「沖縄に戦後はあるのか、くやしかった」 沖縄・読谷村の城間真弓さんインタビュー

2016年9月23日上映後のトークイベント 左は聞き手の大和陽子さん 右が城間真弓さん=撮影・塚本健さん

2016年9月23日、兵庫県西宮市で、ある映画上映会が行われました。筆者も含めたくさんの人が、沖縄で今何かおきているのかについて目を開かされたドキュメンタリー映画「標的の村」の上映と、沖縄のリアルな声をきかせてくれるゲストを交えてのトークイベント。話すのは「安保法制に反対するママの会@沖縄」の城間真弓さん。今回はお連れ合いと3人のお子さんの家族全員で飛行機に乗って、初めての本州上陸。家族旅行をかねてのイベント参加です。前回沖縄に行った時に、彼女の子どもたちも含めて直接会うことが出来て、そのおおらかで明るくて可愛らしい人柄に、大ファンになった私。大切な友人になれた真弓さんが兵庫県にやってくるならぜひ話をきかなくちゃと、駆け付けました。トークイベントの様子と、その後のインタビューをぜひお読みください。

2016年9月23日 トークが終わってホッとひといきの城間真弓さん(写真左)と筆者=撮影・白井宏明さん

2016年9月23日 トークが終わってホッとひといきの城間真弓さん(写真左)と筆者=撮影・白井宏明さん

■映画「標的の村」をまず上映、平日でも1日2回上映で100名近くが来場

イベントではまず、映画「標的の村」の上映です。平日にもかかわらずたくさんの方が西宮大学交流センターに足を運んでいました。1日2回の上映で100名近くの来場だったそうです。この映画がきっかけで、沖縄の基地のこと、歴史のこと、高江や辺野古の現場のことに目を向けるようになったという人がたくさんいます。真弓さんもそのひとりでした。

イベントの詳細についてはこちらをご覧ください→ http://muranomirai.org/takaenohanashi

標的の村に関してはこちらをご参照ください→http://hyoteki.com/

■米軍基地や米兵は、身近で当たり前。でも、それを子どもたちに引き継いでいいのか

映画上映後、ステージに上がった真弓さんはこのような話をしてくれました。

「沖縄の読谷村に住んでいて、小さい頃から米軍基地や米兵の存在はすごく身近で、当たり前でした。でも、2年前この『標的の村』を見て、自分が当たり前に感じていることや価値観を、子どもたちにも当たり前のこととして引き継いでいいのか、危機感をおぼえたんです」

2016年9月23日上映後のトークイベント 左は聞き手の大和陽子さん 右が城間真弓さん=撮影・塚本健さん

2016年9月23日上映後のトークイベント 左は聞き手の大和陽子さん 右が城間真弓さん=撮影・塚本健さん

■戦争を体験したおじいちゃんも基地反対で頑張っている。沖縄に戦後はあるのか、くやしかった

城間真弓さんは保育士をしていて、小学校1年年生、3年生、5年生の3人の子どものお母さん。「標的の村」を見て人生が変わるほどの衝撃を受け、涙が止まらなかったそうです。現場に行こう、辺野古の座り込みに家族で参加しようと決めた真弓さんでした。

「自分たちが家族でテレビを見たり、ご飯を食べたりしている時に、基地反対の現場で闘っている人がいる。戦争を体験したおじいちゃん、おばあちゃんも頑張っている姿を映画で見て、沖縄に戦後はあるのかと思った。本当にくやしかった」

2016年9月23日 城間真弓さん=撮影・白井宏明さん

2016年9月23日 城間真弓さん=撮影・白井宏明さん

■朝5時に家を出て、6時から座り込みに参加、機動隊と対峙し、9時には保育士として働く

今回のイベントを共催したのは「安保関連法に反対するママと家族と有志の会」でしたが、真弓さんも沖縄で「安保法制に反対するママの会」をされています。ママの会は、「だれの子どももころさせない」を合言葉に、全国のママたちとその周辺の人たちがゆるやかにつながっています。各地のママの会は、だれの命も大切にされる世の中を目指して、それぞれの取り組みをしているわけですが、真弓さんたち沖縄のママの会ほど、リアルな闘いが生活の中に組み込まれているところも、他にないでしょう。

例えば、真弓さんは朝5時に読谷村の家を出て、6時から辺野古の座り込みに参加、機動隊とも対峙し、ときには腕にあざを作ったりしながら9時には職場に行って保育士として働くのです。そして夜には急いで帰宅して家族の夕飯を作る・・・・・・これだけでも大変なことですが、今は高江が闘いの現場としてクローズアップされています。高江の現場に通うとなると往復4時間。お金もかかります。機動隊の数も圧倒的に増えているので、足止めされて仕事に遅れた経験から、「出勤前の高江は断念しました」と笑う真弓さん。

2016年9月23日=撮影・塚本健さん

2016年9月23日=撮影・塚本健さん

■真弓さんは、親戚の人たちからも職場からも理解し、応援してもらえている

それでも、休日などに子どもたちを連れて現場に行くのはとても楽しいと真弓さんは言います。おじいちゃん、おばあちゃんから話をきくのはリアルな平和教育だし、もと学校の先生もたくさんおられて、子どもたちは勉強を教えてもらったり、夏休みの宿題を手伝ってもらったりしているそうです。友だちもたくさんできて、子どもたちは今では辺野古や高江の現場に行きたくて、真弓さんに連れて行ってもらえないと困るから、さっさと宿題を終わらせるほどなのです。

「機動隊ともみ合うような時間ばかりじゃなくて、たいていはみんなで話したり、お茶したり、歌や踊りがあったり、本当に楽しいことが多い現場です。そういう部分を、私はFacebookなどで発信したいと思っているんです。最初は、“何でこの酷い状況にみんなもっと関心を持たないの!”って、なんだか、怒ったような厳しい口調で発信してしまいました。でも、関心のない人というのは、2年前の、のほほんとして何も知らなかった私と同じなんだと気づいたんです」

沖縄という小さな島の、せまい共同体。基地反対の活動をしている人の中にも、米軍と関係のある人が家族や親せき、友人にいるという人は多いでしょう。心の中では辺野古の海を埋め立てたり、高江のやんばるの森を壊すことに反対していても、名前を出して反対とは言えない。まして座り込みに参加したりすることは出来ない人たちがたくさんいることは、容易に想像できます。幸い、真弓さんは親戚の人たちからも職場からも理解し、応援してもらえているそうです。

■首にひもがかかって殺されてしまうんじゃないかという人を目の前で見た。トラウマになりそう

高江での闘いでは、県外からも機動隊がやってきて、弾圧の度合いがひどくなっています。真弓さんも「今までの排除の仕方と違う」と語りました。

「今年の7月、首にひもがかかって、本当に殺されてしまうんじゃないかという人を目の前で見たんです。トラウマになりそうなひどい光景で、国が味方したら、機動隊はどんなことでもするんだなと思いました。今は、反対している市民の中から誰かをターゲットにして逮捕するようなことをやっています。いつ私が逮捕されてもおかしくないような状況です」

2016年9月23日 城間さんご夫妻=撮影・白井宏明さん

2016年9月23日 城間さんご夫妻=撮影・白井宏明さん

■リアルな沖縄を常に感じて、本気で沖縄のことを思ってくれたら嬉しいです

トークの最後には城間さんご夫妻が並んで話をしてくれました。

真弓さん「リアルな沖縄を常に感じて、本気で沖縄のことを思ってくれたら嬉しいです。この空はつながっているから、座り込みには来られなくても、私たちはつながっています。私は母親になれてなかったら、ここまでやらなかったかもしれない。3人のいのちを、この島で産んだ。“沖縄大好き、沖縄サイコー”って気持ちと、こんな状況の沖縄に子どもたちを産んでしまった、どんな沖縄をこの子たちに残していけるのかっていう気持ち、両方あるんです」

盛松さん「テレビ見ながら政治に文句を言ったことはあったけど、「標的の村」を見て愕然となったんです。なんとなくは知ってたけど、何もしてこなかった。基地のことも、女性や子どもまでがレイプされて殺されてってことも知ってたけど、平和に家族で暮らしてこられたから何もしてこなかった。沖縄に生まれながら平和を消費して、加害者側にまわってたなって」

真弓さん「今日、この映画をたくさんの人が見に来てくれて、希望があります。沖縄はひとりじゃないなって思いました。ありがとうございました」

沖縄の今の状況を知ってもらいたいので、以下に参照してほしいサイトなどをいくつか紹介いたします。
◇やんばる東村 高江の現状→http://takae.ti-da.net/
◇辺野古浜通信→http://henoko.ti-da.net/
◇Voice of Takae →http://nohelipadtakae.org/files/VOT-jp2015June28.pdf
◇やんばるの森にヘリパッドはいらない→http://www.wwf.or.jp/activities/lib/yanbaru0706.pdf
◇Project Disagree →http://www.projectdisagree.org/

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※ここからはアイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分です。ステージでの話を終えた真弓さんと、一対一でリラックスして話しが出来たインタビューの内容をお伝えします。

■今、本当に高江が大変な時、沖縄の声になって何かを伝えることが出来るなら、行こうと

■サプライズ企画。飛行場に着くまで子どもたちには内緒にして、家族でやってきた

■母親にならなかったら、座りこんで機動隊と向き合うようなレベルにはいかなかっただろうな

■沖縄以外で現状を本当に知ろうとして、本気で向き合ってくれてる人と実際に会えて感動

■「ウチナンチュウ」「ナイチャ-」っていう言葉は使い方に気を付けようって思ったことはある

■「絶望」って言ったら「あきらめる」になっちゃうから言わない。仲間がいたら、ご飯も美味しい

インタビュー中 真弓さん(左)と筆者=撮影・白井宏明さん

インタビュー中 真弓さん(左)と筆者=撮影・白井宏明さん

■今、本当に高江が大変、誰かがリアルに沖縄の声になって何かを伝えられるなら、行こうと

――トークイベント、お疲れ様でした。

緊張しすぎで喉かわいた~(笑)

――今回、家族みんなで来るっていうのはどういう経緯だったの?

これまでもママの会で呼ばれたことあったんだけど、子どもたちもいるし、自分の中ではそこまでは難しいかなと思ってたの。でも、今回、良かったら家族も一緒にって言ってもらったときに、いつも家族でずっと一緒に活動してるから、それは行かせてもらおうと思って。それに私、この映画で、けっこう人生変わって今の自分がいるから。いっぱい本土から連帯して沖縄に来てくれてる人たちに出会えて、そんな中で本土に城間家を呼びたいという話をもらったの。今、本当に高江が大変な時に、誰かがリアルに沖縄の声になって、何かを伝えることが出来るんだったら行こうと思って。

■サプライズ企画。飛行場に着くまで子どもたちには内緒にして、家族でやってきた

――こちらに来るのはご家族も、真弓ちゃんも全く初めて?

初めて~!でもやっぱり本土に行くって普段の生活からは想像できなくて。お金もかかるし、高江や辺野古の現場もあるしって。今回、泊まる部屋も準備してもらったり、ご飯も一緒で、「何にも心配しなくてもいいから、とにかく飛行機に乗ってきてくれたらいいから」って言ってもらったのね。こういうきっかけがないと、逆に沖縄から出ることはないなと思ったのね。サプライズ企画して、飛行場に着くまで子どもたちには内緒にして、家族でやってきたわけ。

――友だちの見送りに来たと信じてついてきた子どもたちに、飛行場でチケットを渡すところ、Facebookの動画で見たよ。城間家サプライズ企画、嬉しそうだったね!

大喜びだったさ~。大成功。

――子どもたちも一緒に高江や辺野古に行ってるんだよね。

そう、もう友だちがいっぱい出来過ぎて、今日はあのお兄ちゃん遊んでくれるかなとか、ほんと楽しみみたい。子どもたちも一緒にフラダンスをしてるんだけど、新しいフラを習って来たら、あそこで披露しよう!って。みんなに喜ばれるし、ほめてもらえるしね。

■母親にならなかったら、座りこんで機動隊と向き合うようなレベルにはいかなかっただろうな

――現場に出るきっかけは、今日の映画「標的の村」だって言ってたけど、私も2年くらい前に大阪で見たんだ。

同じくらいなんだね。何か不思議だね。

――真弓ちゃんが最後の方に言ってた、「母親にならなかったらここまでやらなかったかもしれない」っていうところ、本当にそうなんだね。

心の中で嫌だなって、基地には反対だって思ってても、座りこんで機動隊と向き合うようなレベルにはいかなかっただろうなあ、絶対。

――私は自分が子どもを産めなかったから、自分のことをちょっと根無し草みたいに感じてるのね。辺野古や高江のことも気になるし、東日本の大震災の地域や熊本や、台風被害のことも気になって、あっち行ったりこっち行ったりしていて、でもこの頃、それでいいや、それが私のスタイルかなって思ってるんだけどね。真弓ちゃんみたいに、この島で子どもを3人産んだんだっていうのがすごく心に響いて、いいなあ、素敵だなあと思ったよ。

うんうん。ありがとうね。いろんな人がいていいんだよね。たくさんの人が沖縄以外から来てくれて、みどりさんもそうだけど、本当にいろんな人がいてくれる。

■沖縄以外で現状を本当に知ろうとして、本気で向き合ってくれてる人と実際に会えて感動

――こっちに来て、やっぱり実際に来る前とは違う?映画を見て、心を動かされて行ってみた辺野古や高江の現場も、想像していたのとは違ったんだって話してたけど、初めて沖縄以外のところでみんなと会ってどうですか?

想像してたのとはやっぱり違うかも。つながりにすごい感謝するし、沖縄以外でもこうやって現状を本当に知ろうとしてくれたり、本気で向き合ってくれてる人と実際に会えることに思った以上に感動する。今回、観光に行く私たちに会いにわざわざ京都駅に来てくれた人たちもたくさんいてね。私とつながっている人だけど、その人たち同士は知りあいじゃなくて、「初めまして」「初めまして」の人たちで、みんなでご飯食べて不思議な体験だった。嬉しい意味の不思議。私が共通で、こっちは知りあいじゃなかった人同士がつながって。同じテーブルで本土に来た私を通して、みんなつながっているんだなあって。

■「ウチナンチュウ」「ナイチャ-」っていう言葉は使い方に気を付けようって思ったことはある

――細かいこときいていい?「本土」っていうとき、どんな気持ち?私は本土って言葉、自分では使えなくて、「本土から来ました」って言えなかったんだよね、沖縄で。沖縄の人が使う分には全然違和感なくて、むしろ分かりやすいんだけど、自分では使えなかったの。真弓ちゃんは何か感じることある?

沖縄ではナイチャー(*他府県の人、本土から来た人という意味)というけど、「ナイチャー」でママの会で傷ついてイヤだったんだっていう人がいたから、「ウチナンチュウ」「ナイチャ-」っていう言葉は使い方に気を付けようって思ったことはあるよ。でも、本土はあんまり意識してなかった。なんていうんだろう、ヤマト?いま質問されて、考えはじめた感じ。そうだね。

■「絶望」って言ったら「あきらめる」になっちゃうから言わない。仲間がいたら、ご飯も美味しい

――ごめんね、「初めての本土?」ってさっきもききにくかったもんだからさ。最後の質問です。ネットがこれだけ発達してると、Facebookでつながってたり、現場にいなくても、あの機動隊のすごい排除とかをツイキャスでたくさんの人が見ていたりするよね。みんながつながっていてすごくいい時代だと思うんだけど、反面、私は、「それでもこんなひどいことをするんだ」って思ってしまったのね。これだけの人が発信して、みんなが見てるのにこんなにひどいことをするんだってショックで。ちょっと絶望的な気持ちにもなったりしたんだけど、真弓ちゃんは今、希望をもってる?

希望かあ。「希望感じてない」っていう方が大きいかもしれない。希望を持とうと思ってもその足を全部もぎとられていくような現状でしょう。でも、そこで「絶望」って言ったら「あきらめる」になっちゃうから、心の中で感じても絶望って言わない。絶望から生まれてくるものはないから、希望しか、これからどうつなげていこうってことからしかない。日々のなかでは絶望を感じ過ぎるくらい感じているんだけど、それをどう希望に変えるか、自分で自分を引っ張っていく中で、希望の方にすんなりいける日もあれば、「本当に苦しい、もう立ち止まりたい」って思う自分もいて。そういう意味で、頑張ろうって思っても苦しくてご飯が食べれない時もあるし、こうやって仲間がいたら美味しくご飯も食べられたり。そんなのの繰り返し!

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