が飼えるマンションに連れていこうかとも考えたが、さまざまな環境を考えると老猫をひとりお留守番させるのもいいとは思えなかった。
最後に一緒に寝ていたせりの失敗話をふたつ。休みの日の朝、一週間の疲れや寝不足を補うように、たっぷり寝ていた私。せりが「起きて! 起きて!」と、顔を触りながら攻撃してくる。「もうちょっと、もうちょっと」と抵抗する私は、せりをベットからおろして、再び寝ようとする。すると……足元が濡れてきたのだ。がばっと起きてみれば、せりが布団におしっこをしている! うわぁ! 私の部屋にトイレを置いていなかった私が悪いんだけど……。トイレだったのかぁ。その後、トイレを設置して、休みの日はゆっくり眠れるようになった。
せりは、私の脇と腕の間で眠ることが多かった。ある日いつものように眠っていたベッドの端から、多分寝ぼけて落っこちたのだと思う。おもわず私の腕にしがみついた。私は気づかずに眠っていたが、起きてびっくり。腕がざっくり切れて、流血していた。しがみついたのね……怒れないじゃんと思いながら絆創膏を貼った傷跡は、今も残っている。