2016年1月11日から13日まで、たった2泊3日の旅でしたが、ようやく沖縄に行くことが出来ました。関西空港を出る時には良かったお天気が、沖縄に近づくと雲が多くなってきて、那覇空港では雨になりました。一路、辺野古へ。目的はただひとつ、もう基地は要らない、沖縄の海を守りたいと、ずっと座り込みをしてくれている人たちに会いたくて、お話を聞きたくて、マッサージさせてもらいたくて行く。初めての辺野古は、ただそれだけの旅でした。
晴れ女として、東日本被災地をお訪ねしたときも、何はともあれいいお天気をプレゼントすることだけは出来た私ですが、沖縄の1月の雨にはかないませんでした。空港からバスに乗り、雨の中、大きな荷物を抱えて全く知らないところを行く私の不安を取り除いてくれたのは、Facebookで友達になっていた方々の温かい協力でした。どこでどのバスに乗ったらいいか調べて教えて下さったゲストハウスオーナーの成田さんや、一度も会ったことのない私を途中のバス停で拾って、そのままテントへ連れて行って下さった都志子さん。いつもテントで頑張っている人に夕飯の差し入れをするのだという都志子さんは、座り込み現場で知らない人のいない、沖縄戦を生き延びた86歳になる”文子おばあ”こと島袋文子さんの親しいお友だちでした。
■東日本大震災の月命日、地震が発生した時間に黙祷
2016年1月11日、午後2時過ぎに、新基地建設反対の座り込み現場であるキャンプシュワブゲート前に着きました。かなり強い雨の中、みんなで話をしたり歌を聞いたりしていたところで、「兵庫県から来た人がいます」と紹介されマイクが回ってきました。11日は東日本大震災の月命日、地震が発生した午後2時46分に黙祷をするようにしています。皆さんの前に立ったのは2時50分くらいで、時間は少しだけ過ぎていましたが、「今日は、東日本大震災の月命日なので、よかったら一緒に黙祷をお願いします」と語りかけると、その場に居た方全員が、心からの祈りを捧げて下さって本当にありがたかったし、今回の旅も素晴らしいものになると感じた瞬間でした。その場面が、沖縄タイムスのツイッター記事に載っていたので、お借りしました。(写真は、沖縄タイムス辺野古取材班twitterより許可を得て使用しています→https://twitter.com/times_henoko)
■誰かの大事な子どもだった機動隊の「あなた」に
この日、雨の中でFacebookではつながっていた、きむきがんさんの歌声を生で初めて聴くことが出来ました。彼女の「あなたよ」という曲は、こんな思いで作ったのだそうです。
「毎朝、毎朝、若い竹のような姿で、何か間違ったことを一生懸命信じてやってくる機動隊のことを思います。非暴力の闘いを作ってこられた敬愛する阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう)さんが教えて下さったように、彼らの人権も考えなあかんなあと思っています。誰かの大事な子どもだった彼らの気持ちに届くか、届かないかわかりませんが、作った歌なんです」
- おーい あなたよ 仕事は楽しいか
おーい あなたよ それは本当か
機動隊が目の前に立ち、自分の体をつかまれて引きずられる。このときはまだ、そんな経験をしていなかった私ですが、ずっとゲート前の座り込み運動に参加しているきがんさんの言葉は、その歌声とともに深く胸にしみました。
■81歳、毎日片道50キロの道を運転して沖縄市から通ってる
沖縄の米軍基地「キャンプシュワブ」前で続けられている座り込みは、2016年1月11日、554日を迎えていました。この554日という数字は、普天間飛行場を辺野古に移設するのを阻止するべく、2014年7月にキャンプシュワブ内で関連工事が始まったとされる時からの、座り込みを数えた日数です。
そして翌日、早朝からの座り込みに私が初めて参加した2016年1月12日は、キャンプシュワブ前座り込みが555日目を迎えた日でした。
シュワブゲート前の座り込みには沖縄各地から、県外から、人が集まっています。工事作業に関わる車をキャンプに出入りさせまいと座り込む人たちの声を聞きました。
【平良悦美さん】555日どころじゃないのよ。私は70歳の時から海に出て抗議しているの。カヌーに乗る練習してね。今81歳、毎日片道50キロの道を運転して沖縄市から通ってる。だって、どうしても止めたいじゃない? ベトナムにも沖縄から出撃していったんだよね。沖縄はベトナムの人から「悪魔の島」って呼ばれていると聞きました。クリスチャンとして、主権をもつ人間として、基地は決して許しません。人を殺すことは拒否します。 (長く平和運動に関わっておられる悦美さんは、辺野古への移転計画が本格化した2004年からは、海上での抗議行動に参加されたそうです)
【藤田さん】埼玉から初めてやって来ました。福島の原発事故の後、「食べて被災地を応援」というキャンペーンに、ああその通りだと思い、安全性を確認できているという政府の言葉を信じ、キノコや山菜を食べました。その頃は栃木に住んでいました。口内炎が出来たり、あざが出来たりして、2011年6月には下血。2012年には、私の食べたものは、ホットスポットで採れたものだと分かり、あとから「食べてはいけないもの」になったのです。これまで、政府の言うことを素直に信じる方でした。自分の生き方はこれでいいのかと感じるようになって、辺野古のことも、自分の目で見たいと思って来たのです。
【鴨下祐一さん】「命の行進」の僧侶です。毎日ゲート前に来て、毎日機動隊に排除されるとワジワジしますが、世界中で同じ思いをしている人がいます。人間が歴史上繰り返してきた過ちを止めるために、非暴力で続けていきたい。暴力的に排除する側も、包み込むような大きな闘いを続けていきたいです。(「ワジワジする」とは、沖縄の表現で、「イライラする」「腹が立つ」「わなわなする」)
■雨が降る中、初めて座り込みを体験
早朝6時前には人が集まっています。1日の座り込みのために会議をしたり、マイクなどの準備、椅子やプラカードを出したり、朝から裏方の仕事もたくさんあります。作業車両が入ってくるのがこの頃では朝、昼、午後と3~4回。座り込みの人が少ない時間帯を狙ってキャンプの中に入ろうとする車を止めようと、みんな暗いうちから座り込んでいます。その人たちの仲間に入って、時折雨が降る中、初めて座り込みを体験しました。
後ろに立っているのは民間警備会社「ALSOK(アルソック)」の人たちです。ゲートの中に人が入れないよう、ずっと立っているようです。今回彼らと直接対峙することはありませんでした。座り込む人たちの話を、一番聞いている人たちではないかと思います。仕事とはいえ、辛いことでしょう。体格の良い人たちが多いので、「いつでもこっち側に来て座ってくれよ、歓迎するぞ」とリクルートされていました。
■そして、機動隊が到着。あっという間でした。
そして、雨の中、機動隊到着。写真の後ろに写っているのが警察車両です。
座り込む人の前に、機動隊員が立ちます。前の方に座っていた私の目の前に、そびえたっていました。
これからは、あっという間でした。
立っていた人たちが抗議の声をあげます。
■「自分で歩いて移動しなさい」と機動隊員に声をかけられ、イヤだと言うと
前の方に座っていた私は、「自分で歩いて移動しなさい」と機動隊員に声をかけらました。イヤだと言うと、ふたりの機動隊員に左右からひょいと持ち上げられました。少なくとも3人の手を煩わせたかったのに、たったふたりに抱えられてしまって悔しい。せめてもと、足をずっと地面に擦っていましたが、そのままごぼう抜きされた市民が入れられるスペースに、ずるずると連れていかれてしまいました。
こういう柵を使って、座り込んでいた人たちを引き抜き、囲い込むスペースがあるのです。ここからすり抜けて、もう一度座り込もうと試みますが、この日は機動隊員の数の方が多くて難しかったです。
■「沖縄の人の気持ちが分かる?」「なんでここまで抵抗するのか、わかる?」
座り込み555日目のこの日は、午前中のうちにもう一度、工事関係のトラックを止めるために、このような攻防がありました。
「沖縄の人の気持ちが分かる?」「なんでここまで抵抗するのか、わかる?」とずっと語りかける読谷から来た女性。トラックをつかんだ手を離されても、地面に倒れこんで抵抗する男性。非暴力の抵抗をこんな風に排除する権力に、私もワジワジしました。
このようなことが、毎日何度も行われているのです。本土のマスメディアではなかなか報道されない、座り込んでいるひとりひとりの思い。真摯な気持ちを一番感じているのは、「やめて」と叫ぶ人々の声を毎日聞きながら、その体に手をかけ、引き抜いていく機動隊員ではないか。職務を果たす彼らの能面のような顔の下の心が、壊れていくような気がしました。
■「何を守りたくて闘っているのか、見て下さい」
この日、この現場にいた人たちに引き続きお話を聞きました。
【愛知県 大学生】三上智恵監督のドキュメンタリー映画「標的の村」と「戦場ぬ止み」を見て衝撃を受けました。小さな沖縄に基地が多すぎる。すごい違和感があります。普天間飛行場の騒音も、来て初めてわかりました。沖縄の基地から人を殺しに行く軍人がいる。そう思うと本当に気持ち悪い。知れば知るほどおかしいことばかり。知ってしまったからには、何もしないわけにはいかないと思います。
【沖縄・男性】自然も、人の心も壊さないとできないのが基地です。
【大阪・男性】このあたりは赤い土が特徴ですが、やんばるの自然が血を流しているように感じました。でも同時に、やんばるの自然には包み込むような温かい力も感じます。
【関西・女性】戦争に向かうような社会が来ると、真っ先に邪魔にされ、捨てられるのが私たちのような障がい者です。ドイツのヒットラーがやったように、ガス室に送られた脳性小児麻痺やパーキンソンのひとたち。福島でも、30キロ圏内で、自分では動けない障害のある人を捨ててきた。待っても待ってもヘルパーさんが来なくて、お腹がすいたなあ、オムツ替えてほしいなあと思いながら死んだ人たちがいると聞きました。だから、ここまで来ました。関西で、ビラも配るし、デモもしてるんです。
【京都・女性】機動隊員の、排除の仕方がこんなひどいなんて。同じ人間と思っていないみたい。それがショックでした。
【京都・女性】来て良かった。辺野古の力になりたい。戻ってから、どうやって伝えて行ったらいいのか考えます。子どもに関わる仕事をしていますが、こんなことのために子どもを育てているんじゃないと心から思いました。
2万円の日当をもらって座り込んでいる……そんな心ない中傷がありました。どうぞここに来て、この姿を見てから言って下さい。何とか時間を工夫して、早朝行動だけ参加して仕事に向かう人。年金生活のつましい暮らしの中からでも、交通費をねん出してやってくる人。年休とお金を貯めて、何度もやってくる県外の人。みんな自分の意志で参加している市民です。人を殺すことも、殺されることも、誰かに誰かを殺させることもしたくないと、優しくて熱い思いを持ち寄ったニイニイ、ネエネエ、オジー、オバーです。
1月12日は、この後も作業車両が入り、機動隊とぶつかったそうです。でも私はこの日、「せっかく沖縄に来たのだから、辺野古のゲート前で頑張っている沖縄の人たちが、何を守りたくて闘っているのかを見て下さい」と、愛犬ポンちゃんと一緒に迎えてきてくれた松葉さんの車に乗って高江に向かいました。
この続き、「座り込み555日目の沖縄レポート(下)」は、1月25日(月)に掲載する予定です。
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