【こんな時だからこそ、舞台の話をしよう】「日本の劇場は感情の共有が心地良い」

『1789 -バスティーユの恋人たち-』=撮影:O.F

新型コロナウイルスの患者急増に伴う非常事態宣言が出され、ミュージカルや演劇・音楽・ダンスなどの舞台公演が中止・延期となっています。舞台は、人が生きて行く上でとても大事なことを教えてくれるもので、こんな時こそ「あの舞台のあの場面を思い出して頑張ろう」という話がしたいし聞きたいと思い、アイデアニュースで特別企画『こんな時だからこそ、舞台の話をしよう』を実施させていただくことになりました(https://ideanews.jp/backup/archives/90010)。応募してくださった作品の中から、ペンネーム:O.Fさんの文章を紹介します。

■人生が百八十度変わった「日本のエンタメ」との出会い

私は日本で大学に通い、就職し、今社畜として日々奮闘している外国人です。そんな私がなぜ日本で舞台に通うのかについて、書いてみたいと思います。

まずは時を十数年巻き戻させてください。私は小学生で、沖縄より南にあるアジアの国に住んでいました。そこでは英語、中国語、それ以外…と、様々な言語が飛び交っていました。そんな場所ですが、友達との共通の話題は決まって日本のアニメでした。テレビで放送されていたデジモン、ポケモン、ドラえもん…思えばこの時から日本文化には親しみを覚えていたかもしれません。

そして、中学の時、『名探偵コナン』に出て来る五十音を使った暗号が解けなかったのを機に、日本語を習い始めました。しょうもない理由だと今思いますが、これが人生の分岐点だったと思います。なぜなら、日本語で作品を直に理解できる道に進んだからです。

そんな私が初めて見た日本の舞台は、中学生の頃画面越しで見たミュージカル『テニスの王子様』でした。アニメと漫画は見ていたのですが、それを再現したミュージカルがあると友人から聞き、ビックリした記憶があります。当時は『オペラ座の怪人』が大好きで見まくっていたので、「アニメのミュージカル…?」と驚きました。しかし見てみると、再現度の高さだけでなく、ストーリー展開のメリハリや楽曲のキャッチさなどで、一気にハマっていきました。まだ拙い日本語で友達と「勝ツンはヒョーテイ!」「負ケルのセーガク!」とか歌ったりもしました。

ミュージカル『テニスの王子様』のDVD=撮影:O.F

ミュージカル『テニスの王子様』のDVD=撮影:O.F

■日本で舞台に通うようになったキッカケ

そんな中、日本で舞台に本気で通うキッカケとなった加藤和樹さんに出会いました。初代の跡部景吾役ですが、初舞台とは思えないほどの演技と歌唱力と、何よりオーラに惹きつけられました。DVDがなかったら、私みたいに海外に住む人がその作品を知ることもなかったでしょう。生の舞台を見る前に記録の大切さをこの時痛感しました。

それからオタク活動しながら時が経ち、日本語の勉強も続け、進学のタイミングで日本への留学を決めました。大学生になってからも何作品かで劇場に足を運んでいましたが、「やはりミュージカルが大好き!」と決定的に思わせてくれたのは東宝ミュージカル『1789 -バスティーユの恋人たち-』の初演でした。昔画面越しで見ていた加藤さんの演技を初めて目の前で見た瞬間、生の演劇はDVDに残る記録より遥かに迫力があるだけでなく、感情がダイレクトに伝わってくると実感しました。音が雪崩れのように押し寄せ、視覚は舞台上に生きる役たちで満たされる。どこを見ても非日常が溢れる空間に衝撃を覚えました。それから、加藤さんの出演作は勿論、他の作品にも頻繁に行くようになりました。

『1789 -バスティーユの恋人たち-』=撮影:O.F

『1789 -バスティーユの恋人たち-』=撮影:O.F

※アイデアニュース有料会員限定部分には、O.Fさんの作品の全文と写真を掲載しています。

<有料会員限定部分の小見出し>

■日本の劇場に覚える「心地良さ」

■日本的な思考パターンはミュージカル向きだと思う

■日本オリジナルの作品がもっと見たい!

加藤和樹 関連記事:

⇒すべて見る

『1789 -バスティーユの恋人たち-』 関連記事:

⇒すべて見る

『フランケンシュタイン』 関連記事:

⇒すべて見る

『ファントム』 関連記事:

⇒すべて見る

『怪人と探偵』 関連記事:

⇒すべて見る

『チェーザレ』 関連記事:

⇒すべて見る

こんな時だからこそ、舞台の話をしよう 関連記事:

⇒すべて見る

ミュージカル『フランケンシュタイン』、ソウルにて=撮影:O.F

ミュージカル『フランケンシュタイン』、ソウルにて=撮影:O.F

※ここから有料会員限定部分です。

■日本の劇場に覚える「心地良さ」

日本に来る前もミュージカルを何度も見ており、日本に住み始めてからも、ニューヨークやロンドンで観劇する機会が多かったです。大好きな『フランケンシュタイン』を観に韓国まで飛んだこともあります。どこも最高で素晴らしかったですが、日本の劇場特有の心地良さがあるように感じました。

それはおそらく、日本の劇場は「感情を共有し合う」からだと思います。海外観劇で逆カルチャーショックを受けたのは、悲しい大ナンバーの後に湧く歓声の嵐でした。勿論、絶賛したいパフォーマンスなのは同意です。しかし、例えば『フランケンシュタイン』で怪物が絶望を歌い上げた後、周りが「ヒュー!」と叫んだり、指笛を吹きまくると、「話聞いてた?!」という気持ちになります。他の例を挙げると、『ジーザス・クライスト=スーパースター』でのジーザス拷問後も同様のことがありました。

日本に戻ると、その違和感の正体に気付きました。日本の劇場では悲しみを歌った大ナンバー後では、すすり泣きを隠すような力強い拍手が贈られます。勿論、賞賛の出し惜しみをしているわけではなく、楽しいナンバーの後には歓声が上がることも多い。感情の流れによって反応が違うのでしょう。賞賛を与えることではなく、舞台上と客席で感情を共有することで一体感生まれていると感じました。そのため、自分の中の感情と向き合うができ、居心地が良いのだと思います。

『Harry Potter And The Cursed Child』、ロンドンにて=撮影:O.F

『Harry Potter And The Cursed Child』、ロンドンにて=撮影:O.F

■日本的な思考パターンはミュージカル向きだと思う

日本語はほぼ子音で終わらないため、一音節でなかなか単語になり得ない。対して、子音で終わる英語や韓国語の歌詞を聞くと、日本語より遥か情報量が多いことがほとんどです。

例えば、『アナと雪の女王』の名曲に、「Here I’ll stand and here I’ll stay」<私はここに立ち、ここに留まり続ける>と強い意志を表す歌詞があります。日本語版のどこにあたるかと言うと、「何も怖くない」です。同じ七音節でここまで意味に差が実は出ています。または『オペラ座の怪人』の「The Phantom of the Opera is here inside my mind」<オペラ座のファントムはここにいる 私の頭の中に>は「The Phantom of the Opera そう あなたね」になっています。ここでも、クリスティーヌがファントムのことを幻影として考えている、という示唆が消えてしまっています。言語の構造上仕方ないので訳詞に文句を付けたいわけではないですが、勿体ないと思うことはあります。日本語自体はミュージカルの歌詞向きじゃないのかもしれません。

しかし、思考パターンでその分補う力があると思います。日常会話に欠かせない「空気を読む」力です。それが感情の共有を可能にしているのではないかと思います。

日本で暮らす外国人の多くが苦労するのは「本音と建て前がわかりづらい」「言葉の裏を読まなければいけない」ことですが、日本で生まれ育った方は(勿論個人差はあるが)そうするのが当たり前という認識の下育っているでしょう。「空気が読めない人」や「あえて空気を読まない人」は「空気は読むもの」という前提があるから存在するはずです。

それがどのように観劇に役立つのか。歌詞がシンプルな分、その裏に隠れた思いを汲んで解釈を楽しむ方が多いように感じます。この子はこう言っているけど、実はこうなのではないか。その台詞は、こういう潜在意識の表れではないのか。歌詞で明示できていないものが多ければ多い程解釈の幅が広がり、深みが増すように思います。

海外では全く言葉の裏を読まない、というわけではありません。私も高校の頃、シェイクスピアを読み、代表的なシンボルや比喩表現、台詞を分析する授業がありました。しかしそれはロジカルな手法だったと思います。欧米圏の方を喋るとわかりやすいですが、例えば会話では「今度遊ぼう」「忙しいから、来月誘って!」という風に、自分の意見と理由、解決策を言うことが多い。裏を読まなくても大丈夫で、むしろ主張しないほうがおかしい。対して日本では真逆の本音が付くことがありますよね。実際に当たっているかはさておき、常に「本当に言いたいことは?」を考える姿勢は、観劇の楽しさを倍増させてくれるものだと思います。私も日本にいる時のほうが良く考察している気がします。

ミュージカル『ファントム』=撮影:O.F

ミュージカル『ファントム』=撮影:O.F

■日本オリジナルの作品がもっと見たい!

日本のアニメなどで日本語を覚える外国人が多いので、その文化は大きな強みだと私は思います。そのため、日本国内で文化を軽んじる言論を観る度に悲しくなります。

昨年『怪人と探偵』を観させていただきましたが、森雪之丞さんが書かれた歌詞の日本語の美しさに感動しました。中でも印象深かったのは『人にはなぜ心なんかあるんだろう 悲しみで満ちる器になんかなるんだろう』という歌詞です。英語では比喩をする時、「器みたいになる」という言い回しになってしまいます。些細な違いかもしれませんが、詩的な表現が心に響きました。日本語ならではの繊細な感情の表現だと思い、大好きな作品になりました。

また、近年「2.5次元」も大きなジャンルになっていますが、その背景に「原作」の多さがあると思います。なのに「若手がやるよくわからない物」として語られることもあり、勿体なく感じています。2.5次元作品こそ、原作の豊富さから来る日本独自の作品が多く、それを追求することは素敵だと思います。

私自身もそうですが、日本の物語が大好きで日本語を覚えたり、日本に来る人は本当に多いので、原作の有無や劇場の大きさ問わず、また、2.5次元、グランドミュ―ジカル、ストレートプレイ関係なく、もっともっと日本オリジナルが増えたら嬉しいです。

なので、中川晃教さん主演の『チェーザレ』も中止になってしまったことが本当に残念でなりません。漫画を原作に据えた明治座の大プロジェクトを、是非いつかこの目で観たいです。そして、日本には果てしないポテンシャルがあると思うので、更なる多くのオリジナルが形になり、日本の文化に浸透してくれたらと願います。

世界中が大変なことになっていますが、またいつか劇場の心地良い一体感を堪能できる日を心待ちにしています。

新作ミュージカル『怪人と探偵』=撮影:O.F

新作ミュージカル『怪人と探偵』=撮影:O.F

(ペンネーム:O.F)

Follow me!

“【こんな時だからこそ、舞台の話をしよう】「日本の劇場は感情の共有が心地良い」” への 2 件のフィードバック

  1. みゆたん より:

    外国の方で、しかもいろんな国でミュージカルを観た事ある方にこのように感じて頂けるのは本当に嬉しいです!

  2. Chika より:

    なんて嬉しい
    そして書かれた方はなんと聡明な方でしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA