アイデアニュース・編集長の橋本正人です。4月からアイデアニュースの執筆陣に、Koichi Kagawaさんに加わっていただきました。Kagawaさんは、橋本の高校時代の合唱部の先輩で、外資系の金融機関で要職をつとめて世界各地を飛び回っておられます。オペラやオーケストラなどのクラシックを中心に、音楽のさまざまなシーンを観て、聴いてこられているので、アイデアニュースでその一端を紹介してくださるようお願いしました。「音楽さむねいる」と題して、月1回程度、執筆していただく予定にしています。今回はその第1回、バルトークの「花ざかり」です。宝塚歌劇ファンには「エリザベート」などでお馴染みの「オーストリア=ハンガリー 二重帝国」などの話も出てきます。ここから下はKoichi Kagawaさんの文章です。
- 『二つの映像』(作品10、Sz.46:1910年)より第一曲「花ざかり」(※1)
ベーラ・バルトーク(Béla Bartók:1881年3月25日-1945年9月26日)作曲
推薦録音:アダム・フィッシャー指揮、ハンガリー国立交響楽団演奏(※2)
多くの日本人にとって春を象徴するもの-それは万朶の花びらを競わせ、甘い香りを風に靡かせる桜ではないだろうか。長く大地を領した冬に別れを告げつつ、人々はその木々の下で宴を催し、歌い、踊り、待ちわびた陽春を祝福する。桜と共に寿ぐその春迎えの祭礼を、遠い昔からこの国の人々は、毎年春が巡って来るたびに至って律儀に執り行ってきたのである。春を主題とするクラシックの名曲を聴くと、花々と春を迎える喜びの気持ちは、日本人も外国人も共通のものであることが理解できよう。
■憂いに満ちたこの作品に、敢えて春を象徴する“花ざかり”という標題を立てたのは?
第二曲の「村の踊り」と共に『二つの映像』を構成しているこの「花ざかり」という曲も、その題名のみを一瞥すると、春を迎えるハンガリーの人々の歓喜のさまを、長調の旋律と軽快な調子で表現しているものと期待されても不思議ではない。しかし、バルトークはこの曲に、三音の反復や全音音階を一貫して使用し、おぼろげでかつ言い知れぬ不安を、聴くものの心に喚起しようとしているかのようである。それは、春を題名に冠した他の曲のような天真爛漫な喜びの調べではなく、厳寒の名残が張り付いた大地に浅き春を感じようとも、それを躊躇し、意識的に退けるかのような心の揺れである。バルトークは何故、美しくも重い憂いに満ちたこの作品に、敢えて春を象徴する“花ざかり”という標題を立てたのであろうか?
20世紀を代表する作曲家バルトークは、1881年3月25日、旧ハンガリー領のナジセントミクローシュ(現ルーマニア西部のスンニコラウ・マレ)で生まれた。元々ドイツ=オーストリアの古典派~ロマン派の強い影響下で作曲を始めた彼は、やがて同郷の作曲家ゾルタン・コダーイ(Zoltán Kodály:1882年12月16日-1967年3月6日)等とハンガリーやルーマニアの村々を歩き、その地域に残る民謡の採集に情熱を傾けていく。彼は採譜した民謡を分析し体系化すると共に、それらの編曲を通じて民族的な音律を自らの作品に取り込みながら、次第に独自の作風を確立していった。彼の作品は、西洋音楽の論理を基礎としながらも、五音音階に象徴される東欧の民俗音楽を随所に散りばめ、所謂「国際的=International」な流儀と「民族的=Ethnic」な語法を統合した点に特徴があると言えるだろう。それは、彼の民族意識の高さに裏付けられたものであり、ハンガリーという国の歴史事情を勘案しなくては到底理解が叶わないものである。
■自治権の獲得を目指す反政府運動が活発化した時代の空気を身にまとって
バルトークが青年時代を過ごしたハンガリーは、約150年に及ぶオスマン・トルコの支配から脱却し、ハプスブルグ家のフランツ・ヨーゼフ1世を皇帝に頂くオーストリア=ハンガリー二重帝国を構成していた。しかし、帝国はドイツ人が支配する西ヨーロッパ流の統治構造を基盤としており、ハンガリー民族独自の文化はその政治体制の下で抑圧されていた。そのことがかえってハンガリーの民族主義を高揚させ、自治権の獲得を目指す反政府運動を活発化させる土壌を形成したのも事実である。「花ざかり」は、まさにこのような時代の空気を身にまとって生み出されたのである。『二つの映像』を含む数々の個性的な作品を世に出した1910年から1920年代は、創作面においてバルトークの人生で最も充実した時期であったと言えよう。だが、二つの世界大戦によるヨーロッパ情勢の激動が、彼の運命を大きく揺さぶっていく。
第一次世界大戦の勃発により、既に困難が生じていた彼の民謡採集とその研究の芽は、終戦と共に二重帝国から分離独立したハンガリー王国がその旧領の大半を失ったため、ほぼ完全に断たれてしまった。また、ほどなくナチス・ドイツがヨーロッパ全土に支配権を拡大していくのを目の当たりにし、バルトークは苦悩の末、第二次世界大戦の勃発する2年前、1941年の秋にアメリカに亡命する道を選んだ。バルトークが経済的困窮の中、ニューヨークでその生涯を終えた1945年、第二次世界大戦の終結およびナチス・ドイツの崩壊により、枢軸国として第二次世界を戦ったハンガリーをソヴィエト連邦が占領。以後40年余に渡り、ハンガリーの国土は共産主義体制の下、引き続き厳しい冬に凍てつくのであった。
■祖国愛と民族意識が、秘められた情念として花々の姿に化体し、そして自然に朽ちていく
「花ざかり」は、低音の弦が重く、そしてゆっくりと刻む半音の上下動に乗せて、緩やかに下降していくクラリネットの音色で始まる。それは、かつて訪れた春浅き農村の情景であろうか、冬枯れの草原を遠く見晴るかした時、遥か彼方に突如、今を盛りと咲き誇る白い花の一群がバルトークの目に留った。荒涼たる野に不自然とも思える如くに咲いたその美しい花々は、彼の心を尋常ならず掻き乱す。それは、幾ばくもなく、戦車の轍によって蹂躙されることになる愛おしい祖国の運命を予言するからなのか、あるいは、バルトーク自らの晩年の悲劇を予感させるからなのだろうか。彼のそのただならぬ心騒ぎは、田園風景の一角に浮かび上がった美しい花々を中心に回転を始め、弦楽器が刻む一連の緊張と開放とを繰り返しながら高まっていく。しかし、その旋律は決して頂点には至らず、低く厳かな弦の響きを引き継いだ木管楽器の調べに乗せ、静かに遠くへと消えていく… あたかも、バルトークの強烈な祖国愛と民族意識が、決して燃え上がることはなく、秘められた情念として花々の姿に化体し、そして自然に朽ちていくさまを描いたもののように。
バルトークの数奇な運命の申し子である彼の楽曲の多くは、祖国ハンガリーの美しくも悲しい詩情を湛えた旋律に貫かれている。そこには、両大戦に翻弄されながらも自治独立を希求し続けたハンガリーの人々の、強烈な民族意識に根差したある種の黙会が垣間見える。それはあたかも、芽生えたばかりの春が恐る恐る地上に揺れ立とうとしていても、それを無残にも退け、再び霜枯れの野に押し戻す残冬の残酷さの如く、ハンガリーという国家を政治の具として弄んできた歴史の無情に対する民族の嘆き歌のようでもある。その旋律が美しければ美しい程、その嘆きは深く切ない。「花ざかり」に低く垂れこめる重い憂いはまさにその情調であり、過酷な運命を受け入れざるを得なかった村々の風景に対する、バルトークの鎮魂歌なのではないか。私が「花ざかり」に垣間見る風景はこれなのである。
<このコラムについて>
私は音楽を正式に勉強したものではなく、大学卒業以来ずっと外資系の金融機関に籍を置き、日々世界の金融情勢に一喜一憂している金融マンです。その私が、この紙面で音楽についてのエッセイを書く機会を頂いたのは、高校の一年後輩でアイデアニュース編集長の橋本正人さんからの一通のメールがきっかけでした。
Facebook上に、つれづれなるままに、好き勝手に音楽の感想文とも解説文ともつかない駄文を掲載していたところ、橋本さんからメールで、「アイデアニュースにコラムを書いてみないか」との打診がありました。私は、音楽を趣味で鑑賞するアマチュアの域を出ず、また文章も自己流であり、とてもアイデアニュースに掲載していただくようなものが書ける自信がなく、最初はお断りするつもりでおりました。
しかし、ドライな国際金融の現場に身を置いていると、逆に音楽に対する何とも言えない情愛が湧く瞬間が多々あり、その気持ちを何か形に残せるものはないか、と模索していたことも事実です。私は、音楽を楽理や演奏法の面から論じることや、また再現音楽を評論する技術は持ち合わせてはないけれど、あくまでも一好事家として、音楽そのものよりも、むしろ音楽の「周辺」を語ることで、読者の皆様に何か音楽の違った側面をご紹介できれば、と執筆を決意した次第です。
コラムの名前は「Koichi Kagawaの音楽さむねいる」としました。音楽評論家のコラムや解説文は「ライナーノート」と言われます。私はプロの評論家ではないため、それを使うわけにはいきませんので、何か代わりになるタイトルはないかと考えたところ、英語で寸評のことを「サムネイル・スケッチ」(thumbnail sketch)と呼ぶことを思い出しました。それでは少々長いので、「スケッチ」を外し、「サムネイル」だけを残し、少々含みを持たせるため、日本語で「さむねいる」としまた。サムネイルとは、thumbのnail、即ち親指の爪です。IT用語で、複数のイメージを並べてブラウズするための縮小画像のことを指すのはお馴染みだと思います。要するに、(親指の爪ほどの)「極めて小さいもの」ということになります。「音楽ショートショート」という感じで、私の個人的な音楽寸評を表すには良いネーミングだと思い、「さむねいる」を使うことにした次第です。
対象はクラシック音楽を中心とするものの、ジャズ、歌謡曲から日本の伝統音楽や宗教音楽などにも、適宜拡大していくつもりです。私の五感(聴覚以外にも、視覚、触覚、味覚、嗅覚!)を全開にして、色々な曲を様々な角度から語っていきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。
最後に、この機会を提供してくださった後輩であり、また、畏友でもある橋本正人編集長に御礼申し上げます。
<バルトーク「花ざかり」の動画>(アイデアニュース編集部が探したyoutube動画です)
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■楽譜理解とオーケストラ統率力の、ピエール・ブレーズ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
■楽譜にならない「音=オト」をも持つアダム・フィッシャー指揮ハンガリー国立交響楽団
■民族の「唄」を血の中に受け継ぎ、音譜一つひとつに宿らせ、表出させることができる能力
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■楽譜理解とオーケストラ統率力の、ピエール・ブレーズ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
私が「花ざかり」を最初に聴いたのは、恐らくアダム・フィッシャー(Ádám Fischer:1949年9月9日-)指揮ハンガリー国立交響楽団のCDではなかったかと思う。「恐らく」と書いたのは、それ以前にこの演奏を聴いたかどうかが定かでないからである。逆に言うと、ハンガリー出身のこの不世出の指揮者と、これまたハンガリーの「地場の」オーケストラの組み合わせが極めて素晴らしく、バルトークの作品の持つ独特な民族臭を発散させながら、春の情景をゆっくり歌い上げていく演奏が強く印象に残っているためである。バルトーク作品の楽譜への深い理解とオーケストラの統率力という意味で言えば、先日惜しくもこの世を去ったピエール・ブレーズ(Pierre Boulez:1925年3月26日 – 2016年1月5日)に私はまず指を折る。彼の演奏、特に1970年代に手兵ニューヨーク・フィルハーモニックを、本拠地エイブリー・フィッシャー・ホールで指揮したバルトークの作品群(※3) は、ブレーズの楽譜の深い解釈、透明なニューヨーク・フィルの演奏、金管楽器がよく通るホールの響き、加えて制作会社であるSONYの録音技術(Super Bit Mapping)によって、例えようもなく無機質なバルトークが鳴っている。それがかえって、祖国ハンガリーの趨向をどこか冷めた目で見つめるバルトークの心情を表現しており、30数年前の私の心情に通じるものがあった。
■楽譜にならない「音=オト」をも持つアダム・フィッシャー指揮ハンガリー国立交響楽団
それに比べフィッシャーの演奏は、どこか鉱物的で冷たいブレーズの演奏とは全く異なり、藁葺きの農家の囲炉裏で焚く火のような暖かさが感じられる。それは、バルトークの初期の作品である「花ざかり」の醸し出す雰囲気であり、第一次大戦前夜の重苦しい空気の中で、民謡採取のために村から村へと渡り歩いていた若きバルトークが巡り会った、古い「唄」の懐かしさである。楽譜にならない「音=オト」をも持つその「唄」は洗練されてはおらずとも、民族の物語を幾世代にも伝えていくための威厳がある。この「唄」の雰囲気を、フィッシャーとハンガリー国立交響楽団は非常によく表現している。そのような演奏は決して技術だけで成し遂げられるものではなく、フィッシャーとハンガリー国立交響楽団も、民族の伝統を「唄」で伝え来た語り部であるがゆえの作物ではないだろうか。
ベートーベンはベルリン・フィル、ドビュッシーはパリ管弦楽団、モオツァルトやマーラーはやはりウィーン・フィルで聴くのが一番、という評価はいささか画一的であるに過ぎるが、それはそれなりに歴史的な証拠に裏付けられているのであろう、それぞれのお国物の「匂い」があるのは事実であるようだ。例えば、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団が、亡命先から帰ってきたラファエル・クーベリックを迎えて1990年にプラハの春音楽祭で演奏した『わが祖国』は、屈指の名演として音楽史に残るものであるが、それは単にチェコを代表する指揮者とチェコの代表的オーケストラによる、チェコの作曲家の名演奏というにとどまらない。歴史に翻弄されたチェコが民主化によって長い冬から解放されたその瞬間は、民族の象徴ともいえるこの二者でなければ、決して演出することができなかったに違いない。お国物の「匂い」とはそのようなものであり、文化の枠組みや民族を定義すべく個々の人々の意識の中で強烈な指向性を示し、また意識の外に向かって発散する力の総称なのである。
■民族の「唄」を血の中に受け継ぎ、音譜一つひとつに宿らせ、表出させることができる能力
アダム・フィッシャーは第二次世界大戦後の生まれで、2016年現在ハンガリー国立歌劇場音楽総監督の地位にあるが、ハンガリー以外でもウィーン、パリ、ミラノ等で国際的に活躍する指揮者でもある。その意味で、彼のハンガリーとの関係は、クーベリックのそれよりは希薄ではあろうが、彼の「花ざかり」を聴くと、やはり「ハンガリーものはハンガリー人の指揮者とオーケストラに限る」、と思わせる何かがある。それは、指揮の一挙手一投足からオーケストラの息使いの隅々に至るまで、民族の「唄」をその血の中に受け継ぎ、それを音譜の一つひとつに宿らせ、表出させることがいとも簡単にできる能力なのであろう。私の「花ざかり」は結局のところ、常にアダム・フィッシャーとハンガリー国立交響楽団に行き着くのである。
- ※1 “In Full Bloom” from “Two Pictures”, Op.10 (Béla Bartók)
※2 BARTOK, B.: Romanian Folk Dances / Dance Suite / Hungarian Sketches / 2 Pictures (Hungarian State Symphony, Fischer) (Nimbus Records NI5309)
※3 Bartók: The Wooden Prince; Music for Strings, Percussion and Celesta; Dance Suite / Scriabin: Le poème de l’extase (Pierre Boulez) (SONY SM2K 64 100 ADD)