音楽さむねいる:(18)華燭の典と音楽 (下)後輩の結婚式のためにフランクが書き下ろした作品

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連載:音楽さむねいる(18)

『ヴァイオリン・ソナタ イ長調』より第四楽章(1886年)

セザール・フランク(※1)作曲

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■ ヴァイオリンとピアノによるソナタの最高傑作

前回に引き続き結婚式の音楽ということで、私が是非とも紹介したいもう一曲は、ベルギー出身で、フランスで活躍した作曲家、フランクの『ヴァイオリン・ソナタ イ長調』より第四楽章である。この曲は、フランクと同じベルギーの後輩ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイの結婚式のために書き下ろされた作品である。

このイザイというヴァイオリニストは大変凄い人で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の前身の楽団でコンサート・マスターを務める傍ら、ソリストとしても活躍し、アメリカのオーケストラで指揮活動も行っている。また、イザイ弦楽四重奏団を主宰し、この楽団によってドビュッシーの『弦楽四重奏曲』が初演されている。その後、ブリュッセル音楽院の教授として後進の指導にあたり、彼の没後はその業績を記念して、現在のエリザベート王妃国際コンクールの前身であるイザイ国際コンクールが創設されている。

年下とはいえ、このような大ヴァイオリニストに対して、フランクは大いなる尊敬の念を抱いていたことであろう。この大きな規模のヴァイオリン・ソナタは、同郷の大ヴァイオリニストであるイザイの結婚式に献呈する曲として、当時64歳のフランクが渾身の力を振り絞って書いたものである。

ルノー・カピュソン(Renaud Capuçon)のヴァイオリンとカティア・ブニアテシヴィリ(Khatia Buniatishvili)のピアノによる名演

■ フランクの“話法”

四楽章から成る『ヴァイオリン・ソナタ イ長調』は、フランクの独特の緻密な“話法”によって構成されている。それはまず、第一楽章の第5小節でヴァイオリンがゆっくりと奏でる主題が形を変え、続く楽章全てに現れる“循環形式”を採っていることである。各楽章にはそれぞれの主題が提示されるが、第1楽章の主旋律によってそれらが有機的に結びつけられ、一つの大きな流れを形成するように曲が展開し、全曲を通しての一体感を醸し出す効果を担っている。

第一楽章の冒頭は、4小節のピアノの独奏の後に、ヴァイオリンによって第一主題が演奏されるが、ピアノの属九の不協和音がどことなくけだるい感じを漂わせている。第二主題はピアノで演奏され、感傷的な表情を見せる。第二楽章では、“Allegro”(速く)の指示と、主題の冒頭に休符が置かれることにより、ヴァイオリンとピアノの情熱的な協奏が、ニ短調の楽章全体に切迫した雰囲気をもたらす。第三楽章は、“Recitativo-Fantasia”という標題がついているが、“Recitativo(レチタティーヴォ)”とは、オペラのアリアなどの旋律の間に置かれる独唱部分で、叙唱とか朗唱と呼ばれ、旋律によらない状況説明などに用いられる。それに“Fantasia”という語が付随されているため、“幻想的な叙唱”と訳すことができよう。第一楽章の主題を、ピアノの分散和音の中であたかも自由に浮遊するかのように、もの悲し気に歌うヴァイオリンの語りが印象的である。第三楽章の後半では、第四楽章の主題を予告しながら、静かに曲が閉じられる。

次に特徴的な“話法”は、ピアノが単なる伴奏ではなく、ヴァイオリンと対等に二重唱を歌い上げるかのような役割を果たしていることである。グリーグの「トロールハウゲンの婚礼の日」のように、ピアノの右手と左手が、あたかも夫婦の会話を象徴している如く、フランクの『ヴァイオリン・ソナタ イ長調』では、ヴァイオリンとピアノがその役割を演じている。そのため、性格の違うこの二つの楽器が同様の旋律を奏でることにより、イザイ夫婦へのオマージュを表現しているようだ。それは、次の第四楽章で顕著になる。

■ 華麗なる第四楽章-幸福のカノン

第四楽章は、ピアノが美しい平和的な旋律を奏でると、即ヴァイオリンがそれを引き継ぎ、なぞっていくことで始まる。そして、第一楽章から第三楽章の主題が変奏され、やがて華麗なフィナーレに昇華していく。フランクは、この楽章の随所で“dolce cantabile”(ドルチェ・カンタービレ=優しく歌うように)、“sempre cantabile e molto”(引き続き歌うように、そして強く)というように、“cantabile”を使った発想系指示を与えている。まさに、同じ旋律を、二つの楽器が優しく歌うように、掛け合いながら展開するカノンの語法は、夫婦が幸せな会話を楽しんでいるかのような気分にさせてくれる。

第一楽章で見せたもの憂げな表情、第二楽章の蠢くような感情の起伏、そして第三楽章の哀しく沈んだ印象が一転して、第四楽章では至福に満ちた情景が描かれる。それまでの悲しみや苦しみが第四楽章で回想されるが、それらを超越した先にある、穢れなき天上の世界へ誘うようなヴァイオリンとピアノのロンドは、我々の心を打つ至上の美しさがある。そして、一つの頂点を形成する第四楽章の175小節目でピアノが華やかに打ち鳴らすのは、教会の結婚式の鐘。直後、再びこの楽章の第一主題に立ち帰った後、ヴァイオリンとピアノが歌い上げる喜びが一気に昇華し、この曲は大団円を迎える。

※アイデアニュース有料会員(月額300円)限定部分には、生涯つつましく謙虚で敬虔なカトリック信者であったフランクの生涯についての解説を掲載しています。

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■ フランクの不遇とその音楽に流れる高邁な精神

■ フランクへの定まらぬ評価の理由

■ 結婚式のBGM

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■ フランクの不遇とその音楽に流れる高邁な精神

『ヴァイオリン・ソナタイ長調』第四楽章の華麗で情熱的なフィナーレとは反対に、フランクは、生涯つつましく、謙虚であり、敬虔なカトリック信者であった。彼の音楽家としての人生は、教会のオルガニストとして、パリ音楽院の教授として、そして、『ヴァイオリン・ソナタイ 長調』(イザイの名演の影響もあり、好評を博した)と『交響曲 ニ短調』(不評を買った)によって脚光を浴びたこと以外は、至って地味で目立たないものであった。むしろ、当時の音楽家達からは、徹底的に無視され嘲笑された存在だったようだ。

ただし、彼の音楽に対する真摯さは、神に対する信仰に比肩されるものであった。言葉を変えれば、フランクは、高邁な精神を持つ音楽の使徒であったとも言える。それは、『交響曲 ニ短調』が、当時の高名な人物のためにではなく、故郷で療養する彼の弟子のために作曲されたということからも伺えよう。

彼の生前に理解された数少ない作品の最後のものは、彼が68歳の1890年4月に初演された『弦楽四重奏曲』であった。それまであまりにも長く不遇をかこっていたため、初演が終わり、聴衆が何故拍手喝采をしているのか、当初フランクには理解できなかったという。だが、運命とは残酷なもので、彼はその年の11月に亡くなってしまう。

皮肉なことに、生前には全くと言ってよいほど理解されなかったフランクであるが、死後、彼の作品は称賛を受け、各地での演奏会は大成功を収めた。現在では、フランクはベルギーを代表する作曲家であるのみならず、フランス近代音楽の巨匠としての地位を確固たるものとしており、彼の作品やその底流に流れる高い精神性は、世界中で根強い支持と高い評価を受けている。

■ フランクへの定まらぬ評価の理由

このことから、何故フランクの生前に、彼の作品が正当な評価を得ることができなかったかを考えると不思議でならない。その理由として推測されるのは、まず、フランクがフランスではなく、ベルギー出身であったことである。当時、フランス文化圏にあっては、フランスの国籍を持ち、フランス、殊にパリで活躍する音楽家のみが、“正当な”権威を与えられていたという事情があったのではないだろうか。確かに、フランクは一時的にフランスに帰化していた時期があるが、成人してから国籍保有要件を満たさなくなり(それまでの国籍は期限付きであった)、再度国籍取得の申請を余儀なくされている。

また、もう一つの理由として考えられることは、教師としての彼の影響力の強さから、フランクの好むと好まざるにかかわらず、彼の弟子達が一派を形成したということである。即ち、“フランク一派”による師匠に対する絶大な人気と、彼に対する盲従に起因して、“フランク一派”以外の他者との軋轢があったことは想像に難くない。つまり、“純粋”で“正統”なフランス音楽を継承していると自認する音楽家からの、いわれなき攻撃(無視)が常に存在したし、フランクの人気に対する彼らの嫉妬が、彼の作品に対する評価を定まらぬものにしたのである。それは、当時のフランス楽壇における排他性を象徴している出来事であった。

■ 結婚式のBGM

さて、私がこの2曲を結婚式のBGMに贈りたい理由は、その作品自体の美しさは勿論であるが、何よりこの稀有な作曲者達が、その愛する者や敬意を表する人の結婚式のために、それぞれ独自の語り口によってこの上ない祝福を表現しているからである。その旋律は、結婚という厳かな儀式を荘厳するにふさわしい“格式”を備えている。

結婚式は“華燭の典”とも言う。“華燭”とは、華やかな灯(ともしび)のこと。燃え盛る炎に託して愛を誓い、お互いを気遣いながら年月を重ねていく。その式典に相応しいと思える曲が、グリーグの「トロールハウゲンの婚礼の日」とフランクの『ヴァイオリン・ソナタイ 長調』第四楽章である。この二曲に共通するのは、作者の静謐で誠実な生き方と敬虔な祈りが、それぞれの美しくい旋律に憑依し、時には優しく、時には激しく、生命の炎を燃やすが如く歌い上げていることである。

依頼された約二時間のBGMは、この二曲だけではカバーしきれないが、私からの祝福のメッセージがそれぞれの曲に秘められた“物語”を通してお二人届き、末永くその人生に寄り添うものになることを願ってやまない。

※1 César Franck (1822年12月10日-1890年11月8日)、ベルギー出身の作曲家、オルガニスト、教育家。フランスで活躍し、『交響曲 ニ短調』、『ヴァイオリン・ソナタ イ長調』、『弦楽四重奏曲 二長調』などがある。

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