※Koichi Kagawaさんの連載「音楽さむねいる」第6回「“オペラ座の怪人”と“ファントム” 2つのミュージカル」の「下」です(⇒「上」はこちら)。
ここで宝塚歌劇団によるMY版『ファントム』に触れておこう。日本におけるALW版『オペラ座の怪人』は、全てが劇団四季による公演である一方、MY版『ファントム』は、宝塚歌劇団宙組が2004年に日本初演を果たして以降、花組が2006年と2011年に2回の公演を行っている。また、梅田芸術劇場の企画・制作による3回の公演もある。こうしてみると、『ファントム』の公演はいずれも阪急関連の団体によるもので、何となく関西の匂いがする。と言っても、それは大阪や京都のそれではなく、私にとっては六甲山を背負った宝塚市を含む阪神間丘陵地帯のものである。
■宝塚歌劇団の『ファントム』
私はこの『ファントム』を宙組と花組のバージョンで何度か見ている。宙組は言うまでもなく、初演メンバーの“ワオマリ”こと、和央ようかのファントムと、花總まりのクリスティーヌ。花組は、それぞれ春野寿美礼と桜乃彩音のコンビである。初演時の組ということもあるが、和央の抜群の歌唱力と、陰影を帯びたファントムの役作りが秀逸な、宙組の公演が非常に印象に残っている。私が今回このコラムを書くのに参考にしたDVDも(歌詞はアーサー・コピットの原文から翻訳)、この宙組のものである(※21)。
■最初は余り興味がなかった『ファントム』公演
2004年当時、私は『オペラ座の怪人』を題材にしたミュージカル、即ち、アンドリュー・ロイド・ウェーバーの大ヒット作には余り興味を持っていなかった。劇団四季も見たことがなかった。ところが、たまたまよく観劇していた宙組が、『オペラ座の怪人』“のようなもの”を演ることを知ったため、宝塚の先達と敬っているN氏にその感想を求めたのが、このミュージカルと出会うきっかけであった。私にこの作品の見聞記を語るその時のNのただならぬ興奮は、今でも覚えている。とにかく曲が良い、舞台構成が良い、そして“ワオマリ”の歌が良い、と三拍子揃った出来栄えに、普段は辛口で通っている彼の宝塚評が、今回は合成甘味料よろしく、甘口も甘口、大甘口であった。
宙組の公演は、5月から6月までが宝塚大劇場、所謂“ムラ”で行われ、7月と8月が東京宝塚劇場でのものであった。時節柄、歌舞伎座では恒例の納涼歌舞伎で『東海道四谷怪談』が打たれる時期である。私は、“まあ、西洋の化け物芝居”でもみてやるか、といった不埒な思いで、日比谷に足を運んだのだった。
■コンテンポラリーな演出
冷房のよく聞いた劇場に腰を下ろし開演を待つが、お気に入りのコンサートや演劇の演目が掛かる時に体験する、あの高揚感は全くと言っていいほど湧かなかった。オーケストラピットに入った楽団が「Overture」を演奏し、ミュージカルが始まる。“なるほど、オペラ座で上演されている歌劇を、この東京宝塚劇場で追体験させる腹なんだ”と、すぐに製作者の意図に察しがついた。そして、和央ようかの低くくぐもった声で例の挨拶が―“皆様、本日は東京宝塚劇場にようこそ…”何となく背筋が寒くなるのを感じた。
続いて、夜の漆黒に沈むオペラ座の屋根に、突如ファントムが現れる。黒いマントを翻しながら、ファントムが“僕の叫びを聞いてくれ”と絶唱すると、舞台の下から従者達が登場する。“待てよ、オペラ座の怪人に従者なんていたっけ?”詳しくは知らないが、これまで断片的に見聞きしていた怪人の物語とは、趣がずいぶん違うようだ。それにしても、19世紀のパリが舞台にも関わらず、随分現代的な歌を作ったものである。後から知ったのだが、この部分はモーリー・イエストンが、宝塚歌劇団の公演のために追加で作曲したものであるという。なるほど合点がいく。
白いバレエのコスチュームに身を包んだ“小鳥”達とファントムが、オーケストラの伴奏でゆっくりと踊る。突如音楽のテンポが速まると同時に、“小鳥”達は白い衣装を脱ぎ捨て、黒い夜の鳥に変身し、ファントムの周りで踊り始める。やがて従者達が鳥達と入れ替わりに再び登場し、ファントムのバックダンスを受け持つ。このダンスは、マイケル・ピータース(※22)振付けによる、マイケル・ジャクソンのスリラーにどことなく似ている。音楽もそうだが、全体的にコンテンポラリーな演出が目を引く。
■言葉を失うほどの美しい旋律
ファントムが舞台袖に引き込むと、舞台が明転し、クリスティーヌが歌う「Melodie de Paris」の明るい曲想から、このミュージカルが展開していく。“これは、どうも今まで私が持っていた怪人の物語からは大きく離れた内容ではないか?”楽しすぎるのだ。そして、曲全体が明るすぎるのだ。闇に蠢く怪人の恐怖が全く見えてこない。
新しいオペラ座の主、プリ・マドンナのカルロッタは、舞台係のジョセフ・ブケーにオペラ座の地下にある物全ての目録作りを命じた。地下に下りて行ったブケーはファントムと遭遇し、その顔を見てしまう。そして、ファントムは“掟”に従い、彼を殺してしまう。“やっとおどろおどろしさが出たか。”と、思う間もなく、舞台衣装を身にまとったオペラ座のキャストとスタッフが、“夜のために着替えをしよう”と歌い、オペラ座の観劇へと誘う。とにかく賑やかで派手なシーンである。
そして、物語が進行するにつれ、上記で紹介した、「Where in the World」、「Home」、「You are Music」、「My True Love」、「My Mother Bore Me」を歌う場面へと舞台が繰り広げられる。いずれも、私が想像もしなかったような美しい曲である。言葉を失うという形容が許されるのであれば、私はこれらの曲にそれを躊躇なく使用する。これらの曲と、それぞれのシーンについては既に詳述したのでコメントを省く。
いずれにしても、夏の暑い日、怖いもの見たさで訪れた宝塚歌劇団宙組の『ファントム』であったが、予想を良い意味で裏切り、人間的な情調を全体の基調とした仕上がりに感動し、劇場を後にしたことを覚えている。とりわけ、モーリー・イエストンの曲は感情表現に富み、和央ようかと花總まりが歌う歌は、胸が張り裂けそうな美しさに溢れていた。彼の曲は、この怪人の物語に新しい解釈をもたらし、舞台の推進力となっていた。それは、N氏が興奮して語った以上に、曲と歌詞、脚本と舞台構成、踊りと歌のそれぞれの美質が相乗効果を生み、最高のエンターテインメントとして昇華した作品であった。モーリー・イエストンの『ファントム』は、宝塚歌劇団という日本屈指のミュージカル劇団を得たことで、日本の観客から喝采を浴びたのである。
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■阪神間モダニズムと『ファントム』
■歌劇の聖地、宝塚
■阪神間モダニズムの象徴、宝塚ホテル
■宝塚ホテルに見るアールデコ ~ クリスティーヌの歌が聞こえる
■ファントムの気配
■宝塚歌劇へのオマージュとのノスタルジー
■ファントムは何処へ?
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■阪神間モダニズムと『ファントム』
宝塚歌劇団はその名の通り、兵庫県宝塚市に本拠地を置く劇団である。宝塚市は、西は神戸市中央区、灘区辺りから芦屋市を通り、西宮から武庫川界隈へと連なる、六甲山系のなだらかな稜線が東へと落ち込んでいく、その先端に位置する都市である。このコラムを掲載していただいているアイデアニュース株式会社も、ここ宝塚市に本社を置いている。
■歌劇の聖地、宝塚
宝塚歌劇団の歴史は、阪急東宝グループの創始者小林一三が、1913年に宝塚唱歌隊を創設したことに始まる。それは、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気鉄道の沿線開発の一環として、その終点であった宝塚に利用客を誘致しようとの思惑であった。
100有余年の歴史を有するこの歌劇団の本拠地は、歌劇の殿堂とも言うべき宝塚大劇場と宝塚バウホールを中心に、宝塚音楽学校や手塚治虫記念館(宝塚は手塚治虫が少年時代を過ごした地である)などが隣接し、歌劇に馴染の深い建物や商業施設が林立するエンターテインメントの一大聖地である。ここを訪れる度に目を引くのは、南欧風の外観を持つ大劇場と同じく、オレンジ色の瓦で葺いた屋根を乗せた建物が際立たせる、統一感のある街並みである。大正時代からの続く由緒ある歌劇団の街として、その長い歴史を感じさせるこの風景は、日本屈指の高級住宅地を背負った、所謂“阪神間”の雰囲気を伝える意匠となっている。
■阪神間モダニズムの象徴、宝塚ホテル
宝塚大劇場を背にして、映画化もされた有川浩の小説、『阪急電車』の舞台となった阪急今津線が渡る武庫川の橋梁を右手に見ながら、宝塚大橋を渡れば宝塚南口に到着する。宝塚大劇場からは、わずか30分足らずの散歩道である。宝塚南口には、1926年の創業になる阪神間の名門、宝塚ホテルがある。今年でちょうど90周年を迎えるこのホテルも、現在は宝塚歌劇団と同じく阪急の系列である(※23)。
宝塚南口駅に降り立つとに、目の前に白い建物群が迎えてくれる。メインエントランスを擁する新館の右、即ち、北側には、宝塚大劇場と同じく、オレンジ色の瓦で葺いた切妻屋根と、その下のペディメントに施された雄大な彫刻、逆台形をしたアールデコ調の窓や、壁面のメダイヨン(浮き彫り装飾)が印象的な建物が構えている。創業時の宝塚ホテル、現在の旧館である。県指定景観形成重要建造物にも指定されているこの旧館は、大正時代の面影を今に伝える貴重なモニュメントである。
大正時代と言えば、大正デモクラシーが花開き、大阪、神戸を中心とした都市型の文化・生活様式が確立し、全国に波及していった時期であった。この都市型の文化・生活様式を、“阪神間モダニズム”と呼び、現在の日本人の生活に馴染のある物も多い。阪神間モダニズムを簡潔に説明するものとして、次の文章が参考になろう。
別荘地であった六甲山上および緑豊かな市街地となった山麓に、ブルジョワと呼ばれる富裕層を対象に、様々な文化・教育・社交場としてのホテル・娯楽施設が造られ、大リゾート地が形成された。こうして、西洋文化の影響を受けた生活を楽しむ独自の生活様式が育まれたのである。それらは、現在にいたる日本の芸術や文化、教育、娯楽、生活に多大な影響を与えている。なお、これらの地域は、現代でも高級住宅地やブランド住宅地として、全国屈指のエリアとなっている。(※24)
関東でも、軽井沢に見られる西洋風の別荘地や、田園調布や成城などの都市近郊の住宅地などに、阪神間モダニズムの強い影響が見られる。そして、この阪神間モダニズムを牽引したのが、宝塚歌劇の創設者、小林一三による阪神急行電鉄(現阪急電鉄)の革新的な経営であった。宝塚ホテルは、小林一三が推進した阪神間モダニズムを、建築史の面から今に伝える象徴である。
■宝塚ホテルに見るアールデコ ~ クリスティーヌの歌が聞こえる
さて、宝塚ホテルの旧館に入ってみると、90年を経た建物が静かに呼吸しているのが感じられる。緋毛氈を敷き詰めたと思えるような、いささか色を落とした赤い絨毯を踏んで進むと、片足ずつ体の体重をかけるごとに、床から優しく反作用の力が返ってくる。それは、木造の階段を上ると特に顕著である。一段一段上る度に木の階段が足の力を穏やかに吸収し、絨毯を通して木の階段が軋む音がする。低く呟くような、耳に柔らかな音である。廊下の天上にはシャンデリアが吊るされ、アールデコ調の内装に歴史を感じる。また、穏やかな陽の光を取り込む大きな窓の外に目をやると、そこには中央に噴水を配した瀟洒な中庭がしつらえられており、自分がフランスのどこかの街にある、古い館にでもいるような錯覚を覚える。耳を澄ませば、どこからともなくクリスティーヌが歌う、「My True Love」の美しい旋律が、中庭を渡る風に乗って聞えて来そうである。
■ファントムの気配
ここ宝塚ホテルは、宝塚歌劇団のオフィシャル・ホテルになっており、劇団のスターたちが、定期的にお茶会やディナーショー、それに、コンサートを開いている。それゆえ、この古い建物には、歴代のタカラジェンヌの歌声と、芸術の道を究めるため、常に研鑽を積んだ彼女たちの、“正しく清く明るい”魂が染みついているのを感じる。それが、オペラ座で歌うことに喜びを感じ、ファントムに歌のレッスンを受けるクリスティーヌの姿と、何故か符合するのである。そして、クリスティーヌの歌声を聞きつけたファントムが、この館のどこかで私を見ているような気配も感じてしまう。
関西では、宝塚ホテルは神戸のオリエンタル・ホテル(※25)と共に、高級ホテルの代表格とされる。往時の神戸近郊の若い女性達は、オリエンタル・ホテルの副支配人であったキシ・ラヨシ氏のテーブル・マナー講習を受け、宝塚ホテルで結婚式を挙げるのが淑女への道だと教えられていた。事実私の祖先や親戚達も、大勢このホテルで華燭の典を挙げており、かく言う私もその一人である。そのような縁も手伝ってか、この西欧風の古い建物に流れる雰囲気が『ファントム』の歌を呼び寄せ、クリスティーヌに歌わせるのであろうか。もしかすると、このホテルにはファントムが棲みついていて、そんな昔からの流儀を守るために、若いタカラジェンヌ達に歌のレッスンを続けているのかも知れない。
■宝塚歌劇へのオマージュとのノスタルジー
私は小学校の高学年から中学生にかけて、父の仕事の関係で、同じ阪神間の西宮に住んでいたことがある。その頃、学校が休みに入ると、宝塚ホテルのすぐ傍に住んでいた親戚の家をよく訪れた。今でも残っている大きな松が目印の、昔の阪神間によく見られ純和風の邸宅を通る度、その親戚夫婦に連れられて、ここ宝塚ホテルや、そのすぐ近くにある、日本で初めてピザを提供した、現存する日本最古のイタリアン・リストランテと言われる、アモーレ・アベーラ(※26)で食事やお茶を楽しんだ思い出が蘇る。
音楽に目覚め始めた当時の私は、この伝統あるホテルやリストランテの豪華な食事に目を見張り、宝塚歌劇華やかなりし頃の昔話に耳を傾け、お洒落な空気を目いっぱい吸い込んで、芸術的なものへの興味を深めていったものである。私が今回MY版『ファントム』について書いたのは、紛れもなく宝塚歌劇へのオマージュであり(その頃は宝塚歌劇には全く興味がなかったが)、懐かしい子供時代へのノスタルジーからである。
■ファントムは何処へ?
残念なことだが、この伝統あるホテルは、老朽化により取り壊しが決定され、新しく宝塚大劇場の近くへ移転すると発表された。“ヅカファン”にとっては利便性が向上し、会社にとっては商業価値が上がるのとの決定であろう。しかし、個人的にも思い出の詰まったこのホテル、とりわけ阪神間モダニズムを今に伝える、貴重な建築物である旧館を取り壊すことは、非常に残念なことである。“この古い建物を取り壊すとしたら、そこに棲んでいると私が感じたファントムは一体どうなるのだろうか?”、“常に美しい歌を希求し続けたファントムの魂は、新しく鎮まる場所を求め、彷徨い続けるのであろうか?”
懐かしい昔を偲び、オペラ座の怪人に仮託して膨らんでいく私の想像は、『ファントム』の歌に乗って頭の中を駆け巡る。それは、古き良き時代を懐古する人々全てに共通する、諦念が支配するメンタリティーなのかも知れない。
※21 『三井住友VISAミュージカル ファントム』(制作・発売 宝塚クリエイティブアー TCAD-031)
※22 Michael Douglas Peters (1948年8月6日-1994年8月21日), マイケル・ジャクソンのコリオグラファー。スリラーの振付で有名。
※23 阪急阪神第一ホテルグループのメンバーホテルである。
※24 Wikipedia “阪神間モダニズム”参照。
※25 1870年創業の日本で最も古いホテルの一つ。1995年の阪神淡路大震災で閉鎖。15年後の2010年に再オープン。
※26 1946年にアベーラ・オラッィオによって開かれたイタリア料理店。東京青山のアントニオの初代オーナー、アントニオ・カンチェミ(アベーラと同時期に、神戸で2か月間だけピザを焼いて供したという話がある)とは義理の従弟にあたる。