音楽さむねいる:(8)音楽における“本歌取り”(1) パガニーニ

Koichi Kagawaの 音楽さむねいる
連載:音楽さむねいる(8)

『パガニーニの主題による狂詩曲』(1934年)(※1)
セルゲイ・ラフマニノフ(※2)(1873年4月1日-1943年3月28日)作曲
推薦録音:ウラディミール・アシュケナージ(ピアノ演奏)、ベルナルド・ハイティンク指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(※3)

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■和歌における“本歌取り(ほんかどり)”の伝統と音楽

中学か高校の古典の授業で、“本歌取り”というものが登場した。何やら、“二つの歌があり、一つは新しくできたもの、もう一つは古くに詠まれたもので、前者には後者の言葉が引用され、お互いが同種の状況を共有する…”私はそんな感じで、先生の話を自分なりに解釈したことを覚えている。今回は、クラシックの楽曲にも、その名の通り、この“本歌取り”が重要な役割を果たしている作品がある、という話である。音楽の話に入る前に、学生時代を思い出しながら、まずは古典の解説に少しばかりお付き合い頂こう。

“本歌取り”とは、大辞林第三版によると、“和歌で,古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法”である(※4)。本歌を構成する一句もしくは二句を取り入れ、本歌に詠まれた題意を、新しい歌の上に叙情的に再構築する技法である。従って、本歌取りした歌の作者は言うまでもなく、読み手もそれらの出典=本歌についての知識がなくてはならない。有名な例を一つ挙げてみよう(口語訳はいずれもKoichi Kagawaによる)。

■ “本歌取り”した和歌の例

<本歌取り作>

春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰にわかるる 横の空」

(藤原定家(※5):新古今和歌集巻第一、春歌上38)

訳:春の夜の儚い夢が突然途切れ、ふと空を見上げると、峰によって左右に分かれた雲がたなびいてた。

<本歌>

「風ふけば 峰にわかるる 白の たえてつれなき 君か心か」

(壬生忠峯(※6):古今和歌集601)

訳:風が吹くと峰が雲を左右に分かつように、あなたのつれない心は、私からすっかり離れてしまった。

本歌取り作と本歌の両方の斜体部分が、共通項として取り入れられた句である。12世紀に生まれた藤原定家は、彼の時代から300年ほども昔を生きた壬生忠峯が詠んだこの歌を知り尽くしいる。そして、その句を自分の歌に嵌め込むことで、本歌の示唆する情況を現在に移転しているのである。だがこの歌に仕組まれたものはこれにとどまらない。定家は、平家物語の書き出し、“祇園精舎の鐘の声…おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし”の有名な句、“春の夜の夢”を取り入れている(下線部)。加えて、『源氏物語』の第五十四帖の題名である、“夢浮橋”(※7)をも採用している(下線部)。これは、彼が源氏物語の解説書である、『源氏物語奥入』を著した作者であることから、『源氏物語』を知悉していたことの証左である。

このように、本歌取りは、古くから人口に膾炙され、その趣意が人々に広く知れ渡っている歌の句を通して、古の歌人たちが詠んだ歌の叙景や叙情を移しとり、それを自分の歌に共有することで、歌の中で新たなイメージを膨らませることを狙った技法である。また、情調を他の歌に依存することで、歌の表現に婉曲性を持たせ、奥ゆかしさを生む効果もある。

■ “本歌取り”した音楽の例

さて本題である。私の知る限りにおいて、“本歌取り”が認められる有名な作品を挙げると、おおよそ次のようになる。最上段に“本歌”の作曲家、次に“本歌取り”をした曲と下にその作曲家を列挙した。

<ウェーバー>
『ウェーバーの主題による交響的変容』
パウル・ヒンデミット(※8)

<パガニーニ(※9)>
『パガニーニの主題による変奏曲』
ヨハネス・ブラームス
フランツ・リスト
ロベルト・シューマン
ヴィトルト・ルストワフスキ(※10)
ボリス・ブラッハー(※11)
他複数の作曲家
『パガニーニの主題による狂詩曲』
セルゲイ・ラフマニノフ

<チャイコフスキー>
『チャイコフスキーの主題による変奏曲』
アントン・アレンスキー(※12)

<ハイドン>
『ハイドンの主題による変奏曲』
ヨハネス・ブラームス

<ヘンデル>
『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』
ヨハネス・ブラームス

<モオツァルト>
『モオツァルトの主題による変奏曲』
複数の作曲家

<トマス・タリス(※13)>
『トマス・タリスの主題による幻想曲』
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ

■パロディを“本歌取り”したバルトーク

変わったところでは、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』(※14)がある。その第四楽章「中断された間奏曲(Intermezzo Interrotto)」では、ショスタコービッチの『交響曲第7番』通称“レニングラード”が“本歌取り”されている。これは、その交響曲の第一楽章の“戦争のテーマ”が12回も繰り返されることへの揶揄だと言われている。事実、その第四楽章では、トロンボーンのブーイングに続いて、木管楽器が嘲笑うような旋律が登場する。バルトークの息子、ペーテル・バルトークはその事情に関して次のような話を書いている。

“曲が終わってから、父(バルトーク)<※注Koichi Kagawa>はこう説明した。
主題をこれほど何回も繰り返すのは、どう見てもやりすぎだ。しかもこんな主題を!”

“父の死後一年ほどして、私はようやく《管弦楽のための協奏》を聴く機会があった。第四楽章(中断された間奏曲)にさしかかった時、懐かしものが聞えてきた(中略)。ああ、ついにやってしまった!ジョークだった。引用した主題が現れるたび、その後でフルートとクラリネットが笑うのが聞えるだろう。”(※15)

こうして見ると、『管弦楽のための協奏曲』で“本歌取り”されたものは、ただのパロディ、あるいはジョークなのかも知れない。私の言う“本歌取り”とただのパロディがどう違うのかは、実のところ私もあまりよく分かっていないが…

■“本歌”としてのパガニーニの人気

さて、上に挙げた“本歌取り”の一覧であるが、パガニーニの“主題”を“本歌”としたものが非常に多いことが分かる。この“主題”とは、『24の奇想曲 作品1』の最終曲「主題と変奏 イ短調」の主題のことである。ここに上げた作品の他に、リストやショパンもパガニーニの別の作品を基に曲を書いており、それらに他の作曲家の作品を合わせると、パガニーニから“本歌取り”した曲は優に40を超える。余談であるが、1979年に制作されたアメリカの喜劇映画、『あきれたあきれた大作戦』(※16)の冒頭にまでも、この“主題”らしき音楽が流れてくる。これは、パガニーニの“主題”がいかに有名であるかを物語っている傍証になろうか。

このように、パガニーニの“主題”を含む数々の作品は、後世の作曲家や演奏家達にとって、“本歌取り”するに値する、まさに憧憬と羨望の的になっているのである。事実リストは、“自分はピアノのパガニーニになる”と誓ったと伝えられている。だが、憧憬と羨望は、同時に嫉妬心をも生み出す可能性のある諸刃の剣でもある。

<参考動画>
アシュケナージとアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の演奏。若きアシュケナージの熱演が感動を呼ぶ。
https://www.youtube.com/watch?v=VjHiDeWww0w
おなじアシュケナージとプレヴィン指揮ロンドン響の演奏。楽譜を追えるので勉強になるが、早くてついていくのが結構しんどい部分もある。
https://www.youtube.com/watch?v=HvKTPDg0IW0

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■“悪魔に魂を売った”と称される神技のパガニーニと後世の作曲家達の“本歌取り”

■ラフマニノフ作曲『パガニーニの主題による狂詩曲』-ピアノによる挑戦

■グレゴリオ聖歌も“本歌取り”した第七変奏

■不滅の名曲-最高傑作の第十八変奏

■“本歌”を超えた(?)ラフマニノフ

■アシュケナージの心温まる演奏

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■“悪魔に魂を売った”と称される神技のパガニーニと後世の作曲家達の“本歌取り”

パガニーニは超絶技巧を有したヴァイオリニストでもあり、自身の曲にも極めて難易度が高い演奏技術を用いている。“本歌取り”をした作曲家達は、天才の名をほしいままにした、この伝説のヴァイオリニスト兼作曲家に対する尊敬と賛辞を込め、一方でその天才ゆえの嫉妬から、自分が作る曲によって彼に挑戦を挑んだとも想像できる。

しかし、その大多数が、ヴァイオリンではなく、ピアノと管弦楽の作品であることは注目に値する。これは、後世の名だたる作曲家たちも、さすがにパガニーニが作った曲を、彼に対するただのオマージュなどでは、ヴァイオリンによる“本歌取り”など恐ろしくてする気にならなかったのであろう。なにせ、“本歌”の作者は、“悪魔に魂を売った”と称されるほどの神技(悪魔技?)の持ち主である。作曲家としては、十字架を何回切ったところでパガニーニの呪縛から逃れられるはずもないのだ(※17)。そこで後世の作曲家たちは、ヴァイオリンとは異なった楽器や、同じ弦楽器でも、ヴァイオリンもヴィオラもチェロもコントラバスも、束になってかかって行けるオーケストラなら勝算はあると考えたのではないだろうか?

■ラフマニノフ作曲『パガニーニの主題による狂詩曲』-ピアノによる挑戦

特に、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』は、天才ピアニストのラフマニノフがパガニーニと四つに組んで、ヴァイオリンの難曲をピアノと管弦楽で格闘している迫力のある曲である。ラフマニノフは、パガニーニの原曲の“24の奇想曲”という名に因み、その最終曲を、序奏を除く24種類の変奏曲として、ピアノと管弦楽に編曲した。

この曲は、ピアノとオーケストラの掛け合いで、行進曲風のゆっくりとした第一変奏から始まる。ラフマニノフの管弦楽曲に特有の、どことなくロシア風の導入部である。そして、ヴァイオリンの総奏で『24の奇想曲 作品1』の“主題”が現れ、ピアノの技巧的なカデンツァやオーケストラの合奏により、“主題”の変奏が重層的に展開していく。それは、ピアノとオーケストラがその技を余すところなく見せつける、華麗な変奏のオンパレードである。全体としては、ロシア的なロマンに彩られたピアノ協奏曲という位置づけがなされよう。この24の変奏の中では、特に注目したい曲が2つある。

■グレゴリオ聖歌も“本歌取り”した第七変奏

まず、この曲の中間に位置する第七変奏である。ここでは、非常にゆっくりとしたピアノが、グレゴリオ聖歌の「怒りの日=ディエス・イレ(Dies Irae)」の旋律を奏でる。これは、ピアノ曲でパガニーニの“主題”に挑んでいるラフマニノフが、その天才ヴァイオリ二ストに敬意を払うと同時に、彼を悪魔に例えて表現しているという有名な部分である。ラフマニノフは、この「怒りの日」の旋律を、他に「交響曲第1番」、「交響的舞曲」、「鐘」でも用いているほど、このテーマに執着を見せている。

怒りの日は、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」に記述にある、最後の審判をもたらすキリスト教の思想である。関連するミサ曲は、西欧キリスト世界では普遍的に歌われていたもので、ラフマニノフはそれを“本歌”とし、この狂詩曲に編入させたものである。「怒りの日」はラフマニノフ以外にも、リスト、マーラー、チャイコフスキー等、数多くの作曲家が“本歌取り”したテーマであり、特に、ベルリオーズの『幻想交響曲』の第五楽章はそのもっともよく知られている例である。

■不滅の名曲-最高傑作の第十八変奏

そして、この作品中最も有名な曲が第十八変奏である。第十七変奏から不連続に演奏されるこの曲は、『パガニーニの主題による狂詩曲』の一部であることも、それがラフマニノフと言う作曲家の作品であることを知らずとも、およそ世界の人々に親しまれ、あまたの映画やドラマ、そしてTVコマーシャルのBGMで使用されている名曲中の名曲である。

この第十八変奏は、四分の三拍子のアンダンテというゆっくりとした速度で演奏され、その甘美で流麗な旋律が心を揺さぶる。また、他の23の変奏のほとんどが1分弱の演奏時間であるのに対して、この第十八変奏が最も長い演奏時間をする(と言っても3分程度ではあるが)。いずれにせよ、第十八変奏は、全曲の中でも異色の形式と曲想を持つものであるが、パガニーニの“主題”はしっかりと押さえられている。それは、“主題”そのものの変化形が曲の最後に現れること。そして、第十八変奏の主旋律が、パガニーニの“主題”の反行形(楽譜を鏡に映すように逆にして演奏すること)(※18)になっていることからも明らかである。

そして、曲は、第十八変奏の後、ピアノの激しい上下動から“主題”を回復した激情的な合奏へと盛り上がって行く。ピアノのカデンツァに続き、終曲へと高潮していく中、「怒りの日」の旋律が金管楽器で再び短く回想される。そして、華々しいフィナーレを期待させる演奏がふっと途切れ、ピアノによる“主題”が弱く回想されると、あっけなく曲が閉じられる。

■“本歌”を超えた(?)ラフマニノフ

ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』は、パガニーニというヴァイオリニストの超人伝説が人々に広く知れ渡っていることをもって、彼の『24の奇想曲 作品1』の“主題”を“本歌取り”した作品である。しかし、ラフマニノフは、高難度な演奏技法が要求されるこの曲に負けることなく、その趣意を自分の管弦楽曲に移植し、共有することで、全く新しい音楽の世界を創造することに成功している。加えて、悪魔との契約によって得られたと噂されるパガニーニの超絶技巧を駆使した演奏に対し、天才ラフマニノフはピアノで互角に戦っている。しかも第十八変奏を、その類稀な麗美な旋律によって独立したピアノと管弦楽の曲として広く世に知らしめることにより、ある意味パガニーニに勝利したとも言えよう。そして、今度は十八変奏が、後世の人々によって“本歌取り”される結果になったのである。

■アシュケナージの心温まる演奏

やはりラフマニノフにはアシュケナージ、だと思う。彼の弾くラフマニノフには、この小柄で温厚なピアニストからは想像もできない情熱を感じてしまう。それは、勿論かれがラフマニノフと同じ旧ソヴィエト連邦出身であり、冷戦時代の東側に身を置いて音楽活動を行っていたという共通項が大きいであろう。1963年に死をも覚悟し、ロンドンに政治亡命したこのピアニストが演奏するラフマニノフは、端正でいて甘く、熱く、また、異国から故国を懐かしむような郷愁をたたえていて、同じく故国を去って活動した作曲者との想いを共有する素地に満ちている。

ショパン・コンクール二位(優勝でないことで審査員の間に物議をかもした)エリザベート王妃国際音楽コンクール優勝、そして、母国でのチャイコフスキーコンクール優勝と、自他ともに認める実力を誇る彼であるが、近年は指揮者としても世界中で大活躍している。日本でも、NHK交響楽団の首席指揮者を2004年から2007まで務め(2007年からは桂冠指揮)、NHK大河ドラマの主題曲も指揮するなど、我々にも非常に身近な存在である。

ピアニストとしても指揮者としても、彼が奏でる音楽は正統派の解釈で貫かれ、そのパーソナリティから、穏やかで心温まる演奏に好感が持てる。彼の指揮する曲のスコアには、全く書き込みがないという。その理由について、“われわれ演奏家は作曲者が残したものを伝えるわけですから、作曲者が残したもの以外に、なにも必要ないです”(※19)と語っている。このように、あくまでも作曲家の意図に忠実に作品を再現する姿勢は、ラフマニノフのこの名曲を演奏するのに最もふさわしいと言える。アシュケナージと同世代を生き、彼が演奏するピアノとオーケストラを聴く幸せを噛み締めたい。

<脚注>
※1 “Rhapsody on a Theme of Paganini, Op.43”, (Sergei Rachmaninov)
※2 Sergei Rachmaninov (1873年4月1日-1943年3月28日), 帝政ロシアのピアニストでロシア・ロマン派の代表的な作曲家。『ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18』は殊に有名。
※3  RACHMANINOV PIANO CONCERTO NO.3; RHAPSODY ON A THEME OF PAGANINI (ユニバーサル ミュージック クラシック, ASIN B000CBNYOG)
※4 大辞林第三版“ほんかどり【本歌取り】”参照。
※5 藤原定家 (1162年-1241年), 『小倉百人一首』の撰者。二つの勅撰和歌集『新古今和歌集』と『新勅撰和歌集』を撰する。
※6 壬生忠峰 (860年頃-920年頃), 古今和歌集の撰者で三十六歌仙の一人。
※7 『源氏物語』の最終巻である第四十五帖。「橋姫」から第五十四帖「夢浮橋」までを“宇治十帖”と称する。藤原定家の源氏物語注に登場する古歌、「世の中は 夢の渡りの浮橋か うちわたりつつ ものをこそ思へ」に由来する。
※8 Paul Hindemith (1895年11月16日-1963年12月28日)
※9 Niccolò Paganini (1782年10月27日-1840年5月27日)
※10 Witold Lutosławski (1913年1月25日-1994年2月7日)
※11 Boris Blacher (1903年1月19日-1975年1月30日)
※12 Anton Arensky (1861年7月12日-1906年2月25日)
※13 Thomas Tallis (1505年頃-1585年11月23日)
※14 “Concerto for Orchestra, Sz.116” (Béla Bartók)
※15 『父・バルトーク 息子による大作曲家の思い出』(ペーテル・バルトーク著 / 村上泰裕訳, 株式会社スタイルノート) 224頁-226頁。
※16 『あきれたあきれた大作戦』(原題は『The In-Laws』), 1979年ワーナー・ブラザーズ制作。
※17 パガニーニの半生と人物像に関しては、ヴァイオリニストでもあるデイビッド・ギャレットの主演映画、『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』(原題は『The Devil’s Violinist』)によく描かれている。デイビッド・ギャレットは劇中で、実際にストラディバリウスを使って演奏をしている。
※18 下の楽譜の上部がパガニーニの“主題”。下部がそれを反行形にした「第十八変奏」の主旋律。

18図

18図

※19 『図説 指揮者列伝 世界の指揮者100人』(玉木正之・平林直哉著, 河出書房新社) 35頁

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