音楽さむねいる:(9)音楽における“本歌取り”(2) トマスタリス

Koichi Kagawaの 音楽さむねいる
連載:音楽さむねいる(9)

前回は、音楽における“本歌取り”の例として、ラフマニノフ作曲『パガニーニの主題による狂詩曲』を取り上げた。今回も引き続き、“本歌取り”がなされた曲とその作者について紹介したい。

『トマス・タリスの主題による幻想曲』(1910年)(※1)
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(※2)(1872年10月12日-1958年8月26日)作曲
推薦録音:ヴァ―ノン・ハンドリー指揮、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団(※3)

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■ベートーヴェンの作品を“本歌取り”しない理由

前回列挙した“本歌取り”の例は、パガニーニの他に、ハイドン、ヘンデル、モオツァルトといった、名だたる作曲家の曲を“本歌”として取り入れ作品である。ここで気付かれた方も多いかと思うが、ベートーヴェンの“本歌取り”が見当たらない。何故であろうか?私が思うに、ベートーヴェンの曲を取り入れ、編曲するという大それた試みに、後世の作曲家は皆ひるんだのではなかろうか。なるほど、パガニーニもヴァイオリンの天才である。しかし、彼の曲には、ラフマニノフその他の作曲家達がヴァイオリンを避け、ピアノや管弦楽では“本歌取り”の勝負を挑める余地が残っていた、即ち、“隙”があったのではないか。

しかし、楽聖ベートーヴェンの作品は、その全てが“本歌”として孤高の光を放っており、それを“取る”ことも、“採る”ことも、ましてや“盗る”ことも拒む、崇高で聖なる鉄壁の備えに守られているかのようである。ただ唯一私が知る“本歌取り”は、フリッツ・クライスラー(※4)による、『ベートーヴェンの主題によるロンディーノ』だけである。この曲は、その優劣は別にして、ベートーヴェンの作品番号さえもついていない、極めて小さな曲を原典にしているに過ぎない。

ベートーヴェンは別格として、一人の卓越した演奏技術や作曲技法に依拠して“本歌取り”を行った例は数多くあるが、“本歌取り”の中には、過去の時代の精神世界や風土的・文化的背景を取り入れたものもある。今回紹介するヴォーン・ウィリアムズ作曲の弦楽合奏曲、『トマス・タリスの主題による幻想曲』はその一例である。

■ヴォーン・ウィリアムズの“本歌取り”、『グリーンスリーヴズによる幻想曲』に流れる懐かしく美しい民謡

ヴォーン・ウィリアムズは、イギリスを代表する作曲家として、長くその国の音楽界に君臨した人である。日本では若干知名度に劣るが、その作風は、エリザベス1世が統治したチューダー朝から、ジェームズ1世のスチュアート朝に至る、16世紀後半から17世紀前半の王国(“王冠連合”=イングランドとスコットランドが合同してグレート・ブリテンとなる前の体制)の空気を反映し、また、当時から伝わる古い民謡と教会音楽を融合させた、叙情的で美しい旋律が特徴である。彼の曲は、聴いていて何故か懐かしく、イギリスの田園風景を感じさせるものがある。ヴォーン・ウィリアムズは多作家で、ベートーヴェン、ドボルザーク、マーラー(『大地の歌を別分類とする』)と同じく、9曲の交響曲を作曲しているが、彼の作品で恐らく最も知られているのは、『グリーンスリーヴズ(“Greensleeves”と一語にするのが正しい)による幻想曲』(※5)であろう。この名曲は、元々16世紀に発祥したとみられる伝統的なイングランド民謡の旋律(※6)に由来する。従って、これも“本歌取り”の典型である。

しかし、それはパガニーニのような特定の人物に依拠するものではなく、あくまでも庶民に歌い継がれてきた民謡に根差したものである。民謡というものは、まだ文字が広く普及していない頃、神の託宣を伝えたり、農耕を司る神に豊作を祈願したり、あるいは、辛い労働を紛らわせ、時には愛を囁くための手段としていつの間にか生まれ、その土地の人々に伝承されていった古い唄である。民謡には人々の喜びや悲しみが凝縮した旋律があり、それは、その土地ならではの風土や文化によって長年磨かれてきた節回しである。そして、その歌が示唆する情況について、幾世代を経るにせよ、歌い手と聞き手双方に普遍の情念や情景を共有することを前提としている。シェークスピアが『ウインザーの陽気な女房』で、登場人物に“グリーンスリーヴズ”について言及させているのは、それだけこの曲が一般に流布されていたことを物語っていると言えよう。

ヴォーン・ウィリアムズは、民謡が歌い継いできた当時のイギリスの風土や文化を、時代の“刻印”として自分の曲に巧みに取り入れ、名曲を生み出した作曲家である。『グリーンスリーヴズによる幻想曲』は、そのような背景を持った旋律と、イギリス人の郷愁とが見事に同期し、彼の作品で最も有名になったものである。この曲も所謂“本歌取り”の例であり、日本の和歌でいうなら、いつの時代からかその主題が広く人々の共有されている、古謡の「高砂」(※7)や「手児奈」(※8)の伝説を“本歌取り”したものに比肩できよう。

■ヴォーン・ウィリアムズのもう一つの“本歌取り”-『トマス・タリスの主題による幻想曲』

さて、ヴォーン・ウィリアムズのもう一つ有名な“本歌取り”が、『トマス・タリスの主題による幻想曲』である。この曲は、16世紀を生きたイングランドの作曲家、トマス・タリス(※9)が1567年に作曲した有名な曲の主題を取り入れている。その曲とは、『大主教パーカーのための詩編曲(Tunes for Archbishop Parker’s Psalter)』の第三曲である(※10)。ヴォーン・ウィリアムズはこの詩編曲を、聖職者で言語学者であったパーシー・ディーマー(※11)と共に『イングランドの聖歌』(※12)を編纂していた1906年に発見し、彼が作曲することとなった作品のモチーフとした。

イングランド宗教音楽の父と呼ばれるトマス・タリスは、数は少ないがイングランドを代表する宗教音楽を手掛けており、その作風は、黙想的であり、つつましく、同時に非常に荘厳な響きを持つものが多い。彼は、16世紀イングランドの宗教が、カトリックとプロテスタントの間で激しく対立し、国の信仰が3度も入れ替わる中、イングランド国教会の首席作曲家としてその国の宗教音楽界を牽引してきた。猛君ヘンリー8世、幼くして夭折したエドワード6世、“血に汚れた(Bloody)”メアリー1世、そして“栄光の(Gloriana)”エリザベス1世と、イギリス史上名高い4人の国王に仕え、激動の時代を生き延びた順応性には驚くべきものがある。

■国民精神の象徴としての“本歌取り”

『大主教パーカーのための詩編曲』は、エリザベス1世の下で、イングランド国教会体制を確立したカンタベリー大主教、マシュー・パーカー(※13)に捧げられている。それを原典としたヴォーン・ウィリアムズの『トマス・タリスの主題による幻想曲』は、その意味で二重の“本歌取り”の作品だと言えよう。しかし、ヴォーン・ウィリアムズにしてみれば、“トマス・タリスの主題”(以下“主題”)自体が、ラフマニノフの“パガニーニの主題による狂詩曲”とは異なり、作曲者の個性や曲の卓越性を強く押し出したものではなく、国民精神の普遍的象徴としての礼拝曲という性格が強いのではないか。つまり、ヴォーン・ウィリアムズは、トマス・タリスという個人のカリスマ性に依って“本歌取り”を行ったのではなく、今に続くイングランド国教会が成立した時代、即ち、エリザベス1世統治下の栄光あるイングランドへの懐旧の念を、大主教マシュー・パーカーと、そのイングランド国教会の首席作曲家トマス・タリスによせて作曲したのだと推測する。『トマス・タリスの主題による幻想曲』は、16世紀イングランドの精神世界や、風土的・文化的背景を取り入れた“本歌取り”だと私は考えるのである。

■『トマス・タリスの主題による幻想曲』の成立と演奏

『トマス・タリスの主題による幻想曲』は、1910年9月6日にグロースター大聖堂で開催された“三都合唱音楽祭”において、作曲者自身の指揮、ロンドン交響楽団の演奏で初演された。ヴォーン・ウィリアムズは、この曲に2つの弦楽群と、弦楽四重奏に分割された編成で演奏するよう指示している。これは、古くからの民謡や神祭、キリスト教聖歌の合唱において使用されてきた交唱(2群の合唱隊が交互に歌う形式)を取り入れ、イングランド国教会の礼拝式で用いられるアンセム(Anthem=聖歌)の様式を踏まえ、遠くから聞える合唱の効果を狙ったものである。

曲は冒頭で、広く間隔をあけて漸減していく5つの和音が、壮大な宇宙を思わせるかの如く厳かに演奏された後、チェロとバスのピチカート、ヴァイオリンとヴィオラのアルコが、“主題”の断片を数小節演奏する。引き続き、ヴァイオリンのトレモロを背景にして、“主題”の原曲がヴィオラとチェロにより提示され、2つの弦楽群が対位法によって和声を形成しながら、“主題”の変奏が展開していく。第一弦楽群が奏でる“主題”と、遠くから聞える第二弦楽群との交響が、弦楽クヮルテットへの橋渡しの役割を果たす。そして、弦楽クヮルテットが明解な“主題”を演奏し、深く瞑想的な雰囲気の中、2つの弦楽群と弦楽クヮルテットの合奏により、曲は和声の力を大きく増していく。やがて、次第に2つの弦楽オーケストラの力が解放され、短い祈りを唱えるかのようなヴァイオリンのソロにより、曲は静かに閉じられる。

トマス・タリスの原曲には、“Why F’umth in fight(なぜ神は怒りたまうか、Koichi Kagawa訳)”という副題があるため、この曲は荒々しい情感を表すものであるとされる。しかし、ヴォーン・ウィリアムズは『トマス・タリスの主題による幻想曲』に激情込めるのではなく、教会の聖堂で歌われる聖歌のように、トマス・タリスの“主題”を弦楽によって深く広く遠くへと響かせる。それが、キリスト教、それもイングランド国教会の秘儀への知見に乏しい私にさえ、荘厳な弦楽が作り出す残響の中に、ヴォーン・ウィリアムズの敬虔な祈りの声を聞くのである。

■ヴォーン・ウィリアムズによるチューダー朝への懐古と田園風景

また、この曲を聴くと、緑に覆われたなだらかな丘に草を食む羊たち、そして、海風に吹かれ、黄金色の麦の穂がたおやかに揺れるイングランドの田園風景が目に浮かぶ。それが、何故か懐かしさを感じさせるのは、田畑を耕し、収穫を祝福する人々の心情に通底するものが我々日本人にもあるのであろう。それが、ヴォーン・ウィリアムズの音楽に聞く祈りの声を通じて、覚醒されるのではないか。信じる神は違えども、豊穣を祈る民の声には違いはなく、信仰の度合いには遜色がない。そのような精神性が、ヴォーン・ウィリアムズが愛したイングランド民謡の調べと、彼が懐古した16世紀チューダー朝の音色を通じて蘇るのである。

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■“本歌”と“本歌取り”作品の聴き比べ

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トマス・タリスの“主題”である、『大主教パーカーのための詩編曲』の第三曲、俗に言う“Third Mode Melody”あるいは“Third Tune”を聴いてみよう。紹介するのは、ポール・ヒラー(Paul Hiller)が指揮するシアター・オヴ・ヴォイス(Theatre of Voices)の演奏である。トマス・タリスの原曲の“なぜ神は怒りたまうか”という副題が示す、激情が良く出ている演奏である。

一方、ヴォーン・ウィリアムズが“本歌取りした”『トマス・タリスの主題による幻想曲』はどうか?サー・アンドリュー・デイビスが、この曲が初演されたグロースター大聖堂で名門BBC交響楽団を指揮した貴重な記録がある。この映像から、弦楽群が教会堂列柱を左右にして、聖歌壇近くに一群、それと反対側の身廊に別の一群、そして、北の回廊に弦楽クヮルテットを配置しているのが分かる。これは、ヴォーン・ウィリアムズ指示した通りの配置形である。

4分割ヴォールトで装飾された、空に向かって伸びるような高い天井を頂く教会堂に響く旋律は荘厳そのものである。ゆっくりとした重厚な曲運びと教会特有の残響音が、この曲の神々しさを一層際立たせている。この演奏を聴いてみると、やはりヴォーン・ウィリアムズが目指したものは、16世紀の聖歌における響きであり、イングランド国教会の体制を固めた大主教マシュー・パーカーまで遡源して求められる、当時のイングランドの人々の普遍的な宗教精神の再現であったのだと思う。私が先に、『トマス・タリスの主題による幻想曲』が、イングランドの精神世界や、風土的・文化的背景を取り入れた“本歌取り”だと言った理由を、この演奏は雄弁に証言しているのである。

※1 “Fantasia on a Theme of Thomas Tallis”, (Ralph Vaughan Williams)
※2 Ralph Vaughan Williams (1872年10月12日-1958年8月26日), イギリスの作曲家。イギリスの民謡とチューダー朝の教会音楽を作風とする。イギリスの作曲家の長老として86歳の長寿を全う。『グリーンスリーヴズによる幻想曲』がつとに有名。
※3 VAUGHAN WILLIAMS Oboe Concerto・English Folksongs – Suite・Partita・Fantasia on “Greensleeves”・Fantasia on a Theme by Thomas Tallis (Vernon Handley) (EMI 0464)
※4 Fritz Kreisler (1875年2月2日-1962年1月29日), ヴァイオリニストで作曲家。作品としては『愛の喜び』と『愛の悲しみ』が有名である。
※5 “Fantasia on Greensleeves”, ヴォーン・ウィリアムズが作曲した1929年のオペラ『恋するサー・ジョン』の中で初めて登場する旋律を、弦楽合奏曲として独立させたもの。初演は1934年。
※6 『グリーンスリーヴズによる幻想曲』に取り入れられている民謡は、”グリーンスリーヴス”と、中間部に登場する”かわいいジョーン (Lovely Joan)”の2種類である。
※7 “高砂や この浦舟に 帆を上げて”で始まる能の作品。夫婦の愛と長寿を言祝ぐめでたい謡が有名。
※8 通称“真間の手児奈”。下総の国葛飾(現在の千葉県市川市)に住んでいたと言われる伝説の美女。男達の求愛に耐えかね、真間の入り江に入水したと伝わる。
※9 Thomas Tallis (1505年頃-1585年11月23日)
※10 “Third Tune for Archbishop Parker (Why F’umth in fight)”, 1567
※11 Percy Dearmer (1867年2月27-1936年5月29日)
※12 『English Hymnal』(1906年出版)
※13 Matthew Parker (1504年8月6日-1575年5月17日)

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