音楽さむねいる:(12)「レザンファン ギャテ」のフランス料理が想起させる、ドビュッシーの『小組曲』

テリーヌ=写真提供・Les enfant gâtés
連載:音楽さむねいる(12)

『小組曲』(1889年)(※1)、クロード・ドビュッシー(※2)(1862年8月22日-1918年3月25日)作曲、推薦録音:エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団(※3)

Koichi Kagawaの 音楽さむねいる

Koichi Kagawaの 音楽さむねいる

■代官山の静かな一角にある、“我儘育ちの子供達”という名の名店

東横線代官山駅の正面口から少し西に歩き、代官山駅入口交差点に立つと、目の前を八幡通が左右に走る。代官山のメインストリートとも言える旧山手通りに比べると、この通りの知名度はいささか低い。しかし、代官山アドレスやラ・フェンテ代官山などの複合施設を中心に、通りの両側にお洒落なレストランやブティックが立ち並ぶこのエリアは、代官山のスタイリッシュなスポットとして近年とみに注目を集めている。

その通りを並木橋の方へ歩いていくと、やがて本通りから分かれて左に下る坂道が見えてくる。大通りの喧騒を離れ、その坂道を数十メートル下った静かな一角に、目指すレザンファン ギャテ(Les enfant gâtés)(※4)はある。フランス語で“我儘育ちの子供達”という意味の言葉を店名に頂くこの店は、知る人ぞ知るフランス料理の名店である。

Les enfant gâtés お店の外観=写真提供・Les enfant gâtés

Les enfant gâtés お店の外観=写真提供・Les enfant gâtés

■コンセプトはアール・デコとミッド・センチュリーの融合

店の前に立つ。黒地に白く“Les enfant gâtés”と店の名が書かれた庇が張られ、その下には内部が見通せる大きな四つのガラス窓。それぞれの窓の上にはサン・シェードが小さく張られ、赤みがかった木を用いた鎧張りの壁と相まって、店の外観に瀟洒な印象を与えている。正面玄関の左側にある、少し右に湾曲した緩やかな階段を上ると、奥まったところにある入り口の片開き扉が私達を迎えてくれる。その表面には、風に靡く旗のような形状の磨りガラスが2枚張られ、粋な雰囲気が漂う。

扉を開けると、右手に数隻のカウンターを配したバーと小さな待合室がしつらえられ、そこには、ウォーレン・プラットナー(※5)デザインの椅子数脚が、ガラスのテーブルを囲んで置かれている。左側の通路の向こうには、数席のテーブルと、直線と曲線を巧みに組み合わせたアール・デコ調のガラス扉で仕切られた個室が見える。ドナルド・デスキー(※6)の手によるガラス・スクリーンが仕切る24席の小さな店内は、アール・デコとミッド・センチュリーのテイストが融合し、これから供されるディナーへの期待感をいやがおうにも高めていく。まさにここは都会の隠れ家。

お店の内装=写真提供・Les enfant gâtés

お店の内装=写真提供・Les enfant gâtés

■アミューズ・ブーシュ:第一楽章「小舟にて」 燻製の鮭のリエット

料理が供される。アヴァン・アミューズに続いて、シャパンの泡に透けて見えるのは、肉ではなく燻製の鮭のリエット。薄い肌色のペーストをバゲットに乗せて味わう。柔らかく、実にクリーミーなベースの中に鮭の燻製が仄かに香る。このアミューズ・ブーシュとシャンパンのハーモニーが、ドビュッシーの『小組曲』第一楽章「小舟にて」を想起させる。至福の時の序曲=ウベルチュァ(Ouverture)である。さざ波を表すかのようなハープのアルペジオに乗って、フルートのソロがアンダンティーノのリズムで、柔らかな舟唄風の主題を奏でる。緩やかに波打つ入江に、乗り人を待つ手漕ぎの刳舟(くりぶね)が一艘、波の動きに身を委ねている。強さを抑えた木管楽器と弦楽器が穏やかな水辺の風景を描くとほどなく、柔らかなリエットが口の中でとろけていった。

お店の内装=写真提供・Les enfant gâtés

お店の内装=写真提供・Les enfant gâtés

■アントレ:第二楽章「行列」 20種類の野菜をプレスした鮮やかなテリーヌ

さて、ドメーヌ・ドゥ・マージュの白と共に、アントレはテリーヌの登場である。常時9種類以上も揃えたテリーヌは、この店のスペシャリテ。その種類の多さについ目移りしてしまう。活オマール海老と地鶏のササミのミキュイ・オリエンタル風、地鶏と豚足でアレンジしたフロマージュ・ド・テット、帆立貝のグリエとアーティチョーク、フレッシュチーズの燻製をかけたクレームフェッテと胡桃のヴィネグレットソース、ナチュラルに仕上げたフランス産 鴨フォアグラ ブリオッシュ・トースト添え、鴨コンフィ白インゲン豆煮込み ラングドック地方のカスレのイメージで(※7)と枚挙にいとまがない。アントレにしてプラ(メイン・ディッシュ)の役割も果たす逸品達である。

中でもひと際目を引くのは、20種類の野菜を何のつなぎも入れずにプレスした、実に鮮やかなテリーヌである。それは、印象主義の画家達が用いた色彩分割法(※8)のように、統一感のある一品ながら、中では一つ一つの野菜が色彩を競っている。直径十数センチの台形の中に、宝石のように輝く原色が散りばめられたこの一皿は、目で味わうに足る美しさを湛えた小宇宙のようだ。これらは、天才シェフ松澤直紀氏の遊び心に満ち、それは、まさにシェフの“我儘育ちの子供達”である。

テリーヌ=写真提供・Les enfant gâtés

テリーヌ=写真提供・Les enfant gâtés

この小気味よい一皿が奏でる音楽は、『小組曲』第二楽章「行列」である。木管楽器の軽快なリズムに乗って、子供達が思い思いの色の服をまとい、軽やかに踊りながら行進して行く。可愛い行列のお通りである。飛び跳ねている子供。列を離れて石ころを蹴とばす子供。別の子供と戯れる子供… しかし、ばらばらに進んでいた行列はやがて合流し、光り輝く太陽に向かって歓喜の声を上げ、曲は完結する。これはまさに、全く異なる性格を持った野菜を凝縮し、一つの味に仕上げた野菜のテリーヌそのもの。レザンファン ギャテがLes enfant gâtésたる所以の一皿である。

<参考動画>
ドビュッシーの原曲である4手によるピアノ曲を、巨匠マルタ・アルゲリッチとクリスティーナ・マートンが聴かせる。

  • <Les enfant gâtés (レザンファン ギャテ)>
    東京都 渋谷区 猿楽町2-3
    Tel. 03-3476-2929
    Fax. 03-3476-2928
    LUNCH 12:00〜14:00 (Last order)
    DINNER 18:00〜21:30 (Last order)
    CLOSE 月曜定休
    月曜日が祝日の場合は翌日定休
    ウェブサイト  ⇒ http://terrine-gates.com/

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■プラ:第三楽章「メヌエット」 活きオマールとポワソンのア・ラ・ヴァプールに…

■プティ・フール:第四楽章「バレエ」 レザンファン ギャテの定番“シガーのエクレア”

■刻々と変化する空気と光を的確に捉え、分離し、再構築し、一皿一皿に還元する感性と技

■外連味なく美味快感に陶酔する、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏

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■プラ:第三楽章「メヌエット」 活きオマールとポワソンのア・ラ・ヴァプールに…

さて、テリーヌではしゃぎまわった後は、活きオマールとポワソンのア・ラ・ヴァプールに赤ワインソースとバジルのエキューム。大人のメイン、はジャン・マルク・ミヨのブルゴーニュ・ルージュで頂く。曲は第三楽章、しっとりとした「メヌエット」の登場である。繊細な木管楽器の旋律に促され、弦楽器が優しい調べを歌う。古風な舞曲が、ルイ14世時代の名残り香を漂わせるようにゆったりと流れる中、料理の方もフランス料理の王道を行く。濃厚なソースに包まれたはじけるようなオマールと新鮮な白身魚のデュオが、優雅な踊りを口の中で披露する。パリの宮廷で繰り広げられた、古き良き時代の舞踏会に想いを馳せながら、ドビュッシーはこの楽章を書いたのであろうか。第二楽章の軽快さと、次の第四楽章のメリハリの効いたリズムの華やかさの中間で、ちょうど居心地のよい位置を占めているのが「メヌエット」である。

レザンファン ギャテのコースでは、この楽章に当たるのがプラというのが面白い。この店のスペシャリテであるアヴァンギャルドなテリーヌを楽しんだ後は、やはり“クラシック”に戻るのがよさそうだ。“我儘育ちの子供達“も、たまには躾が必要ということか。これまではしゃぎまわっていた子供達も、おばあさんには抗しがたいと見え、やけにしおらしくなっている。だが、それもつかの間。また子供達の悪戯心が頭をもたげて来る。

■プティ・フール:第四楽章「バレエ」 レザンファン ギャテの定番“シガーのエクレア”

「バレエ」と題された第四楽章は、まさに子供達が跳躍するような、活力にあふれた二拍子の曲である。その活き活きとした主題からは、祭りの情景が目に浮かぶ。曲の途中で円舞曲(ワルツ)風の旋律がゆっくりと奏でられ、やがてまた元の二拍子の主題に戻り、最後は鮮やかな管弦楽の合奏で劇的に曲を締めくくる。デセールの後に出されるプティ・フールは、これもレザンファン ギャテの定番“シガーのエクレア”である。大人の指より少し太く長めのエクレア数本が、数種類のソースを伴って供されるのがこの店のお決まり。華やかな宴の最後を飾るリズミカルな第四楽章「バレエ」とこのプティ・フールは、遊び心に溢れて実によく似合う。

■刻々と変化する空気と光を的確に捉え、分離し、再構築し、一皿一皿に還元する感性と技

ここでは、店の提供する料理の持つ元価値、即ち“intrinsic value”としての味や色形を、ゲストが単にどのように感じ、一方的に受容するかが重要なのではない。不二家の創業者のお孫さんであり、オーナーの藤井由美氏の細部に至るこだわり、天才シェフの松澤直紀氏の技、そしてディレクトゥール(Directeur)の黒澤浩樹氏を始めとするスタッフのホスピタリティが仕組んだ“企み=conspiracy”をいかに咀嚼し、的確な媒体で表現するか… その問いに答えるべく、私は躊躇なくドビュッシーの『小組曲』を選んだ。いささか古風でもあるこの曲に、光り輝く色彩感や叙情性を響かせるのはあくまでも聴き手である。レザンファン ギャテの一皿は、『小組曲』のように、聴き手でもあるゲストにも高度な感性と表現力を要求する、まことに知的な対話なのである。趣向をこらされた料理とワインを媒体として、舌のみならず五感を全開にしてこの店の空気を表現しようとする時、それはフランス印象主義の音でなければならないと感じる。料理の質感に重きを置いたオーソドックスなフランス料理ではなく、刻々と変化する空気と光の彩りを的確に捉え、原色に分離し、そしてそれを再構築し、テリーヌを始めとする一皿一皿に還元する感性と技は、まさにフランス印象主義のそれである。

■外連味なく美味快感に陶酔する、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏

ここで私の推薦する演奏は、エルネスト・アンセルメ(※9)指揮、スイス・ロマンド管弦楽団である。このオーケストラは、1918年にアンセルメによってジュネーブに創設された。もし、オーケストラにレストランのようにスペシャリテがあるとすれば、このスイス・ロマンド管弦楽団は、フランス料理、とりわけ、1970年代の“Nouvelle cuisine”(新しい料理)から1980年代の“Cuisine modern”(現代の料理)に至る潮流を得意とするオーケストラだと言えよう。それは、セルゲイ・ディアギレフ(※10)がパリに創設したロシア・バレエ団(バレエ・リュス)の専属指揮者として、ストラヴインスキー、ドビュッシー、ラヴェルなど、二十世紀の重要な作曲家の作品を多く手掛けた指揮者アンセルメが、半世紀に渡ってこのオーケストラに君臨したことと符合する。それゆえ、スイス・ロマンド管弦楽団は、現代バレエと、ロシアやフランス音楽を得意とするオーケストラとの名声を得たのである。

アンセルメは、当初三流のオーケストラであったロマンド管を徹底的に鍛え抜き、フランス風の華麗なアンサンブルを、近現代音楽やバレエ音楽を中心とするレパートリーに生かすことに成功した。彼はスイス・ロマンド管弦楽団を育て、その響きを独特の風味に仕立て上げた、言わばグランシェフである。実際、彼と“彼のオーケストラ”による『小組曲』を聴いてみると、レザンファン ギャテの一皿のように外連味なく、美味快感に陶酔する演奏だということがわかる。拍子の取り方、やや力を抑えた弦楽器、輝きを放ち鳴り響く管楽器… 決して精緻なユニゾンではないが、合奏におけるのりしろ=余白が却って響きの幅を深く大きくし、印象主義の芸術家が描くような、煌めく光と陰影の対比を印象付けている。やはり、ここでも専門性を持ったオーケストラの圧倒的な存在感を見せつけられた感じがする。

※1 “Petite suite” (Claude Debussy), 最初4手用のピアノ曲として作曲され、アンリ・ビュッセル (1872-1973) が後に管弦楽曲として編曲した。ここで取り上げるのは管弦楽曲版。

※2 Claude cDebussy : フランスの作曲家。フランスのサン=ジェルマン=アン=レにて生まれる。1972年、10歳の若さでパリ音楽院に入学。1884年、ローマ大賞を獲得しイタリアへ留学。半音階、不協和音、空虚和音を含む和声法などを用いて独特の作風を確立した。“印象主義”音楽の作曲家と位置付けられることが多い。代表作は『交響詩 海』、『牧神の午後への前奏曲』(以上管弦楽曲)、『2つの前奏曲集』、『子供の領分』、『映像第1集、2集』(以上ピアノ曲)やオペラ『ペレアスとメリザンド』等。

※3 ドビュッシー:バレエ音楽《遊戯》、管弦楽のための映像、小組曲(ビュッセル編曲)、クラリネットと管弦楽のための第1 (ユニバーサル ミュージック クラシックB00005LL8I)

※4 CLUB NYXグループが経営するフレンチ・レストラン。2007年オープン以来、テリーヌをスペシャリテに、イマジネーションと遊び心で料理を提供する。9年連続ミシュラン一つ星を獲得。東京都渋谷区猿楽町2-3 (Tel 03-3476-2929)

※5 Wallen Platner (1919年6月18日-2006年4月17日), アメリカのデザイナー。1960年代のモダニズムを代表する家具やインテリアを発表。アメリカ建築家協会の国際大賞を受賞。

※6 Donald Deskey (1894年11月23日-1989年4月29日), アメリカのデザイナー。アール・デコからストリームライン・デコへの発展期に、家具、インテリアやテキスタイルのデザインを手掛け、特にNYのラジオ・シティのインテリアは有名。

※7 Les enfant gâtésホーム・ページメニューより抜粋。

※8 明るい自然の色を再現するため、太陽光の7原色を混ぜずにキャンバス上に描く表現方法。絵の具を混ぜずに一筆ごとに色を乗せることで、明るく澄んだ色の集合体となる。

※9 Ernest Ansermet (1883年11月11日-1969年2月20日), スイスの指揮者、数学者。スイス・ロマンド管弦楽団の創立者兼指揮者として半世紀以上も君臨し、同楽団をスイス有数の楽団に育てた。

※10 Sergei Diaghilev (1872年3月31日-1929年8月19日), 二十世紀を代表するバレエ興行師。ミハイル・フォーキンやヴァーツラフ・ニジンスキーといった天才ダンサー兼振付師を自ら創設したロシア・バレエ団に擁し、ストラヴィンスキーやラヴェルにバレエ音楽を委嘱した。ストラヴィンスキーの三大バレエ『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』やラヴェルの『ダフニスとクロエ』はその代表作である。

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