音楽さむねいる:(2)『舞踏組曲』に思い起こす沈丁花の甘く妖しい香り

Koichi Kagawaの 音楽さむねいる
連載:音楽さむねいる(2)
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『舞踏組曲』(作品Sz.77:1923年)※1
ベーラ・バルトーク(Béla Bartók:1881年3月25日-1945年9月26日)作曲
推薦録音:ピエール・ブレーズ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック演奏 ※2

■バルトーク作品に春を感じるのは何故か?

音楽に“香り”を感じるのは私だけだろうか?というより、脳の奥底に眠っていた“香り”の記憶を、ある音楽が呼び覚ますと言った方が正しいのかも知れない。音楽は、演奏者の技能や個性にとどまらず、それが再現されるメディア(生演奏ならオーケストラと指揮者の組み合わせ、録音ならばレコード会社、録音スタジオ、エンジニア、録音技術など)、それに場所や季節といった要素も変数とし、表情を大きく変化させる。私にとって、とりわけ“香り”はその変数の代表的なものである。とすれば、さしあたりこの『舞踏組曲』は、春浅き薄暮に漂う沈丁花の甘く妖しい香りを思い起こす。それは、私が初めてこの曲を聴いたのが、喧しく戸を打ち付けていた北風がぴたりと止み、長く季節を支配していた冬が老いる頃であったことが大いに影響していると思われる。

前回書いた「花ざかり」もそうであるが、私の中で何故かバルトークの曲は春を連想させるものが多い。「花ざかり」はその題名と花の“色”への想像から、『舞踏組曲』は沈丁花の“香り”から、という風に。春は暖かさの裏に何故か心落ち着かなく、もの悲しい気配を漂わせる季節であるらしく、それがバルトークの作品の底流にある、彼が抱く祖国や祖国の民謡への追慕と同期する。前回に引き続き、今回もこのコラムでバルト―クを取り上げたのは、私にとって春という季節を、音楽の“色”と“香り”によって修飾する作品が、バルトークの「花ざかり」と『舞踏組曲』だからである。

■国からの委嘱により、祝典曲として生み出された『舞踏組曲』

ブダペスト市制50周年を記念して作曲されたこの曲は、エルンスト・フォン・ドホナーニ※3、バルトークの民謡採集の同僚ゾルタン・コダーイ※4という、当時のハンガリーを代表する2人の作曲家と共にバルトークに委嘱されたものである。曲の大半は東欧やアラブ風の異国情緒に彩られた舞踏音楽であるが、作曲の由来から、聴衆を祝典の乱舞に飲み込んでいくような、非常に華麗なフィナーレが特徴的な曲となっている。

曲の構成は、ハンガリーやルーマニアなどの東欧風の旋律が象徴する5つの舞曲と終曲から成っており、この6曲はそれぞれ独立した主題を持ち、それがリトルネロ形式(独奏と合奏が交互に現れる形式で、バロックの協奏曲によくみられる)で有機的につながっている。具体的には、第3舞曲と第4舞曲、第5舞曲と終曲の間以外、全てに同じ主題を持つ間奏曲的な役割を持つ部分(リトルネロ)が現れ、5つの舞曲が途切れることなく終局のクライマックスまで一つの曲として演奏される。

■曲を決定付ける“リトルネロ”の美しい旋律

特にこの曲の印象を決定付けているのは、第1舞曲の終盤、第2舞曲との接合部で、ハープのグリッサンドに導かれてバイオリンが静かに奏でる、リトルネロの美しい主題である。私はこの極めて短い旋律に、ハンガリーの田園を流れ始めた春風が運ぶ、萌え出たばかりの幼い木々の芽-私にとってはとりもなおさず沈丁花-の微かな香りを感じる。その香りは、まだ春浅き村々を歩き続けたための疲労も心地よく感じられるほどに、旅人バルトークの頬を優しく吹き撫でていく。その時の彼の姿は、唄に祈りを託した人々の魂の痕跡を求め歩き、つかの間の春に心を和ませる巡礼者のそれであった。しかし、彼が安らぐのもつかの間。第1舞曲と第2舞曲を繋ぐリトルネロの最終部で、ピウ・レント(piu lento=更に遅く)の指示により、クラリネットが歌う5小節が胸のざわめきを誘い、再び旅人を次の村へと駆り立てていく…

■春の“香り”を介してハンガリーの風景が浮かぶ

この祝典曲に託されたバルトークの意図は、採集した民謡をそれぞれの主題に取り入れ、故郷の美しい山々や田園を純粋に叙景することでではない。それは、後に紹介するように、この曲には現代的な語法、即ち、バルトークを後に現代音楽の巨匠バルトークたらしめる作風への意思・決意が多く見られるからだ。にもかかわらず、私にとってこの曲が、芽生えたばかりの沈丁花の胸苦しくなるような香りを漂わせ、遥か遠くの山裾を行く白装束の巡礼者の姿までを瞼に浮かび上がらせるのは何故か。それは、バルトークの作品に通底する情調-ハンガリー民謡が醸し出す民族の風景と私の感性が、私が初めて『舞踏組曲』を聴いた、春という季節の“香り”を介して共鳴する瞬間があるからなのだ。

<アイデアニュース編集部が探した参考動画>

楽譜が入っていて、舞曲の番号も書かれており、間奏曲的な役割を持つ部分(リトルネロ)がどこなのかわかります(2分30秒あたりなど)。

こちらは交響吹奏楽団の演奏ですが、本記事中の「ハープのグリッサンドに導かれてバイオリンが静かに奏でる、リトルネロの美しい主題」という部分が、ハープとフルートの動きでよくわかります(3分10秒あたり)。

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■バルトークにとっての音楽の理想は、戦争や紛争に取って代わる民族の共存

■音楽の“香り”を初めて感じた『舞踏組曲』

■バルトーク作品の転換を高らかに祝福する、ピエール・ブレーズ指揮NYフィルの演奏

■私が選んだ参考動画

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■バルトークにとっての音楽の理想は、戦争や紛争に取って代わる民族の共存

前回書いたように、1920年代はバルトークの創作活動における充実期であった。また、彼はこの時期に再婚をし、ほどなく、彼の死後にその膨大な作品の録音や管理を行った息子ペーテル※5が生まれている。彼の人生が公私ともに輝きに満ちていた時期に、ハンガリー政府からの委嘱によって作曲された栄えある『舞踏組曲』であるが、バルトーク自身は当時のハンガリー政府とは一線を画す立場を堅持していた。

1918年、オーストリア=ハンガリー二重帝国の崩壊に伴う革命により、ブルジョア民主主義政府が樹立されたが、やがて反革命国民軍部隊が政権を掌握。軍の独裁政権によりハンガリーが王国に復帰し、革命に参画した知識人や芸術家に様々な弾圧を行った。バルトークもその影響を逃れることはできなかったが、彼にとって何よりも大きな圧力になったのは、第一次世界大戦の敗戦国ハンガリーの国民が、旧領土の大半を失ったことによる不満を、排他的民族主義にそのはけ口を見出していたことである。これは、政治的な動向としてのみバルトークの生き方拘束するにとどまらず、彼の民謡研究の目的をも否定する動きとなって彼に押し寄せてきた。即ち、旧オーストリア=ハンガリー二重帝国の領土であり、バルトークがしばしば訪れたルーマニアの民族音楽(“ハンガリー王国”のではなく)に対する研究が、ハンガリーに対する彼の愛国心を試す試金石として論じられ、非難されたのである。古代からハンガリー人の祖先が歩んできた軌跡を、古い唄に残された痕跡で探るという民俗学的アプローチは、政治的な作為で引かれた国境という概念をしばしば取り払う。それゆえ、バルトークの愛国心とは、“ハンガリー的”な生活様式や精神のあり様を民謡から抽出し、それを再構築していく作業の中に存在するのであって、排他的民族主義や国粋主義に彩られた危うい思想を意味するものでは、決してない。

それは、1931年1月10日付けのオクタヴィアン・ベウ(Octavian Beu)への手紙に、バルトークが次のように書いていることからも理解できる。

  • “第1舞曲は部分的に、第4舞曲はその全般が東洋的な(アラブ風の)性格を持っており、リトルネロと第2舞曲はハンガリーの、第3舞曲はハンガリー、ルーマニア、そしてアラブの影響が交互に登場し、第5舞曲は非常に素朴であるが故、ただ素朴な農民の性格が表れているとしか言いようのないもので、(国民や国家や民族という)あらゆる境界線が取り払われています(太字強調はKoichi Kagawa)。”※6
  • “題材として全ての曲に使用したものは、農民音楽からの模倣です。この組曲で目指したものは、それぞれの曲が個別の農民音楽を導き、最終的に理想化された農民音楽を統合する曲にすること。(中略)事実、それらの混成がこの曲には見られるのです”※6

そしてバルトークは言う。

  • “自分が作曲家としてずっと意識していた理想は、あらゆる戦争や紛争にとって代わる民族の共存です。それを、力の及ぶ限りその理想を私の音楽で実現したいと思います。だからこそ、スロヴァキアであれ、ルーマニアであれ、アラブであれ、あるいはそれ以外のものであれ、私はそれらからの影響を排除するものではありません”※7

バルトークは、『舞踏組曲』に込められたこのような想いを、軍部が独裁政権を握るハンガリーの、国家を挙げての祝典行事の場で公にしたのである。にもかかわらず、同じ第一次世界大戦の敗戦国ドイツでは、ナチス・ドイツの標榜する反ユダヤ主義が社会的不満を募らせていた国民の支持を得、ハンガリーではそれに同調するかのように社会が右傾化の状況を呈し、最終的に枢軸国としてナチス・ドイツと第二次世界大戦を戦うことになる。そして、1923年にこの曲が作曲されて後、バルトークの演奏と民謡の研究には一定の継続性が見出せる反面、創作活動は一時の停滞期に入るのである。

■音楽の“香り”を初めて感じた『舞踏組曲』

さて、私がこの曲に初めて出会ったのは、高校生活の1年が終わろうとする早春のことであった。私のクラシック音楽の鑑賞対象は、それまで馴染んできたバロックや古典派、ロマン派、そして国民楽派の枠を超え、フランス印象派からストラヴィンスキーやメシアンにまで及ぼうとしていた。その時に、地元のレコード店でふと手にしたのが、ピエール・ブレーズ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏による、バルトーク:バレエ音楽『中国の不思議な役人』のLP※8であった。私は、その前の年に初めて聴いた、イーゴル・ストラヴィンスキーの『春の祭典』の衝撃が忘れられず、彼と同時代の作曲家であるバルトークに対する好奇心から、音楽雑誌上で評価を得ていたブレーズのこの録音に食指が動いたのであった。

私が興味を持っていたのは『中国の不思議な役人』であったが、当時の私の耳はその複雑で難解な管弦楽を受け付けられず、良い意味で期待を裏切ったのが同時に収録されていた『舞踏組曲』であった。第1舞曲の冒頭から奏でられる異国風の旋律によって、私がそれまで見たこともないような色彩を持った情景が、私の頭の中で急速に像を結び始めた。そして第1舞曲で、かのリトルネロのハープとバイオリンが静かに音を引き継いでいった時、私はいつの間にかその中引き込まれ、バルトークの漂泊の旅に伴するのであった。その時の感覚は今でも忘れることができない。故郷の春-薄暮を沈丁花の香りが支配し始め、菜の花が畑を埋めようとする頃、遠くに白装束の巡礼者がゆっくりと山の端を移動する。その旅人の杖に結ばれた鈴の音が淡い春の空気と交わり、遠くから微かな響きを伝え来て、私のいる場所が野近いことを改めて感じさせてくれた。それは、『舞踏組曲』によって、音楽の“香り”を初めて感じた瞬間であり、私が初めてバルトークと交感した瞬間でもあった。

■バルトーク作品の転換を高らかに祝福する、ピエール・ブレーズ指揮NYフィルの演奏

私がその時に聴いていた、ピエール・ブレーズとニューヨーク・フィルハーモニックの近代的な音色は、バルトークの音楽の持つ民族的な雰囲気にはそぐわないかも知れない(4月4日付けコラム「二つの映像」参照)。しかし、先に書いたように、この『舞踏組曲』という作品は、個別の地域に伝わる民謡の語法を織り込んだそれまでの作品とは異なり、民族音楽の汎ヨーロッパ化を指向するバルトークがたどり着いた、新しい響きを持つ曲である。そうであるからこそ、ブレーズの冷めた解釈と、大都市の楽団ならではの華やかさ、そして、ブラスセクションがことのほか強調されるニューヨークのエイブリー・フィッシャーホールでの演奏が、以後国を越えて普遍的な響きを持っていくバルトーク作品の転換点としての『舞踏組曲』を、高らか祝福し、鳴り響かせるに最もふさわしいものであると感じるのである。

■私が選んだ参考動画

*そのものズバリ、ピエール・ブレーズ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックですが、レコードからの録音で、雑音が少し入ります。

これもピエール・ブレーズですが、シカゴ交響楽団の演奏で、少し新しい解釈が入っているようです。

<注(有料部分内の※も含みます)>
※1 “Dance Suite”, Sz77 (Béla Bartók)
※2 Bartók: The Wooden Prince; Music for Strings, Percussion and Celesta; Dance Suite / Scriabin: Le poème de l’extase (Pierre Boulez) (SONY SM2K 64 100 ADD)
※3 Ernst von Dohnányi (1877年7月27日-1960年2月9日)。孫はクリーブランド管弦楽団の音楽監督でもあった著名な指揮者、クリストフ・フォン・ドホナーニ (Christoph von Dohnányi: 1929年9月8日-)。
※4 Zoltán Kodály (1882年12月16日-1967年3月6日)
※5 Péter Bartók (1924年7月31日-)
※6 “Béla Bartók” by David Cooper, Yale University Press pp 196 (Koichi Kagawa訳)
※7 “Béla Bartók: Composition, Concepts, and Autograph Sources” by László Somfai, University of California Press pp18 (Koichi Kagawa訳)
※8 CBS SONY (STCL13)

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