新型コロナウイルスの患者急増に伴う緊急事態宣言は2020年5月末に解除されましたが、ミュージカルや演劇・音楽・ダンスなどの舞台公演が以前のような形で上演されるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。こんな時だからこそ「あの舞台のあの場面を思い出して頑張ろう」という話がしたいし聞きたいと思ってスタートしたアイデアニュースで特別企画『こんな時だからこそ、舞台の話をしよう』に応募してくださった作品の中から、ハンドルネーム:南 里佳さんの文章と写真を紹介します。南さんの文章と写真は、この企画の第1弾として『テニスの王子様』『エリザベート』『フランケンシュタイン』『マタ・ハリ』などについて書いてくださった「舞台芸術を愛する心を誇りに」を4月20日に掲載しましたが、「前回名前を挙げていない作品についても考えてみたいと思いました」とのことで再登場となります。今回はミュージカル『タイタニック』についてのお話を中心に書かれています。
新型コロナウイルスの影響で生活が変わり意識も変わる中で、職場の状況も変わりました。私は、都内のスーパーで仕事をしています。流通が乱れ、発注したものがいつ届くか分からない状況。ウェブ記事で見かけるような行為や暴言を浴びたことはなくても、災害時のような人出に、集団の恐ろしさを感じました。そんな中で思い出したのは、2018年に観劇したミュージカル『タイタニック』でした。
実際に起きた事故を描いたこの作品は、多くの人に愛され、教訓となる存在です。観劇する前にあらすじを聞いて感動する作品だと思っていましたが、それだけではなく、残酷さや希望の眩しさも感じられる多層的な作品でした。史上最悪と言われる海難事故を、悲劇にも美談にもしない。ただ起きたことをそのままに再現して、そこから何を感じますか、と問うような作品は初めてでした。
残された人たちの歌は、「still」から始まります。一等客でありながら救命ボートを譲り、船に残ったストラウス夫妻の歌です。ただ一人の愛する人を助けたい夫の願いに初めて逆らう妻。ある意味でのすれ違いは生死を分ける状況が二人に与えた変化。それでも最後まで互いへの愛を貫いた夫妻。極限の状況の中での最期を選んだのは、それだけの愛があったから。二人の集大成がこの曲だと思っています。残された僅かな時間で永遠の愛を誓う。展開を知っていても、毎回震えて聞いていたことを覚えています。
2018年版でアイダを演じた安寿ミラさんに、松島まり乃さんがインタビューした記事が、All Aboutに「『タイタニック』鎮魂の群像劇を演じる人々に訊く」として掲載されていますので、紹介します。
「きっとそれまで互いにいろいろなところで支え合ってきて、ここで離れて別々に死ぬより、一緒に死にたかったんだろうと思います。船の沈没までには時間がかかるので、亡くなるまでには物凄く苦しい時間がある。でも、この人と一緒だったらきっとその苦しみも乗り越えられると思ったんじゃないか、とトムは言うんですね。それほどの(強い)夫婦愛です」(中略)「最後の二人のデュエットは今回、トムから“死を選んだ二人にとっては結婚式のようなものだからハッピーに”と言われていて、だから指輪を交換したりする。その幸せそうな様子が涙を誘うというようにやりたい、ということなのですが、昨日の稽古では“ハッピーでいいんだけど、やっぱり怖さであったり、泣きも入れてほしい”と言われて、難しいなぁと感じています。自分が考えられる精いっぱいのところで、役を膨らませていけたらと思っています」(https://allabout.co.jp/gm/gc/475458/5/)
※アイデアニュース有料会員限定部分には、南 里佳さんの作品の全文と写真を掲載しています。
<有料会員限定部分の小見出し>
■感動的な「Still」で終わらせず、残酷な「Mr. Andrews’ Vision」で終わらせた意味
■命を軽く見ることは許されない。そう教えてくれたミュージカル座の『ひめゆり』
■緊急事態宣言、ごった返す勤め先のスーパー。バックヤードに貼り出されたのは…
■人間は弱く脆いと知ることで、初めて美しさが見えると、ミュージカルから学ぶ
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- 【こんな時だからこそ、舞台の話をしよう】人の気配・共感の空気が心地よい同時視聴 2020年6月11日
こちらはYouTubeの梅田芸術劇場チャンネルに掲載されている「ミュージカル『タイタニック』(2018)舞台映像ダイジェスト」動画です。
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■感動的な「Still」で終わらせず、残酷な「Mr. Andrews’ Vision」で終わらせた意味
でも、タイタニックの一生はそれだけでは終わらなかった。船に残ったのは決して美しい人ばかりではなかったから。そこで見た残酷な景色を再現する「Mr. Andrews’ Vision」。残されたわずかな時間で再び設計図に向き直ることを選んだアンドリュースが見たのは「醜い獣」のような「真実の姿」。
獣か虫けらのような人々の姿を目に焼き付けることが自分への報い。共に沈んでいくことが自分の運命。自分の夢としてここから離れたくなかった。引き金を引いた者として逃げるわけにはいかなかった。自分で穴を見つけてしまった以上、事実を受け入れるしかない。人の獣のような姿を見ても、自分に死が迫っても、糾弾しない。絶望して死を恐れたりしない。もう叫んでも抗っても仕方ない。生死を分けるような状況になったら、人も獣も変わらない。目の前で起きたことを後の世に伝えるだけの歌。実際再現されてないだけで乗客同士も争っていた。何より『タイタニック』が出来たのは、この人ありきという人が醜い姿を顕にする。偉業を成し遂げても聖人君子ではない。
ひたすらに感動する話にしたいのなら「Still」で終わらせればよかったのに、あえて残酷な曲で終わらせた。逃れられない業が人の数だけ乗っていたことを思い知らされる。誰にでも必ず同じように、死は訪れる。そして抵抗する。悲しい目をしてたのは、人の醜い部分を見てもそれが人間のすべてではないと思いたかったから。自らの責任も少なからずあること、目にしてきた獣性が人の本来の姿だと知ること、それを経て初めてあの時と同じ目でフィナーレを迎えることができる。死してなお失われない瞳の輝きが教えてくれました。
■命を軽く見ることは許されない。そう教えてくれたミュージカル座の『ひめゆり』
「極限の状況で見える人の本性」というテーマで考えていると、ミュージカル座さんで毎年上演されている作品『ひめゆり』を思い出しました。「ビリーさん」の愛称でおなじみの山口琇也さんが作曲、編曲、音楽監督を務める日本生まれのミュージカルです。第二次世界大戦の沖縄戦でひめゆり学徒隊として従軍することになった少女たちの物語。本年も10月に彩の国さいたま芸術劇場大ホールにて上演が予定されています。
緊迫した状況だからこそ起きる醜い争いと、人同士のつながりで多面的に戦争という状況を描く作品に『タイタニック』を思い出しました。作中で檜山上等兵が「戦争を見てきた」と、善悪の判断がつかなくなった自分の恐ろしさを訴えていました。敵味方関係なく殺してきた。もはや人の命を奪うことさえ快感に変わる。目の前で見てきた惨状よりそれを惨状と思わない心が恐ろしい。命とともに心も失われる。それこそが戦争の恐ろしさだと訴えていました。自分の心が戦争で変わっていたことに気づいた檜山上等兵は、なぜ若い少女たちまでもが戦争に巻き込まれなければいけないのかと疑問を抱き、生きてほしいという希望を託していきます。
一方で、ひめゆり学徒隊の母親的存在である上原婦長は「夢を語る」ことを忘れませんでした。自らがナイチンゲールに憧れて医療の道を志したことを話し、「あなたの夢を聞かせて」と少女たちに問いかけます。そうして希望がまだ息絶えていないことを確かめた時に、最後まで生き抜くために再び歩き出す。御国の為に死ぬことが美徳とされた時代に、生きることの尊さを説く作品でした。
今の状況に心が失われていくのは、確かに誰のせいでもない。だけど、人同士が傷つけ合わなくても命は簡単に奪われることが現在進行形で証明されています。死が身近にある今だから、命を軽く見ることは許されない。そう教えてくれる作品でした。
ミュージカル座の公式ページでは「『ひめゆり』(2010年版)DVD」が発売されています。
■緊急事態宣言、ごった返す勤め先のスーパー。バックヤードに貼り出されたのは…
私は緊急事態宣言以降もスーパーで仕事をしています。ニュースで目にした方も多いと思いますが、あの通り、人がごった返して荒れ狂う店で働いてました。空っぽになった棚を撮影する人達。品出しができないほど端までレジに並ぶ人達。災害時のような人出に、集団の恐ろしさを感じました。最近でもお客さん同士の争いがありました。2、3月の売り上げは1日分プラスされていました。誤情報を信じてなかった人にまで影響を与え、異常な速度でなくなった商品。流通が乱れ、発注したものがいつ届くか分からない状況。現在は営業時間を短縮し、かなり落ち着いてます。ウェブ記事で見かけるような行為や暴言を浴びたことはなくても、異常なまでの売上に全ては反映されています。
働いていて、会う人が変わってしまったと思ったことはありませんでした。ただ、自粛要請が出される前から、数えるほどですが理不尽なことを言われたことはありました。人が変わったのではなく、見えなかった部分が見えるようになったのだと思った時に、思い出した作品が『タイタニック』でした。
一方で、こんな時だからこそ営業してくれて、普段と変わらない対応をしてくれてありがとうという言葉をくれる人もいました。私の会社はチェーンストアなので、他の店にも同じように届いた感謝の言葉がバックヤードに貼り出されていました。私が就職してから初めての光景で驚きました。
■人間は弱く脆いと知ることで、初めて美しさが見えると、ミュージカルから学ぶ
ミュージカルは華やかな夢の世界というイメージはありますが、一方で人間の業の深さを描く残酷な作品もあります。それは醜さあってこその人間だと知ってほしいから。頭でわかっている事実を受け入れるのは、本当はすごく難しい。だけど今改めてそれを知る時が来た。死が迫って怯える人の姿から学ぶ時が来た。二度と同じ過ちを起こしたくないと思えるのは、人の恐ろしさを見てきたから。恐ろしいと思えるのは、愛があると信じているから。両方がなければ、今の惨状に一刻も早い終息を望むことはないと思います。人間は弱く脆いと知ることで初めてその中に美しさがあることが見えると思っています。今は体感することはできなくても、過去に見てきた作品から学ぶ時かもしれません。
劇場が再開したら、この惨禍を経て初めて見える世界が待っています。好きな作品に触れられることが当たり前ではないと知った私たちが受け止められるものは、より大きくなると思います。限られた時間の中で、多くのものを糧にできる自分になりたいと思います。
(ハンドルネーム:南 里佳)