こまつ座「戦後”命”の三部作」の記念すべき第一作、『父と暮せば』が、2018年6月5日(火)~17日(日)まで、東京六本木・俳優座劇場で上演されます。演出の鵜山仁さんにお話をうかがったインタビューの後半です。
――『父と暮せば』という戯曲は台詞が広島弁で書かれています。方言を取り入れると、上演する際に演者の修得、客席の理解、双方にハードルが上がるように思うのですが、井上ひさしさんが込めた思いは何だと思われますか?
やっぱり芝居というのは、音とか表情をどう表現していくかっていうことが問題なので。実際に広島弁をしゃべっていた人の表情というか、広島弁に集約される生活感を、我々がどう聞き取れるのかが大事なんですよね。とても困難なことを要求されている。何しろその生活に入り込んでいく、空気感を再構築するということだから。大体方言というのは、一つじゃないしね。純粋な広島弁っていうのがある訳じゃなく、雑多なものでしょう。いわゆる標準語の方が非常に均一化されているってだけの話で。
――そうですね。
僕も地方の生まれですけど、向こう三軒両隣しゃべっている言葉は全然違う訳で、それを一律に「何弁」ってことは出来ないし、それはもう個人史もあるし、その家その家のいろんな事情もある。川ひとつ隔てれば、使っている言葉が全く違う、みたいな世界ですから。何が純粋か、純正かっていうことは決められない。だけど、やっぱり、片仮名で言うところの「ヒロシマ」以前の、音とか表情に思いを及ぼすことが大事なんですよね。今は残ってないかもしれないけど、その時にどういう空気感が醸されていたのか。その手掛かりとして、方言にアプローチするわけでしょう。それをじゃあ、広島出身の役者がやればいいかというと、必ずしもそうじゃない。むしろ外部の、僕らが持っている距離感をどう可視化するかが、ひとつの仕掛け、演劇的な仕掛けだと思っています。
※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分には、方言を使った舞台は「本当の広島弁はこれじゃないんだけどな」という違和感を招くこと場合もあるけれどそれでも方言を使うことの意味や、「客観的事実」とフィンクションと「主観的事実」の関係などについて語ってくださったインタビュー後半の全文と写真を掲載しています。
<有料会員限定部分の小見出し>
■「なんで一生懸命追及してるんだろう?」みたいなことの方が大事だったりする
■二人が共有出来ないものは具現化しないし、それを客席と共有するにはどうすればいいか
■感動は何らかの形で繋がって行く。見えるものは影。実体は、見えない「主観的真実」
■「戦わない」ための力の元は何なのかなってことですかね。そこを見つけないと
<『父と暮せば』>
【東京公演】2018年6月5日(火)~6月17日(日) 俳優座劇場
※6月14日(木)2:00公演後 鵜山仁アフタートークショーあり。詳細はこまつ座(03-3862-5941)まで。
【山形公演】2018年6月21日(木) 川西町フレンドリープラザ
【仙台公演】2018年7月14日(土) 日立システムズホール仙台 シアターホール
<『父と暮せば』公式サイト>
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■「なんで一生懸命追及してるんだろう?」みたいなことの方が大事だったりする
――方言を取り入れた演出のテレビドラマなどを視ていると、例えばそれが自分の出身地の方言だった場合、厳密には自分たちが日常使う言葉とは多少違っていたとしても、やはりそこにある空気感みたいなものは伝わって、一気にその世界との距離が縮まる、ということがあります。この作品で、井上ひさしさんが広島弁を使われたのは、広島の方々へ届く、特に近いところからのアプローチという意図もあるのかなと感じました。
そうですね。広島という場所と、「1945年」という時間への投網というか。実際にその場に居たかどうかというより、そこに思いを馳せる。電波を飛ばすっていうか、そういう距離感が大事だと思うんです。特に映像と違って、芝居の場合は演者は全身晒されちゃいますから、むしろその「広島弁はこれじゃないんだけどな」っていう違和感が表現上役に立つ場合もある。
――そうですね。
だけど「それをなんで一生懸命追及してるんだろう? この人たちは」みたいなことの方が大事だったりする。僕は奈良県出身なんですが、最初の観劇体験は中学生の頃ですけど、うちの地元の話なんですが、住井すゑさんの『橋のない川』という部落差別にかかわる芝居を東京の劇団がやっていて、全然音が違うというか、「何をやってんだこの人たち? 」みたいな、非常に居心地の悪い観劇体験から始まって。そのあとでは水上勉さんの作品を文学座がやってるのを見て、これも芝居としては面白かったんですが、アクセントはとても嘘臭かった。だから舞台を見ていてちゃんとした方言体験をした覚えはあんまりないので、そのあたり、根本的に疑いがあるんですよ。
つまりどこかで紛い物でいいっていう感じもあるんです。紛い物でいいっていうのは、方言が、場所と時間こそ違え、生活感を共有することの大きな手がかりにはなるっていうことと裏腹なので、そういう意味で、“新しい広島弁をしゃべる”、くらいの感覚でアプローチしても良いんじゃないかなと思う。地域的な距離と時間的な距離を詰める、ひとつのタイムマシーンみたいなイメージですけどね。
――広島弁が内包している広島という風土と歴史、文化みたいなものが、広島弁を使うことで、作品の時代と観客との距離を縮める効果がある、ということですね。
そう、ただ要注意ですね。この間も映画の『父と暮せば』を、ある演劇学校の新入生たちに見せて、そのリアクションペーパーを書かせたのを読む機会があったんですけど、半数は「何言ってるか解らない」って。そこを乗り越えて、興味を持つ子も、もちろん居るんですけど、映画ですらこうですから、そういう意味じゃ、舞台の方がハードルは高いと思う。だから要注意なんですけど。
――たしかに。ニュースやバラエティの短いインタビューなどでも、その地元の方が方言で話すときに標準語の字幕が出ることがありますね。
そうですよね。今はまぁ、文楽もオペラも必ず字幕出します、日本語でやってる筈のものが。まあそういう時代ですから、感じ取るためにはやっぱりなにかガイドが必要だっていう考え方もある。その辺はいろいろなんだけど、ただ、音と表情に直接アプローチするってことが、どれだけハードルが高いかっていうことはまず肝に銘じる必要がある。
■二人が共有出来ないものは具現化しないし、それを客席と共有するにはどうすればいいか
――製作発表で「新しい声と、新しい表情が出てくるだろう」とおっしゃっていました。お稽古が始まって間もないですが、その片鱗はもう見えていますか?
それはそうです。それを更にどう具現化していくかっていう話ですよね。まぁ、片鱗はいっぱいあるんですけど、二人が共有出来ないものは具現化しないし、またそれを客席と共有するにはどうすればいいか、そういう試みを繰り返しやっていくってことですかね。
――以前「珍しいものをみたい、珍しい声が聞きたい」ということをお話されていました。製作発表でも近いニュアンスのことをおっしゃっていましたが、鵜山さんが演出される上において、この要素はやはり大きいですか?
いやもう、それだけですね。
――この業界に入られた時から演出家を目指されていたんでしょうか?
それ、微妙な話なんですけど、役者でお金貰ったこともあるんです。舞台の演出者になろうと思って生まれてくる人は誰も居ない(笑)。大抵は自分が舞台に立つとか、演ずることに興味があるというのが普通だと思うんですが、僕もやはりそうで。
――最初から「演出やるんだ!」というスタンスではなかったんですね。気がついたら、という感じでしょうか?
「役者やったって駄目なんじゃないの? 」って人に言われたり、顔色で示されたってことですかね(笑)。
■感動は何らかの形で繋がって行く。見えるものは影。実体は、見えない「主観的真実」
――これも以前のご発言からなのですが「フィンクションが紡ぐ感動は実生活以上に連綿と続く」という言葉が非常に印象に残っています。
実生活の記憶っていうのは、人の一生が終われば、つまり80年やそこらで無くなっちゃうかもしれない。でも、例えば「ハムレット」っていう役は、400年くらい生きている訳じゃないですか。ハムレットは成長しているわけですよね。ハムレットにまつわるいろんな情報と、エネルギーみたいなものは連綿と生きている。だから、フィンクションが作っていくエネルギーの方が単体、個体の実人生より持ちが良いと。
例えば百年後、井上ひさしさんのメッセージにしろ、演出や俳優の記憶にしろ、それはそのものとしてはもしかしたら残ってないかもしれない。千年も経てば「井上ひさし」っていう名前だって忘れられちゃうかもしれない。でも個体の名前は消えても、その現場に触れた感動というものは、何らかの形で繋がって行くという感じがするんですよね。それが「表現」の持っている途方もない力なのかなと。
ことさらフィンクションが、ってことではないんですけど、シェイクスピアはそのあたりのことを「影と実体」“Shadow and Substance”という言葉で語ってるんです。我々の目に見えるものは、しょせん影で、実体は結局目には見えないもの、河合祥一郎さんに言わせると「主観的真実」(笑)、目に見えているものは「客観的事実」だけれども、それだけでは真実には行きつかない。フィクションの射程の長いのは、むしろ現実ではないものにこそ実体があるからだっていう。
シェイクスピアは“Substance”っていう目に見えない実体を大事にしてる気がする。それは本人が舞台の人だったからでしょうか。ハムレットを演じている役者よりハムレットの方が長生きする。それが彼の言いたかったことなのかもしれない(笑)。
――なるほど!
井上ひさしさんより福吉竹造さんの方が長生きしそうな気配はありますよね。
――そうですね。この作品は、間違いなく後世に語り継がれていく作品だと感じます。
■「戦わない」ための力の元は何なのかなってことですかね。そこを見つけないと
――最後にお客様へのメッセージをお願いします。
やっぱり、戦争という不条理に対抗するような哲学を養わなくちゃいけないってことですかね。そのために何を大事にしなくちゃいけないかっていう感覚を伝えられればと思っています。結局はやっぱり、現実の世界が様々に動いている中で、「戦わない」ための力の元は何なのかなってことですかね。そこを見つけないと“excuse”でこの芝居をやってることにしかならない、アリバイ工作をやるってことになったらどうしようもない。
――アリバイ工作。
「これをやってるから、私は反戦平和です」みたいな。「現実に戦争が起ころうが、なにしようが、それはちょっと別の問題です」みたいになったら、じゃあ、一体何のためにやってきたの?ということになる。そういう意味での選択を今、迫られているわけですから。「格好だけで反戦平和やってるんじゃないよ」というところにどうやって辿り着くか。その辺を感じてもらえるような芝居を創っていきたいと思います。
――より若い世代に向けて?
なんだかんだ言ってても、もしこれからそういうことがあったとしても、戦うのは僕たちの世代じゃないですからね。逆にそういう立場だからこそ、戦わないってことを主張しなきゃいけないんじゃないかなって思うんです。
――戦いにいかなきゃならない場面になったとして、赴かざるを得なくなるのは若い世代の可能性が高いからこそ。
そういう復讐の連鎖みたいなものには絶対荷担しないっていう。だから、「何されても戦わない」っていう、感覚を持てるかどうかが、やっぱり問われているんだと思うので。そこのところが言えないと、あとは何を言っても現実追従の技術論になっちゃうから。
――何をされても戦わない覚悟、というのは、生死に関わるとしても、でしょうか?
そうです。
――お話ありがとうございました。
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