エッセイ:「私と猫たち」(5) 箱入り3兄弟の10年

しゃら。母の畳まれたちゃんちゃんこの上でくつろぐ=撮影・岩村美佳

今回は、肝っ玉母さん・しゃらと、我が家に残った3匹のしゃらの息子たち、そしてそこに加わった1匹の白黒猫・じゅうべいについて綴りたい。大きな猫団子を作る仲のいい家族だった。

しゃら。誰でも受け入れてくれるとても性格のいいお母さん=撮影・岩村美佳

しゃら。誰でも受け入れてくれるとても性格のいいお母さん=撮影・岩村美佳

生後6カ月。ぶち太郎・しゃら次郎・てんてん三郎。去勢前に可愛いタマタマを撮影=撮影・岩村美佳

生後6カ月。ぶち太郎・しゃら次郎・てんてん三郎。去勢前に可愛いタマタマを撮影=撮影・岩村美佳

箱入り息子のぶち太郎、しゃら次郎、てんてん三郎

我が家に残ることになった、ぶち太郎、しゃら次郎、てんてん三郎。生まれたときから我が家で育ち、何の危険も知らない箱入り息子たちは、いつまでもお母さんが大好きのマザコントリオだった。もう出ないおっぱいをいつまでも吸い続け、小さなしゃらのお腹を突き破りそうなくらい大きな手でふみふみしていた。しゃらが乳離れさせようとせず、いつまでも吸わせておくものだから、息子たちは甘えて出ないおっぱいを吸い続けていた。

しゃらファミリーに加わるじゅうべい(右端)=撮影・岩村美佳

しゃらファミリーに加わるじゅうべい(右端)=撮影・岩村美佳

公園から「じゅうべい」がやってきた

彼らが生まれて1年1カ月程たった5月半ば、弟が猫を連れて帰りたいと母に電話をしてきた。公園にひとりでいた白黒猫は、片目が開けられない状態で、弟はこのままほっておいたら死んでしまうと思ったようだった。生後4カ月程の子猫は、野良猫のように汚れてもおらず、捨てられていたのではないかと思われた。弟は、その片目が開けられない様子から、江戸時代の剣豪・柳生十兵衛にちなんで「じゅうべい」と名付けた。推定4カ月ということで、誕生日はせりと同じ1月7日とした。病気が治るまでの1カ月は玄関に隔離され、1カ月後、しゃらたちの元へやってきた。

3兄弟がしゃらのおっぱいを吸っているのをみたじゅうべいは、「僕も♪」と、一緒にしゃらのおっぱいを吸った。「なんだ! 出ないじゃん(しょんぼり)」と思ったのだろうか、じゅうべいはそれ以来、吸いにはいかなかった。ちなみにこの3兄弟、おじいちゃん猫になるまで吸い続けた……。

生後5カ月ぐらい。じゅうべい=撮影・岩村美佳

生後5カ月ぐらい。じゅうべい=撮影・岩村美佳

こうして、6匹の猫を飼うことになった我が家。初代猫のめーちゃんから雌猫が3匹続いていたが、3兄弟から雄猫が続き、雄猫の可愛さにハマっていった。まず、大きい猫って可愛い。抱きごこちもいいし、動くぬいぐるみ感がとにかく可愛かった。特に3兄弟は、しゃらの妊娠中に、母が栄養を存分につけさせた効果だろうか。雄猫の中でも大きかった。そして雄は基本的に甘えただ。大きい動くぬいぐるみが甘えてくる……可愛いに決まっている!

しゃら・ぶち太郎・しゃら次郎・てんてん三郎・じゅうべいの猫団子=撮影・岩村美佳

しゃら・ぶち太郎・しゃら次郎・てんてん三郎・じゅうべいの猫団子=撮影・岩村美佳

好奇心旺盛なぶち太郎

ぶち太郎はとても綺麗な猫だった。兄弟たちの中でも容姿は一番の美形。小さい頃から好奇心旺盛で、お風呂場のふたに乗って溺れかけたり、遊んでいて足を切ったり。人間の胸の上で眠るのが好きで、一緒に眠る母はよくうなされていた。

ぶち太郎=撮影・岩村美佳

ぶち太郎=撮影・岩村美佳

とても繊細なしゃら次郎

しゃら次郎はとても繊細な猫だった。小さい頃はライオンの赤ちゃんのような顔で、なんとも愛らしかった。最初から我が家に残すことを決めていたので、母乳を飲んでいても母が他の子に譲らせていたことも原因だったのか、臆病で情緒不安定なところがあった。一時期、隣の家の扉を閉める音が大きく鳴り響き続けたことがあったのだが、情緒不安定になった次郎は、自分のしっぽを噛み切る自虐行為をしていた。猫もこんなことをするのかと驚いた事件だった。

しゃら次郎。猫タワーの足下に隠れる。大きいカメラも怖がっていた=撮影・岩村美佳

しゃら次郎。猫タワーの足下に隠れる。大きいカメラも怖がっていた=撮影・岩村美佳

鍵を器用に開けてしまうてんてん三郎

てんてん三郎はとても賢い猫だった。人間が開け閉めするのを見て、ゲージの籠の鍵を器用に開けてしまう。あるとき、母が庭に出て草むしりをしていると、振り返ったらゲージにいるはずの猫たちが庭にいて焦ったそう。てんてんが鍵を開けてしまったのだ。そして、小さい頃から一匹だけひとまわり大きかった。私が作ったせりの首輪が、せりには小さくなってきたとき、他の子たちには大きかったが、てんてんにはちょうどよかった。コアラ鼻の模様が個性的で、ユニークな顔立ちだった。

生後1カ月半ぐらい。てんてん三郎。せりのお下がりの首輪=撮影・岩村美佳

生後1カ月半ぐらい。てんてん三郎。せりのお下がりの首輪=撮影・岩村美佳

てんてんは、一番大きくて抱きごこちもよく、疲れて帰って「てんちゃーん……」と抱きしめると、翌日具合が何度か悪くなることがあった。「私の疲れがてんちゃんにうつっちゃった!」と思い、悪い気をうつしたらだめだなと、自制したものだ。

てんてん三郎。鼻の模様がユニークでコアラのよう。目の水色は綺麗だった=撮影・岩村美佳

てんてん三郎。鼻の模様がユニークでコアラのよう。目の水色は綺麗だった=撮影・岩村美佳

3兄弟が生まれて10年目、悲しい日が突然

じゅうべいは、三角顔の猫たちの中で、ひとり丸顔の猫だった。キャラクターのノラクロのような八割れ顔。うちの家族は三角顔派だったので、アウェイだったかもしれない。ガラス窓から見える猫たちを見た近所の人の中には、じゅうべいが一番可愛いという方もいたので、丸顔派には人気があった。3兄弟にまじって、一番下の弟のように仲良く暮らしていた。

じゅうべいがやってきてから、大きな変化はなく、平和にのんびりした時間が続いていたが、3兄弟が生まれて10年目。悲しい日が突然やってきた。ぶちの急死だ。調子がおかしいと気づいてから1日程で、あっという間に旅立ってしまった。血糖値が異常に高くなっていて、おそらく糖尿病ではないかということだった。私は、このとき命が消えていく瞬間をはじめて目の当たりにした。詳細はおまけで書かせて頂くが、鮮明な記憶は今も薄れることはない。

ぶち太郎・じゅうべい。同じ白黒柄同士、仲良しでした=撮影・岩村美佳

ぶち太郎・じゅうべい。同じ白黒柄同士、仲良しでした=撮影・岩村美佳

ぶちが旅立って後、他の猫たちは長く生きてくれた。てんてんとじゅうべいは17歳まで、しゃら次郎は19歳まで、そして、しゃらは20歳まで生きた。十分に生きて、私たちに幸せな時間を与えてくれた。しゃら、せり、 ぶち太郎、しゃら次郎、てんてん三郎、じゅうべいの6匹は、1歳3カ月しか年齢が離れていなかったため、ぶちをのぞく5匹は4年の間に次々と旅立っていった。その4年の時間は、やはりしんどかったなと思い返す。愛情を注いだ命がなくなっていく、何度看取っても慣れることはない苦しい時間だ。それでも、生きている間に十分に愛情を注いだ。我が家に来てくれて、私たちを幸せにしてくれてありがとうと伝えたい。

てんてん三郎・しゃら次郎。ぶち太郎がいなくなってより仲よく過ごしていた=撮影・岩村美佳

てんてん三郎・しゃら次郎。ぶち太郎がいなくなってより仲よく過ごしていた=撮影・岩村美佳

じゅうべい。緑色の目がとても綺麗だった=撮影・岩村美佳

じゅうべい。緑色の目がとても綺麗だった=撮影・岩村美佳

しゃら。母の畳まれたちゃんちゃんこの上でくつろぐ=撮影・岩村美佳

しゃら。母の畳まれたちゃんちゃんこの上でくつろぐ=撮影・岩村美佳

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<アイデアニュース有料会員向け【おまけ的小文】>

おかしいと気づいたのは夜中のことだった

遺影とともに部屋のメモリアルコーナーに

おかしいと気づいたのは夜中のことだった

ぶち太郎がおかしいと気づいたのは夜中のことだった。息が荒く、横になってぐったりしていた。母と交代でストローで水を飲ませながら、動物病院がはじまる朝まで待った。朝一番で、母と弟が動物病院に連れて行き、ぶちはそのまま入院した。私は仕事に行く前に、ぶちの様子を見に寄った。酸素が濃いガラスのゲージに入ったぶちの姿を見たときは、あっけなく死んでしまうとは思ってもみなかった。

夕方、仕事を終え、胸騒ぎを押さえながら動物病院へと急いだ。到着すると、受付で「岩村さん! お母さんにご連絡していたんですが、連絡がとれなくて……」と慌てた様子の看護師さんに、中へと急がされた。診察台の上で、瀕死のぶちが先生たちに囲まれていた。動物病院へ来るはずの母はなぜ来ていないのかと思いながら、「ぶっちゃん、がんばって」と診察室の隅から祈っていた。おそらく、心電図の音が止まったように思う。先生たちがバタバタと動いて、息を吹き返した。母が来るまでがんばってと祈っていたとき、母が現れた。それからしばらくして、私たちが見守るなか、ぶちは旅立って行った。

遺影とともに部屋のメモリアルコーナーに

死んだぶちを「きれいにしますから」と、看護師さんに言われて別室でふたりで待っていた。母は、タクシーを使わず、歩いてきたという。動物病院は家から30分ぐらいか かる場所にあった。「こんなことになると思ってなかったんだもん……」。泣く母に、「なんで、もしかしたらと思わないの……」と、私も泣き ながら答えた。家に連れて帰ると、あんなにべったり仲が良かったしゃらや兄弟たちは、ちらっと見て、近くには寄って来なかった。動物の本能がそうさせるのだろう。その夜、ぶちがひとりじゃ可哀想だからと横に布団を敷いて眠った。

近くのペット葬儀場でお葬式をして、ぶちの遺骨は我が家に持って帰ってきた。あれから旅立った他の子たちの遺骨も並んで、遺影とともに部屋のメモリアルコーナーに眠っている。いずれ、全員一緒に海に散骨したいと思っている。初代猫のめーちゃんは、淡路島の海に眠っている。だから、全員を海に還したい。何年先になるかわからないが、それは私の役目だ。

猫の詰め合わせ籠をのぞくせり。自分も入りたいみたい=撮影・岩村美佳

猫の詰め合わせ籠をのぞくせり。自分も入りたいみたい=撮影・岩村美佳

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※岩村美佳さんのエッセイ、「私と猫たち」は隔週月曜日(月曜祝日の場合は火曜日)に掲載しています。

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