音楽さむねいる:(22)不思議な番号“8” (1)ベートーヴェンの交響曲第8番

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『交響曲第8番ヘ長調』(1814年)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年12月16日-1827年3月26日)作曲

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■ 不思議な数字“8”

“8”という数字は何かと故のあるものらしい。中華文化圏では、その発音が、“大きくなる”とか“お金持ちになる”と言う意味の“发”(日本語の発)に似ていることから、“8”は大変縁起が良い数字であると言われている。日本でも、その形状が末広がり(無限大)ということで、“8”は縁起が良い数字の代表とされている。また、古代日本では、“八百万の神々”、“八重垣”、“八島(やつしま)”、“八咫鏡(やたのかがみ)”、“八雲”というように、神々にまつわる言葉には“8”が用いられていた。“8”と言う数字は、我が国においては聖なる数字であったわけだ。蛸はともかく、“8”に関してトリヴィアな話題を探ると更に出て来そうだ。

欧米に目を転じてみると、“8”はラテン語で“Octo”である。これが転じて、Octopus(蛸)、October(10月=昔10月は8番目の月であった、)Octagon(八角形)、Octahedron(八面体)などいう単語が生成された。しかし、中国や日本と異なり、欧米では“8”は不吉な数字と言われており、例えば八本の足を持つ蛸は、その姿からも“悪魔の化身”と呼ばれている。因みに、蛸を食するのは、ヨーロッパではフランス、ポルトガル、イタリア、スペインとギリシャであり、ドイツやオーストリア(海がないためでもあろう)では食さない。また、北アメリカの人は、蛸は基本的に食べないが、メキシコやアルゼンチンなどでは料理に出されることがある。

蛸はともかく、“8”に関してトリヴィアな話題を探ると更に出て来そうだ。例えば、ノアの箱舟に乗った人間は8人であるとか、人間に不可欠な酸素は8番目の元素である云々。しかし、ここは音楽の話。音楽の関係で言えば、Octette(八重奏曲)、Octothorpe(# 記号)が“8”という数字にその起源をもち、8度の音程を表すOctave(オクターヴ)も、勿論“8”が由来である。また、こじつけと言えばこじつけになるが、天才モオツァルトが交響曲第一番を作曲したのは8歳の時だし、ホルストの組曲『惑星』で有名な惑星は8個(2006年の国際天文学連合総会において、冥王星は惑星から除外されたため)、である等、“8”に関する雑学は色々存在するようだ。

※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分では、古今の作曲家で9番目を最後の交響曲とした作曲家を紹介し、ベートーヴェンの交響曲の中で完成度に比して意外に知られていない『交響曲第8番ヘ長調』について説明しています。6月8日(木)に掲載する予定の「音楽さむねいる(23)不思議な番号“8”(2)」では、ドボルザークの交響曲の中で、『交響曲第9番ホ短調(“新世界より”)』の作風と『交響曲第7番ニ短調』以前のそれとを厳然と区別する特殊な位置にあり、かつて“イギリス”という副題が付けられていた『交響曲第8番ト長調』などを紹介します。

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■ “8番目”の交響曲-“交響曲第9番”が最後の交響曲になった作曲家たち

■ ウィーン古典派の交響曲と副題

■ ベートーヴェンの交響曲と副題

■ ベートーヴェンの“交響曲第8番”-不運な作品

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■ “8番目”の交響曲-“交響曲第9番”が最後の交響曲になった作曲家たち

番号の“8”に関連した音楽作品を考えてみると、やはり番号が振られた交響曲を探っていくのが手っ取り早い。では、その“8番目”の交響曲には、一体どのようなトリヴィアがあるのだろうか?

古今の作曲家の交響曲で8番目の作品は数多くあるが、その9番目を最後の交響曲とした作曲家は、ベートーヴェン、ドボルザーク、ブルックナー、マーラー、ヴォーン・ウイリアムズ、シュニトケなどが有名である。ベートーヴェンとドボルザークの最後の交響曲には、それぞれ“合唱付き”、“新世界”という副題が付いているが、ブルックナー、マーラー、ヴォーン・ウイリアムズ、そしてシュニトケの最後の交響曲にはそれがない

そもそもブルックナーは、第9番の交響曲以外に、『交響曲ヘ短調』と『交響曲第0番ニ短調』を作曲していることから、彼の最後の交響曲第9番は、実質的には“交響曲第11番”となる。また、マーラーは、ベートーヴェンやブルックナーが“交響曲第9番を”書いてほどなく死んだことを意識し、9番目の交響曲に『大地の歌』という名称を与えることで、その忌まわしいジンクスを回避しようとした。即ち、マーラーの“交響曲第9番”は、彼の書いた実質10番目の交響曲ということでブルックナーと事情が似ている。シュニトケも、『交響曲第0番』を最初に作曲していることから、彼の最後の交響曲は10番目のものとなる。また、ヴォーン・ウイリアムズの“交響曲第9番”は実質9番目であるが、彼は『海の交響曲』、『ロンドン交響曲』、『南極交響曲』という、番号の無い交響曲を3曲作っているため、彼の“交響曲第9番”は、名目上6番目の交響曲ということになる。従って、この稿では、曲番号と実質の作曲番号とが一致する、ベートーヴェンとドボルザークの“交響曲第8番”を取り上げることとする。

ここで私が注目するのは、交響曲の副題である。副題は、作曲家自らが名付ける場合もあれば、後世の人々が愛称として命名し、それが人口に膾炙することもある。ベートーヴェンの“第9”は後者であり、ドボルザークのそれは前者である。しかし、いずれの場合も、“合唱付き”=ベートーヴェンの“第9”、“新世界より”=ドボルザークの“第9”を即連想するため、副題というのは、聴衆の描いたイメージとその曲とを一致させる威力を持っていると言えよう。以下、少々寄り道をして、副題の持つその“威力”をまずは検討してみたい。

■ ウィーン古典派の交響曲と副題

交響曲の名作をあまた生み出した作曲家として、我々がまず指を折るのは、ハイドン、モオツァルト、ベートーヴェンという、所謂“ウィーン古典派”の巨匠たちであろう。特に、ハイドンは、その交響曲作品の多さで群を抜いている。番号がある作品だけで104曲。それに番号なしの3曲と協奏交響曲を合わせると、何と108曲も作っている。その中で、我々日本人にもなじみのある作品として有名なものは、『交響曲第82番ハ長調(“熊”)』、『交響曲第83番ト短調(“めんどり”)』、『交響曲第92番ト長調(“オックスフォード”)』、また、小学校の音楽の授業で紹介される『交響曲第94番ト長調(“驚愕”)』や、『交響曲第101番ニ長調(“時計”)』、『交響曲第103番変ホ長調(“太鼓連打”)』などが挙げられよう。

また、世界的に有名な『おもちゃの交響曲』も、以前はハイドンの作であるとされていた時期が長かったが、モオツァルトの父親のレオポルト・モオツァルトの作品であるとの説を経て、現在では、オーストリアの作曲家、エトムント・アンゲラー(※1)の作であることが最有力とされている。この名曲の作曲家としてハイドンがまず比定され、長きに渡ってそのように信じられていたことは、交響曲作家として彼の影響力がいかに大きかったかを物語っているのではないだろうか。

モオツァルトも、交響曲に関しては多作家の部類に入る。彼自身の作曲としケッヘル番号がついている作品だけでも39曲ある。中でも有名なのは、『交響曲第35番ニ長調(“ハフナー”)』、『交響曲第36番ハ長調(“リンツ”)』、『交響曲第38番ニ長調(“プラハ”)』、そして、『交響曲第41番ハ長調(“ジュピター”)』であろう。その他番号なし、偽作の疑いのある物が19作品存在する。

ハイドンやモオツァルトの交響曲で、我々になじみのある物は、やはり副題が付いている作品が多い。これだけ多くの交響曲を生み出した天才と言いえども、それぞれの作品全てを現代まで人々の記憶に印象付けるのは、曲番号だけでは無理であったに違いない。

■ ベートーヴェンの交響曲と副題

世界中の多くの人々に愛され、また、尊敬される交響曲を世に送り出した作曲家と言えば、何と言ってもベートーヴェンであろう。彼の作った交響曲は、ハイドンやモオツァルトに比べれば総数の上では見劣りするが、ロマン派の先駆けとして音楽史上極めて重要な作品が名を連ねている。今さら申すべくもないが、彼以前の作曲家達が宮廷音楽家として、主君=パトロンの私的行事のためにその音楽的才能を競ったのとは異なり、ベートーヴェンは、この主従関係から彼の音楽活動を開放し、人間の精神性を高らかに歌い上げた作曲家の嚆矢として、その偉大さが際立っている。

ベートーヴェンはその生涯において、9曲の交響曲を作曲した。それらの交響曲に備わった特質は、全ての作品が古典派の様式を基礎としながらも、作曲者自らの感受性で捉えた人間の主体的価値や、美意識を表現しているという点である。そして、それを交響曲として構成していくというベートーヴェンの手法は、それ以後の作曲家たちに大きな影響を及ぼすことになった。

ベートーヴェンの交響曲も、ハイドンやモオツァルトの交響曲と同じく、演奏される機会が多い人気の作品には副題が付いている。『交響曲第3番変ホ長調(“英雄”)』、『交響曲第5番ハ短調(“運命”)』、『交響曲第6番ヘ長調(“田園”)』、『交響曲第9番ニ短調(“合唱付き”)』という具合である。この他、副題は付いていないが、極めて高い人気を誇るのが、『交響曲第7番イ長調』である。“舞踏の神化”とも呼ばれ、リズムに独特の調子を有しているこの曲は、その第一楽章が、ドラマ『のだめカンタービレ』の主題曲として使用され、また、第三楽章は映画『英国王のスピーチ』で、ジョージ6世が第二次大戦開戦に際し、国民に向けたラジオ演説を行う場面で流されている。いずれにしても、この交響曲の人気の高さを表していると言えよう。

■ ベートーヴェンの“交響曲第8番”-不運な作品

ベートーヴェンの交響曲の中で、その完成度に比して意外に知られていないのは『交響曲第8番ヘ長調』であろう。副題が付いていないことで割を食っているのかもしれないが、彼の交響曲の中では大変な傑作である。

この作品に関して異例なことは、他の8つの交響曲が誰かに献呈されているのに対して、どの個人に対しても献呈されていないこと(※2)、第一楽章冒頭からいきなりトッティ(総奏)で華麗さ全開であること、緩徐楽章を持たず演奏時間が約20分強と短いこと、当時としては異例のfff(フォルティッシッシモ)を使用していること、などがある。そのことは、ベートーヴェンがこの曲に対して発揮した創造性と、それを支える情熱、意欲、意気込み等を感じさせるものである。

事実、『交響曲第9ニ短調(“合唱付き”)』を別格とすれば、ベートーヴェンの後期の創作期に移りゆく過程にあるこの作品は、彼の創意が随所に散りばめられ、彼の交響曲の集大成であるとも言える名曲である。しかし、残念なことに『交響曲第7番イ長調』と同時に初演されたこの作品は、聴衆の反応という意味では7番の陰に隠れる結果となってしまった。にもかかわらず、彼をして“聴衆がこの曲を理解できないのは、この曲が優れ過ぎているからだ”とも言わしめるほど、この8番目の交響曲は、ベートーヴェン渾身の力を振り絞って書き上げた傑作なのである。

この曲の第一楽章は序奏を伴わず、トゥッティでいきなり3拍子の第一主題をオーケストラが歌い、軽快に曲が進行していく。fffで現れる再現部の後、複雑なメロディーとリズムがパッセージを刻みながら曲が展開していき、最後に第一主題が弦楽器によって短く演奏され、あっけなく終わるという、非常に印象的な楽章である。

また、緩徐楽章が二楽章の定番であるが、この曲の第二楽章にはそれがなく、実質木管楽器が刻む規則的なリズムの上に弦が軽快なメロディーを演奏する“スケルツォ”である。この楽章は、展開部を欠いたソナタ形式をとっており、その規則的なリズムは、当時新たに開発されたメトロノームの音を真似たものだと言われている。

反対に、ベートーヴェンの第三楽章はスケルツォが通常なのであるが、ここではメヌエットが置かれている。メヌエットと言っても宮廷風の舞踊音楽ではなく、ドイツの民族舞曲風である。主題には、スフォルツァンド(強い音の後即弱くする)という記号が付けられており、優雅な楽章ではあるものの、メリハリの効いた特徴的な楽章である。また、トリオの部分で、低音弦に乗ってホルンが奏でる牧歌的な旋律は、彼が聞いた郵便馬車の信号の音から着想を得たと言われている。

非常に速い6連符を弦楽器が小さく刻み、第四楽章は始まる。この楽章は、三連符の刻みが入った活発な主題と、ゆったりとした主題が構成する、躍動感あふれる旋律が印象的な楽章である。最後では、ティンパニの華やかな連打の上で同じ動機を繰り返し、トランペットの効果を加えて終了する。

この『交響曲第8番ヘ長調』は、晩年を迎えたベートーヴェンの筆運びに余裕も伺え、無邪気な遊び心も垣間見える傑作だと言えよう。ただ、もし副題がこの曲に付いていたなら、恐らくは3番、5番、6番、そして、7番と並ぶほどの、あるいはそれ以上の人気を得たかも知れない。そう思うと、交響曲の世界における、因縁めいた“8”という数字の悪戯を恨まざるを得ないのである。

ベートーヴェン『交響曲第8番ヘ長調』カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニック演奏

※1 Edmund Angerer (1740年5月24日-1794年8月7日), オーストリアの作曲家。

※2 1番-ゴットフリート・ファン・スヴィーテン、2番-カール・リヒノフスキー侯爵、3番-ロブコヴィッツ公爵(元来はナポレオン・ボナパルト)、4番-オッペルスドルフ伯爵、5番-ロブコヴィッツ公爵とラズモフスキ―伯爵、6番-ロプコヴィッツ公爵、7番-ラズモフスキ―伯爵、9番-フリードリヒ・ヴィルヘルム3世(ロシア皇帝アレクサンドル1世が崩御したため)

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