【こんな時だからこそ、舞台の話をしよう】「舞台芸術を愛する心を誇りに」

帝国劇場の入り口の『エリザベート』の文字=撮影・南 里佳

新型コロナウイルスの患者急増に伴う非常事態宣言が出され、ミュージカルや演劇・音楽・ダンスなどの舞台公演が中止・延期となっています。舞台は、人が生きて行く上でとても大事なことを教えてくれるもので、こんな時こそ「あの舞台のあの場面を思い出して頑張ろう」という話がしたいし聞きたいと思い、アイデアニュースで特別企画『こんな時だからこそ、舞台の話をしよう』を実施させていただくことになりました(https://ideanews.jp/backup/archives/90010)。応募してくださった作品の中から、第1弾として、ハンドルネーム:南 里佳さんの文章と写真を紹介します。

イメージ=Pixabayより

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■中学生の時に初めて観たミュージカル『テニスの王子様』。合唱部にいた私の憧れに

中学生の時に合唱部の先輩から教えてもらった作品がミュージカル『テニスの王子様』(以下テニミュ)でした。先日のツイッターでのハッシュタグ#テニミュよ集えを使ってのテニミュ出演者の皆さんのメッセージも記憶に新しいかと思います(https://25jigen.jp/news/24977)。

現在も絶大な人気を誇るいわゆる「2.5次元ミュージカル」の先駆けとなった『テニスの王子様』が私の初めてのミュージカル体験でした。ミュージカルのミの字も知らない当時の私は、役として歌うということはわかっていなかったと思います。それでも客席を巻き込んで、会場全体の空気を作る歌が好きになりました。その中心にいる人たちが合唱部にいた私の憧れの存在になりました。自分と年の近い俳優さんたちが1万人規模のホールで大歓声を浴びる。そんな姿が当時の私に夢を与える存在でした。

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■テニミュに出演していた古川雄大さんが『エリザベート』に出演、初めて帝国劇場へ

大学生になった私はミュージカル『エリザベート』に出会いました。テニミュに出演していた古川雄大さんが出演すると知って初めて帝国劇場に足を踏み入れました。

求めている自由が手に入らない。誰も死からは逃れられない。そんな苦しみの中に生きる人のエネルギーが会場中に満ちていくのを感じました。生のオーケストラ、コーラスの深みに圧倒され帝劇という空間が好きになりました。私の一回り上くらいの若手の方ばかりではなく、私が生まれる前からミュージカルに出演しているようなベテランの方もいる。そんな作品を見るのは初めてで、キリスト教系の大学に進学し聖歌隊に所属した私が新たな歌を知りました。

テニミュの経験者が出演する作品ならもっとたくさんあるのに、なぜその中でエリザベートだったのか。そこには母の影響があると思います。私がテニミュを知った頃に母はミュージカル『レ・ミゼラブル』を知りました。一つ屋根の下で暮らしている以上、互いにどんな作品が好きか薄々は感じてしまうものです。私が高校生になる頃に母は地元のミュージカルサークルに入りました。そこでのエリザベートの発表を見に行ったことがあります。正直高校時代までそういった作品は敷居が高いと思っていました。しかし元々ピアノや合唱の経験を通してクラシック音楽には馴染みがあったので、見たらすんなりと受け入れてしまいました。音には厚みがあり、温度があり、重さがある。私が演奏するうえで言われ続けてきたことを実感する作品でした。こんな風に歌ってみたいという憧れの存在が、深く壮大な音楽が、必須栄養素のように私にとって必要不可欠なものになりました。20周年記念公演が中止になったことは未だに実感が湧きませんが、多くの人に愛される作品が永遠に絶たれることはないと信じて待っています。

帝国劇場の入り口の『エリザベート』の文字=撮影・南 里佳

帝国劇場の入り口の『エリザベート』の文字=撮影・南 里佳

■人間でないものの孤独『フランケンシュタイン』の加藤和樹さん。初めて遠征、昼夜観劇…

大学を卒業後、就職してからもミュージカルに通い続けた私は大切な人と出会いました。加藤和樹さんです。テニミュで知ってはいましたが、ずっと会う機会がありませんでした。今では日比谷で誰もが知ってる人に初めて出会ったのは3年前、ミュージカル『フランケンシュタイン』の初演でした。

この人のためなら死さえ喜びに変わる、狂気とも言えるほどの信頼。世界でただ一人、人間でないものとしての孤独。私には絶対に生まれないだろう感情が傷だらけの全身から溢れていました。もはや中毒になって、関東に住む私が初めて遠征しました。初めての昼夜観劇、出演者の方への手紙、そして初めて加藤さんの地元名古屋に降り立ちました。今年の再演でも初めて梅田芸術劇場に足を踏み入れ大千穐楽を観劇しました。一つの作品でこれほど多く観劇回数を重ねたことがなく、毎回違うものが生まれる瞬間を目にしてきました。地方公演も含めロングランの作品で、加藤さんは初演からの続投。それでも毎回新鮮な気持ちで演じることは決して簡単ではないと思います。

舞台上にある世界に生きてること、作品が終わっても役が心の中に生きていることを感じました。時に狂気さえ感じるほどの純粋さ、挑戦を続ける貪欲さに驚かされるばかりです。加藤さんを通じてたくさんの大切な作品に出会えました。新しい作品を見るたびに新しい加藤さんと出会える。私の日々に刺激、彩りをくれる人。テニミュでミュージカルを好きになって、歌の力を信じ続けてきた私が加藤さんと出会えたことが誇りです。

日生劇場前に掲げられた『フランケンシュタイン』のポスター=撮影・南 里佳

日生劇場前に掲げられた『フランケンシュタイン』のポスター=撮影・南 里佳

■未知のウイルスが蔓延する中、思い出す楽曲は『マタ・ハリ』の「普通の人生」

未知のウイルスが蔓延する中、思い出す楽曲は、加藤さんも出演したミュージカル『マタ・ハリ』より「普通の人生」です。戦場で負傷したアルマンが、愛する人とともに「普通の人生」を送ることを願う歌です。

今、世界中で、誰もが憧れるだろう「ありふれた暮らし」がいとも簡単に奪われることが証明されています。普通、平凡であることこそが最高の幸せだと、否が応でも気づく状況になってきています。そうなって初めて「普通の幸せ」を「ちっぽけすぎて嫌っていた」自分を顧みることができる。そんなアルマンの姿に自分を重ねた人も多くいたと思います。そんな後悔や恥が決して自分だけではなかったことに気づくことができる作品だと思い紹介させていただきました。この曲と出会った身として平凡な日常が戻ることを共に祈り続けたいです。大切な人の「普通の幸せ」を祈ることができる自分でいたいです。好きな作品を見てその価値を体感できることが「普通の幸せ」の範疇であってほしいと願います。加藤さんは2018年に自身のライブツアーでも披露しています。(Kazuki Kato Live “GIG” TOUR 2018 ~Ultra Worker~

こちらは、ミュージカル『マタ・ハリ』の公式ページならびにYouTubeの梅田芸術劇場チャンネルに掲載されている『ミュージカル「マタ・ハリ」舞台映像<アルマン加藤和樹、ラドゥー佐藤隆紀>』です。

※アイデアニュース有料会員限定部分には、南 里佳さんの作品の全文と写真を掲載しています。

<有料会員限定部分の小見出し>

■ミュージカルの中で必死に生きる人たちの姿は変わらない。それが自分の指標になる

■「芝居やダンス、歌は、自分が好きでい続ければ離れていかない」(平間壮一さん)

■舞台に関わる人への感謝は当たり前に持てるものではない。舞台芸術を愛する心を誇りに

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■ミュージカルの中で必死に生きる人たちの姿は変わらない。それが自分の指標になる

ここまで書いてきた通り、私は音楽と出会いミュージカルと出会って今があります。合唱をやってるだけでは出会えない歌がミュージカルにはありました。美しく響かせること、正確な音程とタイミングを必要とする合唱。音符に囚われず感じたまま声にする。たとえそれが綺麗に響かないとしても感情をそのまま歌にすることを追求するミュージカル。歌の中に演じることを加えるとこんなに奥深い、幅広い表現が生まれる。私が経験してきた歌は数ある音楽のうちの一つに過ぎない。音楽にもっと多くの可能性があることを教えてくれたのがミュージカルでした。多彩な音楽が表現の幅を広げ自分にない感情を知るきっかけになる。加藤さんが身をもって伝えてくれたインタビュー記事でのコメントを引用します。

「ミュージカルでは、自分の得意な歌い回しや癖を抜いていかなけれないけないので、最初は難しいと思っていましたけど、役に入ることで、自然とできてくるようにはなりました。逆にミュージカルを始めてからは、発声の仕方や声帯のコントロールも出来るようになって、自分の楽曲を歌う時に活かされることも多くなってきました。「こういう風に声を出したい」という自分の中のイメージを、技術的な面で支えられようになったことは非常に大きいです。」(マイナビニュース https://news.mynavi.jp/article/20180720-katokazuki/2

大学のゼミの教授から伺った言葉があります。「自分を取り巻く環境、時代は変わる。その中で自分自身も変わる。だから変わらないものを自分の中に持っていると指標になる。」翻訳のゼミでしたが、教授はイギリスの詩や小説を専門に研究していました。文学作品の内容自体は何年たっても変わりません、そんな作品を読んだ時に感じるものが以前と変わっていたら、それは自分が変わったから。ミュージカル作品にも同じことがいえると思います。私にとってはカタルシス的な役割を果たしてくれるものです。想像もできない大きな苦しみの中でも必死に生きる人たちの姿に力をもらっています。今はどこの劇場も公演を中止していますが、日常の中で感じる悲しみや苦しみを忘れさせてくれる。私が普通の人生を思い出したように、自分の置かれた状況が今まで見てきた作品の一部と似ていると思い出す。自分を客観的に見るために必要な作品と出会えました。

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■「芝居やダンス、歌は、自分が好きでい続ければ離れていかない」(平間壮一さん)

家で繰り返し見ることができるDVDがあっても声の深み、温度、次々変わる目の色は同じ空間にいないとわからないものです。劇場で多くの素晴らしい作品に出会えたから、今こうして劇場の復活を祈り続けています。10年以上前にミュージカルと出会ってから今、いろんな意味で予想していなかった未来にたどり着いています。確かにそんな経験がなくても生きていけるかもしれない。それでも作る側にとって、できるはずだった挑戦、憧れの人と舞台で対峙するはずだった作品、すべてが絶たれてしまった。ずっと積み重ねてきた時間がなかったことになってしまうことには、言葉にならない絶望があると思います。広義で言えばステージに立つ側も経験してきた私は、お客様が入って初めてできる歌があるということを体感してきました。観客なくして舞台作品は完成しないという感覚も知ってきました。だから作る側の思いを見過ごすことはできません。いつか必ず報われることを祈り続けます。

公演ができるのが当たり前ではないという今の状況を経験して作る作品は、より届けたい思いにあふれていると思います。同じ状況を過ごしてきた私も限られた時間の中で舞台作品から多くのことを学び糧にしたいと思います。それは愚かさも醜さも、その中にある美しさもすべてが揃ってこその人間なのだということ。時間が経つと忘れそうになるから、必ずまた得られると信じています。

そして私と同じように舞台から多くのことを学び舞台芸術を必要とする人がたくさんいます。2018年に観劇したミュージカル『ゴースト』のパンフレットで平間壮一さんが仰っていたことを思い出したので引用いたします。

「芝居やダンス、歌って、嫌いになったら離れてなくなってしまうかもしれないけど、自分が好きでい続けさえすれば離れていかないものだと思うんです。(中略)亡くなった人を思う時って、どこか芝居やダンスに対するのと同じ感覚というか。つまり、自分が「その人が側にいてくれる」と思えばいるし、いないと思えばいなくなってしまう。」(ミュージカル『ゴースト』2018年8月~9月 パンフレットより)

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■舞台に関わる人への感謝は当たり前に持てるものではない。舞台芸術を愛する心を誇りに

演劇も過酷な状況にある今、信じる力を問われていると思います。いつまで続くかわからない惨禍の中で、好きなものを好きでいられる保証もなくなってきています。それでも私は音楽から大切なことを学んだ過去があるから、それが続く未来を望んでいます。音楽とともにある時間をなかったことにしたくないから。

劇場の復活を祈るすべての人たちへ、それだけ舞台を愛する自分の心を誇ってもらいたいと思っています。舞台芸術を愛する心、そこに関わる人への感謝は当たり前に持てるものではないと思います。私も、作品の伝えるメッセージを受け止められる心を誇りに思い、共に舞台を愛し続けたいと思います。

(ハンドルネーム:南 里佳)

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