シューマンとブラームスを愛し支えたピアニスト・クララの生涯を、生演奏と朗読で綴るストーリー・コンサート『クララ-愛の物語-』が、2021年7月14日(水)と7月15日(木)に、彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールで上演されました。本作は、読売日本交響楽団のチェリストである渡部玄一さんが作・演出を手掛けられ、2018年に長野県上田市で初演、2019年に東京でクララ生誕200周年を記念して再演されています。今回は、クララ役とシューマン/ブラームス役がWキャスト。伊波杏樹さんと渡辺大輔さんのAチーム、水夏希さんと佐賀龍彦さん(LE VELVETS)のBチームと、チームごとの魅力も楽しめる2日間となりました。岡田愛(ソプラノ)さん、枝並千花(ヴァイオリン)さん、渡部玄一(チェロ)さん、島田彩乃(ピアノ)さんによるクラシック音楽の生演奏と、両チームの朗読はいかに融合し、いかに響き合ったのか。公演の様子を紹介します。(写真は、7月15日に上演されたBチームのものだけとなっていますが、どうかご了承ください)
「クラシック音楽の本格的な演奏と実力派俳優陣による朗読が融合する朗読音楽劇」(公演リーフレットより)という紹介文からは、さまざまな想像が広がります。以前観たことがある朗読劇の様子なども思い出しながらホールに入ると、まず目に入ったのは舞台の真ん中のグランドピアノでした。ピアノの前には譜面台が数台。ピアノと譜面台を挟んだ左右両サイドにはそれぞれ、椅子と小さなテーブルと、スタンドマイクが用意されています。そして天井からはスクリーン。
まだ演者が誰もいないステージを見ながら、彼らの姿を想像しました。開演まであと10分ほど。席に配布されていたパンフレットを開き、クララがショパンやリストと肩を並べるピアニストであったことを改めて思い出しました。実際、ピアニストを目指し、クララの父親に弟子入りしたことで、シューマンはクララと出会います。また、ブラームスは、シューマン夫妻に会ったとき、自分の曲をピアノで弾いています。開演前、舞台中央に位置するピアノを眺めていると、そんな3人の姿が呼び起こされるのでした。
上手にクララ、下手にシューマン/ブラームス、中央にソプラノ、ヴァイオリン、チェロ、ピアノという配置で、ストーリー・コンサートは始まりました。開幕前のインタビューで佐賀さんがおっしゃっていた「朗読と音楽とでは、感じる心の動きの角度が違うと思うので、多角的になるのではないでしょうか。朗読と音楽を合わせたら、思っていた以上に両者がくっきりとしたんです」という言葉の通り、交互に登場する音楽と朗読は、それぞれを単独で楽しむよりも、はるかに心を揺さぶるものとなりました。どれほど素晴らしい演奏でも、どれほど素晴らしい朗読であっても、演奏だけ、朗読だけでは作り出せない空間がそこにあったのです。
プロローグの音楽は、ブラームスのヴァイオリンソナタ第二番第二楽章。時は19世紀。スクリーンにテキストが投影され、時代背景や場所、クララとロベルトの年齢が示されます。「19世紀」という文字と、奏でられる音楽、そしてソプラノで歌われる「あなたに初めてお会いして以来」(シューマン)によって、さっきまで2021年7月の埼玉にいたはずの私は、たちまち19世期のヨーロッパへと誘われるのでした。ここで注目したいのは、プロローグにおける楽器のみの演奏と、朗読との間に「歌」があることです。歌は、音楽と言葉で成り立っています。美しい歌声とピアノ演奏は、演奏から朗読の世界へと誘ってくれる役割をも果たしていたように感じました。
さあ、この舞台の上にクララとシューマン、ブラームスが現れても、何ら不思議なことはないでしょう。とはいえ、まだこの時点では、クララの「水さん」「伊波さん」、シューマンの「佐賀さん」「渡辺さん」です。「ねえ、ロベルト、また何かお話をして」「おや、クララ。もうお稽古はいいのかい?」。朗読はクララとシューマンの、このやり取りで始まります。この場面が終わると、シューマンの「ピアノ三重奏曲第2番第2楽章」が演奏されます。楽器による演奏から歌、そして朗読から、再び楽器による演奏へ。取材時に渡辺さんは、「演者として、目でお客さまを引き込み、音楽への橋渡しとなるような朗読にしたい」とおっしゃっていました。AチームとBチームそれぞれの朗読を聴かせていただきながら、その言葉を思い出しました。気づけば感じ方の重心は逆転し、「水さん」「伊波さん」のクララ、「佐賀さん」「渡辺さん」のシューマン、やがてブラームスとなっていました。
音楽が奏でられ、言葉が語られる。そして次第に、音楽が語り、言葉が奏でて、物語となって響くのでした。主語と動詞が入れ替わり、組み合わせが変わるように、音楽と歌と言葉が混ざり合って呼応し、共鳴し合う空間。物理的には、両日ともに同じ空間にいたわけですが、響き方はかくも違うのかと驚きました。その響きの違いを紹介しましょう。
※アイデアニュース有料会員限定部分には、AチームとBチームそれぞれの魅力や、作中に登場する音楽について感じたこと、ストーリー・コンサートという形式について感じたことなどを掲載しています。
<有料会員限定部分の小見出し>
■チャーミングな伊波クララ。シューマンとブラームスのメリハリが光った渡辺
■類まれなる存在そのものだった水クララ。佐賀ブラームスの激白と独白は圧巻
■クララの生涯を振り返っているようなブラームス「ヴァイオリンソナタ第二番」
■最後にブラームス「ピアノ三重奏第1番」を聞きながら、はっと気づいたのは…
■歴史的音楽家と交わるストーリー・コンサート。9月には『ショパン物語』開催
<ストーリー・コンサート『クララ-愛の物語-』>
【埼玉公演】2021年7月14日(水)~7月15日(木) 彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール(この公演は終了しています)
2021年7月14日(水) 14:00開演(Aチーム)/18:00開演(Aチーム)
2021年7月15日(木) 14:00開演(Bチーム)/18:00開演(Bチーム)
*Aチーム(クララ役:伊波杏樹/シューマン・ブラームス役:渡辺大輔)
*Bチーム(クララ役:水夏希/シューマン・ブラームス役:佐賀龍彦)
公式サイト
http://www.tokyo-eg.com/
<キャスト>
水夏希/佐賀龍彦(LE VELVETS)
伊波杏樹/渡辺大輔
<作・演出>
渡部玄一(読売日本交響楽団)
<演奏>
岡田愛(ソプラノ)
枝並千花(ヴァイオリン)
渡部玄一(チェロ)
島田彩乃(ピアノ)
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■チャーミングな伊波クララ。シューマンとブラームスのメリハリが光った渡辺
Aチームの伊波さんと渡辺さんの朗読は、声色のトーンや語り口調の変化によって、人物像がとてもクリアになる点が印象的でした。冒頭でシューマンにお話をせがむシーンではとても可愛い11歳のクララでしたが、シューマンとの結婚を決意してからは、しなやかな大人の女性へと変化し、芯の強さを感じました。しかし何と言っても、彼女のクララの魅力は、そのチャーミングさにあります。クララはこの作品の中で11歳から76歳という幅広い年月を生きています。声色で年齢や心理の変化を見事に演じ分けているのはもちろんですが、どの時期のクララにも、スイートな愛らしさを感じました。
シューマンとブラームスの2役を演じられた渡辺さんもまた、多彩な声で会場を魅了していました。自作の物語をクララに聞かせるシーンでは、シューマンとして物語を読み聞かせることになるので、語りが二重構造になります。ここでもトーンが驚くほど変わりました。もちろん、シューマンとブラームスそれぞれの人物像も、「語り」によって明確に演じ分けられており、おそらく声だけで朗読を聞かせていただいたとしても、今どちらの人物でいらっしゃるのかが伝わってきたことでしょう。華やかで明るいシューマンと、渋みのある生真面目でややビターなブラームス。そしてスイートなクララの組み合わせによって、それぞれの人物像が浮き彫りになってくるのです。
Aチームの朗読は、芝居のメリハリが光っていました。個人を認識するとき、声というものは大きな役割をになっているように思います。姿が見えていなくても、背後から声が聞こえて、振り返ったら友人がいたというようなことは、日常生活においてよくあるのではないでしょうか。声によって、クララ、シューマン、ブラームスそれぞれの人物像が鮮やかに描き出されていると感じました。声や表現、芝居を起点とするアプローチによって、音楽と朗読がテンポよく互いにバトンを渡しながら引き立て合い、両者が、それぞれの魅力を明確に照らし出すような関係性になっているように思いました。「朗読として」「音楽として」、それぞれのアイデンティティを保ちながら融合するバランスも絶妙で、表現の巧みさが光る素晴らしい時間でした。
■類まれなる存在そのものだった水クララ。佐賀ブラームスの激白と独白は圧巻
Bチームの水さんと佐賀さんの朗読は、クララ、シューマン、ブラームスの心を強く感じた点が印象的でした。まず、11歳にして、既に才気溢れ、気品をたたえている水さんのクララ。プロローグでは、「これは二人の天才音楽家と、その二人を創造したと言っても良い、一人の類まれなる女性との、愛と苦悩、そして美しき音楽の物語です」という言葉がスクリーンに映し出されます。水さんのクララは、まさにここに描かれている、類まれなる存在そのものでした。ふとした言葉の置き方の違いに、クララの心境や年齢がさりげなく現れており、ここにクララがいるという説得力がありました。
佐賀さんのシューマンとブラームスの魅力は、「情熱」にあったと思います。クララに対するひたむきで一途な情熱からは、音楽そのものへの熱量をも感じました。佐賀さんはクラシックをベースとしたヴォーカルグループLE VELVETSのメンバーでもあり、音楽家ならではのご本人の心もそこに含まれていたのかもしれません。シューマンのどこか無邪気さもある直情的な情熱はもちろんのこと、特にブラームスの激白と独白は圧巻でした。「エドワルド」という詩に、クララ、シューマン、ブラームスの3者を投影し、自らをエドワルドと重ね合わせてのまさに「シュトルム・ウント・ドラング」という言葉が思い浮かんだ激白。そしてクララ亡き後の独白。
密かに激情を吐露する一方で、クララに見せるのは、献身的で穏やかな姿でした。この緩急があったからこそ、ラストシーンのブラームスの悲しみ、そしてクララとシューマンそれぞれへの愛と尊敬が、観客の心を打ったのではないでしょうか。一方で、作品の中で、クララはシューマンの熱量には応えますが、ブラームスに関しては応えません。少なくとも、言葉としてそのような表現は登場しません。ですが、水さんのクララの声の響きが持つ柔らかさや温かみからは、その心を感じられるように思いました。心を起点とするBチームの朗読から感じたのは「親和力」でした。朗読における対話の中で、徐々にクララとシューマン、そしてブラームスの声が重なり、心の調和が前面に出てくるのです。感情や思いというものは、全て言語化できるものでも、するものでもないでしょう。声から広がる余韻が音楽となり、音楽が言葉になるのを感じながら、そんなことを思いました。
■クララの生涯を振り返っているようなブラームス「ヴァイオリンソナタ第二番」
「想像」を楽しめる余白のある作品だからこそ、音楽について感じたことにも少し触れておきたいと思います。この物語のプロローグには、ブラームスの「ヴァイオリンソナタ第2番第2楽章」の冒頭が配置されています。この作品に登場する全ての曲を順番にたどっていくと、同じ曲の第一楽章が物語の後半に登場することがわかります。1886年のスイスにて、ブラームスがクララに聴いてもらう曲として登場するのが、この「ヴァイオリンソナタ第2番」。舞台上ではこの曲の第一楽章が演奏され、観客はクララとブラームスと共に、音楽を楽しめます。そして次のシーンでは、クララに死が訪れるのです。
音楽を聞いていると、時間の経過を感じます。1分は60秒という時間軸ではなく、空想しながらどこまでも遠くに行き、どこまでも振り返れるような、まるで自由に時間という名の草原の中を駆け回り、周りの景色を見渡しながら散歩するような感覚なのです。物語の中で、彼らがこの曲を聴いているというシーンだなと感じながら、作品の中でも時間が駆け抜けていくのを感じました。
第一楽章が、プロローグの第二楽章と繋がり、あたかもクララが自分の生涯を振り返っているような感覚を覚えるのです。この物語の冒頭の、シューマンとの懐かしい思い出から、恋に落ちた日々、そして彼を失い、ブラームスに支えられた日々。この作品がそのような意図で構成されているか否かは分かりませんが、音楽を聴きながら、私自身が、物語の冒頭からここまでのストーリーを思い出したのでした。クララもそうだったのかもしれない、ふとそう感じたのです。
■最後にブラームス「ピアノ三重奏第1番」を聞きながら、はっと気づいたのは…
物語の最後には、リーフレットにも紹介されている通り、ブラームスの「ピアノ三重奏第1番」が登場します。この曲は、ブラームスが初めてクララとシューマンを訪問してから程なく作曲したものでした。しかし、彼はこの曲を晩年に書き換えています。現在演奏されることが多いのはこの書き換えられた「改訂版」です。実際の舞台を拝見する前に、予めこの曲の該当箇所を聴いてみました。その時点では、美しい曲だと感じたに過ぎなかったのですが、今回、ストーリー・コンサートを拝見して、聞こえ方が変わりました。
クララの想い、ブラームスの想い、そして彼らの中に生きるシューマンの想い。そうした物語が、音楽へと溶け込んでいくのを目の当たりにしたのです。会場の空気が変わり、彼らの悲しみや苦しみ、互いへの尊敬の念や感謝、そして愛。その感情の中に自分が入ったかのような感覚でした。次の瞬間、はっとしました。三重奏として、クララ、シューマン、ブラームスそれぞれが語りながら美しいハーモニーを奏でているのではという気持ちになったのです。彼らの気持ちが重なり合い、手を取り合っている三重奏。ブラームスが、3人が出会った頃の思いを反映して改訂した一曲。彼らは、音楽で繋がっており、彼らの繋がりが音楽を生み出したのだと。
「彼らの心の力を感じていただけたら」と、渡部玄一さんがインタビューでおっしゃっていたのを思い出しました。まさに、彼らの心が、ここまでのストーリーと音楽の融合として、フィナーレを飾り、音楽として現れているのではないでしょうか。史実を求めて伝記などを読むと、さまざまな解釈が書かれています。もちろん、彼らの本当の心のうちは知るよしもありません。しかし、このストーリー・コンサートを通して私が感じたのは、彼らは幸せな日々も過ごしつつ、悩み、苦しみながらも、3人で音楽を生み出していたのだということです。
ストーリー・コンサートという作品の中でこの一曲を聴くと、物語に押し出されるように、この一曲が舞台に登場するかのように感じました。この物語の主役は、クララ、シューマン、ブラームスの3者というよりも、彼らが生み出した音楽そのものではないでしょうか。
■歴史的音楽家と交わるストーリー・コンサート。9月には『ショパン物語』開催
人生の中で、大きな出来事はそんなに起こるものではないかもしれません。物語の主人公たちはとてもドラマチックな毎日を過ごしているように思えますが、その間には描かれていない日常があるものです。クララもシューマンもブラームスも、1人の人として、私たちと同じように日々を送っていたのではないでしょうか。
2021年9月には、ストーリー・コンサート『ショパン物語』が開催されます。この素晴らしい形式によって届けられる時間の中に身を置き、自らの日常と、歴史に名を残す音楽家の日常が交わるときに何を感じるのか。それを知るために、また会場を訪れたくなります。
Aチームしか拝見出来ませんでしたが、ここに書かれているように、まさに声での演じ分けが見事でした。
伊波さんの年齢による声の演じ分けはお見事で、とても、魅力的で、シューマン、ブラームスが引き込まれていくのが解る気がしました。
また、渡辺さんの二役、劇中でのお話をしてあげる声等、何役も声で演じ分けられて、決して、混同する事はありませんでしたし、且つ、状況と年齢に合った演じ分けも見事でした。
朗読劇は想像力が勝負な気がします。その想像力を膨らませてくれるのが音楽だと思いました。
声、お芝居、音楽が絶妙にマッチした素敵な空間の舞台でした。