2018年3月まで保育士をしていた子育て奮闘中の3児の母、城間真弓さんが、出身地、沖縄・読谷村の村会議員選挙に立候補、9月9 日にトップ当選を果たしました。そのニュースは玉城デニー知事が誕生した9月30日の少し前に、先駆ける明るい光のように飛び込んできました。2年前の記事と合わせてぜひお読み下さい。→ 「沖縄に戦後はあるのか、悔しかった―沖縄読谷村の城間真弓さんインタビュー」
読谷村は、沖縄本島中部に位置する人口4万人の村、2014年には「日本一人口の多い村」になって、今もその順位は変わっていません。筆者も何度か訪れましたが、海は美しく、人は温かくて、とても素敵な村でした。しかし、福祉や、保育のことをもっと充実させたいと考えた真弓さんが立候補すると、大きな壁が立ちはだかります。この村の議会は昔ながらの「順番制」。誰かが引退すると、その議席は地域ごとに「これまで自治会で頑張ってきたあの人に」「青年部でやっていたこの人に」まわることに決まっていました。だから最初の頃、新人の真弓さんがひとりでスタンディングをはじめ、手を振っても、声をかけても、「あんたはどこの出身?ああ、それじゃあ入れられないわ」。そういう壁を突き崩すには本当に、時間がかかったそうです。
- ――そういう村で、真弓ちゃんが立つということは、それだけで革命的だったんだね。
- そう、革命、革命。地盤とか何もないからね。7月からずっと頑張って9月にやっと実ったって感じ。最初は、一緒にPTAやっている人たちからも「あの人大丈夫?」って、遠巻きにされてたよ。政治のことは分からないとか、声を上げてもいいのか不安と言う人が多くて。「あんたならやれる、こんな機会はないから楽しめ」とか言われて立候補したけど、「どこに楽しめる要素があるの!?」と思った。
- ――それでも共感してくれる人が徐々に増えてきたね。
- 話をきいてくれたり、飲み物を差し入れてくれたり、一緒に立ってくれる人が出てきたの。嬉しかった。家族の応援も大きかったね。夏休みの子どもたちは3人とも、文句も言わずに私の事務所についてきて、来た人の接待係とかやってね。「何飲みますか?」とか聞いてさ。夫も「大丈夫!」ってずっと言ってくれてたし。
真弓さんの原点は2つ。ひとつは、4年前の翁長知事誕生で示された「辺野古新基地NO」の民意を踏みにじった国への怒り。基地があることでおきる、殺人などの凶悪な犯罪から、あいつぐ米軍機墜落、部品落下事故。自分が生んだ子どもたちや、保育士として出会う子どもたち、その孫の世代に、基地のある沖縄を残していいのかという思いです。もうひとつは、実感してきた命を預かる保育の仕事の大切さと、その実感を持たない政治家が数字の上だけで「保育の改革」をうたうことの危うさ。村議となり、保育や福祉の仕事を通してデニー知事が掲げる「誰一人取り残さない」温かい政治を下支えしたいという思いです。
基地があるがゆえに分断された県民に、命の視点で「沖縄の新時代を作ろう」と語りかけるデニーさんと真弓さんの言葉は、いろいろな環境に置かれた違う意見を持つ人にもきっと届く。そんな希望をたくさん受け取った今回の選挙でした。そして今度は、本土の番です。私たちはどんな未来を次の世代に残したいのか、そのためにはどんな政治が必要なのか、しっかりと答えを出さなければ、沖縄が掲げてくれた明るい光に申し訳ない。そんな思いでいっぱいです。
※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分には、真弓さんがこれから読谷村の村議として取り組んでいきたいことをたっぷり聞いたインタビューを掲載しています。ぜひお読みください。
<有料会員限定部分の小見出し>
■保育士の仕事は、気楽にできることではない!
■デニ活、デニってる、これまでも、これからも。
<関連ページ>
琉球新報:「届けママ目線」3児母が議会に 読谷村議選、城間真弓さん
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-800362.htm
沖縄タイムス:「ママだって声を上げていい」 保育士から議員に転身 背中を押した夫の一言
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/312844
- 2019年以前の有料会員登録のきっかけ 2020年8月18日
- デニー知事誕生とともに起きていた小さな革命 読谷村議選で城間真弓さんトップ当選 2018年10月15日
- 沖縄の今を雄弁に伝える、2017やんばるカレンダー「やまーはぎねん、うみはぎん」 2016年11月19日
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■保育士の仕事は、気楽にできることではない!
- ――議員になって、福祉や保育のことを取り上げたいということだけど、特に具体的に、これをというテーマはある?
- そうだね。私は、公立保育園で保育士をしてきたんだけど、読谷村では今、国からのお金が出るという理由で、保育園の民営化を進めようとしているのね。公立の保育園は読谷村が村の予算で全部やっていくから、そういう意味で厳しいという話を議員さんたちがしてて。もちろん、予算の面も大事なんだけど、保育ってお金で比べられないよ。やっぱり公立でと言って踏みとどまっている市町村もあるし。何が一番大切かっていうことをしっかり考えていけたら、そこに予算をつぎ込めると思うんだよね。子育て世代から離れた年配議員さんたちが決めてる部分があって、子育て世代のお母さんや保育士のリアルな声が届かないの。「国が決めたことだから」とか、「数字の上では」とかじゃなくて、実際困っている人の声を聞いていかないといけないのに。
- ――民営化することでないがしろにされる部分ていうのがある?
- 実際、裁判も起きてる。データでは見えない部分があるね。「保育士の数が足りない、じゃあ3日間研修を受けた人がヘルパーさんで保育の現場に入れるようにしましょう」という流れなのね。そういうことでは大事な子どもたちを守り切れないでしょう。それで保育の仕事ができるなら、学校に何年も通ってお金をかけて勉強して、研修してきたのは何だったんだってことになる。国の予算削減もあって、保育士の資格がなくても保育の仕事ができるっていう流れだけど、そのひずみは結局子どもたちや保護者にまわってくるんだよね。「気軽に保育の現場に入れますよ」っていう政策でないがしろにされているのは、子どもの命だから。そういうことを、感覚的にだけじゃなくてデータや事例を含めて、ちゃんと伝えていくというのが、私がやっていくことだなと思う。それから、どうして保育士が仕事を辞めていくのか、そういう部分も、実際経験した私が伝えていくことが重要な役目かなと思ってる。子育ての現場から遠いおじさんたちにどれくらい伝わるのか、どれくらい変えられるのか、時間はかかると思うけどね。
- ――そういう意味でも真弓ちゃんがトップで当選したというのは大きいと思う。改めてよく頑張ったね。「一番たくさんの人の声に押されて議会に出てきた議員」だもの。まわりが見る目も違うし、先輩議員からも重く受け止めてもらえると思うよ。
- そうかな、そうだね。ありがとう!当選して、友だちが増えたよ。今まで距離があった友だちがみんな帰ってきた。「おいおいおい」って感じ(笑)。辺野古新基地建設反対をやり始めたら引いてた友だちが、当選したら、トップ当選だったからかもしれないけど、「こういうことを言ってもいいんだ」って思えたのかな。同級生とか、PTAのお母さんたちもみんな戻ってきた。私が通ってから、デニーさんの選挙だったから、「デニーさんよろしく」も議員の立場で言いやすくなって、良かったよ。
■デニ活、デニってる、これまでも、これからも
- ――ところで、玉城デニーさんが通って、私も本当に嬉しかった。デニー知事誕生、おめでとうございます!
- ホント、嬉しかったよ! いろいろあっても、トップがデニーさんなら頑張れるって思えるもん。村でいろんなしがらみに当たっても、相談できる体制が整ったってことだから。「デ二ってる」で頑張って良かった。
- ――デニってるっていうのは若い人たちが言いはじめた言葉?
- そうそう、若い、20代とかの人たちの発想。デニーさんを応援して活動することも、もちろん「デ二ってる」なんだけど、今日一日の中でデニーさんのことを考えるだけでも「デ二ってる」ことになるらしいよ。私たちママたちの場合は「デニ活」でやってたわけ。「朝、デ二活してきたよ」とか。ママたちは「デニってる~~」っていうのは、のりでやるけど、実はちょっと恥ずかしい(笑)。
- ――「デニ活」「デニってる」には世代間でちょっと差があったんだ。
- そうそうそう。
- ――でも、デニーさんならそういう世代のギャップも軽々と越えていきそうだね。
- 越えてた、越えてた~! 今回の知事選の中で自分に特に響いた言葉があってね。昔の沖縄の「ゆいまーる」は、困った人がいたらみんなで助ける、手を差し伸べるっていう意味なんだけど、そういう思いが入ってるなあと思ったのが、デニーさんが言った「誰一人取り残さない」という言葉。これを、私の村でも意識しなきゃいけないなあと思った。貧困の問題も含めて、本土から移住してきて、いろいろ困ったり孤立したりしているお母さんたちも村にいるの。みんなで温かく手を差し伸べたいし、環境の違いとか、人種の違いとか、そんなことは関係なくみんなが支え合えるような優しい村づくりをしないとなあって。「誰一人取り残さない」っていうのは、デニーさんに任せるっていうことじゃなくて、議員の立場で、読谷村でやっていかなきゃと思ってる。子どもも、お母さんも、おじいやおばあも、誰一人取り残さない村。デニーさんが県政としてそういう気持ちでやろうとしていることを、私は村政でやっていきたいなあと思うよ。これからも、デニーさんと一緒にね。
アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれ、音楽を愛し、タレントして沖縄の人たちに親しまれてきた玉城デニーさんは、親しくお話したことのない私でも、「デニ―さん」と下の名前で呼びかけたくなる優しいまろやかな雰囲気の人。翁長知事の志を受け継ぐ政治家として、平和で豊かで優しい沖縄をみんなで作り上げてくれると思います。城間真弓さんも、そんな新しい沖縄を支える大きな柱の一本として、読谷村を「誰一人取り残さない」村へとすすめてくれるはず。母として、議員として、真弓さんはこれからもパワー全開で進んでいくことでしょう。普段の生活が全部政治につながってるということを実感させるような、楽しいイベントをどんどんやっていきたいと話してくれました。
- 「カフェでユンタク会、おしゃべり会みたいにして、政治を語ったり、困っていることを出し合ったりしたい。音楽イベントとか、高校生を中心にした集まりとか、色々やりたいの。真面目な話を真面目にやっても広がっていきにくいでしょう。でも、政治のことを避けて通っていては、つけが回るのは子どもたちだからね。お母さんたちにどんどん来てほしい」
そう語る真弓さんは、フラダンスも踊れば、イラストも描ける、易しい言葉で分かりやすい演説が出来る素敵な女性。きっと枠を軽々と飛び越えて、読谷村で起きた”革命”の火を燃やし続けてくれることでしょう。これからもデニー知事と共に、新しい沖縄を作っていく城間真弓さんのお話でした。