イエス・キリストが十字架にかけられるまでの最期の7日間を描いた『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』が、2021年7月12日から7月27日まで東急シアターオーブで上演(22日から24日の5公演は中止)され、2021年7月31日(土)からは大阪のフェスティバルホールで8月1日(日)まで上演されます。ミュージカル界のスーパースターたちの圧倒的な歌声が降臨しているステージの様子を、舞台写真と独自テキストでお伝えします。
序曲の第一音が鳴り、エレキギターが物語の始まりを告げます。暗転した劇場にライトが点滅し、音楽は予想以上にロック。かつて行ったロックのライブの記憶が身体に蘇り、「ミュージカルを観る」「ミュージカルのコンサート版を聴く」という状態とは別のモードに切り替わるのを感じました。ライトの点滅が激しくなり、前が見えなくなり、点滅しながら細く長くクロスする光が混ざり、次第に光源や光線は輪郭を失い、一面の光となっていきました。
ステージ上には、鉄骨と思しき素材でできた骨組みのセット。キャストは、この骨組みの上に「居る」状態で登場します。中央の高い位置には、玉座に太々しく位置するヘロデ王。下手の上部にはローマ総督のピラト。上手の上部には、ユダヤ教の大司教であるアンナスとカヤパ。より地上に近い位置には、ジーザス、イオカステのユダ、マグダラのマリア、ペテロ、シモンが並ぶ。そして、地上には、このシーンでは群衆を表すと思われるアンサンブルキャストたち。
物理的な高さで、地位の上下が直感的に伝わってくるオープニングでした。時空を超えた俯瞰的な視点で、「人物をマッピングした静止画」のようだと感じました。オープニングの音楽と共に、1枚の絵が登場したような感覚です。あたかも、ロックな文体で描かれた聖書の表紙が音楽と共に開かれると、そこには視覚的に登場人物たちとその関係性が紹介されている絵があったかのような。
「マッピング」のイメージを抱いたのには、もう一点理由があったように思います。鉄骨の骨組みは、四角いスペースでそれぞれが区切られています。「立場」や「肩書き」という社会的なアイデンティティによって、自らそれぞれの「檻」に閉じ込められているかのようでもありました。彼らは、序曲を合図に動き出します。歌に乗せて、それぞれの思いを語り、ぶつけ合いながら物語は進みます。
歌といえば、高音から低音にわたる音域の広さもこの作品の聴きどころです。作品が進むにつれてセットの鉄骨がだんだん、パイプオルガンの金属のように見えてきました。まるでロックな音を奏でるパイプオルガン。ジーザス「ゲッセマネ」の高音シャウトから、カヤパの低音まで、作品全体としての音域の広さの中に身を置くことができるのです。歌声は、天高くから降り注ぎ、地深くから鳴り響き、そして真正面から時に閃光として、時に柔らかな光として届きます。歌の高低差により、時空間が広がったように感じました。
※アイデアニュース有料会員限定部分には、キャストとキャラクターの魅力などについて詳しくレポートしたルポの全文と写真を掲載しています。
<有料会員限定部分の小見出し>
■人として描かれながらも神々しさのある、マイケルのジーザス
■魅力溢れる裏切り者、ラミンのユダ/心に語りかけてくる歌声、セリンダのマリア
■叩きのめす高音攻め、アーロンのアンナス/忍び寄る低音攻め、カヤパの宮原
■カウントで魅了、ロベールのピラト/ワンシーンで圧倒、藤岡のヘロデ王
■ジーザスへの気持ち溢れる、テリーのペテロ/高揚感ある歌声に熱狂、柿澤のシモン
■5万人もの群衆や十二使徒に変幻自在。10人のアンサンブルによる圧巻の臨場感
■音楽のキャッチーさが示唆しているのは、ジーザスの求心力かもしれない
<『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』>
【プレビュー公演】2021年7月12日(月)~7月13日(火) 東急シアターオーブ(この公演は終了しています)
【東京公演】2021年7月15日(木)~7月27日(火) 東急シアターオーブ(7月22日から7月24日の5公演は中止)(この公演は終了しています)
【大阪公演】2021年7月31日(土)~8月1日(日) フェスティバルホール
公式サイト
https://theatre-orb.com/lineup/21_jcs/
<出演>
ジーザス・クライスト … マイケル・K・リー
イスカリオテのユダ … ラミン・カリムルー
マグダラのマリア … セリンダ・シューンマッカー
ヘロデ王 … 藤岡正明
カヤパ … 宮原浩暢(LE VELVETS)
ペテロ … テリー・リアン
ピラト … ロベール・マリアン
シモン … 柿澤勇人
アンナス … アーロン・ウォルポール
<スタッフなど>
演出・ステージング:マーク・スチュアート
音楽監督:八幡茂 美術:岩本三玲
照明デザイン:磯川敬徳 音響デザイン:山本祐介 舞台監督:黒澤一臣
企画・制作・招聘:Bunkamura
『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』 関連記事:
- 「マイケルさんやラミンさんが僕の低音を『素敵』と」、宮原浩暢インタビュー(下) 2021年10月11日
- 「ここまで来た」、LE VELVETS『WORLD MUSICAL 2』宮原浩暢インタビュー(上) 2021年10月10日
- 圧倒的な歌声が降臨、『ジーザス・クライスト・スーパースターinコンサート』ルポ 2021年7月28日
ラミン・カリムルー 関連記事:
- 「口から出る自分の声と、ラミンさんの声が合わない」、『クラウディア』甲斐翔真(下) 2022年5月21日
- 「キャスティングの理由は、“ピュアさ”だと」、『クラウディア』甲斐翔真(上) 2022年5月20日
- 「夢のような時間を」望海風斗コンサート『SPERO』開幕 8月9日13時からライブ配信 2021年8月7日
藤岡正明 関連記事:
- 「冒険的な挑戦」、『フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~』小西遼生・伊礼彼方(上) 2022年9月25日
- スターが日替わりで登場するバラエティショー『THE PARTY in PARCO劇場』、2022年11月開催 2022年9月13日
- 「クサく聞こえるかもしれないですけど」、『Musical Lovers 2022』藤岡正明(下) 2022年5月29日
宮原浩暢 関連記事:
- 結成15周年のLE VELVETS、待望の4人全員で開幕した『Eternal』ライブ配信決定 2022年11月3日
- スターが日替わりで登場するバラエティショー『THE PARTY in PARCO劇場』、2022年11月開催 2022年9月13日
- LE VELVETSの2022年コンサートツアー『Eternal』、一般発売は8月27日から 2022年8月27日
テリー・リアン 関連記事:
- 圧倒的な歌声が降臨、『ジーザス・クライスト・スーパースターinコンサート』ルポ 2021年7月28日
- 「音楽や演劇が人種を超えて人々を結びつける」、テリー・リアンインタビュー(下) 2021年7月16日
- 『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』、テリー・リアン(上) 2021年7月15日
柿澤勇人 関連記事:
- 「チャラいけどそこにちょっと寂しさが」、『東京ラブストーリー』、廣瀬友祐(上) 2022年11月26日
- 「優柔不断さに、リアリティが」『東京ラブストーリー』、笹本玲奈・夢咲ねね(上) 2022年11月19日
- 「今回のような役は、たぶん最初で最後」 、『東京ラブストーリー』、柿澤勇人(下) 2022年10月21日
※ここから有料会員限定部分です。
■人として描かれながらも神々しさのある、マイケルのジーザス
マイケル・K・リーさんの声の響きには、常に透明感がありました。悩み、戸惑い、自分に向けられた期待への恐れ、重圧、孤独。ユダの裏切りを知ったときの思い、神に意思を問うシーン。幸せな感情が描かれるシーンはありません。しかし、どれほど苦しみ、時に怒りも覚えようとも、歌声の響きから、ジーザスの心の透明感も常に伝わってくるのです。それゆえ、「一人の人間」として描かれつつも、神々しさを感じさせる存在でした。鞭打ちのシーンよりも血の滲むような、ゲッセマネの歌声には涙が止まりませんでした。
目の前に、ジーザスが役として存在しているにも関わらず、最初はとても掴みがたい人物だという印象を持ちました。観ているうちに、恐らくそれは、作品の中の彼が、語る人というよりも「語られる人」という描かれ方をしているからなのだと思いました。この物語は冒頭のユダの語りによって始まり、ジーザスが自身のことを言葉で語ることはほぼありません。ユダや弟子たち、マリア、群衆たち、そして対立するユダヤ教の大司祭アンナスやカヤパらの口を通して、それぞれにとっての彼のイメージや彼への思いが語られるという存在です。
後半の「ゲッセマネ」の神への問いを通した独白によって、ジーザスは作品の中で初めて自分の心境を吐露します。そしてここからはほぼ沈黙です。ヘロデ王に挑発されようと、ピラトが助言しても、鞭で打たれようとも。「神の意志に対して受動的」というスタンスを貫きます。彼はラスト、十字架の上で言葉を残して息絶えます。
この作品は、全編が音楽と歌で構成されていますが、このラストの十字架の部分は歌ではなく「言葉」として表現されます。もちろん、この作品の大きな魅力は、間違いなく音楽や歌にあるでしょう。だからこそ、この「歌ではなく言葉のように語られる部分」は、彼の「語り」として特に大切な要素だと感じました。素晴らしい音楽の力を借りなかった表現を通して、ジーザスは、言葉そのものに力を持たせられる存在であったということが提示されたようにも感じました。
■魅力溢れる裏切り者、ラミンのユダ/心に語りかけてくる歌声、セリンダのマリア
イオカステのユダとマグダラのマリアは、二人ともジーザスを愛します。この作品の中で、ジーザスは「一人の人間」として描かれていますが、それを可能にしているのは、この二人の愛かもしれません。ユダのジーザスへの愛や信頼と失望、おそらくはマリアへの嫉妬。マリアの遠慮がちなジーザスへの愛。ある種の三角関係のような状態が生じていることで、人と人の物語なのだということをより強く感じられるのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」の影響もあり「ユダ=後ろ暗さを抱えた裏切り者」というイメージが私の中には元々強くありました。しかし、ラミン・カリムルーさんが表現されているユダを見ると、その印象は大きく変わりました。「裏切り者」という言葉がもたらすイメージとはほど遠く、悩める一人の人間の姿や素直さに魅力さえも感じました。ラミンさんの歌声は、「語りかけるよう」に感じられる点がとても印象的でした。素晴らしい歌声はメロディーとして以上に、そこに込められたユダの気持ちとして全て伝わってきました。歌うように語り、語るように歌っていらっしゃるのです。
この物語を進めるのはユダです。彼のセリフから始まり、彼が裏切り、ジーザスの磔刑へと至ります。物語を進めているのは彼なのですが、彼は物語をコントロールできていません。直接意見を述べてもジーザスには届かない。行動するも、おそらくは自分の予期せぬ結果になってしまった。そしてその状況に耐えられなくなります。この作品の中でもよく知られているナンバーである”Superstar”を聴きながら、本作での描かれ方から考えると、彼の裏切りこそが、ジーザスという存在をスーパースターにしたということになるのかもしれないと感じました。
マグダラのマリア役のセリンダ・シューンマッカーさんの歌には、美しさはもちろんのこと、純粋な清らかさがありました。感情がぶつかり合い、緊張感のあるストーリーが展開されていく中、マリアの存在と歌声は唯一の癒しです。おそらく、ジーザスにとってもそうだったのではないでしょうか。癒しのみならず、”Everything’s Alright”で、「大丈夫、全部うまくいく」と疲弊しているジーザスを慰める彼女の歌声には、子守唄のような優しさの中にも、心に直接語りかけてくれるような力をも感じました。
彼女は悩みつつも、ジーザスへの愛を告白せずに、ただ側にいようとします。その想いを歌う声には、潔い優しさをも感じました。ジーザスに何も要求しない唯一の存在として、彼が彼女をそばに置いていたこともうなずけます。別の意図がある演出であったのかもしれませんが、「私は本当に変わった」と歌うシーンにおいて、聖母マリアを想起させるブルーのライトで全身の半分が照らされているのも印象的でした。
■1から39までのカウントで魅了、ロベールのピラト/ワンシーンで圧倒、藤岡のヘロデ王
ローマ帝国の総督であるピラトは、ジーザスを磔にするのは忍びなく思い助けようとします。しかし、磔を要求する群衆と自らの立場の崩壊を恐れて、おそらくは断腸の思いでムチ打ちを行います。歌詞は”One!”から始まり”Thirty nine!”までカウントされます。ジーザスは、39回鞭で打たれているわけです。歌詞だけを見ると、1から39までの数列にしか見えません。
この数列が歌詞となり、かつ作品の中で極めて重要なクライマックスの一つであり、間違いなく最大の見所の一つとなるのは、前後のストーリーがあるからこそ。そしてなんと言っても、ピラト役のロベール・マリアンさんのダンディな色気のある美声によるものでしょう。数列に、これほどの感情が込められることに感嘆しました。
ヘロデ王が歌うのは1回のみ。客席の視線を一瞬で一身に集めながら歌う藤岡正明さんのカリスマ性を感じるシーンでした。彼は、ジーザスを小馬鹿にし続けます。ジーザスが侮辱されているというのに、小気味よいポップなメロディーに思わず身体が動き、観客はヘロデのペースに飲み込まれていきます。ヘロデは、基本的にはこの自身の登場シーンまで玉座のスペースに座ったままですが、”Hosanna”のメロディーでの彼の一挙手一投足も注視してみると面白いかもしれません。
■叩きのめす高音攻め、アーロンのアンナス/忍び寄る低音攻め、カヤパの宮原
ジーザスの存在を危険視する、ユダヤ教の大司祭であるアンナスとカヤパ。アンナス役のアーロン・ウォルポールさんの高音と、カヤパ役の宮原浩暢さんの低音との対比がとても魅力的です。アンナスのアーロンさんは、鋭い高音で「叩きのめしてくる」ような感覚が印象的でした。「物理的な高さ」も想起させる声であったため、ジーザスの十字架の釘を打ち付ける音を連想をしました。
宮原さんの低音には、ユダならずとも、あの声で語りかけられたらふと従いたくなるような魅惑的な響きがありました。低音に止まらず、アンナスとのハーモニーとなる部分もあるなど、幅のある音域は、カヤパが持つ権力をも表しているかのようでした。甘美な武器となっているだけではなく、時にまるでひたひたとジーザスに着実に忍び寄る足音かのような凄みがありました。
彼らの、打ち付けられるような高音と、広がりながら押し上げられていくような低音の対話からは、その高低の声の間に彼らのターゲットを想起させます。まずは、ユダを、そしてジーザスを。高音と低音で上からも下からも、追い込まれている存在。彼らの逃げ場のない運命が予告されているような声の組み合わせだと感じました。
■ジーザスへの気持ち溢れる、テリーのペテロ/高揚感ある歌声に熱狂、柿澤のシモン
ペテロとシモンは、いずれも十二使徒の一員です。属性は同じですが、個々のキャラクターとしては正反対のような印象を受けました。ペテロは、自分も捕えられることを恐れて「ジーザスなんて知らない」と3回もシラを切ります。もしもユダが同じシーンに遭遇していたら、恐らく彼はジーザスと一緒に投獄され、磔になる道を選んだのではないかと思います。ペテロは冷静であり、ジーザスとの距離感を客観視できるほどには保っていたのでしょう。
畳み掛けるように3回繰り返されるそれぞれの「知らない」は、キッパリとした口調でしたが、だからこそそこに心の動揺が現れ、彼自身の意識が反映されているように感じました。嘘をついている口調の中にも、端的にジーザスへの想いが表れていました。逆説的ですが、テリー・リアンさんの明るい高音だからこそ嘘がより際立ち、彼の本心を思わせます。続くマリアとのデュエットシーンでは素直に気持ちが吐露され、テリーさんの歌声を堪能できます。ジーザス然り、皆マリアには本音を話せるのかもしれません。
シモン役の柿澤勇人さんの、華やかで高揚感のある美しい声。その伸びやかな爽快感には、聴くものを熱狂させるような、やや煽動的な危うさの入り混じった魅力があったように思います。シモンは、群衆を代表するような構図で、ジーザスがその気になれば、彼らの力を利用して栄光を手に入れられること、ローマに痛手を負わせることができることなどを熱弁します。
ややナルシシズムも感じる、ジーザスのみならず自身への陶酔感もあるようなシモンの姿を見ていると、キャラクターは異なりますが、シモンもまた、ジーザスと同じように人を惹きつけ、動かすことのできる人物だったのではと感じました。
■5万人もの群衆や十二使徒に変幻自在。10人のアンサンブルによる圧巻の臨場感
10人のアンサンブルが時に、救いを求める5万人の群衆になり、十二使徒のメンバーにもなります。そして遂には、ジーザスの処刑を要求する群衆とも化します。とてもこの人数とは思えない圧巻の歌声のボリューム、そして見事なハーモニーでした。10人で何役も演じられるからこそ、群衆の「移り気」がとてもリアルに感じられました。
アンナスとカヤパ側として、男声の低音コーラスでの”He is Dangerous”という歌詞や、それに呼応する女性コーラスの”Hosanna”でジーザスを称える群衆を表すなど、変幻自在にシーンの奥行きを感じさせる表現がとても印象に残っています。
彼らの表現によって、シーンごとにガラリと変わる雰囲気を肌で感じ、何度身震いしたことでしょうか。カーテンコールの際には、この人数で全て演じられていたのだということに、改めてとても驚きました。
■音楽のキャッチーさが示唆しているのは、ジーザスの求心力かもしれない
序曲で完全にロックモードとなり、アンサンブルの皆様の声と見事な身体表現を目の当たりにすることができました。それゆえに、ジーザスへの傾倒を自身のこととして感じやすい土壌ができていたのだと思います。その中に、スーパースターたちそれぞれの圧倒的な歌声が降臨。ロックライブで、舞台上のアーティストのパフォーマンスに合わせてシャウトしながら一体となってその世界観を楽しむような感覚でもありました。
更に、アンドリュー・ロイド=ウェバーの曲は、一度耳にしたら忘れられないようなキャッチーなメロディーの数々。特に”Superstar”は、観劇後しばらく経ってもふと口ずさんでしまいます。まるでジーザスの教えが、つまり彼の声が、いかに人々に浸透し心を掴んだのかを、音楽のキャッチーさが表しているかのように感じました。この感覚はもちろん、皆様の素晴らしい歌声による「ギフト」なのだと思います。