2016年5月5日にお亡くなりになったシンセサイザー音楽作家の冨田勲さんの追悼コラムを、「音楽さむねいる(5)」として、Koichi Kagawaさんに書いていただきました。(アイデアニュース編集部)
『ジャングル大帝』『ビッグエックス』『マイティジャック』『新日本紀行』『勝海舟』冨田勲(1932年4月22日-2016年5月5日)作曲
■記憶の中の昭和の風景
私の記憶にある昭和の風景は、幸いにして『Always三丁目の夕日』に代表される映画やテレビ番組などのCGで見事に再現され、視覚の中でそれを辿ることができる。まだ舗装もできていなかった道を、土煙を挙げながら走って行くオート三輪。それを追う放し飼いの犬たち。私たちは、毛玉ができた安物のセーターを着て、野球や縄跳び、ブランコにメンコといった、超アナログな遊びにいそしんでいた。近所の公園が、路地裏が、材木店の倉庫や鉄工所の資材置き場が、私たち子どもの宇宙だった。そこから見える景色といえば、西に傾く今よりもっと赤い夕日に、山の端の陰に沈むお寺の山門。夕暮れ時の寂寥感が空気を包み、何だか心細くなった頃、遠くから聞えてきた母親の呼び声に促されて家に帰ると、松下電器の二股電球が橙色の光を灯す茶の間が迎えてくれた。そこは、薄暗くて小さな空間だったけれど、どんな場所よりも暖かさに満ち溢れていた。
■ブラウン管の映像
やがて、仕事を終えた祖父母が茶の間にやってきて、夕餉までの少しの間、テレビを囲んで寛ぐのが日課になっていた。勉強もしないでいつもでごろごろしていた私が、長い4本足の上に、ブラウン管と音声スピーカーが乗っかったテレビをつける。そう、スイッチは小さな筒状のつまみを引っ張る方式だった。チャンネルのハンドルを左右に回すと、受信状態のよくない画面が像を映し出していた。もちろん白黒。大相撲、ニュース、天気予報や歌番組に交じって、今で言うアニメ、つまり、動く漫画が始まろうとしていた。漫画を見ることを主張する私は、ニュースや天気予報を要求する祖父母と、いつも決まってチャンネル権を争っていた。孫に花を持たせるのが祖父母の常であり、それを当然の権利のように思っていた私は、当時から少々鼻持ちならない子供であったようだ。
■テレビ漫画の主題歌で見た“冨田勲”
さて、丸みを帯びたブラウン管は、人間の言葉をしゃべる白いライオンの子供が、長老のヒヒや森の小動物たちと一緒に、悪い人間の手からジャングルを守り、奮闘する物語を映し出していた。
また別のチャンネルでは、耳のところに羽のような飾りを付けたヘルメットを被り、巨大になった主人公が、火とも光線とも判別がつかない武器を手に、悪玉と渡り合う場面を放映していた。コマ送りが粗く、動き全体がぎこちないが、白いライオンもヘルメットの巨人も、まさに主人公である。私は、正義の味方の超人的な力を頼み、戦いの帰趨を息を呑んで見守った。
しかし、今となっては、白黒の画面で戦う主人公達よりも、それらの物語を効果的に運んでいく背景音楽の方が、私の記憶に深く残っている。そして、番組の主題歌に乗って声優や制作陣の名前が映し出されると、それに交じって“冨田勲”という漢字が現れた。当時、その読み方はわからなかったが、その特異な漢字は形として目に焼き付いた。私が通っていた小学校が、“富田小学校”であったからだ。“冨田”と“富田”- その違いが妙に印象的であった。その上には、“音楽”と書かれていたので、“冨田勲”という人が、今聞いている主題歌を作った人であることは、子供心に理解できた。
■特撮ドラマの勇壮なテーマ音楽
父の帰宅と同時に、祖父母が食卓に向かったのを見計らい、チャンネルを“回す”。今度は実写の空飛ぶ戦艦である。後ろから火を勢いよく噴射して戦艦が発進すると、大きな波が渦巻き高く飛び散る。しかし、水の粒子が軍艦に比して不自然に大きいため、子供でも軍艦が模型であることは自然に理解できた。画面全体に作り物の匂いがプンプンしている。全ての“秘密兵器”がまがい物なのだ。しかし、そのまがい物の軍艦は勇壮なテーマ音楽に救われ、やけに雄々しく見えた。
緊急指令を受けた“隊員”達が、秘密基地のケーブルに運ばれて戦艦に乗り込む。戦艦が体を休めるドックに大量の水が注入され、やがてゲートが開いて戦艦が出動。そして火と水しぶきを豪快に上げて、戦艦が空へと舞い上がる。男声合唱によるテーマ曲のタイトルバックが流れると、ここにもあの人の名前が-“冨田勲”。この人は何者なのか?子供向け番組の作曲家なんだろうか?疑問を解消する術もないままいると、“早ようご飯を食べなさい”と呼ぶ母の声がする。泣く泣くテレビを消して(つまみをもとの位置に押し戻して)食卓へ向かう。
■NHKドキュメンタリーの懐かしい音楽
食後、祖父母と一緒に再びテレビに向かう。今度こそ祖父母の権利が優先される番だ。見るのは当然NHK。何故なら、各県に一つある放送局のおかげで、画面が比較的きれいであったから、というのは当時の私の解釈。画面には、雪で覆われた田んぼの向こうに、吹雪いて霞む山々の風景が映し出された。すると、太鼓の音と共に太い“ラッパ”が吹き鳴らされ、番組の始まりを告げる。続いて拍子木に合わせ、民謡のように仄かに悲しい節回しが、低くゆっくりと流れ始める。
何という懐かしい音楽なのだろう。時折家族と訪れた、故郷の山あいの村落が目に浮かんでくる。地方といえども町中で育った私には、農村での生活ぶりはおおよそ見当もつかないものであった。しかし、この強烈な旋律は、厳しい自然と日々折り合いを付けながら畑仕事に勤しむ人々の、かそかでつつましい暮らしを表現したものであることは、幼い私でも感じ取ることができた。ここでも“富田勲”が字幕に登場する。この人は“漫画の人”ではなかったか?何故にお堅いNHKに関係する仕事をしているのか?それも実写版のドキュメンタリーで。この音楽の作曲家はもしかすると、科学が支配する夢の世界と、まだ過去を引きずっている発展途上の現在を自在に行き来する、不思議な能力を持った人ではなかろうか?そんな思いが頭の中をよぎった。
■NHK大河ドラマの雄大なテーマ曲
そして、待ちわびたわけではないが、一応日曜日の夜の決まり事としてチャンネルをそのままにする。両親が祖父母と私に合流すると、こたつを囲んで文字通り一家団欒である。記憶の中では、いつの間にか画面はカラーになっている。大きくうねる緑色の波が海の面に激しくぶつかり、砕け散った波しぶきが画面を真っ白に覆う。と同時に黒く筆で書かれたドラマの題名が飛び出す。大河ドラマの幕開けである。ドラムの軽快な拍子に合わせ、合唱とトランペットと弦楽器が壮大な行進曲風の音楽をかき鳴らす。
タイトルバックには、また“冨田勲”である。今回は、何とNHK大河ドラマのテーマ音楽を作曲している!それも、岩城宏之指揮のNHK交響楽団の演奏だ。漫画からドキュメンタリーを経て、国民的ドラマの音楽を担当するとは。この人がただ物でないことが知れた。しばらくして、テーマ音楽は、静かな音調の部分がピアノのカデンツァ(管弦楽がいったん演奏を中断し、ピアノが即興的で自由な演奏をする部分であると、学校の音楽の授業で習ったばかり)を演奏するトリオ(行進曲の中間部に流れる静かな旋律を指すと、これまた学校の音楽の授業で教わったばかり)に入る。そして、再び雄大な主部が現れ、それが男声合唱と共に一気に絶頂に高まって行く。ありったけの力を放出したオーケストラはやがて、主部の主旋律を吹くトロンボーンのソロで減速し、最後はチェロの独奏が主旋律の変奏を歌い、曲は静かに収束する。このころの私は、オーケストラの主な楽器の知識を急速にため込みつつあった。
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■この上なく贅沢な昭和のテレビ音楽
■古い記憶の断片を繋ぐ“冨田サウンド”
- 音楽さむねいる:(23)不思議な番号“8” (2)ドボルザークの交響曲第8番 2017年6月8日
- 音楽さむねいる:(22)不思議な番号“8” (1)ベートーヴェンの交響曲第8番 2017年5月30日
- 音楽さむねいる:(21)人形と音楽 (3)ストラヴィンスキーのバレエ『ペトルーシュカ』 2017年3月12日
- 音楽さむねいる:(20)人形と音楽 (2)チャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』 2017年3月11日
- 音楽さむねいる:(19)人形と音楽 (1)人形浄瑠璃の世界 2017年3月11日
■この上なく贅沢な昭和のテレビ音楽
さて、テレビ番組の題名を隠して、いささか謎解きのようになってしまったが、勘が優れた方は既にお分かりのように、“白いライオン”は『ジャングル大帝』(※1)、“悪玉と戦う正義の味方”は漫画『ビッグエックス』(※2)、“実写の空飛ぶ戦艦”は『マイティジャック』(※3)、“吹雪いて霞む山の風景”は『新日本紀行』(※4)、“大河ドラマ”は『勝海舟』(※5)である。漫画や実写版の今で言うSF、ドキュメンタリーに大河ドラマと、テレビの黎明期を音響で支えた立役者が冨田勲である。それは、今考えると、余りにも贅沢な布陣で作られた番組であったと言えよう。
『ジャングル大帝』
『ビッグエックス』
『マイティジャック』
『新日本紀行』
『勝海舟』
例えば、『ビッグエックス』の主題歌は、手塚治虫の原作に、谷川俊太郎が歌詞を、冨田勲が曲を付けるという、まさにドリーム・チームの手になるものだ。また、演奏もストリングスを入れたフルオーケストラに、昭和的な電子オルガンのグリッサンド、加えて伝説の上高田小学校が歌う、まさに勧善懲悪オラトリオの様相を呈している。因みに、『サザエさん』の磯野波平の声を担当した永井一郎の名前も“声の出演”として登場する。また、『ジャングル大帝』の主題歌の独唱は、元東京芸術大学名誉教授の故平野忠彦である。こんな贅沢な組合せは、今ではもう望むべくもないであろう。
1960年代- 高度経済成長を謳歌する日本は、鉄腕アトムに象徴されるように、科学立国の道をひた走っていた。その頃、雨後の竹の子のごとく出現した漫画に、我々の世代は熱狂したものだった。スマホもTVゲームも無かったけど、我々は幼い頃から、こんな豪華な主題歌を日常的に聞いて育ったのだ。昭和とは、世の中が良くなることしか体験しなかった、実に幸せな時代だった。
いつしか私も成長するにつれ、見るテレビ番組も次第に高度な内容のものになり、音楽的嗜好も、一層複雑なものに向いていった。上に挙げた例は、私自身の音楽的な成長の一側面を辿る小さな歴史であり、叙事文=クロニクルのようなものである。その大部分は、紛れもなく冨田勲の作曲の軌跡に沿って展開している。長じて、“トミタイサオ”と音読みができるようになってからも、私は彼が作曲したテレビのテーマ音楽を始め、後に彼を世界的作曲家に押し上げたシンセサイザーの作品群(※6)をも追い続けていたのは事実である。
■古い記憶の断片を繋ぐ“冨田サウンド”
今でも目をつぶれば、昭和の音楽の象徴とも言える場面が、懐かしいテレビ番組と共に広がっていく。それは、物語の筋を忘れても、“冨田勲”の音楽は全てそらんじることができる程に、脳裏に突き刺さって離れない。たとえ画像の断片しか思い出せなくても、冨田勲の音楽はそれらをつなぎ合わせ、“記憶”という一枚の続き絵を鮮やかに蘇らせる。それほどに、彼の音楽が持つ独特の旋律=俗に言う“冨田サウンド”は、みんなが額に汗して働き、一生懸命に走り抜けた昭和を修飾するにふさわしいものであった。彼が生きていてくれさえすれば、たとえ新しい曲を生み出すことはなくても、決して一人ひとりは豊かではなかったけれど、何故か輝きに満ちたあの時代がまだ連綿と続いていると思えるし、そう思いたかった。
2016年5月5日。今で言うアニメ・ソングの草分けであった冨田勲は、こどもの日を選んだかのように去って行った。子供の頃の私たちは、冨田勲の音楽に感動し、彼の音楽が彩る冒険物語に心躍らせ、明るいだけの将来に夢を膨らませたものであった。後に彼の様々な作品を耳にしても-それが管弦楽であれシンセサイザーであれ-子供の頃に聞いた冨田勲の音楽の新鮮な輝きは、決して色褪せることはなかった。それは、彼が曲の旋律を思い浮かべるとき、類稀な純粋さを忘れることなく、子供や庶民に対して常に優しい眼差しを投げかけていたからだと、私は思う。
彼が残してくれた曲を復唱し、この得難い音楽家の御霊に祈りを捧げたい、“冨田さん、本当にありがとうございました”と。
<脚注>
※1 作曲家, 編曲家, シンセサイザー奏者。慶応義塾大学文学部卒業。平尾貴四男, 小船幸次郎弘田龍太郎に師事。第17回日本レコード大賞、日本アカデミー賞優秀音楽賞、勲四等旭日小綬章受章。
※2 アフリカのジャングルを舞台に、白ライオンのレオを中心とした一家三代とムーンライトストーンを巡って争奪戦を演じる人間たちの群像を描く大河ドラマである。1965年10月6日から1966年9月28日までフジテレビ系列で放送。
※3 シャープペンシル型の装置から出る光線状のエネルギーを、主人公朝雲昭が胸に当てて巨体に変身し、敵と戦う物語。1964年8月3日から1965年9月27日までTBS系列局で放送。
※4 “防衛”、“建設”、“救助”を目的として民間企業の出資で設立されたマイティジャックと、秘密組織Qの戦いを、人間たちによるスパイアクションと特撮によるメカニックアクションを盛り込んで描く特撮ドラマ。1968年4月6日から同年6月29日までフジテレビ系列で放送。
※5 日本で初めての本格的な紀行番組。NHKアナウンサーが日本各地の原風景を訪ね、それにナレーションやインタビューを加た、人間の記録を中心とした紀行ドキュメント。1963年10月7日から1982年3月10日までNHK総合テレビで放送。
※6 子母沢寛の同名小説を原作に、勝海舟の生涯を、彼を取り巻く人々の人間模様を織り交ぜて描いたNHK大河ドラマ第12作目。1974年1月6日から12月29日まで総合テレビで放送。冨田勲の音楽による大河ドラマは全5作品。これは池辺晋一郎と並んで最多である。
※7 1974年、シンセサイザーの導入から1年4ヶ月を費やしたシンセサイザー音楽作品としてのデビュー・アルバム『月の光』を制作。米RCAレコード[8]に持ち込んで契約に成功してレコード「Snowflakes are dancing」をリリースしたところ、大好評を得て1975年1月18日付けのビルボード全米クラシカル・チャートで第2位にランキングされた。1974年には日本人として初めてグラミー賞にノミネートされた。シンセサイザー演奏での録音はその他に、『展覧会の絵』、『惑星』、『火の鳥』、『宇宙幻想』、『ダフニスとクロエ』などがある。
以上脚注はウィキペディアより抜粋・編集。