「しろさびとまっちゃん~福島の保護猫と松村さんの、いいやんべぇな日々」著者で、フリーランスフォトグラファーの太田康介さんと、福島第一原発20キロ圏内の猫たちに会いに行ってきました。前編・後編と2回に分けて報告します。
太田さんが2011年に出された「のこされた動物たち 福島第一原発20キロ圏内の記録」と、続いて2012年に出された「待ちつづける動物たち 福島第一原発20キロ圏内のそれから」を読んで、いつかこの方に会いたいと思っていました。電気屋さんの駐車場にいる牛。飼い主さんを待っている犬。牛舎の中で餓死寸前の牛。つながれたまま死んでいた犬。池の腐った鯉を食べて死んでいた猫。国道の上のダチョウ。ミイラになっていた猫・・・震災直後、人間に「とりのこされ」、それでも人間を「待ちつづけて」いた動物たちの記録です。
それからしばらくして、太田さんのブログ「うちのとらまる」を読むようになり、軽妙な文章と温かい写真に、ますますファンになりました。2013年、京都知恩院で開催された「太田康介写真展 のこされた動物たち」で、ようやくご本人とお会いすることが出来、2015年の新刊「しろさびとまっちゃん~福島の保護猫と松村さんの、いいやんべぇな日々」をアイデアニュースで紹介しました(https://ideanews.jp/archives/1919)。そして、今回、太田さんに同行していただいての福島行が実現した次第です。
2015年6月25日早朝3時、太田さんの車で用賀を出発、一路、福島へ。出発地点に戻ってきたのは6月26日午前1時を回った頃。つまり、福島第一原発20キロ圏内でめいっぱい動き回って、そこに泊まらず帰ってきたというわけです。
2011年3月11日、東日本大震災。報道カメラマンの太田さんは、アフガニスタンや旧ユーゴスラビアなど紛争地域や阪神淡路大震災被災地の取材をした経験があります。だからこそ、「これは大変な被害がでる」と直感しました。原発から20キロ圏内でお腹を空かせて徘徊する犬たちの画像をインターネットで見た太田さんは、計画停電やガソリン不足の続く東京から、2011年3月30日に初めて福島入り。動物の保護活動をしている人たちと連絡を取り合いながら、出会った犬や猫に餌をやり、可能であれば保護し、たとえ一匹でも命を救いたい。人間の勝手で罪のない動物の命を奪いたくないという一心で行動します。それから4年を越える年月が経った2015年6月25日。私が同行させていただいた日は、今も月に2度は福島に通っている太田さんの「日常」の一日でした。20キロ圏内で生きている猫たちに、給餌するのが第一の目的です。
早朝の高速道路、太田さんはいつも通り車を走らせました。何時ごろにインターチェンジを通過し、どこのサービスエリアで腹ごしらえし、給油をするのか、一連の流れが出来ています。福島第一原発20キロ圏内まずは楢葉町の餌場から給餌を開始しました。アライグマやハクビシン、イノシシなどの野生動物には食べられず、猫だけが食べられるように工夫して設置したエサ台。海の近くで、家々が取り壊されているこのポイントでは、木に括り付けられていました。筆者にとって初の猫フード補給ポイントです。猫が食べてくれているといいのですが・・・きゃあ~!栄養たっぷりのドライフードを、ゴキブリとハサミムシが食べていました!
太田さんが、箱の中に居座るゴキブリをなんとか追い出し、筆者はドライフードの中の虫を追い払おうとしましたが、ここのフードはかなり虫が入り込んでいたので諦めて廃棄。新しいフードに入れ替えて、木の根元に虫除けを撒きました。本当はゴキブリが大の苦手の太田さん、第一餌場からちょっとがっくり。でも、後から振り返ると、ここまで虫にやられていたのはこの日、このポイントだけでした。
次の餌場では、猫たちが3匹、姿を見せてくれました。人に慣れている猫たち。もしも原発事故がなかったら、「飼い猫」だったかもしれないし、不妊手術を受けて、地域の複数の人にエサをもらって生きていく「地域猫」になったかもしれません。たくましい「野良猫」になったかもしれません。いずれにしても、猫は野生動物ではない。自由に暮らしているように見える猫たちも、人の暮らしの近くで、人の作り出す生活環境に頼って生きているのです。猫は、人というパートナーがいないと生きていけない動物です。突然誰もいなくなった場所で、猫がお腹を空かせているかもしれないと思うといてもたってもいられない太田さんのような人たちが、こうして餌を補給していることで、20キロ圏内の猫たちは命を保っています。
1日の時間を最大限に使おうと、エサ台をチェックして回る太田さんの動きは無駄がなく、素早いのです。箱が壊れていたりしなければキャットフードを補充して、アライグマなどにやられているところは補強して、さっと次のポイントへ。6月25日、一緒に回らせてもらった餌場は22か所。許可証の関係で筆者は入れず、太田さんしか入れない地域での給餌もこなし、合計24か所で猫たちのご飯を補充してまわった太田さんなのでした。
「自分はそんなすごいことをしているとは思わない」と太田さんは言います。震災直後の一刻を争う非常事態から、ほんの少しずつ、いい方向に進んできたけれど、まだまだやるべきことはたくさんある。「自分の仕事や暮らしもあるし、東京に住んでいる自分ができることを自腹で続けていくので、カンパやフードの寄付もお断りしているんですよ」。車の助手席に座って何もかもお任せで給餌ポイントに連れて行ってもらっている筆者に、太田さんの言葉はゆっくりと重たくしみこんでいくのでした。
「頑張って下さいと5000円寄付してくれるっていうのは、違うなと思う。悪いけど要らない。それで自分も何かいいことをした。福島の猫のために何かしたと満足して、自分の地域の猫のことは知らないっていうのはおかしいでしょ」
「自分は自分の出来ることをこれからもやる。だから、それをネットで見て『応援してます。祈っています』というだけじゃなくて、自分も動いてもらえたらなあと思う。見回せば、近所に野良猫がいるんじゃないかな?避妊去勢手術の問題、殺処分の問題、いろいろ難しいことがあると思うけど、ひとりひとりが自分の出来ることをやれば、少数のボランティアさんのところに猫が集まって、ギリギリ限界までがんばるなんてことにならないんじゃないかと思うんですよね」
軽自動車の後ろに、ドライフードと、掃除用のブラシと、殺虫剤と、エサ台補強用の工具を積み込んで、各ポイントに迷わず車を進ませる太田さん。何度も何度も通った道だということが分かります。エサ台の小さな入口に毛がついていたら、猫が食べてくれている証拠。「猫は食べ方が上品。フードの真ん中にくぼみがあるくらいの食べ方ですよ。野生動物だと食い散らすけどねえ。ここは猫が食べてるみたい」と嬉しそうに話してくれました。「あ、ここは〇〇さんが補充してくれてる」「このエサ入れの箱は△△さんのお手製なんですよ」と教えてくれる声もはずんでいました。この日給餌してまわったポイント以外にも多くの給餌場所があり、「自分が出来ることをやり続けている」人たちが支えてくれているのだなあと頭が下がりました。
「寄付の申し出も、100万円なんていう単位だったらもらいますよ。だってそうしたらもっと頑丈なエサ台が作れるでしょ。野生動物に荒らされないようなものが出来たら、もっと餌場を増やせますからね」
「せっかくだから、ここを見て行ってください」と、太田さんが連れて行ってくださったのが、ドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」にも登場した牛舎です。「死んでいった牛たちの骨がそのまま残っているのはもうここくらいかもしれないなあ」ということで、忙しい給餌活動の合間に、お言葉に甘えて連れて行っていただきました。晴れていたけど、「新幹線に長靴で乗ってやってきてよかった!」と思ったほど、足元が見えないくらいの元気のいい緑、緑、緑。思ったほどアブやハチはいませんが、つるがからまってきて行く手を阻みました。
覚悟はしていたけれど、対面した牛の骨は震災直後の「地獄」を想像させるもので、筆者は「ごめんなさい。こんなに遅くなって、ごめんなさい。何もできなくて、ごめんなさい」と言い続けて写真を撮りました。
震災直後から、犬猫の保護活動とともに、のこされた家畜たちの写真を撮って悲劇の記録を発信し続けた太田さんですから、ここも何度も訪れたことでしょう。4年以上たった今、骨だけになったここには、あの死の匂いも、ハエや蛆がたかる死の姿もありません。ただ骨だけが、横たわっていました。太田さんに促されて見てみると、お腹がすいて牛がかじったのだと思われるすり減った柱がありました。どんなに苦しい最期だったかと思い、これを招いたのが人間なのだと思うと、申し訳なくていたたまれませんでした。
「でも、よく考えると家畜って、最後は食われるんだよね。うまく避難できた牛とか豚だって、最後は出荷!つまり食べられるいのちなんだって思うとね・・・難しいね」 太田さんは、お肉を食べなくなったのだそうです。ペットの犬や猫、家畜の牛や豚、野生動物たち、鳥や虫たち。いのちをいただいて生きている私たち。どこで線引きするんだってことがだんだんわからなくなってきて、ぐるぐる考えて難しくなっているんですよという言葉に深く頷きました。わからないこと、難しいことを見つめ続け、考え続けることが、他の動物たちを食べて生きる人間としての誠実さだと思いました。
自分の時間を使って福島を訪れ続ける太田さん。エサ台の補強やフードの補充など、自分もやってみよう、動いてみようという人は歓迎ですよとのことでした。
今回のアイデアニュースの記事「『しろさびとまっちゃん』著者と、福島第一原発20km圏内へ」は、上下2回に分けて掲載し、2015年7月10日に掲載する「下」では、地元の方たちの活動を報告する予定です。地元の福島・浪江町で、被災した動物病院を再開し、避難先の二本松から通ってきて、圏内で保護された猫の不妊・去勢手術やワクチン接種などを無償でおこなっている豊田動物病院の豊田先生。震災直後から猫や犬の保護活動を開始、浪江町の自宅や事務所を猫と犬のシェルターにしている赤間徹さん。震災から4年以上の月日がたち、盛んに除染が行われ、少しずつですが人が町に戻ってくる準備が進む福島原発20km圏内。猫たちと住民の方々とがうまく共存していけるような保護活動が必要になってきています。帰ってきた住民の方に迷惑をかけないような給餌の方法が問われることでしょう。ますます難しくなる部分を、淡々と担っておられる地元の方たちです。ぜひ、次回もお読みください。
- 有限の時間の中で感じた無限、スタジオライフ『なのはな』東京・大阪公演を観て 20190503
- 東日本大震災と原発事故を描いた萩尾望都の『なのはな』、スタジオライフが舞台化へ 20181125
- 福島県浪江町、被災犬と猫の私設シェルターに「ドッグラン」ができました 20171224
- 「ひとりひとりの事情に向き合って」、たらちねクリニック・藤田操院長インタビュー 20171215
- 有機農業と太陽光発電が融合、11月19日に千葉でソーラーシェアリング収穫祭 20171027
アイデアニュース有料会員向け【おまけ的小文】 お肉を食べない太田さんの前でハンバーグを食べちゃいました( ;∀;) (松中みどり)
アイデアニュースは、有料会員のみなさんの支援に支えられ、さまざまな現場で頑張っておられる方々の「思いや理想」(ギリシャ語のイデア、英語のアイデア)を伝える独自インタビューを実施して掲載しています。ほとんどの記事には有料会員向け部分があり、有料会員(月額450円、税込)になると、過去の記事を含めて、すべてのコンテンツの全文を読めるようになるほか、有料会員限定プレゼントに応募したり、コメントを書き込めるようになります。有料会費は取材をしてくださっているフリーランスの記者のみなさんの原稿料と編集経費になります。良質な取材活動を続けるため、どうか有料会員登録にご協力をお願いいたします。